悪魔と現し身
私が出来る、唯一のこと。
それは悪魔を呼ぶ力があること。
呼べば危険なことも分かっている。
でもこんな所で一人で魔物になるわけにはいかない。
「…お願い、来て!!」
私は前意識を内側に集中し、悪魔を呼び続けた。
しばらくすると応えるように風が吹き始める。
部屋は荒れ、びしりと音を立てながらあちこちにひずみが入った。
ぐにゃりと空間がねじ曲がると宙に亀裂ができる。
以前と全く同じようにそこから悪魔の手が現れた。
「う…」
や、やっぱり怖い!!
でも後には引けない…!!
目の前に闇を纏いながら悪魔の上半身が姿を現わす。
この悪魔はあのルシフのはずだ。
それならば話せば力になってくれるかもしれない。
「ま、また呼び出してごめんね。実はお願いがあるの」
悪魔はどこか弱々しく私を見ている。
私は何とか平静を保ち顔を上げながら扉を指差した。
「あの扉をどうしてもすぐに壊したいの。あ、あなたの力貸してくれない!?」
私は必死すぎて気づいていなかったが、これはどう聞いても黒魔女からの契約の持ちかけに等しい。
悪魔はにたりと笑い急に吠えると、さっきまでの弱々しさが嘘のように勢いよくずるりと這い出してきた。
「え!?いや、あの…!!」
私は恐怖に壁に張り付いた。
悪魔は巨大な手を伸ばすと私を掴み上げた。
「ちょっ!!うそ!?待って!!」
抵抗した手はずぶりと悪魔の中に沈んだ。
そのまま体がどんどん沈んでいく。
「や、やだ!!離して!!ルシフ!!ルシフ!!」
叫ぶと同時にドンっと大きな音がした。
私の体は思い切り引っ張られ、床に投げ出された。
「な…なに!?」
顔を上げると目の前に人の形をしたルシフが立っていた。
そしてさっきまで私を掴んでいた悪魔が後ろの壁まで吹き飛ばされている。
「あ…あれ??ルシフ??」
悪魔がいるのにルシフもいる??
混乱しているとルシフは緋く光る目で私を見下ろした。
「無闇にアレを呼ぶな。ましてや力を求めるなど己を食えと言っているも同然だ」
「へ??あれはルシフじゃないの?」
悪魔は低く唸ると更に闇をまき散らした。
ルシフの周りで何処からともなく黒い風が巻き起こる。
「今すぐ核を奪われたくなければこの場から去れ」
ルシフの風は黒い刃に変わると部屋中に散った。
それはガラクタをなぎ倒し、閉じられていた扉まで吹き飛ばした。
直撃した悪魔は唸りを上げて黒い煙になると空間の歪みへと吸い込まれた。
風は止み、また静寂が訪れる。
ルシフは悪魔が去ると力を収め、私を振り返った。
「ど、どういうこと??私はてっきりあの悪魔がルシフだと思ったんだけど…」
「俺はあの老いぼれの現し身のだ」
「うつしみ??」
ルシフは不機嫌そうに私に手を伸ばし引っ張り上げた。
「アレにも寿命がある。その時が近づけば俺のように人の形をした現し身を生み出し、黒魔女を探させようとするのさ」
「じ、じゃあルシフは悪魔に捧げるために私を…!?」
「馬鹿を言うな」
「え!?」
違うの?
きょとんとしているとルシフは妖艶に笑った。
「本来ならそうなのかもしれんが、俺はそうはならない。俺はお前を手に入れ、いつかは核も奪い取る」
「えっ…」
「だから、早く熟せ。それからもっと自分を大事にしろ。剣を振り回し乱闘したり魔物の傷にやられるなど以ての外だ」
私はハッとした。
「あの時…ヒューロッド卿の嫌がらせ訓練された時に私の体と意識を乗っ取ったのはルシフなの!?」
ということは魔物の傷の忠告をした鏡に映ったお化けな私もルシフということか!!
ルシフは薄く笑った。
「今の俺はお前の中で眠ることでしか己を維持でない。お前が俺を強く望めば話は別だが…」
「いや、ごめんなさい。ほんっと勝手言って申し訳ないけど悪魔に食べられるのも、ルシフと契約するのもまだ待って!!」
慌てて言うとルシフは私を抱きしめた。
「今はまだ時期ではない。お前から魔力があふれれば、その時は…」
ルシフは私の頬に冷たい唇でキスをした。
私は反射的にルシフを突き飛ばそうとしたが、その手はルシフの体を突き抜けた。
「え!?ちょっ!!ルシフ!!」
ルシフは私を抱きしめたまま私の中へ消えた。
私は思わずあちこち自分の体を触った。
…。
…。
えと。
体と中身は別人だし、どうやら本格的に悪魔が住み着いてるみたいだし、しかも更に今は絶賛魔物進化中って、いよいよやばいなイザベラさん。
しばらくその場に佇んでいると、急に後ろから肩を掴まれた。
「黒姫!!」
「うぎゃあ!!」
心底びびって飛び上がると口を手で蓋された。
「静かにしろ」
「んん!!んんん!!」
私を取り押さえているのはファッセだった。
その顔は青白く緊張に強張っている。
ファッセは声を落とすと恐いくらい低く言った。
「今のは、何だ」
「んん!?」
「お前は…何者なんだ。何が目的でオルフェ様の側にいる!?答えろ!!」
いや答えろって口塞いでるのはあなたですけど!?
