哀しき死神様
……おい。
……おーい。
――うるさいな。
こちとら本当に疲れてるんだ。
今日はとにかく、色々ありすぎて……
………
……
…
「――こりゃ! 起きんか!!」
「――はっ!? ――あっ、えっ、あ――」
「全く、少し目を離すとこれじゃ。もう少しじゃ、我慢せよ」
完全に落ちそうになったところで、俺はラピスに一喝され、ようやく気を元に保つ。
目を開けた場所は、一面白一色の――二つ扉があるだけの、小さな部屋の中であった。
「いや、すまん。それでここは……えっ?」
「……? どうした、我が君よ」
「え、お前……ラピス――なの、か?」
俺がこんなことを口にしたのには、もちろん理由がある。
というのも――死神の姿が、随分と様変わりしてしまっていたからだ。
顔はそれまでの、20代前半――といった印象から、俺と同じか、少し年上――といった程度にまで変化しており、これがもし同級生にでも居ようものならば、学校中の男子生徒の視線を一身に集めること間違いない。
膝下まで体を覆いつくしていたローブは、襟あたりで止めるクロークのように変化しており、その下の肉体が今や、すっかり顔を見せている。
とはいえ、この場においてはかつて言っていたように、下に何も着ていない、いわゆる全裸ではなかった事はある意味、俺にとって幸いだった。
……残念だとは思っていないぞ。
「いかにも。汝が言いたいことは分かっておるよ。何故このような姿になっておるのか、訳が知りたいのじゃろう?」
「うん――あ、いや、まあ……」
……しかし、なんだこの格好は。
全裸でないだけマシとはいえ、今のこいつの姿は――例えるなら、白い競泳水着、とでも言おうか。
ぴっちりとした、まるで水着のような衣装に身を包んだその姿は……一体全体、何故それを選んだ?
と口に出したいくらいに扇情的なものであった。
そんな俺の気を知ってか知らずか、僅かに幼くなったラピスは言葉を続ける。
「それはな、汝のせいじゃ」
「は?」
「わしは言うたよの? 残った力は少ないと。じゃというのに、汝はそりゃあもう、気前よく消費の大きい能力ばかり使うて……あのまま放っておけば、この次元移動に使うだけの力も残らぬところであったぞ」
それを言われると、俺はぐうの音も出ない。
確かに俺はあの時、あまりにも強大な力に――酔いしれてしまっていた。
「えっと、つまり……お前が今こうなってるのは、俺が死神の力を使ったせいって――ことか?」
「そうじゃと言うておる。……じゃからな、我が君よ。こんな姿になったわしを決して笑うで――」
ラピスは尚も言葉を続けるが――俺は先ほどから、心ここにあらずで――彼女の肢体に目を奪われ続けていた。
もちろん目ざとい死神がそんな隙を見逃すはずもなく。
「ん? 我が君、なにをそんな……ん? ……はっは~ん?」
まずい。
あまりにも分かりやすく、じろじろと見過ぎた。
「あっ、いや! 違うぞ! いいか、お前は何か勘違いを――」
「我が君ぃ~? わしはまだ何も言うておりませぬがの~?」
「ぐっ……!」
墓穴である。
してやったりとばかりに、にやにやと嫌らしい笑いを張り付けたラピスはここぞとばかり、俺に身体を寄せてくる。
「そうかそうか。我が君はこの姿も好みであらせられるか? ならばほれ、気付けに一つ、如何かの? どうぞ、この奴隷の好きなところに触ってよろしいのですぞぉ~?」
腰をわずかに落とし、胸元を見せつけてくるように近づいてくるラピスに対し、俺は必死の抵抗とばかりに、尻もちをついたまま後ずさりをするほかなかった。
だがそれも狭い部屋内のこと。たちまち追いつめられた俺は、煩悩ごと払うかの如く大声を張り上げた。
「――い、いやっ! ほ、ほら、急がなきゃいけないんだろ! こ、こんなことしてる暇があったら、ほれ、とっとと行こうぜ!?」
「……チッ」
「――おいお前。主人に向かって舌打ちをしたな?」
「いやいやぁ、何のことだか……ふん、小心者め」
「おい!! 聞こえてんぞコラぁ!!」
とはいえ、なんとか俺の貞操は守られたようだ。
ほっと胸を撫で下ろす俺に、ラピスは言葉をかける。
「さてさて、それでは改めて行くとするかの。と言っても座標はほぼ固定できたでの、次の扉をくぐったら、我が君。今度は眠っても構わぬぞ」
それは有難い。
実のところ、限界も限界、こうして何か喋っていないと、次の瞬間にも瞼が落ちてしまいそうなのだ。
俺はラピスと共に、扉に入り――
彼女の言葉に安心したせいもあり、その時点で俺の意識は、完全に消え失せてしまった。
………
……
…
……おい。
……おーい。
――なんだ……またか。
どうもつい先ほども、同じようなことがあった気がする。
どうせ目を開ければ、あいつの顔があることだろう。
……まだ俺の世界には着かないのか?
