許されぬ恋
慣れぬ徹夜をしたせいか、私は結局昼過ぎまで寝てしまっていた。
王子は私の身支度が済むと町のアーケードに誘ってきた。
楽しみましょう!!なんて言ってしまった手前断れなかったが、正直私は人ごみの中にわざわざ出かけることに気乗りしなかった。
…が。
「うはっ!!駄目です王子!!手に入りません!!」
「そろそろ諦めたらどうだ」
「でももう少し!!もう少しなんです!!」
私はひしめき合う人に挑みながら必死に手を伸ばし続けていた。
その指先に目当ての物が引っかかる手応えがした。
「っえいや!!」
雄叫びと共に引き寄せたのは透明の袋。
その中にはいくつかの珍しい貝殻が入っていた。
「や、やった…。こんな珍しい貝殻なんて滅多に手に入らないし。このサイズと滑らかさなら充分夏の帽子の飾りに出来る…」
王子はぼろぼろになりながらも喜びを見せる私に笑みをこぼした。
「帽子作りのためならあんな人混みでも突撃できるのだな」
「私も自分でびっくりしてます」
「そんな貝殻だけでいいのか?もっと高価な物がいくらでもあるだろうに」
「いえ。これで充分です!!」
たまたま居合わせた南国からきた露天商にはまだ大量の人だかりができている。
三日しか店を開く予定がないと言っていたから珍しい装飾品に出会えたのは本当ラッキーだ。
私はうきうきしながらどんなデザインがいいのかあれこれ考え始めた。
「ミリ、前も見て歩かないとぶつかるぞ」
「あ、はい」
いけないいけない。
帽子作りのこととなるとつい我を忘れてしまう。
でもまぁいいか。
今日は一日何もかも忘れるって決めたんだし。
しかし思いのほか楽しいな、お店巡り。
王子は物知りで何でも教えてくれるし、先導してくれるから人混みを歩くのもそこまで苦ではない。
こうなると見慣れぬ商品が羅列する通りは中々魅力的で散歩するだけでも気分が上がった。
「王子、あれはなんですか?」
「あれは果物の一種だな。口にしたことはないが…」
「果物ですか!?ちょっと見た目微妙な…」
「よし、一つ買ってみよう」
「えぇ!?あれ食べるんですか!?」
「何でも試したもの勝ちだ」
「案外好奇心旺盛ですよね、王子」
いつもはどこかすました顔しかしないのに、それはそれは生き生きとしている。
嬉しそうに未知の果物を半分に割って寄越す様はなんだか子どもみたいだ。
私は王子に促されるまま怪しい果物を一口かじった。
「…まずい」
そいつは見た目通りすこぶる微妙な味がした。
見れば王子も顔をしかめている。
私と王子は目が合うと互いに吹き出して笑った。
私がこうして人と笑い合っているのは何だか不思議だ。
王子が何を考えているのかは分からないが、接し方はいつもと何も変わらない。
私も今は楽しくて仕方がなかった。
それにしても…。
「ほら、ねぇ見て」
「素敵ね」
ひそひそと聞こえてくる声は全て隣を歩く王子に向けられたものだ。
まだあどけない少女からそれなりの夫人まで王子を振り返っては噂をしていく。
確かに身なりは庶民服でも王子は元々見た目が華やかだし、何より身のこなしがすらりとしているから一種独特の気品を醸し出している。
腹立たしいのは王子がこの状況に全く動じていないことだ。
「…おもてになりますねぇ」
「いつものことだ」
刺々しく言うもさらりと返される。
何だか悔しいのは何故だ。
「王子の奥さんになる人はさぞ大変でしょうね」
「そうかもな」
「そのうち刺されますよ」
「そんなヘマはしないさ」
「女は怖いんですよ?」
「女も大変だな」
「ただ王子に愛されたいんですよ」
「愛してるさ」
「軽っ」
王子はまた小さく吹き出すと肩を震わせて笑った。
「何がおかしいんですか」
「いや、そこまで遠慮なく率直に言う女は周りにいないからな。新鮮なことこの上ない」
「それは駄目な環境ですね」
私はまだ笑い続ける王子に真面目に忠告した。
「王子、ちゃんと自分を見てくれるような大切な人を見つけないと駄目ですよ?」
「それは難しいな」
「難しいって…。いいですか?自分の生き様の正しさは大切な人が笑っているかどうかで測るんです」
王子はまだ笑みの残る目で見下ろしてきた。
「それは母上殿の受け売りか?」
「…そうですが」
「ミリの母か。一度会ってみたかったな」
「多分びっくりしますよ。王子くらい背が高くて、王子のふた回りは横に大きかったですから」
王子は素直に驚いた。
「そんなに大柄なご婦人だったのか。確かに闊達なイメージだったが…」
「ふふ…」
母さんの話が普通にできる。
なんだかそれが嬉しい。
普段より饒舌になっている自覚はあるが、私は気分良く王子に沢山母さんとの話をしてしまった。
「さて、もう日が傾いてきたな。今夜はどこへ行きたい?」
「どこへ…」
「劇場でもいいしコンサートホールでもいい」
「そんな華々しいところは嫌です」
「ああいう舞台衣装は帽子作りの参考にとても役に立つと思うぞ」
うっ!!
