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ミリのシンデレラストーリー   作者: ゆいき
黒姫
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鴨ネギ危機一髪

私は本気で抵抗していた。

期待させて悪いが相手はオルフェ王子ではない。


「イザベラ様、お早くこちらへ」

「香を落としたお湯は好みではございませんでしたか?」

「それとも綿のタオルで洗われるのは苦手でしたか?」


気持ちよく昼寝をしていたところを起こされて部屋に運ばれた本格的なコース料理を食したところまではいい。

見たこともない煌びやかなご馳走にやや目眩はしたが、これは正直嬉しかった。

ただ明らかに三人前はいらなかったと思うが。

これが王宮の無駄な税金の使い所ってやつか、けしからん。


そして今直面している問題がバスタイムだ。

なんとこの部屋にも立派なバスルームが設置されている。

今そこはぷんぷん香る甘ったるい匂いと、わざわざ摘んできたの?と言いたくなるほどの生花で満たされている。

そして私をぴかぴかに洗い倒そうとやって来た侍女三名がにこにこしながら手を伸ばす。

御察しの通り私が今必死で抵抗しているのはこの三人だ。


「お願いしますから一人で入らせてください。それからシャワーがあれば充分ですから」

「そんなことおっしゃらずにさぁさぁ。早くしないとオルフェ様のお招きに間に合いませんよ?」

「そうですよイザベラ様。このとびっきり蠱惑的な香りで目一杯愛されてらっしゃいませ」


いや、結構開放的に勧めてくるな。

まぁ側室をぞろぞろ構えているオルフェ王子の側にいるならこんなこと恥じらいのうちに入らないのかも。


「と、とにかく。せっかく用意してもらったところ申し訳ありませんが今日はお引き取りください」

「そうですか。そこまでおっしゃるのでしたら…」


三人はあまりにも私が強固に嫌がるので渋々部屋を出て行った。

きっと変わった姫君だと思っただろうが知るもんか。


「は、はぁ。長い戦いだった…」


なんだかすっかり部屋まで充満している甘ったるい匂いにも酔ってきた。


「窓…窓開けたい…」


一人ひーひー言いながら窓を開け、ぐったりとそこに体を預ける。

夜風が心地よく流れ込み少しだけ気分がましになった。

だが振り返ればまだ香りの元凶が風呂釜でゆらゆらと揺れている。


私は意を決して立ち上がると鼻をつまみながらバスルームへ向かった。

ピンクのお湯に手を突っ込むとそこにある栓をポンと引っこぬく。

だがこのままじゃ浮かぶ花がお湯の流れを妨げるのは時間の問題だ。

何とかそうなる前に一つ一つ拾っては足元に捨てるが、だんだん止めていた息に限界が近づいてきた。


「う…くっ…。もぅだめ」


ぷはと思い切り詰めていた息を吐き出したが、代わりにごっそり肺に入ったのは頭の芯まで痺れる殺人フローラル。

一気に目眩にやられふらふらしていると、さっき捨てた花を踏んづけて派手に滑った。

後ろは丈の低い風呂釜。

それはそれはバシャンと盛大な音を立てて私は背中から地獄釜に突っ込み更に壁に頭を打ってしばらく悶絶していた。


数分はそのまま動けずに白目をむいていたが、こんな醜態を誰かに見られる前に早くここから出なければと体を起こす。

吐き気を堪え、大きなバスタオルを濡れた服の上から巻き、死にかけながらバスルームを離れた。

だが自分に染み付いた甘い匂いが尚も私を襲い来る。


「だ、誰か助けて…」


もう今は何も考えられない。

とにかくこの匂いを何とかして!!


