五章 その瞳に映るのは…
更新しました。最後まで読んでいただけたら幸いです。藤波真夏
四章 その瞳に映るのは・・・
花街に朝が来た。
蓮は小さな部屋で目を覚ました。蓮が目をこすり枕元には紺色の袖なし羽織がたたまれている。昨日、小春に提案されたある事を思い出した。
お前は兵士から追われる身。次いつ兵士がここに乗り込んでくるか分かりんせん。ここで生きる方法はひとつ。ここに住み込みで働くっていうのはどう?
そう蓮が今いるのは、小春が所属する桜屋。その下働きの部屋を一室借りている。部屋の小窓を覗くと外は人一人おらず閑散としていた。逃げ込んだときのような人は誰一人としていない。炎が一夜のうちに消えてしまったかのようだった。
蓮は急いで着替えて部屋を出て行くと理久と真乃の二人がいた。
「おはようございます」
「遅いよ。早く、お掃除よ」
蓮は箒を渡されて掃き掃除をするように理久が差し出す。それを受け取った蓮は驚きながらも掃除を始めた。しかし時折風が邪魔をして落ち葉が宙を舞う。
「ちょっとしっかりしてよ!」
「そうよ、そうよ! それじゃあ仕事終わらない!」
理久と真乃が蓮を見てそう言った。蓮は小さい声で謝った。二人はおしゃべりをしながら楽しそうに掃除をしているが蓮にはそんなことをしている余裕などない。せわしなく掃き掃除を続けた。
その後は座敷掃除へ向かう。畳専用の箒で掃き掃除をして雑巾で拭き掃除をする。しかも複数の座敷を掃除する。慣れない仕事に手には傷やマメもできている。それが潰れた時、今まで感じたことのないくらいの激痛が襲う。
掃除の後は座敷に座布団などを置きに向かう。各部屋に向かい、収納していく。手元には上等な布で作られた座布団があり、金の糸で桜の花が刺繍してある見た目もさることながら高価なものだった。
身長に似合わない量の座布団を積み上げて運んだ。前が見えないためよろよろと不安定に歩く。
そんな危なっかしい蓮を見て桜屋の連中は彼に対して冷たい視線を向けていた。
無理やり転ばせ、ノロマと罵声を浴びせられる。桜屋で仕事をしている時、味方は誰一人としていない。さらに銀髪を掴まれる。頭に広がる激痛。
昼間仕事が終わり、日が傾き花街に明かりが灯り大人の時間が始まる。
女性たちは着飾り、男たちを狂わせ店へ誘う。蓮の出番はもうおしまい、部屋へと戻る。すると部屋に白い布でできたフード付きマントが置かれていた。
僕が持ってきたやつかな?
何度も修繕した後が残っている。誰かが修繕をしてくれたらしい。ため息が出る。自体は深刻だ。黒龍が一体いつ何をしてくるのかわからない。蓮は小窓から外を覗いた。
「父上・・・。助けてよ・・・」
蓮の瞳から大粒の涙が溢れる。涙で顔はぐちゃぐちゃで、止まらない涙を拭わない。蓮はまるで呪文のように父上、助けてよ、という言葉を呟き続けた。
お座敷では花魁たちが接待に追われていた。
小春もお酌をして接待をしている。小春が接待している部屋こそ蓮が掃除し整えた部屋だ。小春はお酌をしながら蓮を褒める。
すると酔った男性が小春に言い寄ってくる。口元からは酒の匂いがして鼻をつく。小春がどうしなんしたか? と聞くと男は得意げに答えた。
「小春さんはすげえよ。どうだい、俺の女にならないかい?」
「おや、ご冗談を」
「冗談じゃねえ。本気さ。俺が身請けしてやるよ・・・」
すると小春は手に持っていたお酌瓶を男の頭の上で逆さまにした。中に入っていた大量の酒が男の頭に流れ落ちる。その瞬間、周囲が凍りつく。
「て、てめぇ! 花街一の花魁がこんなことしていいと思うのか?!」
すると小春は表情ひとつ変えずにスクッと立ち上がって男を見下した。真っ赤な紅を引いた口元が動いた。
「わっちはどなたのものにもなりんせん。わっちは自らの理想を相手に押し付ける男、弱い男は嫌いなの。ぬし様はまさにそうなの。わっちを身請けするなんて百年早い。わっちはこれで失礼しんす。お出口までご案内させんす」
