まさかの事実
町から一人城に帰ったアリス姫は、着替えもせずに憂鬱な思いで長椅子に腰掛けていた。
幼い頃から過ごしてきたはずのこの自室ですら今は居心地の悪さしか感じない。
この数年で痛みも薄らいだはずの忌まわしい過去が頭をよぎり、アリス姫は立ち上がった。
窓辺に寄り外を見下ろすと昔と変わらぬ美しい庭園が広がっていた。
「クロア…」
ガラスで緑をなぞっていると、こんこんと小さなノックがした。
「アリス姫。俺だ」
「オルフェ様?…どうぞ」
返事をするとオルフェ王子が扉を開いた。
「邪魔をしても構わないか」
「はい」
王子は部屋に入り静かに扉を閉めた。
アリス姫は王子にソファを進め、自分は向かいの長椅子に戻った。
きちんと顔を改め背筋を伸ばして座ったはずなのに、王子は一目見るなり言った。
「かなり疲れてるな」
「…町へおりたのは久々でしたので」
「イザベラ姫には振り回されなかったか?」
アリス姫は柔らかく微笑んだ。
「あの方は…随分可愛らしいかたですね」
「そうだな」
「オルフェ様が気に入られるわけです。私とクロアのことに気付いたのか、懸命に話せる場を作ろうとしてくださいましたわ」
アリス姫の話を聞くと、王子は楽しげに笑った。
「イザベラらしいというか何というか。不器用で不慣れなくせに勢いでそういうことをするからな」
「はい。しかも何の下心もなく本当にただの善意だというのですから驚いてしまいました」
アリス姫の瞳は優しく細められていたが、すぐにまた暗く沈んだ。
オルフェ王子は手を組んだままアリス姫を見つめた。
流れる空気が重く沈む中、王子は静かに言った。
「アリス姫。国に返す事になり本当にすまないと思っている。貴女はずっと俺との約束を守ってくれていたのに」
「…いえ、オルフェ様にはとても感謝しております」
アリス姫は無理に微笑みを浮かべた。
「スアリザ王国に送られた日は、この世の全てを呪っていました。それが今ではその五年間がまるで夢のようでした。オルフェ様…本当に…」
話しながら涙がこぼれ落ちる。
アリス姫は深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
「…」
オルフェ王子は立ち上がるとアリス姫の隣に座った。
涙が止まるまではそのままそばにいたが、その手は一切触れることはなかった。
ーーーーーーーー
アリス姫探しもひと段落し、クロアの屋敷に帰った私とネイカは夜までのんびりと部屋で過ごさせてもらった。
レミレス一族が揃う食事時は緊張したが、ネイカもせっせと侍女として動いてくれるのでそう不自由なく終わらせることもできた。
風呂を済ませて部屋着になると、私とネイカはベッドの上に座り込んだ。
ここからは魔力の使い方のレッスン開始だ。
「えと、こう??」
「手だけ真似しても意味ないってば」
ネイカは手にした杖を八の字に動かした。
それに合わせてふわりと何かが揺れる。
「分かる?」
「何となく…」
「魔力を操る時はイメージする力が重要なのよ。私はエアラが水に属しているから常にイメージは水の動きね」
「水かぁ」
属性。
属性、ね。
私は…闇か?
