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鈴埜の誤算

「ぐっ……! うううう……!!」


 俺はなんて詰めが甘い男なんだ。

 考えてみれば、あの中庭は三階にある俺の教室の丁度真下に位置する。

 少し考えれば、こうなることは予想できたはずだ。

 やはり体育館裏にしておくべきだった……


 ――あの後。

 俺は急いで自分の飯をかき込み、逃げるように中庭を去った。

 そのまま昼休みの終了ギリギリまで一人トイレで悶えていたのだが、教室に帰った時の空気といったら、二度と思い出したくもない。

 休憩時間の度に向けられる好奇の視線と、絶えず聞こえてくるヒソヒソ話に、俺は悶絶しっぱなしだった。


 そんな地獄のような時間が流れ、やがて一日の授業がやっと終了し。

 俺は手短に一ノ瀬へ昨日の礼をすると、そそくさと教室を出た。


 ひとつ階段を降りた俺は、二階の渡り廊下でラピスを待つ。

 時折肌を撫でてくる冷たい風が、火照った俺の精神を落ち着かせた。


「……よし、とりあえず昼のことは忘れよう」


 これから先、今日のメインイベントが控えている。

 とは言っても、鈴埜に本を返すだけなのだが。

 ラピスからの話を聞いただけでは半信半疑であったが、実際にあのような体験をすれば流石に俺も構えざるを得ない。

 鈴埜が俺を害する気であるなどとは今でも思っていないが、これはあいつには伝えないほうがいいだろう。

 どういうわけか、妙にあいつは鈴埜のことを敵視しているからな。


「……しかし、遅いな」


 そも、中学の授業は高校生である俺のものより総時間が短い。

 あいつのことだ、下手をすれば教室の前で俺を待ち受けているのではないかとも予想していたのだが。

 スマホで時間を潰しつつ更に待つこと数分。

 やっと渡り廊下の扉を開け、ラピスが姿を現した。


「やっと来たか。おーいラピ……ん?」


 ラピスに続いて、俺の視界にもう一人別の人物が目に入る。

 背丈からして、同学年の男子生徒のようだ。

 顔にまだ幼さを残しているが、中々に整った、端正な顔つきをしている。

 俗に言うイケメンってやつだな。


「なあなあ、だから今日は俺たちと一緒に帰ろうぜって!」

「あ、あはは……ええと、き、気持ちは嬉しいのじゃが、わ、わしはこの後……」

「なんだよー、お前シャーペンも用意してなかったじゃんか。ついでに学校の周りの店も紹介してやるって」

「うぅ……そのぉ……」


 口早に捲し立てるその男子の勢いに、ラピスは押されっぱなしだ。

 やんわりと断ろうとしているようだが、男はまるで聞き入れない様子である。

 その必死さを見るに、明らかにラピスに気があると顔に書いてある。

 中一から随分と積極的だな。

 俺などはその時分、女子に話しかける事さえままならなかったものだが。

 ……まあ、あいつの見た目じゃ仕方ないか。

 アイドルそこのけの美貌を持った転校生が急に現れたとなりゃ、奥手な俺だってどうなるか分からない。

 仮に彼女にでもできれば、それこそ学年でのヒエラルキー最上位待ったなしだろう。

 それでも、こと思春期の男子にとり、女子に話しかけること――それも一人でとなると、相当な覚悟がいるはずだ。

 中々に肝の座った奴である。


 ――が。


「……ちょっと、馴れ馴れしすぎんじゃねえか?」


 男はラピスに密着せんばかりに肉薄し、未だ諦めず誘いを続けている。


「い、いやぁ……でもぉ……」


 ……嫌がってんじゃねえか。んなことも分からねえのか?

