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死神ラピス

 季節は冬。

 十一月も中旬を過ぎようとしていた。

 俺は――俺、夢野竜司(ゆめのりゅうじ)は今年、高校二年生になる。

 そろそろ受験やら何やらで忙しくなってくる時分だ。

 とはいえ、将来のことなど未だ何の展望も持たぬ俺は、これまでと変わらずだらだらと日々を過ごしていた。


 ……そう、過ごしていた(・・)のだ。

 学校帰り、特に寄り道などせず真っ直ぐに帰路についた俺は、ほどなくして自宅へたどり着く。


「ただいま」


 言っても返事がないことはわかっていたが、俺はそう言って自宅の扉を開け中に入る。

 そして二階にある自分の部屋まで戻ると、ベッドの上へ乱暴に学校カバンを放り投げた後、俺は深い溜息をついた。


「ふううう……」

『なんじゃなんじゃ、帰って早々物憂げな溜息なぞつきおって』


 すると、俺以外には誰もいないはずの自室から、なにやら耳に届く声がある。


「うるせえ。こちとらここ数日間、ずっと気分最悪だよ。誰かのおかげでな」


 振り向きざま、俺は誰もいないはずの空間に向かい、そう言い放つ。

 しかし俺の眼前には、それまで鞄しかなかった筈のベッドへ腰かける一人の少女の姿があったのである。


「ほおお。脆弱な人間風情が、およそ想像だにせぬ程に強大な従僕を得たというに、尚それでも足りぬと申すか。流石は我が主。我が(きみ)じゃの。一体何が我が君の気を疎ましたらしめておるのかのう?」

「お前のせいに決まってんだろうが!!」


 妙な喋り方をしながら、俺の一喝にも、くすくすと挑発的に笑いながら余裕の態度を崩そうとしない、この少女。

 その姿は、その喋り以上に異常なものだった。

 肌は茶……というより、小麦色と言ったほうがしっくりくる、ぱっと見健康的な肌色をしている。

 白金に輝きながら腰まで伸びる頭髪と相まったその色彩は、美しいという陳腐な表現しか出てこないほどに、ある種の神々しさを湛えてさえいた。


 が、しかし。それだけならば『異常』とまで形容すべきものでもない。

 問題なのはその格好である。

 何かの限界に挑戦しているかのような黒いショートパンツ、さらに上半身はこれまた黒のチューブトップ一本。

 そんな、ほとんど裸同然の格好の上にフード付きのパーカーのみを羽織っているその姿は、仮にそれが妙齢の女性がしているものならば痴女として通報されかねない過激なものだ。

 だがしかし、決定的に少女を異形たらしめているものは、側頭部から生える二本の角。

 湾曲しながら前に突き出されているそれは、山羊のそれに似ていた。


「大体言っとくがな、俺はお前の主人なんぞになったつもりはない。とっとと地獄にでも異世界にでも帰りやがれ!」

「ふっふーん、じゃから言っとるじゃろうに。わしに良質な魂を捧げ続け、我が力を全盛にまで戻すこと。そしてその上で、わしがそなたへの礼を十分に果たすこと。この二つを済ませさえすれば、わしはいつでも元の世界へと戻ってやるとな。何度同じことを言わすつもりじゃ、我が君よ?」

「後者はそもそも必要ないし、前者に至っては元より叶える気なんて毛頭ない。そっちこそ何度言わせるつもりだ?」

「それは困ったのう……そなたも知っておる通り、もはや我が力は殆ど残っておらぬ。これではまた例の連中が襲ってきたとき、そなたを守ってやることができぬ。困ったのう、困ったのう……あはれ若い身空で、我が君がその短い生涯を閉じてしまうことになろうとは……」


 よよと泣き崩れる仕草をする少女だが、先ほどから上がりっぱなしの口角を見れば、それが演技なのは丸わかりだ。


「てめええ……!」

「じゃーから、ほれ、な? 魂、魂」

「何がほらなのかわかんねえよ! ……はあ。ほれ、飯食いに行くぞ。とっとと着替えろ」

「またそなたの妹御(いもうとご)の部屋より拝借してくればよいのか?」

「おお。ただし前にも言ったが、絶対に痕跡を残すなよ」

「了解じゃ、我が君よ」


 言うや否や、バタンと大きな音を立て、少女は俺の部屋を後にした。

 そして再び、俺は大きな溜息をついたのだった。



 ♦ ♦ ♦ ♦ ♦



「おおおおおお……! これは……!」


 着替えを済ませた(くだん)の少女を連れ、俺は行きつけの中華料理屋に来ている。

 俺は運ばれてきた料理に目を輝かせている少女に冷めた視線を送りながら、興奮のあまり角を隠すフードがずれ始めていることにも気づかないこの女に代わり、再び深く被り直させてやる。

