二章 春国の顔
更新しました。最後まで読んでいただければ幸いです。藤波真夏
二章 春国の顔
春国に朝がきた。
蓮は朝早く起きた。あの悪夢の影響で結局あまり眠れなかった。冷たい水で顔を洗い、屋敷の中をうろついた。春国の暖かい風が頬を撫でた。花びらが無数に流れてくる。
「綺麗だなぁ・・・」
蓮は中庭の見える縁側に三角座りをして眺めていた。どこから来たのか分からない無数の花びらが空を舞う。そして蓮の横をすり抜けて屋敷の中へ入っていく。
「蓮!」
名前を呼ばれて振り返ると真聖だった。どこ行ってたの、探したんだよ、と続ける真聖。蓮はごめんね、と言うと無理に笑って見せた。初めての作り笑い。真聖を騙しているような気がして蓮は心が締め付けられた。
あんな怖い夢、誰にも言えない。言いたくない・・・。
真聖は蓮の隣に三角座りをして中庭を眺めた。
「朝でもこんなに花びら待っているんだね。まるで冬国の雪みたい」
「・・・うん」
「なんか春国ってみぞれは降ることがあるんだけど、雪は降らないんだって。なんか、冬国だけの特権って感じがしない?」
「・・・うん、そうだね」
明らかに蓮のいつもの返事ではない。真聖が話を振っても元気のない返事を返すばかりだ。真聖は心配になって言った。
「蓮。何かあったの?」
「なんでもないよ」
「なんでもない顔してない! もしかして蓮紀さまのこと心配してるの?」
真聖は鋭い。
蓮紀のことも心配ではあるが、その不安があの夢を作り出してしまったのかもしれない。蓮は膝に顔を埋めてしまった。真聖は痣のある首の後ろに手を当てた。
「僕だって蓮紀さまや柊さまが心配だよ。蓮紀さまには可愛がってもらったんだもん。本当の親いないんだもん」
蓮はハッとなって顔を上げた。真聖の顔は口元こそ笑っているものの、目は悲しみを帯びていた。そうだった、と蓮は思った。
ごめん、嫌なこと思い出させて、と蓮は謝る。気にしてないから、と真聖は笑った。
真聖は両親の顔を覚えていない。まだ幼い時に柊の屋敷の前に無残にも布に包んで捨てられていた。それを柊が哀れに思い、助けて柊の養子となって暮らすことになった。そして蓮紀の息子の蓮もちょうど同じ年だったことから、すぐに側仕え兼遊び相手として屋敷に出入りするようになった。
真聖の境遇を柊から聞いていた蓮紀は、親の愛情を知らない真聖のことも本当の息子のように接してくれた。寂しいなど考えたことなどなかった。真聖の周りには大事にしてくれる人たちがいるからだ。
「蓮。早く華札を封印して冬国に帰ろう。そしたら蓮紀さまや柊さまにいろんなことをお話しするんだよ。きっと蓮紀さまたちはすごいね! って言ってくれるよ」
「うん。そうだね、真聖の言う通りだね!」
蓮は真聖のおかげで笑顔をかろうじて取り戻すことができた。すると蓮は真聖の手を引いた。中庭へやってくる。あの時みたいに遊ぼう、と誘う。二人は中庭で木の棒を拾い、剣術の真似事をして遊んだ。
「蓮! そこだ!」
「あっ! やったな〜?!」
少年たちの声が屋敷に響く。その声を聞いて壮が起きてくる。なんの騒ぎだ? とやってくると蓮と真聖が弾ける笑顔で遊んでいたのだった。
まだまだ、子供というわけか・・・。
壮は口元を緩めて笑った。
すると真聖の動きがピタッと止まった。どうしたの? と蓮が聞くと真聖の体にあの時と同じ閃光が走る。真聖が振り返るとそこには壮が立っていた。
「壮さん・・・」
「あ! お、おはようございます!」
蓮は慌てて頭を下げた。遊んでいたことを怒られるのかと思い、身を固めていると壮は笑って言った。
「朝から遊ぶとは元気があっていいな。いいことだ。お?」
壮の表情が変わった。クスッと笑うと蓮を呼んで手招きをした。蓮は首をかしげ不安に思いながらも壮の元へ近づく。壮の手が蓮の頭に伸ばされる。手には桃色の花びらが一枚あった。目を丸くする蓮に壮は言った。
「髪に花びらが付いていたぞ。気づかなかったのか?」
「気づきませんでした・・・」