小春はそう言い残し、店の女性に一言残して出て行ってしまった。男は頭に血が上ったのか、顔は歪み怒りに満ちていた。
「あの女、許さん! 小春・・・」
小春は着物を引きずりながら部屋へ引き返していた。
先ほどの出来事を思い出していた。乱痴気騒ぎで汚れた畳、酒をこぼして濡れてしまった座布団。
坊やに悪いことをしてしまいんしたわ。
そう思っているとどこからかすすり泣く声が聞こえてきた。小春は声のする方へ向かう。部屋の戸に手をかけて開けるとそこには蓮がいた。戸を開く音に驚いて振り返ると驚いている小春がいた。
「小春お姐さん・・・」
「男は泣いちゃありんせんよ。何かあったのかい?」
小春が部屋に入り、戸を閉める。蓮と一対一に座る。蓮は涙を拭うと様々な仕打ちを話し始める。すると小春は蓮の結んでいた髪をほどいた。小春は言った。
「坊やはまた逃げる気かい? そのまんまでは大好きな人も守りんせん。花街に暮らす女たちは何かと訳ありで十人十色、波乱万丈の人生をそれぞれ歩いている。彼女たちには坊やのことが憎たらしく見えてしまいんしたみたい。いいかい? 泣くのは夜だけにしなんし。きっと坊やを認めてくれるはずでありんすから」
はい、と蓮は呟いた。
小春の言葉は蓮に厳しいものだった。冬国とは違う春国、さらに特殊な掟によって守られた花街。逃げた場所を間違えたのか、という言葉が脳裏に浮かぶが、助けてくれた小春に顔が立たない。
しかしだんだんと自信がなくなり、また顔が下を向き始める。
「僕、もう休みます・・・」
蓮が立ち上がった時、小春はお待ちよ、と止めた。そして手を出すように言う。小春が触れた時、蓮が顔をしかめた。
「よく見せて。そんな手では明日からの仕事もできんせん。わっちにはこれくらいのことしかできんせんけんど」
蓮の傷とマメだらけの手を見て、ちょいとお待ちよと告げて部屋を出て行った。
しばらく待つと箱と花の花瓶を持った小春が戻ってきた。箱を置くと花瓶に生けられた花の葉を二枚ちぎる。そしてそれを水で濡らし絞ると透明な液体が出てきた。緑色に染まらない透明な液体。
「毒消草の葉には消毒作用があってわっちたち庶民の間で使われてありんすよ。こうして水に浸し、力一杯絞ると透明な液体が出てくる。これを傷口に塗れば消毒は終わる」
毒消草の液を布に染み込ませ、蓮の手に当てる。
「っ?!」
先ほどよりも強い痛みが蓮を襲い、思わず声が出る。
「痛いかい? 悪いねぇ。ちょいとばかり我慢していて」
小春は優しく言った。先ほどとは大違いだ。厳しい言葉以上に彼女はとても優しく女性らしかった。
蓮の掌は白い布に巻かれた。このままにしていれば傷もすぐに治るはず、と言った。養生しなんし、と残して去ろうとした時蓮は言葉を投げかけた。
「小春お姐さん。お座敷はどうしたんですか?」
小春の足が止まった。
「まだ外にはお客さんたちがたくさん歩いていて、他のお店もまだやっている。小春お姐さん、今日休みじゃないですよね?」
それを聞いた小春はフッと自重して笑った。小春は背中を向けたまま、部屋を出て行こうとする。待ってください! と蓮が追ってくる。小春は振り返った。
「何故そう思うん?」
「僕が朝掃除したお座敷に座布団を運んだんですが、そこだけ座布団の柄が違ったんです。普通の部屋にはスミレの花を刺繍した座布団だったんですが、僕が掃除した部屋だけ違かったんです」
「ほう・・・」
「あの部屋に持って行った座布団の布は上等な生地で、金の糸で桜の花の刺繍がしてありました。ここまで高価な座布団を使うことが許されるのは、花街一の花魁である小春お姐さんしか考えられないんです」
それを聞いた小春はまたうふふふ、と笑った。蓮は驚いて目を見開く。そして小春は口を開いた。
「蓮、参ったわ。わっちの負けよ。そう、わっちはあの部屋でお客さんの相手をしていたの。そこで俺の女にならねえか、って聞いてきた馬鹿な男がいてね・・・。わっちはどなたかのものになるのが嫌いでね、座敷を蹴り飛ばしてきちまったんだよ。後悔なんてしてないからね。わっちを身請けしようだなんて、百年早いんだよ」