その時王子の私室へと続く白い扉が目に入った。

そうだ、オルフェ王子の部屋にもシャワーがあるじゃないの。


私は必死でその扉をくぐり、次いで王子の部屋への扉を開いた。

予想通りそこは今朝目が覚めた部屋だった。

洗面台へ駆け込むとさっさと甘い服を脱ぎ捨ててバスルームへと駆け込む。

熱いシャワーをふんだんに出すと頭のてっぺんから惜しみなく流した。

五分くらいは身動き一つせずにお湯を浴び続け、修行僧のように無心で香りが落ちるのを待った。


「もう大丈夫かな」


くんくんと腕を嗅ぐとまだ仄かに甘い匂いがしたが、これくらいならまぁ耐えられる。

やっとひと心地ついた私は目に止まった石鹸を手に取り、ついでにさっぱりと体を洗い流した。


バスルームって、何ていうかすごく異空間。

密室だし、湿気と香りが別次元を作り出すよね。

何が言いたいかというと、私はすっかり大事なことを忘れてしばらくここで呑気にお湯を浴びていたわけよ。

そう、ここはオルフェ王子の私室だった。

突然がちゃりと扉を開かれ、目を見張った王子と視線が合うまでそんなことすっかり頭から飛んでいた。


「…これは驚いた。準備周到だな、ミリ」


オルフェ王子は面白そうに笑みを作ると、腕組みをしながら上から下までじっくりと見てきた。

頭の中では大絶叫がこだましていたが、現実私は無言のままぱたんと扉を閉めた。


せっかく落ち着いた頭がまた盛大にパニックに陥る。

落ち着け、落ち着け私。

うん、状況を整理しよう。


王子はただ自分の部屋に帰ってきただけだ。

そしたら自室のバスルームで今夜手を出す気満々だった女、つまり私が勝手にもう素っ裸でシャワーを浴びていたと。

体からはほんのり蠱惑的に漂う匂いがするというオプション付きだ。

なるほど。

鴨がネギを背負ってほれ一番旨いところから食えとやって来てるんですね。


馬鹿なことを考えていると閉めた扉からこんこんとノックが聞こえ、私は本気で飛び上がった。


「ミリ、さっさと出てこい」


王子は全く動じた様子もなく普通に声をかけてくる。

出て来いも何もそこにあんたが居たら出れねぇっつの。

いや、勝手に人のバスルーム使った私が悪いから文句を言える立場じゃないんだけれども。


「で、出ますから、ちょっとあっちへ行っててくれますかね…」


ひょろひょろの声で頼むが返ってきたのは予想通りの素気無い却下。


「そのまま出てこい。水滴を拭ったらそのまま運んでやる」


ベッドへですね。

分かります。


「王子、これにはちょっとした事情がありまして、私は決して美味しい鴨になるためにここにいるんじゃないんです」

「わけの分からぬことを言ってないで出てこい」


私は王子が開きかけた扉を体全部で体当たりして閉めた。


「おい…」


王子ももう一度力を入れて扉を開こうとする。

私ごと扉が内側に少し動いた。


「ちょっ、ちょっと待ってください!!だから、理由を…ちゃんと理由を聞いてください!!」

「理由…?なんの?」

「私がここにいる理由です!!」

「今ここで簡潔に言ってみろ」

「簡潔に…!?え、えと、殺人フローラルに殺されかけて…!!」


意味不明なことを懸命に口走っていると、バスルームの扉がついに私を押しのけて内側に開ききった。


「ふ、不法侵入!!」

「それはミリだろうが」

「来ないで来ないで来ないで!!」


長い黒髪が幸い大切なところを要所要所隠してくれるが、裸で人前にいることがこんなに恐ろしいなんて知らなかった。

オルフェ王子は突然素っ裸のまま猛ダッシュをかけた私の腕を後ろから摑んだ。


食われる!!


本能的に死を悟った小動物の様に、私の体は全身が危機感で泡立った。

その鳥肌だらけの体に大きなタオルがふわりと巻かれた。


「落ち着けミリ」


頭の上からかけられたのは、とても危険な肉食動物とは思えない柔らかい声だった。

私はおそるおそる顔を上げた。


「あの…」

「何をそんなに慌てている?」


平然と言われて、私の顔は間抜けの様になった。


「だって、危ないと思って…」

「何が」

「何って…」


王子は心底分からないといった顔になった。


「まぁ確かにこんな所では狭いし滑るし危ないと言えば危ないか。心配するな。俺が運んでやると言っただろう」

「えっ」


王子は逞しい右腕でタオル一丁の私をぐいと引き寄せると横抱きにした。

完全にフリーズした私はされるがままに今朝と同じやたら広いベッドの上に降ろされた。


「ここなら危険じゃないだろ」


き、危険なのは貴様じゃあぁあ!!


