はたらく死神様 ④
その場で俺は言葉を失い、ただ立ち尽くすほかなかった。
――あいつ、一体何考えてやがんだ!?
「う、んん……?」
その思いは聖さんも同様であったようで、表情には戸惑いの色が見える。
そうした顔つきになったのは、ラピスの発言が冗談だと疑ってのものだろう。
がしかし、眼前の少女の目が真剣そのものであることに気付いたのか、彼女もまた真面目な顔に戻る。
「……ラピスちゃん、だったね。先ほどの話を聞いていただろう?」
「無論じゃ。じゃがそれを押して頼みたい。わしをこの場で雇ってもらいたいのじゃ」
「しかしだね、そもそも君は一体いくつなんだい? 見たところしょうがくせ――いや、それだと竜司君を後で問い詰めなければならないな。しかしいいところ中学生といったところだろう。いずれにせよ、その年でアルバイトなど時期尚早というものだよ」
当然の返答である。
俺と同じバイト禁止の学校へ通っていることも無論そうだが、実年齢はともかく、今のラピスは下手をすれば小学生にすら見える外見だ。
しかも二人は今日が初対面である。了承されるはずがない。
がしかし、ラピスはそうした返答を聞いて尚も折れず、彼女へ食いつくことを止めない。
「……頼む。なんでも、なんでもする。そなたの言うことは全て聞き入れよう。じゃから……」
――時間の無駄である。
如何に必死の懇願をしようと、彼女が首を縦に振るはずがない。
いたたまれなくなってきた俺は、そろそろラピスを止めんと動きにかかる。
「いや、あのなラピス。だからそういう問題じゃ――」
「なんっ……なんでも……!? う、う~ん……」
「おいアンタ! なんでちょっと迷ってんだ!?」
つい言葉が乱暴になってしまったが、それもこの場では致し方ないことだろう。
聖さんは不意に頭を殴られたがごとき衝撃を受けたような顔になり、次いで考え込むような素振りを見せ始めたのだ。
「いっ、いやっ! ち、ちがうんだよ竜司君、今のはその……」
俺の声に我を取り戻したのか、彼女は元の表情に戻り、ひとつ咳払いをする。
「ええと……んんっ。――ラピスちゃん、キミは何故お金を稼ぎたいのかな? 普段のお小遣いでは満足できないかい? 遊びたい盛りだろうし、気持ちは分からないでもないよ。でもね――」
「さようなくだらぬ理由からではない。わしは……己が大切な者のため、そうする必要があるのじゃ!」
「ほう……? その大切な人とは、もしかして?」
そう言って聖さんは、視線を俺へと動かす。
この時の俺は、どんな顔をしていたのだろうか。
彼女は含みのある笑顔を浮かべ、少しからかったような口調で言う。
「……ふぅん。こんな子供にこうまで言わせるとは。大したプレイボーイぶりだね、キミは。どんな手を使ったんだい」
「い、いやいやいや。聖さん、これはこいつのちょっとした冗談でですね」
「そうは見えないけどね。うーん……しかし困ったな。こんな可憐な少女の頼みを無碍にするのは私の矜持に反する。どうしたものか……」
うむむと暫く唸っていた彼女だが、やがて発された言葉はやはりと言うべきか、ラピスの期待に沿うものではなかった。
「……いや、やはりダメだ。いくらなんでもキミのような小さな子を――」
「聖っ!!」
「ふおあっ!?」
聖さんは身を硬直させ、今まで俺が聞いたことのない声を上げた。
そうなったのは、不意にラピスが彼女へ抱き着いたからである。
見るからに挙動不審になる彼女をよそに、ラピスはより一層声量を上げ、今一度懇願する。
「頼む、聖……! 後生じゃ、わしを雇ってくれ。先の言葉は嘘ではない、汝の言うことには全て従う! いかな命令であってもじゃ!」
「ふぐっ……!」
どうしたことか、聖さんは短い声を上げると、片手で鼻のあたりを覆いだした。
聖さんに抱き着くラピスの顔は、丁度彼女の胸の下あたりに位置する。
彼女の下から潤んだ瞳を向けつつ、ラピスはダメ押しとばかり、もう一度彼女の名を呼んだ。
「聖ぃ……」
今や聖さんの顔は真っ赤で、汗の量はさながら滝のようである。
顔を手で押さえつつ彼女は、荒い呼吸を吐きつつ声を出した。
「ふぅーっ……ふぅーっ……し、仕方ないなぁ……そこまで必死にこ、懇願されては……」
「おいおいおいおいちょっとちょっと!」
たちまち俺は彼女の言葉を遮りに入る。
