『店主は待っている』
「なあ、聞いたか?」
新聞記者が集まる古い酒場。
入口の扉を開ければタバコの白い煙が立ち込めるその酒場には、いつも最新のニュースが飛び込んでくる。
お互いの顔は知らない。
この場に集まったものの顔は覚えないし、名前も聞かない。
それがこの酒場のルールだからだ。
だからこそ、お互いに最新のネタを交換できる。
この日の大ネタはもちろん、『ビールの定義が変わったこと』だ。
「ああ、定義庁は本気みたいだな」
「ビールねぇ……ここんとこ全然飲んでねぇや。毎日毎日、夜討ち朝駆け。車移動が基本だから、警察が怖くってさ」
「お前もか……。本当なら、冷たいビールをクッとね、いきたいところなんだけどねぇ」
「いやまったく。ここも酒場だってのに、誰も酒なんて飲んでねぇしな」
そういう彼らの手には、店主が握ったおにぎりが顔をのぞかせている。
身体にいい大麦をつかったおにぎりだ。
ここに来る新聞記者には、全員無料で配られている。
「じゃあ、明日のメシのタネを探しに行くとするか」
「ああ、新聞記者は大忙しだぜ」
酒場の前に止めてあった車が次々に旅立っていく。
次の日。
朝のニュースをにぎわせたのは『飲酒運転 一晩で240件摘発』。
まさかとは思うが、大麦のおにぎりもビールってことになるのかな?
そんなことを思いながら、酒場の店主は今日も店を開ける。
けれどその日、その店にやってくる新聞記者はだれ一人いなかった。
「……ひょっとして、本当に?」
大麦のおにぎり。
麦芽のもとになる大麦100%のそれが、まさかビールの定義に入るっていうのか?
酒場の店主は確認しようかとおにぎりに手を伸ばし……しかし、食べはしなかった。
「きっと大ニュースがあったんだろう。あいつら、いまに腹を空かせて店にやってくるはずさ」
あなたも気を付けたほうがいい。
あなたの知らない間に、世の中の定義が変わっているかもしれないのだから。
数分後、その酒場は大量のパトカーに囲まれていた。
――投稿:あいつらは、このおにぎりを待ってるのさ 店主(56歳)
ニュース by Yahoo!ニュース『飲酒運転 一晩で240件摘発』