何だよ闇って。
なんかうごうご蠢いてるのしか浮かばない。
サクラに流れ込む時は何となく魔力の流れを感じるんだけどな。
私とネイカはしばらく真剣に魔力講座をしていたが、昼間の疲れもあり次第に眠気に襲われた。
「ふぁ、だめだ。今日はもう寝よう」
「そうね」
ネイカはベッドから降りようとした。
「あれ?何処かへ行くの?」
「私はそっちの部屋で寝ないといけないからね」
「侍女だから?」
「そうよ」
さっき覗いた続きの間には確かに小さなベッドがあった。
それは私のベッドとは比べものにならないほど簡素で硬い木のベッドだ。
「ネイカもここで寝れば?」
「はぁ?駄目よ。レイに言われてるし」
「今はレイもいないよ」
「私はミリの侍女なのよ?」
「いいから寝ようよ。広いし私寝相そんなに悪くないはずだし」
一人だけ豪華なベッドで寝ることに気が引けたのだが、ネイカはむっつりと不機嫌になった。
「あんたに情けをかけられるなんて真っ平よ」
「情けって…だって私は本当の姫じゃないんだってば。本来ならネイカよりもずっと庶民で、こんな扱い身分不相応すぎるんだから」
「…」
「だから、ネイカもここへ寝て一緒に朝まで気まずい思いしようよ」
ネイカは難しい顔を作っていたが、私の変てこ説得に思わず小さく吹き出した。
「ふっ、ふふ。何よそれ」
「いいからいいから、ほら。鬼の居ぬ間に」
「それってレイのこと?」
「うん。鬼でしょ?」
「ふふふ。やめてよミリ」
ネイカは笑いながらベッドに横になった。
そういえばこんな自然な笑い顔は初めて見た気がする。
ネイカは…もしかして思ってる以上にずっと気を張っていたのかもしれないな。
でもそっか。
しっかりしてるし気も強いけどネイカはまだ十四歳なんだもんね。
それにたった一人で私たちにくっついて来たんだから気が休まるはずもないよな。
私はネイカの代わりに部屋の明かりを全て落としてからベッドに戻った。
「ネイカってさ」
「何よ」
「笑うと可愛いね」
「ぶっ殺すわよ」
「…ごめんなさい」
ごそごそと布団に潜り込みながら寝心地のいいポジションを探す。
その結果私とネイカは背中合わせで横になった。
すぐにうとうととしていると、後ろから声がした。
「…ねぇ、ミリ」
「ん?」
ネイカは身じろぎしながら体を丸めた。
「私、ミリを見ていると何だか安心するの」
「んん…?」
「ミリに怒られた時は心底腹が立ったけど…私…」
ネイカは目を閉じると布団に深くくるまった。
「私も…運命に…負けない…」
小さな声は暗闇の中に静かに溶ける。
その後はただすぅすぅと二人分の寝息が仲良く重なっていた。
翌朝。
私はきゅっと抱き心地のいいものを抱きしめながら目が覚めた。
「…あえ?ネイカ??」
そういえば昨日一緒に寝たんだっけ。
私の腕の中で寝息を立てるネイカはなんだかあどけなくて可愛い。
「妹とかって、こんな感じなのかなぁ」
そんなこと考えたこともないけど何だか悪くないな。
うへへとにやけながら抱きしめているとネイカが急にぱちりと目を開いた。
「な、何!?」
「…おはよー」
「ミリ!?何してんのよ馴れ馴れしい!!離しなさいよ!!」
口を開けばこれですね。
ほんともうちょっと甘えてきてもいいのにさ。
私が手を離さないものだから、ネイカは力尽くで私の腕を逃れてベッドから降りた。
「た、大変!!もうこんな時間じゃない!!もうすぐレイが来る!!」
「え、えぇ!?」
それは一大事だ!!
いつまでも寝ぼけ姿でいると二人まとめて特大の雷を落とされるに違いない。
私も慌てたがネイカはそれ以上に混乱していた。
「あぁ、もう、信じられない!!私が寝過ごすなんて今まで一度もなかったのよ!?もぅ、もぅ、ミリのせいなんだから!!」
「えぇ!?私の!?」
「だってあんなに寝心地いいから…!!」
ネイカははっとして口を閉ざした。
みるみる顔が赤くなるとやっぱりぷりぷりと一人怒っていた。
とにかく時間はない。
私たちはせっせと協力して朝の用意を整えた。
本来ならきちんと仕度をしたネイカが優雅に私の着替えを手伝ったりするのだろうが、必死な二人はドレスを前と後ろで鷲掴みにしておりゃっ!!と掛け声をかけながらどんどこ着付けていった。
「あとは!?髪結うの!?」
「髪はおろしてることも多いから今日はいらないかな。あ、ネイカの髪こそ乱れたまんまだ!!」
「えぇ!?もう、このくせ毛嫌になるわ!!」
「くし貸して!!私が結う!!」
「でも…」
「いいから!!」
私はくしをネイカの手からもぎ取ると適当な椅子を引っ張ってきた。
そこにネイカを乗せるとさっさと髪に手を入れる。
人の髪なんて殆ど結ったことはないが、ここは手先の器用さがモノをいう。
さすがに難しいものはできないが、それなりにきっちり見えるように簡単に編み上げた。
