週末を迎えて
そして一夜明けた今日は金曜日、授業のある週の終わりの曜日である。
ラピスの仕事は学校のある日のみと決めていたので、週末はまたあのうるさいのと一日中一緒ということになる。
まあ、土日の心配はまたその日を迎えてからすればいい。
それより今は。
「なあ、悪いけど今日はあんまり構ってやれないんだ。何か用事があるなら手早く済ませてくれないか」
俺は、目の前の少女に向かい言う。
彼女は俺の声に反応し目を向けたが、すぐには返事を返さない。
というのも、口いっぱいにものを詰め込んでいたからだ。
「はぐ、はむ……んっ!? ――んんん~ッ!?」
早く返答せんと急いで飲み込もうとしたためであろう、彼女は口の中のものを喉に詰まらせた。
「あっバカ、急いで飲み込むから――ほれ、水飲め水!」
むせる彼女へ、俺はペットボトルに入った水を飲ませる。
「んゅっ、んっく……ぷはーっ!? ……し、死ぬかと思ったの!!」
「気を付けろよほんと……」
そう、昨日に続き今日も俺は、例の山道でこの少女と出会った。
もはや名前をあえて言う必要もなかろう――ミナである。
出会って早々彼女は昨日の礼を丁寧に言ってきたのだが、その際に彼女の腹から大きな音が鳴った。
赤面する彼女へ俺が腹が減っているのかと問えば、恥ずかしそうにしながらもミナはこくりと頷いた。
――聞けば、昨日大量に購入したはずの駄菓子の山は、昨日のうちに全て食べてしまったのだという。
聞いた手前、はいそうですかで終わらせるわけにもいかなくなった俺は、少し待っていろと言い残し、山を下りて近くのコンビニでおにぎりを二つほど買ってきてやり、彼女に手渡した。
彼女は最初こそ遠慮する様子を見せていたが、結局空腹には勝てず、一度口を付けた後はすさまじい勢いで食べ進め、あっという間に完食してしまったのだ。
「ありがとうおにいさん! やっぱりおにいさんは命の恩人なの!」
息を整えたミナは、満面の笑顔になって言う。
「んな大げさな……ん? やっぱり? やっぱりって?」
「あっ……! え、えへへ……ちょっと言い間違えちゃった」
どうも何かを誤魔化しているような風だ。
俺が訝しんでいるのを察知したのか、ミナは慌てた様子で話題を変えようとする。
「それよりおにいさん、ごはんありがとうなの! とってもおいしかった!」
「……そりゃよござんした。けどよお前、きちんと毎日メシ食ってんのか? 今の食いっぷり見るに食が細いってわけでもないんだろ?」
この俺の言葉に、ミナは明らかに狼狽する様子を見せた。
「え……う、うん。ちゃんとごはん、食べてるよ」
「……普段何食ってんのか聞いてもいいか?」
「え、えっと……大体いつもは山にいるむしさ――じゃなくて! えっと、えっと――そ、そう! おにぎりとか!」
何か言おうとして慌てて止めた風だな。
「おにぎり、ね……」
そいつはちょうど今、俺がやったもんだな。
喰いモンの名前なんて、それこそ星の数ほどある。
だというのに、思案した挙句に出てきたのがその単語一つだけとは。
難しい顔をして睨む俺を、ミナは不安げな表情でして見つめている。
「お、おにいさん……?」
今一度、俺は彼女の全身を見回したが。
……やはり、どう考えても痩せすぎている。
加えることに昨日と変わらぬボロボロの和服を羽織った姿、そしてこの一連の会話。
これらを併せ考えれば、育児放棄という嫌な単語が脳裏に浮かぶ。
とはいえ、それはあくまで疑惑に過ぎない。
ミナの明るい表情を見ると、とてもそうした虐待など受けているようには感じられない。
俺の勝手な想像、思い違いであればいいのだが。
「それに、俺がどうこうできるわけでもないしな……」
「どうしたのおにいさん。変な顔して」
溜息交じりに、そうつい声に出してしまった俺へ向け、ミナは更に怪しんだ顔付きになる。
「ん……いや、なんでもない。それよりミナ、さっきも言ったけど今日はあんまり長いこと付き合ってやれないんだ」
「うん、大丈夫だよおにいさん! ミナも昨日のお礼が言いたかっただけなの!」
「そっか。それじゃ――」
「あっあのっ! おにいさん!」
ならば俺はここいらで、そう言おうとした俺の言葉を遮って、ミナは何かしらを言いたげな素振りを見せる。
「ん? どうした、やっぱ何かあるのか?」
「あ、明日は……明日もここ、通る?」
「ん、んー……」
先述したように、ラピスのバイトは平日のみであり、となれば俺もまたこの道を通る理由もない。
ならば正直に「いいや、通らないよ」とでも言えば良さそうなものだが、どうにも眼前のミナの表情を見てしまうと、そう断言してしまうことに若干の躊躇いが生まれる。