…王子め。
段々私のこと掴んできたな。
「あの、でも…」
「では劇場にしよう。飛びいりだから流石に一等席はとれんかもしれんが」
「普通でいいです普通で!!」
「それまでに何か腹に入れておくか。何か食べたいものはあるか?」
一々聞かないでくれ。
そういうの考えるの苦手なんだって。
低く唸っていると王子は私の手を取った。
「あの辺りに色々店が並んでるな。通りながら気になったのがあればそこにするか」
「…果物みたいに失敗したりして」
「あれは美味くなかった」
「食べ方が間違ってたんですかね…」
「そうだとしたら周りからはさぞ間抜けに見えただろうな」
その時の王子の顔が勝手に浮かぶと私はまた笑ってしまった。
暗くなってくるとすぐに風が冷たく変わる。
でも、繋いだ手が温かい。
なんだろう。
いつもは変に鼓動が早まると心臓に悪い思いしかしないのに、今日はそうじゃない。
何をしていても楽しい。
話を聞いてもらうと嬉しい。
これじゃあ、まるで…。
「母さんみたいです」
「ん?」
運ばれてきた魚を切り分けながら私はしみじみ言った。
「オルフェ王子は母さんみたいです」
「…。まず性別が違う気が…」
「いえ、見た目とかの話じゃないですよ?」
王子は白ワインを傾けながら少し笑った。
「ここまで生きてきて初めて母親のようだと言われたぞ」
「えーと、なんて言うか王子がどうこうと言うんじゃなくて、私が王子といると母さんといる時みたいに自然体でいられると言いたかったんです」
「自然体か…」
王子は魚を頬張る私をじっと見つめた。
「それを言うなら、俺も同じだ」
「んん?」
「ミリは腹の中で思ってることと顔が完全に一緒だからな。こっちも警戒することをすっかり忘れてしまう」
「…バカにしてます?」
「いや。大体俺に対して素でいろなんて真っ向から言うのはミリくらいなもんだ」
「だって王子、腹黒いんだもん」
王子は声を立てて笑った。
何だか今日はよく笑う顔を見るな。
無防備な顔はちょっと胸が騒ぐ。
私は誤魔化すようにぱくぱくとサラダをたべた。
腹ごしらえを終えると、今度は服を買いに行った。
劇場に入るならせめてもう少しましな服じゃないといけないそうだ。
王子はうんと華やかなドレスを勧めたが私は断固拒否をした後安定の黒を選んだ。
「ラベンダー色が似合ったのだからコーラルピンクでも似合うと思うが」
「嫌です」
「フィズの時は華やかな服でも着ていただろう?」
「あれは一種の仮装だからいいんです」
「基準が分からん」
着替え終わると二人で並んで鏡の前に立った。
店の店主が相好を崩して褒めそやした。
「とってもお似合いなお二人ですねぇ。まるで王子様とお姫様のように素敵ですよ」
まぁ私はともかくオルフェ王子は本物の王子だからな。
顔を上げると鏡の中のイザベラ姫と目が合った。
「あ…」
そこに映っていたのは紛れもなく誰もが認める美しい王子と…お姫様。
私は何だか急に居たたまれなくなるとさっさと鏡の前を離れた。
「ミリ?」
「…」
私は王子が呼ぶのも無視して先に店を出た。
冷たい夜風に晒されるとさっきまでの楽しい気分が風船のようにしぼんでいく。
王子の隣にいるのは、私じゃない。
私じゃなかった。
私、さっきまで何を浮かれていたのだろう。
「ミリ、どうした?」
オルフェ王子は店から出ると私の肩を掴んだ。
「あ、いえ…すみません。何でもないです」
「何か気に入らなかったのか」
「いえ…」
「ミリ?」
王子は私の顔を上げさせた。
「何を落ち込んでいる?言わなければ分からん」
「落ち込んでるわけではありません」
「さっきも言ったぞ。ミリはすぐ顔に出る」
「…」
だって、なんて言えばいいのか分からない。
どうにかはぐらかしたかったが王子は私を掴んだまま離す気がない。
「…あの、私…」
「…」
「私って、いったい誰なんですかね。王子が今相手してるのは…誰…」
言葉が続かず唇を噛む。
王子は私の目を黙って見つめた。
沈黙が重苦しくなりやっぱり誤魔化そうとした時、王子が苦笑した。
「以前も言っただろう?俺が今相手をしているのはミリという変わった女だ」
「…」
「世に恐れられる黒魔女の割にどこかおっちょこちょいで憎めない。頭より体が先に動く猪突猛進型で意地っ張り。甘え下手でそのくせに泣き虫で…」
「ち、ちょっと…」
「ドラゴンをやれば身体を壊すほど気に入り、ちょっと目を離せば問題ばかり起こす困ったやつだ」
「うぐ…」
「だが」
王子はよしよしと私の頭を撫でた。
「背負った運命にもかけられた呪いにも負けない、強い女だ」
「…」
「俺が好ましいと思うのはイザベラの見た目じゃない。ミリが元の姿に戻っても俺は何も変わらないぞ」
王子の浮かべた微笑はこの上なく優しい。
これは本当に嘘偽りのないものなのだろうか。
私の顔は何かを堪えるようにぎゅっと歪んだ。
「…泣きたいなら我慢するな」
「し、してまふぇん」
「すごい顔してるぞ」
王子は笑いながら私を引き寄せた。
この日生まれて初めて劇場で見たのは、許されぬ恋に落ち、最後は駆け落ちして雪の中で命尽きる悲恋だった。
私が自分の気持ちの何かにそっと蓋をしたことは…言うまでもない。