「よし、可愛い」
出来の良さに満足していうとネイカは拗ねた顔になった。
「…だから、私に可愛いって言葉使うのやめてよ。嫌味にしか聞こえないわ」
私はくしを片付けながら考えた。
「可愛いって言葉、自然と出る時ってない?」
「…」
「私はネイカを見てるとつい言っちゃうんだけどな」
ネイカの頬は膨らんだままだが、嫌そうな顔にはならなかった。
そうこうしていると扉をノックする音が響いた。
私とネイカは揃ってびくっと肩を震わせ直立不動になった。
「お早うございますイザベラ姫さま」
顔を出したのはなんとも爽やかな笑顔のシュガー・レイ。
だが可愛らしいシュガー・レイは扉を閉めるとすぐに消えた。
「部屋が散らかりすぎだ。慌てて用意した跡がありありと残っているぞ」
「うっ…」
「それからドレスの扱いが雑すぎる。ここ握っただろ。レースはすぐに縒れるから丁寧に扱え。それから…」
レイの駄目出しは次から次へと続いた。
私たちはひたすら小さくなって聞いていたが、本番はここからだった。
「で、昨日町はどうだった?」
「へ!?」
レイは私の反応ですぐに何かを察知した。
「…。まさか何か問題起こしたのか?」
「いや!!起こしてません起こしてません!!私は別に何も!!」
レイはどさりと椅子に腰掛けるとスカートのまま足を組んだ。
「…ったく、どうやればお前みたいに次から次へと問題を起こせるんだ?」
「だから起こしてないってば」
「じゃあ何があった?」
「う…」
私は辿々しくアリス姫が一時行方不明になった話をした。
「アリス姫が?」
レイは意外そうに言った。
「アリス姫はお前と違ってそんな軽率な行動はしないはずだがな。考えられるのは…」
レイは私を見ていたがはっと顔を上げると椅子から立ち上がりスカートの裾を正した。
それから窓際にすっと寄った。
それと同時に扉がノックされる。
「イザベラ姫、おはようございます」
「あ、はい。どうぞ」
入ってきたのはクロアだった。
「よく眠れましたか」
「わざわざクロアさんが私を呼びにきてくれたんですか?」
「はい。昨日のこともありましたので疲れが残っていないか気になりまして」
レイは話をする私たちの背後から開きっぱなしの扉に近づき音もなく閉めた。
それからクロアの前に回り込むとにっこりと微笑んだ。
「お久しぶりです。クロア様」
「え…?」
クロアは首を傾げてレイを見た。
久しぶりと言われても、クロアにとっては目の前にいる侍女は昨日初めて見たばかりだ。
突然のことに私たちも反応できないでいると、レイは演技をやめていつもの厳しい顔になった。
「あんなにしごいてやったのに忘れたのか?アリス姫の様子がおかしかったと聞いたが貴様また余計なことでもしたんじゃないのか」
「レイ??」
私は驚いてクロアとレイを見比べた。
クロアはじっとレイを見ていたが急に驚愕に目を開くと背筋を伸ばした。
「も、もしかしてリシンダ・レイ!?リシンダなのか!?」
「気づくのが遅いな」
「だって…!!あれはもう二年も前なのに君はどうしてあの時のまま…」
「余計なことはどうでもいい。それより貴様あれだけオルフェ様に世話をかけておきながらまだ迷惑をかける気か」
「う…」
クロアは力なくうな垂れたが、レイは更に容赦なく言った。
「お前は相変わらずだな。勢いがないときは至って気が弱い。あの時よくスアリザに乗り込んできたな」
黙って聞いていた私は我慢できずに口を挟んだ。
「レイ、話がよく見えないだけど!!レイは前々からクロアさんと知り合いなの?」
レイは腕を組みながら顎でクロアをしゃくった。
「知ってるもなにも、こいつはもう二年もスアリザの王宮で過ごしている」
「え!?王宮で?」
「ミリも会ったことがあるはずだ。地下牢から逃げ出した時にこいつらに世話になったんだろう?」
地下牢から…?
地下牢から逃げた事といえば一度しかない。
あの時は辛くも後宮に逃げ込んで、助けてくれたのはアリス姫とサトさんだ。
…サトさん。
そういえばニヴタンディに入ってから一度も目にしていない。
その優しい面影が、目の前の青年にぴたりと重なる。
「え…。は?」
私は何度も瞬きをしてはクロアを見直した。
「………。ぇ、えぇえぇぇええ!?サトさん!?」
クロアは真っ赤になりながらも不思議そうに私を見た。
私は黙っていられずに叫んでいた。
「私です!!えと、真夜中にドラゴンを連れて後宮で倒れてた少年!!あれ私なんです!!」
「えっ!?」
今度はクロアが目を見張った。
「もしかして、フィスタンブレア様…」
クロアの口からその名が出たことが動かぬ証拠だ。
間違いない。
この人、間違いなくサトさんだ。
私とクロアはぽかんとしながら互いに指をさしたまま固まっていた。




