神殿の少女ネイカ
ベルモンティアの首都ルックフまでは、決して状態の良いとは言えない山道が延々と続いた。
馬車はガタガタ揺れるし目の前にはぐるぐるに縛られて時折奇声を発する男がいる。
王子がつけてくれた護衛ファッセは完全に私のことは無視するし、道中は死ぬほど居心地が悪かった。
早く着け早く着けとひたすら祈っていると、最後の山を越えたのか馬車が今までとは別方向に傾いた。
窓の外を見ると遥か下に傾斜に沿って作られた町が広がっていた。
「うわぁ…綺麗」
陽の光を存分に受け、まるで町全体が黄金に輝いているようだ。
建物は皆丈が低く石造りで見慣れぬ形をしている。
馬車は一直線に伸びた道を速度を落として降り続けた。
町に辿り着くと、町中をよく見ることもなく馬車はすぐに巨大な神殿に入った。
馬車から降ろされると私は挨拶もそこそこに一人質素な部屋に連れて行かれた。
数人の女性に囲まれ追い剥ぎのように黒いドレスを脱がされる。
代わりにすっぽりと真っ白なローブをかぶせられた。
そしてそのままさらに奥に通され、水を張った堀の中に放り込まれた。
「ちょっ、冷たぁ!!っていうか私、泳げない!!」
「心お静かに。足は届きますゆえ溺れはしません」
厳しい顔をした神殿の女がすかさずぴしゃりと諌めてきた。
だが足が届くといっても肩まで水は迫っている。
泳げない者にとってはこの深さは恐怖でしかない。
私は堀の淵に必死で捕まった。
「ここから出してください!!」
「なりません。魔物に取り憑かれたいのですか」
うっ…。
それは困る。
五十過ぎくらいの痩せた女は、手にした小瓶の蓋を開いた。
「さあ、左手を見せてください。この香油を魔物の傷へ」
「…これが清めとかいうやつなんですか?」
「その通りです。本来ならこれで傷口を何度も洗い、その聖水で流し続ければ魔の邪気は綺麗に消えるのですが…貴方はもう手遅れでしょう」
「へ!?」
「話は役人を通して聞きました。それに見れば分かります。その傷はもう根が深すぎるのです。今更洗い流してももう邪気は貴方の体の芯まで入り込んでいるはずです」
体の芯まで…。
私の体は勝手に身震いした。
体内に何か入り込んでいると考えるだけでも気味が悪い。
女は難しい顔で私の傷口に香油を垂らした。
「ですがこうして清めれば魔物に取り憑かれるまでの時間は伸ばせます」
「時間を伸ばす?」
「貴方を魔物から解放できるのは、もう白聖女様しかいません。ですから、準備が整うまで時間を稼ぎます」
…。
…準備?
何だか話が見えない。
魔払いってそんなに準備が必要なのかな。
もっと突っ込んで聞こうとしたが、途端に足がするりと底で滑り私は慌てて淵に掴まり直した。
とりあえずこの気を抜けば溺れてしまいそうな状況を本気で何とかしてほしい。
「…えと、私は何分この中にいればいいんでしょうか」
「数時間か、長くとも半日です」
「は、半日!?」
溺れる。
確実溺れる…。
「なんとか十分くらいにしてください…」
「無理です」
へなへな頼むも冷たく却下される。
女は香油の小瓶を私の目の前に置くと、厳しい小さな目でじっと見下ろしてきた。
「…貴女ともう一人の男性が急遽運ばれてきたおかけで、清めが必要な他の者たちが幾人も待たされることになっております」
「え…」
「他国の姫君とはいえ、神の前で命は平等。今回は貴方もあの取り憑かれた男性も緊急を要する故に最優先にしたまでです」
「は、はぁ…」
「ここでは高い身分の方であろうと我が儘は許されません。…姫さまもそのことは御心にとどめ置いてください」
女は厳しく言うと私に背を向けた。
「二時間後にまた来ます。それまでしっかり清め続けてください」
やっぱり冷たく言い残すと、女は部屋を出て行ってしまった。
私は間抜けのようにしばらくはぽかんとしていた。
身分の高い姫のわがまま…?