よって俺は、返事を保留する代わり、逆に彼女に質問してみることにした。
「……ミナはどうなんだ。明日もこの時間、ここで遊んでるのか?」
「うん。ミナはここにいるよ。この山に……ずっと」
言葉の最後は目を伏せながらの――何をか思い詰めたような、そんな色を感じさせた。
「変な言い方するんだな。そんなにここが気に入ってんのか。……で、明日、明日ねぇ……」
「あっ……大丈夫だよおにいさん! 無理しなくてもいいの! ちょっと聞いてみただけだから!」
明らかに俺に気を使っているのが丸わかりなその様子は、健気さすら感じさせるものだった。
こんな年端も行かぬ少女にそんな気遣いをさせてしまうのはどうにも心苦しく、若干の良心の呵責を感じざるを得ない。
俺はたっぷり十秒ほどの時間をかけ、悩みながらも言葉を発した。
「悪いが、約束はできないな」
案の定、この俺の言葉を聞いた瞬間、ミナは明らかに気落ちした態度を見せる。
「そ……そう。……うん。わかったよ、おにいさ――」
「でもま、もし時間が取れるようだったら顔を見に来るよ」
よくもまあこんなに素早く表情を変化させられるものだと感心する。
打って変わって元の、いやそれ以上の笑顔へと表情を変えたミナは、たちまち声を弾まさせた。
「ほ、ほんとっ!? ほんとにっ!?」
「ああ。でもあんま期待すんなよ。お前も他に用事でも入ったらそっちを優先しろよ。どっちにしろ平日はここ通るしな。そっちのが確実だ」
「――うん、うん! わかったの!」
……本当に分かったのかどうか訝しむほどのはしゃぎっぷりだ。
これで明日、やはり顔を見せられぬ羽目になってしまった時のことを思うと、やはりきっちりと断っておくべきだったかという後悔の念が押し寄せる。
とはいえ、今さら撤回するわけにもいかない。
仕方ない、明日のことは明日のこと。その時になってから考えよう。
「んじゃ今日はここまでだ。それじゃ、またな」
「あっ! ちょっと待ってほしいの!」
再度踵を返そうとした俺を、またもミナが止める。
「どした?」
「おにいさん、これ。貰ってくれる?」
そう言ってミナは、懐から小さな包みらしきものを取り出し、俺に手渡す。
「ん? これは……お守り?」
「はいなの!」
「縫ってある名前はこれ、買った神社の名前か? ……聞いたことないな。どこのだ?」
橙色の糸でもってして全体を設えられているそのお守りは、『大道寺陽首白露稲荷御守』と茶褐色の糸で刺繍がされている。
これは果たしてどう読むのが正解なのか。
「これはね、すっごくご利益があるお守りなの。本当はむやみに人にあげちゃダメって言われてるんだけど……おにいさんならいいよ! 今までのお礼!」
「そ、そうか……」
たかが駄菓子とおにぎりを奢られたくらいで、そんな大層なものをホイホイ渡すのはどうなのか。
いや、一応昨日の分はミナが払ったことにしてるんだっけか。
「それじゃ、もう他にはないのか? いいなら俺は行くけど」
「うん! じゃあまたね、おにいさん!」
ミナは、昨日と同じく俺が視界から消えるまでずっと手を振り続けていた。
後ろを振り返っても彼女の姿が見えなくなったあたりで、俺は先ほど渡されたものをポケットから取り出してみる。
と同時に、先ほどの自分の行動を鑑み、己が軽率さを改めて感じる。
「安請け合いしちまったかなぁ……」
言いながらそのお守りを観察してみれば、どうやら機械的に生産されたものではない、手作りの品のようだ。
橙色の糸は光の当たり加減で金色に輝き、見た目も相まって神々しいまでの光を放っている。
そうしてまじまじと見ながら、指で感触なども確かめていると、どうも指先にコリコリとした感触を感じる。
「……米?」
紅い紐を解いて中に入っていたものを取り出してみれば、中から数粒の米がまろび出てきた。
それも精米などなされていない、収穫直後といった様相のものだ。
「ま、豊穣の神様を祭ってる神社なのかもな」
言いつつ俺は、他に何か入っていないかと中を探る。
すると、今度はなにやらこそばゆい感触があった。
柔らかいそれを次いで取り出してみると、小さく紐で纏められた毛の束が姿を現す。
何かの動物の毛だろうか。色は褐色がかったオレンジ色で、先端は白くなっている。
それはあえて言うなら、これを渡してくれた人物の髪色によく似ていた。
「……まさかな。偶然だろ」
頭にふと過った考えを打ち消した俺は、今日こそはあのうるさい死神に文句を言われないよう、行く道を急いだ。
旅行から無事帰ることができ、溜まった仕事もひと段落つけることができました。
次話は夕方あたりに投稿いたします。