 例の露出過剰な服に代わり、年相応の服に着替えた少女は、銀に光る髪の色を除けばどこにでもいる、そのへんの小学生女子に見えないこともない。


「何という名の料理じゃこれは!?」

「……餃子だ」

「ギョーザ! うむ、なんとも珍妙な名じゃが、この芳香を前にしては、うむぅ~……! なんとはなし高尚な響きすら感じてくるのう!」


 言いつつ少女は、店が気を効かせて持ってきてくれた子供向けスプーンを使い、タレにも何もつけずにそのまま餃子を口に入れる。


「なんという芳醇な味わいじゃあ~……! 柔らかな皮の中から流れ出でる肉汁の、なんと美味なことぉ……」

「随分とまあ、大げさなことで」

「昨日馳走してもらった『らぁめん』とやらも美味であったが、これもまた、勝るとも劣らぬ……」


 両頬に手を当て、まさしく恍惚といった表情である。


「まあ数百年も飲まず食わずだったんだ、無理もないのかもしれないけどな。しかしお前、だとしても騒ぎすぎだろう」

「ばーっかもん! これが驚かずにいられるか! いいか我が君よ、よく聞け?」


 声を荒げた少女は、やにわに真面目な顔つきになりながら言う。


「わしも元居た世界では信者どもから数多の貢物を捧げられる立場にあったがな。このような手の込んだ料理など、ついぞ見たことがない。供物のほとんどは、それこそ野菜を切っただけのもの、肉をただ焼いただけのもの、そんなものばかりじゃった。調味料といえば塩か、僅かの香辛料くらいじゃ。このような複雑な味が混じりあった料理など、時の王であっても口にしたことなどあるまいよ」

「ふぅん……そんなもんかね。ただ単にお前の信者連中が貧乏人揃いだっただけじゃないのか? 信仰の対象がお前じゃなあ。ご利益なんぞこれっぽっちも無さそうだ。むしろ恩を仇で返されるんじゃないか?」


 俺の嘲りに満ちた返答を耳にするや、みるみる少女の顔は真っ赤に茹で上がる。


「き……ききき、きっさまー! 如何に我があるじとはいえ、言ってよいことと悪いことがあるぞ!! この冥府の王にして、至高なる死神『タヒニスツァル=モルステン=サナトラピス』様を面と向かって愚弄――」

「はいはい。それで、ラピスよ」

「軽い感じで流すな、そして略すな!!」

「そういや考えてみたら俺、昼飯食ってからそんなに経ってなくてな。あんま腹減ってないんだ。よかったら俺の分も食うか?」

「たべるー!」


 ちょろい奴だ。


 ――この、笑顔満面で餃子を頬張る少女。

 名前は先ほど自身で宣っていたように、やけに長ったらしい。

 なので俺は最後の三文字だけを用い、ラピスと呼んでいた。

 それがこいつにはどうも気に食わないようで、ことあるごとに文句を言い続けているが、俺は取り合わないことにしている。

 まあそんなことはどうでもいい。

 大事なのは、こいつが叫んでいた内容、もう一つの方だ。

 自分のことを『死神』だと呼ばわるこの幼女は、実のところ本当にそうなのである。


「……しかし、我が君よ。……よいのか?」


 あっという間に全ての餃子を平らげてしまったラピスは、急にしおらしげな表情を作り、上目遣いで話しかけてきた。


「何がだ」

(うぬ)はそれほど裕福そうには思えぬのじゃが?」

「……お前な、何が言いたいんだ」

「いやのう……ほれ、矮小な人間であるところの汝にとってみれば、わしのような崇高たる存在を前にしては、己が全てを投げ打ってでも尽くしたいと思うこと、分からぬでもないのじゃぞ? しかしの、ここまで贅を尽くした料理を貢ぐなどして媚を売られては、逆に面はゆいというものじゃ。今や汝とわしとは一心同体、一蓮托生の身じゃ。あまり気を回しすぎずともよい。とはいえ女子(おなご)としては、尽くすべき男に逆に貢がれるというのも、そう悪い気分でもないがのう……くくっ」

「お前、何百年も眠りこけてたおかげで頭のほうがちーっとボケちまってるみたいだな?」


 たかが数百円の餃子やラーメンを御大層な貢物だと勘違いしてやがる。

 こんなもんで女の歓心が買えるなら、世の中はもっとお気楽なものになっているだろう。

 だいたい本人は妖艶な表情を作っているつもりなのだろうが、餃子の油で口の周りをテカテカに光らせたままでは、色気を感じるどころか滑稽にしか映らない。


「照れるな照れるな、愛い奴め。今でこそこんなつまらぬ体に身を(やつ)しておるが、元に戻った暁にはたっぷりと可愛がってやろうぞ。……いや、奴隷たる立場から言えば、可愛がられてやろう、というのが正解かの? 我が君、いかに思う? どちらの言い回しが好みじゃ?」