 がっつく気持ちも分からないじゃないが、ちょっとしつこいぞ。

 ラピスもラピスだ。昼言ってたような理由があるにせよ、たった一人のガキ相手にいつまで気後れしてやがるんだ。


 ……何故だか、いやにイライラする。

 先ほど言ったように、男の気持ちは理解できる。

 それにあの押しの強さだって、年の若さから来るものだと、心の内では俺だって分かっているのだ。

 ならば年長者としては、笑って許してやるくらいの器量を持つべきだろう。

 第一ラピスに友人ができることは喜ぶべきことだ。

 長い間一人きりでいた、あいつのことを思えば、多少の無遠慮さくらい多めに見て……


 分かってる。

 分かってるさ。

 俺は冷静だ。


 ……だが、そんな心の声とは裏腹に、俺の足は二人の元へと向かってしまっていた。


「おいラピス、行くぞ」

「……えっ? ――あっ、わ、わがき……」


 俺は言いつつ、ラピスの手を取る。

 俺の存在にまで気が回っていなかったのだろう、ラピスは驚いたように俺を見た。


「今から部活なんだ。いつまでもグズグズしてると置いてくぞ」


 続ける俺に向かい、横の男が口を開いた。


「ちょっ、ちょっと……何なんだよお前? 急に現れて……ラピスは俺たちと――」

「ふぅん、そうなのか。じゃあラピス、置いてっていいんだな?」


 俺はそっけなく言い、握っていた手を放す――と。


「えっ……や、やだあぁ! 一緒に行く!!」


 離した手を追いかけるように身体ごとラピスは俺に追いすがり、そのまま抱き着いてくる。


「……いいのか? 先約があるんだろ?」

「そんなものありはせんわい! 例えあったにせよ、我が君との約束以上に大事なことなどあるものか!」

「そっか。んじゃ行くか」

「うむ!」


 ラピスを片腕にしがみ付かせたまま、俺は男へ向き直り、言う。

 そのラピスはといえば、もはや男の方を一瞥すらしない。


「――てことだ。悪いな」


 言葉も無く呆然とする男を後にし、俺はラピスを連れ、反対方向へと歩き出した。

 すると暫くして、後方からなにやら声が聞こえてくる。


「あっはは! フラれてやんのー!」

「……う、うっせ!」

「あの男の人誰だろ? 上級生っぽいよね?」

「ラピスちゃん、あんな顔で笑うんだ」

「わがきみって、そういう名前なのかな?」

「ていうかアレじゃね? もしかして、カレシってやつ……?」

「「きゃーっ!!」」


 黄色い声を背中に受けつつ、渡り廊下を出て部室へと向かう。

 その途中。


「……」

「我が君? どうしたのじゃ、先ほどから黙り込みおって」


 ……今になって、どうしてあんな大人げないことをしたのだと、俺は自己嫌悪に陥る。

 せっかくの友人が作れたかもしれないチャンスを潰してしまったことにより、今後ラピスに対し、果たして周りはどう接するようになるか。

 しかも潰したのは他でもない、俺自身だ。


 そもそも、俺は何故、あんな行動に出てしまったのか。

 あそこまでイラつく必要だってなかったはずだ。

 ……いや。

 先ほど俺を襲った感情。その名前には、ひとつ思い至るものがある。

 そのことは実際、当初から気づいてはいた。

 俺はただ、それを認めたくなかっただけなのだ。


「我が君~?」


 俺の心の内を知ってか知らずか。ラピスは俺の一歩前に出ると、ぐいと顔を近づけてくる。

 自己嫌悪に陥っている俺は、その緋色の瞳を正面から受け止められず、つい顔を逸らしてしまう。


「なんでもねえよ。ほら、急ぐぞ。遅れると面倒だ」


 ぶっきらぼうに言い捨てると、ラピスを置いて、俺は足早に先を急ぐ。

 少し遅れて不満そうな声が聞こえるが、それをも無視して。


「あっ……もう、なんだというんじゃ、まったく!」


 ………

 ……

 …


「うっす鈴埜」

「せんぱ――……今日もその方と一緒なんですね」


 定位置の受付に座る鈴埜は、ちろりと横目で見つつ挨拶を返そうとするが、後から現れたラピスの姿を目にするや、たちまちその視線は鋭くなる。


「う……い、いやこれはアレだよ、お前に謝らせようと思ってな。昨日のことは俺からもキツく叱っといたからよ、こいつも反省してるってさ。な?」

「……」


 同意を促すも、ラピスは視線を俺から外し、むっつりと黙り込んでいる。

 ――おい、コラ。

 話と違うぞ。

 ここの扉を開ける前に、絶対に鈴埜と揉め事を起こすような行動はするなと、何度も念押ししたはずだ。


「そのようには見えませんけど」

「ああもう……! おい、おいって、ラピス!」

「つーん」


 こいつ、わざわざ擬態語を言葉にして!?