…。
…。
それって、それって今思い切り私に向けて言ったよな!?
じわじわと怒りが湧いてきた私の体はわなわなと震えた。
「だ、だぁれが身分だけが取り柄の傲慢チキ野郎だってぇのよ!!それは私が毛嫌いしているキンキラしたお偉いさんたちのことじゃないのー!!あんな奴らと一緒にするなぁー!!」
ふめーよだ!!
ふめーよだ!!
これは許せぬ不名誉だぁ!!
石の淵に突っ伏し一人キーキー叫んでいると、どこからかくすくすと笑い声がした。
「だ、誰!?」
「あはは、おっかしい。お姫様が来たっていうからわざわざ見に来たのに、随分騒がしい人ね」
うす暗い壁際から出て来たのは私より少し小さな少女だった。
体はどこかずんぐりしていて、目は小さい。
顔にはそばかすが散り丸い鼻の下では薄い唇がシニカルにつり上がっている。
「あんた、白聖女に会いに来たんだって?姫のくせにどうして魔物の傷になんかやられたわけ?護衛に守ってもらえなかったの?あ、肩書きだけの貧乏姫とか?」
少女は無様に堀の淵に捕まる私を嘲りの目で見下ろした。
なんだなんだ。
何だか小憎たらしい感じだぞ。
誰だこいつ。
少女は反応の薄い私に舌打ちをした。
「何よつまんないわね。いつまでそこに黙ってへばりついてるわけ?」
「いつまでって…、半日とか、準備ができるまでとかなんとか言われたんだけど…」
「準備、ね」
少女はまたくすくすと笑った。
「その準備ってのがいつ出来ることやら。今のところ白聖女はあなたを治す気はないみたいよ?」
「えっ」
「白聖女はとても慈愛深く、弱き民には心を尽くして魔を払ってくれるけど、割り込んで来るような傲慢な姫には手を貸したくないんだってさ」
えぇ!?
何だって!?
何だか話が違うじゃないか!!
身分が高い姫やら貴族やらじゃないと優先されないって聞いたけど!?
少女は私の前にしゃがみ込んだ。
「ねぇ、私が白聖女に会わせてあげようか?」
「へ?」
「直接頼めば彼女の気も変わるかもしれないわ」
直談判てことか。
本当にそんなことで治してくれる気になるのか?
いや、それよりも…
私は少し考えてから顔を上げた。
「その前に聞きたいことがあるんだけど」
「なぁに?おひめサマ」
「私と一緒に担ぎ込まれた人は一般人だし、私の国と全く関係ない人なんだけど助けてもらえるの?」
「…」
少女は意外な問いかけに小さな目を見張った。
「…そんなことが気になるの?」
いや、元々その人をここに連れて来るのが目的だったしな。
そのためにイザベラにまでなって猿芝居までしたんだから。
これで治してもらえないとか言われたら最悪だ。
少女は何度か瞬きをするとにやりと笑った。
「そうね。大丈夫なんじゃない?」
「そ、そっか…」
よかった。
これであの人は殺されずに済む。
ほっとしていると急に少女が私の両手を掴み引き上げようとした。
「あわわ!!」
「ほらほら、早く出て来てよ。見つかる前に行こうよ」
「わ、分かった!!分かったから離して!!自分で出る!!」
私は必死に水から上がった。
少女はけらけら笑いながらびしょ濡れの私を指差した。
「あはは!!その格好に黒くてながーい髪、お化けみたい!!まずは着替えないとねぇ」
「そ、そうですね…」
悲しいが反論できない…。
「ねぇ、あなた名前なんて言うの?」
「へ?あぁ、ミリ…」
「ミリ!?名前までおかしい!!あははは!!」
「あぁ、違う!!間違えた!!イザベラ!!イザベラ姫!!」
「イザベラ?そんな高貴な名前よりミリの方が似合ってるじゃない」
悪かったな。
ミリも本名の一部だっ。
少女はまだ笑いながら私に右手を差し出した。
「私はネイカ。よろしくね、ミリ」
「はぁ…」
ネイカはぼけっと立つ私の右手を差し出した手で掴むとぶんぶんと荒く振った。