「知らねえよんなこた!! 可愛がるも可愛がられるもねえ! お前は俺たちが置かれてる立場が分かってんのか!?」

「お皿、お下げしますねー」


 興奮して席を立ったタイミングで、店員さんが皿を下げにやってくる。

 先のやり取りも聞こえていたのだろう。その若い女の店員と一瞬目が合った際。

 彼女の目には、俺に対するはっきりした侮蔑の色が浮かんでいた。


「……とにかく、だ。さっきも言ったが、俺は魂集めなんぞに協力するつもりはない。何か他の方法を考えるんだな」


 気持ち小さめの声量で、再び俺は話を再開する。


「それはまずいのう。そんなことをすれば我が君よ。汝は奴らの手にかかるまでもなく死ぬぞい?」

「……なんでそうなる?」

「汝とわしはもはや二人で一つ、霊的次元で結合しておる。わしは人間とは違うでの。このような食物はあくまで嗜好品にすぎん。命を長らえる糧とはならぬ。糧となる魂を得ぬままではいずれ汝もろとも消滅してしまうじゃろう」

「おまっ……! じゃあ俺が自腹切って食わせてるこれは全くの無駄ってことかよ!! ていうか、お前はあそこで数百年以上――」

「それは限界まで力の消費を抑えておったからじゃ。その限界までセーブし残した力ももはや、先だっての騒動であらかた使い果たしてしもうた。この姿がいい証拠じゃ」

「やっぱり死神じゃなく貧乏神じゃねえか……! 金返せこの貧乏神!!」

「あーっ! またわしを馬鹿にしたぁーっ!!」


♢ ♢ ♢ ♢ ♢


「まあその問題はさて置くとしてだ」


 中華料理屋を出た俺たちは、家までの道のりを再度歩んでいる。


「さて置いてよい問題でもないと思うのじゃが……」

「やかましい。とりあえずは、家の中でお前をどう扱うかだよなぁ。姿を消すのだって力を使うんだろ?」

「うむ。まあそれほど大したものでもないがの」

「供給のアテがない以上、無駄遣いはできる限り抑えないとな。ある日いきなり突然死なんて冗談じゃねえ」

「別に、まずいと思うならそうしなければよいじゃろうに。何をそう迷っておるんじゃ」

「馬鹿野郎。何も知らない家族にお前をどう説明する?」

「正直に、奴隷を一匹どこぞで拾ってきたと言えばよかろう」

「その瞬間勘当されるわ。どころか身内の恥として殺されるわ。却下だ」


 幼女をかどわかしてきたなんぞと、自分の家族に面と向かって言える奴がいたら、そいつは馬鹿を通り越して勇者だ。


「まったく、定命(じょうみょう)の者どもときたら、どの世界でも面倒なものじゃな」

「他人事みたいに言うんじゃねえ。……仕方ねえ。何かいい案が浮かぶまではこれまで通り、お前には家族の目があるところでは消えててもらうぞ」

「ほいほい、了解じゃよ~」


 全く真剣味のないふわふわした返答に、俺は釘を刺す意味でも、もう一言付け加えることにした。


「……特に妹の前では絶対に姿を現すなよ」

「あの目つきの悪い娘っ子じゃな。一度ちらと見ただけじゃが、なるほど汝によく似ておった」

「あいつの部屋に勝手に入って、しかも服を勝手に持ち出してるなんて知れたら、ただじゃ済まねえ。お前、ちゃんとバレないようにしてきただろうな?」

「もちろんじゃ。一切の痕跡は残しておらぬぞ。それに奥の奥の方に仕舞い込んであったものじゃ。おいそれとは気づくまいよ」

「まあ借りてんのはあいつが小学生の時のもんだからな……むしろよく今まで取っておいたもんだ――っと。そろそろ家だぞ、準備しろ」

「うむ、よかろう。では後程、汝の部屋でな」


 言うや否や、たちまち目の前からラピスの姿が掻き消える。

 こいつのこの能力が無ければ、俺の心労が数倍になっていたところだ。

 もっとも、だからといってそのことに感謝するつもりなど毛頭ないが。

 傍目には一人きりとなった俺はほどなくして自宅まで到着すると、ドアノブを回し中に入る。

 まずはラピスに妹の服を戻させておかないとな、などと考えながら。


 しかし。

 その思惑は、ドアを開いた先に映る一人の人物の姿を見た瞬間、無残に塵と消えた。


「――兄貴。聞きたいことあんだけど」

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