 あえて鈴埜に聞こえる音量で言ったのも、意図的なものに違いない。

 穏便に事を済ませようと思っていたのに、こいつは……!

 このままだと話がまた拗れそうな予感を感じ始めた俺は、さっさと本題に入ることにする。

 俺は鞄に手を入れると、例の本を取り出しつつ、言う。


「とにかくだ、いい加減借りてたもん返すぞ。これ――」

「――ッ!!」


 俺の言葉を聞くや、鈴埜はそれまでの座した姿勢から一転、弾かれたように立ち上がった。

 勢い余って椅子が後方へ転がるも、鈴埜はそのことに気付いていないのか、はたまた気にする余裕も無いのか、息を切らして走り寄ってくる。

 目の前にまで近づいた鈴埜の視線は、俺が本を持つ片手を凝視したまま微動だにしない。


「えっ、えっと……鈴埜?」

「――はっ!? ……こ、こほっ。 ――で、では今日こそ返して頂きましょうか。昨日はとんだ邪魔が入りましたからね」


 わざとらしく咳払いをする鈴埜の顔は、やや赤らんでいる。

 いつもの冷静さから考えると、ことこの本に関しての態度は異常ともいえるものだ。

 それほど大事なものということだろうか。


「いやだから返すって。ほれ」


 俺から本を受け取った鈴埜は、感極まったように両手でその本を抱きしめている。

 我慢しきれずと言わんばかり、口からは笑みを零れさせていた。


「ふ、ふふふふふふ……」

「……」


 その様があまりに異様なので、俺はつい一歩、鈴埜から距離を離してしまう。


「はんっ、なーにを浮かれておるか、このこむすめは」

「おいっ!」


 よせばいいものを、またも鈴埜を挑発し始めたラピス。

 その顔は、俺が見ても腹が立つような、完全に小馬鹿にした表情を浮かべている。

 やはり連れてくるべきではなかった、という後悔の念が頭をもたげる。

 恐る恐る俺は鈴埜の様子を窺うも――意外なことに、彼女はそこまで不快げな表情を浮かべていなかった。


「……ふっ」


 どころか、お返しとばかりに鼻で笑い返す始末である。


「鈴埜?」

「……先輩」

「おっ、おう。何だ」


 俺に意を向けた鈴埜の顔は、何故か自信に満ち溢れた、そんな表情をしている。


「この方がどこのどなたかは存じ上げませんが……いずれにせよ、こんな粗暴な方と付き合うのは感心しませんね」

「う、うーん……ま、まあ……」


 ぐうの音も出ない。

 こう見えて実はちょっと強く出られただけで折れるヘタレなんだが。

 それを知らぬ鈴埜からしてみれば、強盗まがいの行動に出るような乱暴者と取られても仕方ない。

 そんな思いからか、俺はきっぱりと否定することもできず、曖昧に頷くと。


「ふふふ……」


 それを見る鈴埜の顔は、ますます上機嫌なものに変わってゆく。


「我が君よ、何故反論せぬ! 仮にも汝の所有物が貶されておるというに!」

「お前はちょっと黙ってろ、な?」

「勝手なことばかり言って……先輩が迷惑しているのが分からないんですか?」

「……なんじゃと? こむすめよ、戯れにしては口が過ぎるぞ?」

「事実を言ったまでです。だいたい貴方、何年生なんですか。私より年下なのでは? そんな方に小娘呼ばわりされる謂れはありませんね」

「ほっほ~う……いい度胸じゃなぁ? このわしに対し、その不遜な物言い。後悔することになるぞ?」

「お、おーい……君たちちょっと落ち着いて……」


 面と向かって火花を散らす二人を前に、俺の胃はキリキリと痛み始める。

 どうせこうなるだろうって気は薄々してたんだよ……

 というかあんなことがあったにせよ、いくらなんでも仲が悪すぎだろ、こいつら……