「お前は、見た目は儚そうなのにヤンチャだな」
蓮は恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。壮は朝食がまだだろう、と朝食を準備されている部屋へ案内してくれた。朝食には冬国ではあまり見られないものばかりが並んでいた。蓮には朝食がキラキラ輝いて見えた。まるで芸術作品のようだった。
壮は朝食を食べた後、仕事へ向かうため仕事着に着替えて屋敷を出る。見送るために玄関で蓮と真聖は見送った。
すると出かける前、壮はこう言った。
「下級役人だがちょっと首領さまに会えないか掛け合ってみよう。黒龍が暴れては元も子もないからな」
「ありがとうございます!」
「とりあえずは私の屋敷で落ち着いているがいい。何か困ったことがあったら女官たちが相談に乗ってくれるだろう。あと春国を見て回ってもいいぞ。お前たちの知らないものがいっぱいあるからな」
蓮と真聖は目を輝かせた。すると壮は楔を打つようにこう言った。
「ただ、桜門の先には行ってはいけない」
「桜門?」
「桜色の門だ。両脇に提灯が下がっているのが目標だぞ。あそこは欲望渦巻く大人の社交場。つまり、女を金で買う不埒なところだ。蓮、真聖。お前たち子供は入ってはいけない。あそこは規律が厳しいからな」
二人はわかりました、と言い壮は出て行った。
桜門か〜。壮さんがあんなこと言うならいいところじゃないんだろうな。
蓮はそう思った。
屋敷を出た壮は宮殿に向かって歩き出す。すると目に入ったのは自分が蓮たちに卑下した桜門だった。提灯の灯火は消えて静けさを取り戻している。
「首領は、何をお考えなのか・・・」
壮は一言つぶやいて急いで宮殿へ向かった。
その桜門の向こう側には、たくさんの店が軒を連ねていた。全て遊郭でたくさんの女性たちが客をおもてなししている。
しかし今はすっかり日が消えている。桜門が開くのは夕方頃。それまでは閉じてそれぞれ普通の生活をしている。
桜屋のまえでは二人の少女が竹ぼうきで店先を掃除している。二人とも橙色の着物を着用しているが帯の色が違う。
「掃除終わったから戻ろう」
「そうですね!」
掃除を終えた少女たちは桜屋の中へ入っていく。その中のある部屋のまえで二人は正座をして声を出す。
「小春姐さま。理久と真乃でございます」
「おはいりんさい」
部屋から女性の声が聞こえた。襖を開けるとそこには黒くて長い髪を簡単に横結びし、町娘と変わらない着物を着た女性がいた。小春と呼ばれたその女性は二人を手招きする。
「おや、理久。こちらへおいで。帯が乱れておりんす」
「す、すいません!」
「わっちが直してやろう」
理久という少女は小春の元へ向かう。そして小春は慣れた手つきで理久の赤い帯を結び直した。ほんの数秒で理久の帯は元どおりになった。理久はお礼を言うと真乃の隣へ座り直す。
「そういえばお掃除終わったのかい?」
「はい。理久と真乃でやってきました! ね、真乃」
「ねー、理久!」
理久と真乃は双子の姉妹のようにぴったり息の合う少女たちだった。小春はこの少女たちをお付きとして可愛がっている。すると今度は真乃が小春の近くへ寄る。小春の自室には布団のほか、全身が写せる姿見、化粧道具など着飾る為のものが全て揃っていた。
「小春姐さま。この紅、最近新しく出たやつですよね。私、初めて見ました!」
青の帯を締めた真乃が小春の化粧道具に興味津々だ。血のように真っ赤な紅だ。真乃の目の輝きように小春はクスッと笑った。
「真乃! それは小春姐さんの化粧道具よ! ダメよ!」
理久が真乃を止める。すると小春が理久を諌める。
「理久。大きな声を出さないの。真乃も女の子でありんすから 、化粧道具に興味を持つのは当然のことよ」
小春は紅を取り出し、真乃の口に塗って見せた。真乃は驚いて固まってしまう。すると小春はクスッと笑った。
「真乃にはまだ早かったかもしりんせえ。もう僅か一人前の女になりんしたら、わっちが塗ってあげよう」
理久と真乃はわーい! と目を輝かせた。