いい加減、うんざりしてきたぞ……
「――こりゃ! いつまで寝ておる!」
「……はっ!」
目を覚ました俺の周囲には――今度こそ、見慣れた自分の部屋の風景が広がっていた。
「あっ、えっ――、あれ、ここ……俺の……」
「まったく、幸せそうに眠りこけおってからに。あのような可愛らしい寝顔を晒されて、わしがどんなに我慢を強いられたことか」
「おいお前、寝てる俺に何か――え……?」
俺は、その人物を目にした瞬間、二の句を告げなくなってしまう。
「……なんじゃ、何ぞ言いたいことでもあるのか」
――誰だ?
いや、声は確かに、あいつに似ている。
服装も――もはやローブからクロークを経て、単なるフード付きのマントにまで布面積が減ってしまっているが。
……確かに、あいつが着ていたものだ。
地肌を覆う布も、もはや紐と何ら変わらないレベルにまで面積が減ってしまっている。
とはいえ、そんな過激な格好も、こんな平坦な胸にあってはちぐはぐというか、必死に背伸びしている感じがして、むしろ滑稽に映ってしまう。
――これが特殊な性癖の持ち主であれば、また違うのだろうが。
「いや、えっと、あの――」
俺はどうしても信じられず――
「……どなたですか?」
つい、そんな台詞を口にしてしまう。
「ば――ばばば……ばっかもーん!!!」
その言葉を耳にするや、目の前の幼女は、烈火の如く怒り出した。
「だ……だ、誰のせいでこんなことになったと思うておるのじゃー!」
ぷりぷりと怒り続ける幼女を前に、俺は未だ信じられないとばかり、確認の言葉を投げかける。
「や、やっぱりお前……ラ、ラピス……か?」
「決まっておるじゃろうが!!」
「え、でも、お前、あの時は……」
「最後のあれでな、もはや我が力は限界近くまで使い切ってしもうたのじゃ! わしも次元移動などは初めてであったが……まさかここまで力の消費が大きいとは。……しかしな、しかしじゃ! あの時汝がもう少し力の消費を控えておれば!! わしも……こんな情けない姿になるとは思いもよらなんだわ!!」
――なるほど、この姿が最後の最後、力を失った末の姿というわけか。
「あ、いや……うん。――ごめん?」
「御免で済むかああああ!!」
俺の、とても気が入っているとは思えぬ謝罪を前に、今一度幼女ラピスは叫び声を上げる。
……いや、今日が日曜日で、しかも家族が全員出掛ける予定であって助かった。
そんな見当違いの安堵を感じる俺を、ラピスは不満ありありの呈で睨みつける。
「……こうなってはな、我が君よ! 汝にも責任を取ってもらうからの!!」
「責任を取る――って、一体どうすりゃ……」
「なに、簡単な話よ。我が君。わしの力の源が何であるか、以前話したよの?」
「……確か、魂の穢れ――だったか」
「うむ。この世界にわしと同じような存在がおるかはさて置き、この世界で死した者たちの魂は当然、わしの元へは辿り着かぬ。よって、こちらから穢れを収穫する必要があるというわけじゃ」
「……つってもな、具体的にどうすりゃいいんだ? そもそも、その穢れとやらが溜まってるかどうか、一体どう判断する?」
「そのための死神の目じゃよ。半分神となった我が君にはの、我が力の殆どが譲渡されておるでな。その目をもってして人間を見れば――」
「――おい、ちょっと待て」
聞き捨てならぬ言葉が聞こえた気がする。
俺の勘違いであってほしいが……
「お前今、なんつった?」
「――うん? じゃから汝はもはや人間ではないと――」
「おおおおおい! なんだそりゃあ!! 聞いてねえぞ!!」
まさか人を捨てる羽目になるとは。
確かにただでは済まないという雰囲気を漂わせてはいたが。
「じゃからあの時、わしが説明しようとしたではないか。それを遮って、強引に事に及んだのは何処の何方じゃったかの?」
「むぐっ……!」
「付け加えるとの、汝が半分神となったと同時に、わしもまた、半分人間の身となったでな」
「~ッ!!」
更なる追撃。
俺の選択のせいで、神を人の身に貶めてしまった。
もはや俺は正常な判断力を失い、ただ感情のままにがなり立てることしかできない。
「――てめぇ! おい、それじゃこれからどうすんだよ! どうすんだまたあいつらが来たら!」
「じゃからほれ、そのためにも、じゃよ。我が力を取り戻すことは我らにとり、何にも勝り優先すべきことじゃ」
「勝手なことばかり抜かしやがって……ああくそ、やっぱ帰れ! お前、やっぱ帰っちまえ!」
「何ということを抜かしおるか! 絶対に帰ってやらん! 帰ってやらんもんねー!」
「もんねーじゃねえ! てめえ、自分のキャラをきちんと守りやがれ!」
「そんなの知らんもーん! どうしてもと言うならな、我が力を全盛にまで戻すことじゃな! そうすれば考えてやってもよいわ!」
「――!!」
――これが、これまでの――この死神との馴れ初め、その一切である。
随分と長くなってしまったが……この後のことを考えるに、むしろこんなものは、一瞬のことにすら思える。
この、どこか頼りない――死神様との長い付き合いは、まさにここから始まったのだ。