「――後悔? ふっふふ……果たしてそれはどちらが、でしょうね?」

「なんじゃと?」

「先輩」


 ぐるりと首を回した鈴埜が、顔を俺に向ける。

 このタイミングでとは予想していなかった俺は、返す言葉も、どこかぎこちのないものになってしまう。


「えっ、あ……おっ、おう。な、なんだ?」

「先輩だってそう思いますよね。このような方とは金輪際付き合いを断つべきだと」

「えっ……」

「先輩はお人よしですから、断り切れずにいるだけですもんね?」


 その物言いは、尋ねるというより、念押しに近いものを感じさせた。

 鈴埜の顔は、まるで俺が同意することを知っている(・・・・・)かのような、そんな自信に満ちた顔をしている。

 ――しかし。


「……いや、まあ昨日のアレとかはそりゃ、やりすぎだとは思うけどよ。別にそこまでは……」


 本当にそう思っているなら、ハナからこいつを連れて帰ったりなどしていない。

 ラピスを連れているのは押し付けなどではなく、あくまで俺の意思によるものだ。


「――へっ……?」

「ん? ……鈴埜?」


 妙な声を上げて、鈴埜はやにわに体を強張らせ硬直する。

 そのはずみで、被っていた魔女帽子がずり落ち、顔半分が覆い隠された。

 残った左目は驚きに見開かれている。


「ぷっくく……」


 少し遅れて、ラピスから声が上がる。

 片手を顔の前にやり表情を隠してはいるが、その漏れ出る笑い声からして、下でどんな表情をしているかは丸わかりだ。

 無論その声は鈴埜にも届いたと見え、硬直を解いた鈴埜は右手を上げ俺を指差すと、先ほどよりも大きな声を上げる。

 片脇に例の本を抱えながら。


「くっ――せっ、先輩! いいですか!? 私が(・・)聞いているんですよ!? 私が(・・)!」


 ずれた帽子を直すこともせず、普段の調子とは打って変わった動揺を見せる鈴埜。

 その必死さはラピスに対する対抗心だけによるものとはまた、少し違う気がする。


「……あ、ああ、うん。そりゃもちろん分かってるけど」

「だったら――」

「なんだよ、さっきからお前、なんか変だぞ?」

「――ッ」


 絶句した鈴埜はそれでも俺の目を見据えたまま、暫く動きを止めたままだったが。

 やがてゆるゆると腕を下げ、表情は明らかに気落ちしたものに転ずる。


「お、おい、鈴埜?」

「……」


 肩を項垂れせた鈴埜は、よろめきながら近くの椅子まで数歩歩くと、崩れ落ちるように腰を下ろした。

 そして座り込むと同時に頭をがっくりと落とし、今やその表情は俺からは視認できない。


「……先輩」

「な、なんだ?」

「私、今日は少し一人になりたくて……。今日の部活はこれまでとしたいのですが……」

「え、これまでってお前……どうすんだよ、図書委員の仕事は」

「それは私が一人でやっておきます……。平気ですよ、どうせ人も殆ど来ませんし……」


 ……やはり様子がおかしい。

 図書室を利用する生徒が少ないのは事実だが、それを口に出すのはいつだって俺だった。

 むしろ鈴埜は、そんなふうに言う俺をいつも窘めていたはずだ。


「いやそうは言ってもだな……」

「よいではないか我が君よ、こむすめの望むままにしてやろうぞ」

「ラピス?」


 ポンポンと俺の脇腹を叩きながら、ラピスはそんなことを言う。

 こいつはこいつで、一体どういう心境の変化だ?


 ――鈴埜は結局それきり一言も喋らなくなってしまい、仕方なしに俺は、何か釈然としないものを抱えつつも、今日のところは大人しく帰路に就くことにしたのだった。

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