このままだと本当にそのまま了承してしまいそうな流れだ。
いつもクールで凛とした彼女が、今日に限ってはまるで別人である。
「いやっ、竜司君! 考えてもみたまえ。彼女の意志は見ての通り固いようだ。ここでもし断れば、その後どこか怪しげなところにまで行ってしまいかねない勢いじゃないか」
「いやそれは……」
考えすぎだ、とは即座に応えられなかった。
ラピスの性格を考えれば、本当にそうしてしまいそうな予感は確かにある。
「だとすれば、だ。ここは信頼のおける人間の元で、というのが落としどころではないかな?」
……信頼できる人間、ね。
昨日までは確かにそう思っていたんですが。
「聖っ! それでは――」
「とはいえまだ決めたわけではないよ。まずはテストだ。色々と準備もあるし……そうだな、明日学校が終わったらまた来なさい。学校は何時に終わるのかな」
「自由になるのは一五時半からじゃ」
「よし、ではそうだな……明日の夕方四時過ぎ頃、またここへ来なさい」
「了解じゃ! ……感謝するぞ、聖よ!」
……なんということか。
結局、こうなってしまった。
テストだと口では言っているが、彼女の中で既に採用は決定している気がする。
それは、より強く抱きしめられ、恍惚とした彼女の表情を見れば一目瞭然である。
「ふおおおおっ……!」
声にならぬ声を上げた彼女は、未だ荒くなった呼吸を抑えることなく、次いで口を開いた。
「……ラ、ラピスちゃん。正式な試験は明日からだが、ちょっと試しにここの仕事をやってみるかい?」
「うむ、任せよ!」
「そうかい。ではまず――あっ!」
「?」
と、何か重要なことに気付いたとばかりな声を出した彼女は、なにやら目を細め、怪しげな雰囲気を漂わせ始めた。
「……よし、ではまず制服に着替えようか。……こっちへ来なさい」
そう言うと、あっという間にバックヤードまでラピスの手を引いて消えていってしまった。
二人の姿が消えた後、俺は独り言ちる。
「……制服?」
確かに聖さんはいつも同じ服、さながらバーテンダーのような給仕服を着ているが。
しかし俺が知る限り、これまでこの店に他の従業員が居た記憶はない。
バイト用の制服など用意しているとは考え辛いのだが……
「面白いコトになってきやがったな。こりゃここに来る楽しみが増えたぜ。あの野郎、マジで死ぬギリギリまで力を奪いやがったからな。あいつに給仕させるとなりゃ少しはその鬱憤も晴れるってもんだ」
とここで、それまで事の推移を静観していたのだろうナラクから声が上がる。
俺は僅かに躊躇したが、この男に話しかけることにした。
「――ナラク」
「……あン? なんだ、俺とは話したくねえんじゃなかったのかよ」
ナラクは目を細め、しかしどこか楽しそうな表情で俺を見る。
「お前、どうしてここに居るんだ? 俺たちを付けてたのか」
「んな女々しい真似すっかよ。マジに偶然だ、偶然。ここだってよ、この世界に飛んでからフラッっと入ってみただけだ。そしたらよ、この、これ――コーヒーっつーんだろ。こいつがあんまり美味いもんでな。そっから何度も飲みに来てんだよ」
「フラッっとって、お前……金はどうしたんだよ?」
「ん? ああ、そんなことか。そんなもんお前、俺にかかりゃ楽勝よ」
……何がどう楽勝なのか、またどんな方法を使ったのか。
なんとなく予想は付くが、俺はそこには突っ込まないことにした。
「……まあ、それは別にいい。それよりもっとお前には聞きたいことが――」
『じゃわーーーっ!?』
「!?」
続く言葉は、バックヤードから突如として届いた大声によって中断される。
『な、なんじゃ貴様!? だ、大丈夫なのか!?』
『……わ……これ……!』
『――こら、やめろ! その顔で近寄るでないっ! それくらい自分でできっ……やめんかーっ!!』
大声の主はラピスである。
聖さんの声らしきものも聞こえてはくるが、壁に挟まれたここからでは明瞭でない。
ただの着替えを行っているだけであるはずだろうに、一体どうしてこんな大声を出すような事態になるのか。
「……何が起こってるんだ……?」
「くっ……がーはははっ!」
その答えは、彼女らが再び姿を見せるようになるまで、もう暫くの時を置く必要があった。
今はただ、店にはナラクの笑い声が響くばかりである……