声にならない声がぱくぱくと金魚の様に動く口からただの空気となり漏れていく。

王子はにやりと不敵に笑うと真上から見下ろしてきた。


「黒魔女と言ってもこうしているとただの娘だな」


勝ち誇った顔で私の髪を撫でてくる。

魔力の宿る、つやつやとした私の黒髪。


…そうだ、私は黒魔女。

様々な黒魔術を継承する素質を持つ、誰もが恐れる黒魔女なのよ。

まぁ実はまだ黒魔術なんて使えないんだけど。


「…オルフェ王子」


無理やり落ち着きを取り戻すと、なんとか攻めの姿勢に入ろうと表面上だけでも思い切り非難がましく言った。


「こ…これがオルフェ王子流の落とし方なの?なんだ、サルと一緒じゃない。がっかりだわ」


王子は口の端を上げると冷静な目で先を促した。

私はタオルがずれ落ちない様に前をがっちり押さえながら上半身を起こした。


「抱いてしまえば女は全て落ちると?はっ、馬鹿馬鹿しい。オルフェ王子ならもっと巧みにあの手この手で仕掛けてくると思ったのに、失望ですね」


虚勢を張る私の口からは、普段の何倍も強気な言葉が出てきた。

余裕の王子はどこか面白がる顔をしている。

これは…全て見抜かれてるな、ちくしょう。

でもここで負けるわけにはいかない。


「…ってわけで、こんな事をしても私は微塵も貴方に揺れはしないし、ただの時間の無駄。さぁこんな無駄無駄な女相手にしてないで、さっさと素敵な御側室様の所へ行ってください」


よしよし、この辺りは練っていた作戦通りのことが言えたかな。

後は王子がどう出るか待つしかない。

オルフェ王子は喉で笑うと楽しげに言った。


「なるほど分かった。確かに今無理やり抱いたところで意味はなさそうだな」

「そうですそうです。だからこんな…」

「ミリフィスタンブレアアミートワレイ」


おっおぉ…まさか覚えたのかあの一回で!!

私の目がまん丸になると王子はにやりと笑った。


「お前は中々面白い。今夜は引いてやるが、あんまり隙だらけだと次はどうするか分からんぞ。まだゲームは始まったばかりだ。ま、せいぜい頑張れよ」


ゲーム…。

これは一体何得ゲーム?

やっぱりなんだかすんごい無駄な王子の気まぐれに付き合ってないか、私。

ぼけっとする私に、王子はふっと笑った。


「ほら隙だらけだ。ぼんやりしてたらこのままサル方式を続行するぞ」


ぎくりと私の肩が勝手に動く。

とにかく、私がこのオレ様王子に恋なんて馬鹿なものをしなければいいんでしょ。

なんだ、そう考えればそんな難しくはないか。


「わっ、分かりました。出来るだけ隙とやらに気を付けます。だから王子…」

「ん?」

「早く飽きてください」


切実に言ったつもりだが、王子は小さく吹き出すとひとしきり肩を震わせて笑った。

大変満足そうな笑みを浮かべ、やっと身軽にベッドから降りる。


「ミリ」


美しい微笑みで王子は私に言った。


「今夜はゆっくり眠れ」


それは今までの王子とは違う、どこか優しい顔だった。

ことりと私の心臓が一度だけ変な音をたてた。


まずい。

これが王子の手なんだ。


私はぶんぶんと首を振ると、音を立てて閉ざされた扉を頑張って睨みつけた。

こんな馬鹿げたゲームに負けるもんか。


「ら、らくしょうぅ…」


引きつった笑みで言ってみた余裕の言葉は、情けなくもへなへなと語尾を失うと静かになった部屋に消えた。

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