いいんですか、そんなことして・・・、と言おうとした蓮の唇に人差し指を突き出して静止させる。美しく着飾った小春の美しい顔と甘い香りが蓮の鼻をついた。
「蓮。まだお前には早い。もう少し大人になりんしたら、わっちが教えてあげんしょう」
蓮の頰が赤くなった。それを見た小春は可愛い、と囁いてしずしずと去って行った。蓮はその場からしばらく動けなかった。
小春が部屋に引き返してくると理久と真乃が待っていた。
「姐さま。お座敷を引いたというのは本当でございますか?」
「何かあったんですか?」
小春は客の態度が気に入らなかったから、とだけ話した。理久と真乃は困惑している。このままでは報復もされかねない。理久と真乃の心配をよそに小春は聞いた。
「蓮は、仕事をしっかりとこなしているかい?」
それを聞いた理久と真乃は顔を見合わせて話し始めた。
「全然です。手際は悪いし、いつも店の人に迷惑をかけています。ね、真乃」
「うん、理久」
どうやら評判は良くないらしい。そりゃああの手の傷にもなるわ、と小春は納得がいった。理久と真乃は蓮のことが認められないらしい。小春に対し、蓮を店から出すように言った。
すると小春は扇子で畳を叩いた。
「わっちはあの坊やを気に入ってありんす。そいであの坊やには成さねばならぬ目的がある。今、あの坊やには味方がいない。たった一人で花街の人間と、そこにやってくる春国の人間と戦ってありんすの。わっちはこの先で坊やが折れないように一役買ってありんすだけ。これはわっちのお節介と思ってくだすって構わぬ」
小春の強気な言葉に理久と真乃には言葉を挟む隙は一つもなかった。そして小春は理久と真乃に対しても蓮と同じようにこの先折れないように一役買って教育を施してきたつもりだ、と述べる。
小春は少し微笑んで二人を見た。
「おかげでこんなに立派になったこと、わっちは嬉しい」
理久と真乃は頭を下げて礼を述べた。そしてひどいことを言ってごめんなさい、とも。小春はすぐに頭を上げるように言った。
そして部屋の小窓から外を見る。小さな灯りがあちらこちらに照らされた花街が広がっている。
「しかし、あの坊やの成長には目を見張るものがある・・・。さすが、冬国首領睦月蓮紀の息子だわ。あの男によく似てありんす・・・」
真乃が小春に聞いた。
「あの子、皇子さまだったのですか・・・。驚きました」
あの慣れない手際を思い出してようやく納得がいく。理久と真乃はうんうん、と頷き合った。すると小春の潜在意識が何かに反応する。花街の東から何か禍々しい何かが近づいているような気がして悪寒がした。
思わず左胸を抑える。それを見た理久と真乃が姐さま? と心配してやってくる。すると小春は笑みを作ってなんでもない、と述べた。
「理久。真乃。お前たち二人はわっちの可愛い子でありんす。わっちのそばに一緒にいてくれるかい?」
小春の言葉に二人はもちろんです! ときっぱりと言った。そして小春に抱きついた。
小春は誓った。
何があっても私を慕うあの子たちもあの坊やも守り抜こう、と。
蓮は小春の庇護の元、たくさんの人に揉まれながら小春の見抜いた通りに成長した。今までおぼつかない仕事も安心して見られるようになり、理久と真乃もそれを認めるようになった。
さらには桜屋の楼主の妻である女将さんからは蓮が銀髪を隠すときに用いるフード付きマントを真新しい布で作り直してくれた。そこには、冬に咲く花椿と春国を象徴する花桜が刺繍されていた。
花街の人々の温かさに触れ、そして小春の厳しくも優しい言葉に触れた。蓮は泣き虫から脱し、言い訳をしないようになった。心持ちが強くなり、少しのことで折れなくなった。
いつしか嫌われていた水色の瞳も輝きに満ち、小春はそれが次第に愛おしくなっていった。
「本当に・・・、あの男によく似てありんす」
小春は毎日蓮を見てはそう呟いていた。
最後まで読んでいただいありがとうございました。感想&評価等よろしくお願いします。藤波真夏