っていうか悪魔のこと見られたってことだな、これ。
「何とか言ったらどうだ!?」
いやだから口塞いでるのは…
その時私の体が不意にびくりと強張った。
な…何これ。
左腕全部が熱い。
左手を見た私はファッセの手の中で声にならない声を上げた。
「んふぅー!?んぐっんえっんんふぅ!!」
「な、暴れるな!!」
違う!!
見て!!左手を!!
私は必死で左手をファッセの視界に入るところまで上げた。
その手はどす黒く染まり黒い闇を纏っている。
更に手のひらは二倍も大きくなり爪は獣みたいだ。
「ま、魔物!?」
ファッセは私を突き飛ばすと腰の剣を抜いた。
「ま、ままま待って待って!!まだ魔物じゃない!!」
「そんな姿で魔物でないはずがあるか!!」
「ある!!現に今ある!!」
私は今にも切りかかってきそうなファッセからじりじりと下がった。
ファッセも間合いを慎重にはかっている。
「…魔物の部分化が起こるのは、その人間に元々魔の耐性があるからだという。それだけでお前を斬り捨てるに理由は余りある」
私は左腕を背に隠しながら猛抗議した。
「そ、その見識は狭すぎませんか!?私にだってちゃんと事情があるんですよ!!それを聞きもしないで切り捨てる理由があるなんてちょっと極端すぎませんか!?」
「なに…」
「大体、物事を世間のイメージや偏見で判断するなんて間違いの元です!!人は見た目じゃ分からないって昔から言うでしょう!?庶民にだって、王様にだっていい人も悪い人もいるんですから!!」
ファッセは私の思わぬ強い反論に戸惑いを見せたが、最後の言葉を聞いた途端ぎらりと睨んできた。
「…王に悪はない」
「へ!?」
「仮にあったとしても、その者が王ならば悪とは認められない。いや、認めてはいけない。何故ならそれが国の為だからだ」
「…」
なになに?
何だか主旨が違うがもしかして王様を貶されたと思って怒ってるのか??
間抜けのように見上げる私にファッセは懇々と言った。
「世の中絶対的な賢君が君臨してこそ秩序が保たれ成り立つ。そしてその賢君こそが唯一無二の王と呼ばれる者だ」
「…はぁ」
「故に王の存在は揺るぎなき正義でなければならないのだ」
黙って聞いていた私は目を瞬いた。
ファッセからは私と似たものを感じる。
失礼な言い方をすれば、おそらく世界が狭い。
「あの…つかぬ事をお聞きしますが」
「何だ」
「もしかしてファッセさんって、完全に王宮育ち?」
「!!」
ファッセは眉をつりあげた。
「それがどうした!!王宮こそ世界で一番恵まれた環境だろうが!!」
「えっ、ごめん。そうですね」
こりゃ、図星だったか。
おそらくファッセは王族の血が近い貴族あたりのボンちゃんなんだろうな。
怒ったということはやや自覚有りなのか。
ファッセはまだぶつぶつと怒っていたが、とりあえず剣は鞘に収めた。
不機嫌そうに自分の短い外套を外すと私に放り投げる。
「無駄話をしすぎた。お前、確かにまだ完全に魔物化はしてないようだな」
「ええ、まぁ」
「ならばすぐにここの者に処置をしてもらうぞ。早くそれを左腕に巻け。話の続きは魔払いの後だ」
「はぁ…」
私は特に異議はなかったので大人しくファッセの外套を左腕にぐるぐる巻いた。
ちらりと見上げるとファッセは苦々しげに視線を逸らした。
「さっさと行くぞ」
返事も待たずに階段を降り始める。
とりあえず頭にのぼった血は下がったのか、今すぐ叩き斬られることはなさそうだ。
私はのろのろとファッセの後ろをついて行った。
人の多い部屋を通り抜け、神殿の奥へと迷いなく進む。
ファッセは時折後ろを振り返り私を確認しながら歩いた。
行き先も分からずその背中を追いつつ歩いていると、急にファッセは足を止めて振り返った。
それから私が左腕に巻いていた外套を力任せに剥ぎ取り、そこらへんを歩いていた神殿の人の前に私を突き出した。
「この者は先程急遽受け入れられた、スアリザ王国から来た姫もどきだ。見ての通り事態が悪化した。すぐに白聖女に取り合って頂きたい」
…もどき。
間違いではない。
声をかけられた女二人は私の左腕を見て悲鳴をあげた。
「これは…!!」
「な、なんと恐ろしい!!分かりました。お二人ともどうぞこちらへ!!ちょうどもうすぐ白聖女様の魔払いの儀が行われるはずですわ!!」
ファッセは無遠慮に私の右腕を掴むと女たちの後に続いた。
「い、痛いですよファッセさん」
「黙れ。その迷惑極まりない腕が落ち着けばお前の正体を吐き出させてやるからな」
睨んでくる目はかなり本気だ。
さっき私を振り返りながら確認してたのはもしかして心配とかじゃなくて逃さないためだったのか…?
体が勝手に逃げ腰になったがファッセは更に握る手に力を込めた。
…この人、悪い人ではないかもしれないが少々厄介だ。
私は不安しかない中で、促されるまま神殿の再奥の間に入った。