そういえば! と理久が声を上げた。何かあったのか、と小春が聞くと伝言を預かってきたのだと言う。
「楼主さまから伝言です。小春姐さまが二日後、花魁道中を歩くそうです」
「また急な話ぇ・・・。わかった、って楼主に伝えておいてちょうだい」
「はい、姐さま」
理久と真乃は小春の部屋を出て行った。
お付きの少女たちを部屋から出した後、小春は一人部屋の小窓から見える景色に目を移していた。夜になれば桜門が開かれて多くの人たちが一夜限りの夢を求めてやってくる。
花街には提灯の明かりが灯り、色が灯る。
わっちはここを出ていきたいと思んせん。ここがわっちの居場所でありんすから。花街の掟は厳しい、一度桜門をくぐったらおしまい 。殿方に見初められ身請けさりんせん限り、一生籠の鳥だわ。首領が快く思っていないと噂で聞いたけんど、とにかく平和な時間が過ぎてくれたらいいわ。
小春はそう思った。
一方その頃。
蓮と真聖は春国の市場を歩いていた。そこには冬国ではなかなか見られない食べ物がたくさん売られていた。
「これなんですか?」
「これかい? これは桜花草という植物だよ。この花の部分を食べるんだ」
「え?! 花を食べるんですか? 食べられるんですか?!」
薄桃色に染まった桜花草を見て蓮は声を上げた。店主は笑いながら、お茶にしたり、煮物などに入れても美味しいと付け加えた。さらに毒は入っていないから安心しなさい、とも。
それを聞いた蓮は胸をなでおろした。
「すごいね。この国では花も食べられるんだね」
「うん! 考えられないよ。食べてみようよ、今度!」
真聖と蓮は小さい声で言葉を交わした。
町の見物だけで一日終わりそうな時だった。道の真ん中を大きな神輿が通ってくる。神輿は綺麗に装飾され屈強な兵士が四人がかりで担いでいる。誰か高貴な人物が乗っているだろうか。
町の人たちは頭を地面に擦り付けるほどに深く頭を下げている。
「とりあえず頭下げといたほうがいい! 早く!」
「わっ!」
蓮が真聖の手を引っ張り他の人々と同じ体勢にした。ところがフードで隠していた蓮の銀髪があらわの状態で頭を下げた。もう頭を下げてしまってはフードを直せない。
神輿の中にいる人物は女性だった。しかも見た目は蓮や真聖とほとんど変わらない。しかし二人と違うのは美しく着飾った少女だった。神輿の装飾の間から少女は眺めていた。すると蓮の銀髪に目がついた。
銀髪?
蓮は聞こえた。
少女の声で「銀髪」と。
その瞬間、どうしようもない恐怖が襲う。一体悪いことをしたわけでもないのに恐怖が体を包んだ。
蓮の心配をよそに神輿は通り過ぎていった。とりあえずは何事もなかった。しかし蓮はずっと神輿のほうを見つめていた。何か不安を抱えて一日は終わった。
神輿はそのまま宮殿へ吸い込まれた。神輿からは暖色系のピラピラした着物をきた少女が降りてくる。髪の毛は結われ髪飾りがさされており、そこには春国首領一族である証の模様が彫られている。
「お父さま。ただいま戻りました」
「おお。瑠姫。おかえり。どうであったか、町は」
宮殿の奥から赤い着物をきた男性が出てくる。少女は彼を「お父さま」と呼んだ。男性は春国首領の史悠が顔を出す。少女は史悠の娘のようだ。
「相変わらず花が綺麗でした。とても・・・」
瑠姫はそう言うと部屋へ戻っていく。それを見てため息をついた。史悠は宮殿に飾られた錦絵を見る。そこには生々しい記憶が刻まれている。春国と冬国の戦いの様子を描いたものだ。
瑠姫は部屋に戻ると寝台に座った。そして神輿から見えた銀髪を思い出す。ずっと頭から離れない。
あの髪の色・・・。春国の人間じゃない。確か冬国首領は代々銀髪を持つ家系だとお父さまから聞いたことがある。あれはまさか冬国の人間? でもどうして春国に?
紫に染まった瞳を外に向けた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。感想&評価等よろしくお願いします。藤波真夏