遠出
ご機嫌だった私は王子の従者が連れてきた馬を見て完全に凍りついた。
…だって、鞍がついてますよ?
え?馬車とかじゃないの?
「こいつはクイーンストロベリーだ。綺麗な黒馬だろう?」
王子は愛でるようにツヤツヤ毛並みのいい馬を撫でた。
確かに綺麗は綺麗だがちょっと待て。
これってあれじゃないの、あれ。
青くなっていると王子は慣れた動きでひらりと黒馬に跨った。
「ミリ、こっちだ」
どっちだ。
ぶんぶんと首を横に振り三歩下がる。
や、やっぱり相乗りじゃないの!!
無理無理無理無理。
恐い恐い!!
「王子、行ってらっしゃいませ…」
そのままフェードアウトしようと下がり続けていると、背中にとんと誰かがぶつかった。
「イザベラ様、どうぞ王子のところへ」
そこにいたのはさっきの少年従者だ。
私の左手と腰に手を添えるとさっさと王子の元まで歩かせる。
「あの、ちょっと、私馬になんて乗れません!!」
「王子の手綱捌きは完璧でございます。何の心配もないですよ」
「でも、無理なんです!!やっと動けるようにはなったけど今朝まで筋肉痛で死んでたんですから!!」
懸命に喚いていると、今の今まで真摯に丁寧に対応していた従者の顔ががらりと変わった。
「うるさい。さっさと乗らないか。王子の手を煩わせるなよ、ミリ」
「うへ!?」
この変わりようには覚えがある。
私はこの時やっと間近で少年の顔を見た。
「…あ、ああ!!レイ!?レイでしょう!?」
「だからうるさいっ。早く行け」
それは確かにレイだった。
女官の時は冴えない茶色い髪に素朴さを前面に出した雰囲気だったが、今のレイは藍色の長い髪を一つに結わえた美しいきりりとした従者の身なりだった。
私はもっと食いつきたかったが、レイはぐいぐい背中を押してきた。
王子の元まで戻されると下からひょいと抱えあげられる。
王子は笑いながら私を受け取ると自分の前に横乗りに乗せた。
「よくすぐにレイだと分かったな」
「分かりますよ!あんなに劇的に裏表があるのなんてレイしかいませんから!」
「今のレイは人前ではレオナルドと呼んでやれ。表向きは俺の専属の従者なんだ」
「は、はぁ…」
レイって一体いくつの顔があるんだろう。
疑問に思いながら隣の赤茶の馬に跨るレイを見ていると、突然がくんと体が揺れた。
「うはっ、王子王子!!まだ動かさないで!!」
「ただ歩かせただけだ。恐いなら馬の首か俺にしっかりつかまってろ」
馬の首か王子。
究極の二択か。
そろそろと馬のたてがみに手を伸ばしてみたがぶるるんと首を振られて引っ込める。
うっ、恐い。
こうやって見ると結構大きいな馬って…。
行き場のなくした手をうろうろさせていると王子は軽く速度を上げた。
「うひぁああ!!やめてぇ!!」
「町を出たらこの倍以上の速度で走るぞ」
「揺らさないで!!揺らさないで走らせてくださいぃ!!」
「馬にそんな無茶を言ってどうする。ほら、門を出るぞ」
王子は片手で私の腰をしっかり固定しながら手綱を捌いた。
こ、こうなったら仕方がない。
落ちるより王子に掴まる方がましか…。
私は大木に掴まるイメージで王子にしがみついたが、安定なんてしやしない。
流れる町の景色を楽しむ余裕もなく必死でこの揺れが収まるのを待った。
たが本番は王子の言う通り町を出てからだった。
王子にしてはまだ緩やかに馬を走らせているつもりだろうが、ぐんと速度の上がった馬に私の意識は半分吹っ飛んだ。
あぁ…
みて。
あたし、おうまさんにのってる…。
頭の中にメリーゴーランドがきらきらと光りながら回っている。
うふふ、なんてメルヘン。
実際の私はごごごごががががと揺れ動いているだけだが。
森に入ると空気がひんやりと涼しくなる。
王子は速度を維持したまま私を呼んだ。
「ミリ、顔を上げてみろ」
出来るかっ。
私に見えるのはメリーゴーランドだけだっ。
「サクラだ」
「え…」
風を切る音にそういえば羽音が混じっている。
私は王子に掴まる手に力を込めると渾身の力で瞼を開いた。
「あ…」
馬と同じ速度で私に並行して飛んでいるのはまさしくサクラだった。
王子はくいとレイをしゃくった。
「森に入ったから籠から出してやったみたいだな」
レイがちゃんと持ってきてくれてたんだ…。
サクラは気持ちよさそうに体を伸ばして真っ直ぐ泳ぐように飛んでいる。
全身から嬉しい嬉しいと聞こえてくるようだ。
「サクラ…」
やっぱりあんな王宮よりサクラは自然がよく似合う。
サクラは私の視線に気が付くとピィーと大きな声で鳴いた。
「ミリ、湖が見えて来たぞ」
王子は黒馬の速度を緩めた。
揺れにも少しだけ慣れた私はやっと周りを見ることができた。
「う、うわぁ…」
思わぬ大自然に本気で驚いた。
町の外どころか家の外すら殆ど出なかった私にとって、大自然とは常に絵本の中だけだったからだ。
今まで全く興味なんかなかったのに、この景色には意外と感銘を受けた。
「綺麗…」
その美しい自然の中をサクラが悠々と飛び回る。
何だろう…。
この景色、すごく愛しい。
王子とレイの馬は湖のほとりでやっと止まった。
レイは先にひらりと降りるとクイーンストロベリーの手綱も取った。
王子は馬から降りると私に手を差し伸べた。
「降りられるか」
「…。出来るように見えます?」
がっちがちに固まった体は強張ったまま全く動こうとしない。
王子は私の腰に手を添えると見上げて言った。
「体を前にしてこのまま落ちてこい」
「う…」
「心配せずとも落としたりしない。いつまでも馬上にいるつもりか?」
それは困る。
私は両手を王子に向かって伸ばした。
体は重力に逆らわずにそのまま前に落ちていく。
王子は上手に私を受け止めるとそっと地面に下ろした。
「歩けるか?」
「…たぶん」
王子の手を借りながら二、三歩足を踏み出す。
震えてる震えてる。
貧弱な腹筋も下半身もぶるぶる筋肉が震えてる。
王子は呆れ果てて言った。
「このままゆっくり歩くか。ミリ、お前本気で毎日少しでもいいから運動するように心がけた方がいいぞ」
「か、返す言葉もございません…」
私たちの周りをサクラはさっきから嬉しそうにくるくると飛び回っている。
王子の腕を借りたままなのは不本意だがこの湖はちょっと散歩してみたい。
ここなら人目もないしまぁいいか。
王子のことは杖だと思ってせっかくだし楽しもう。
私は再三失礼なことを考えながらも、気を取り直して思い切り新鮮で美味しい空気を吸い込んだ。
レイは黒馬と自分の馬を木に繋ぎ、きちんと汗を拭いてやっていた。
時間をかけて手入れをし最後に水を飲ませてやってから一息つく。
遠目に見える王子と私の姿を複雑な思いで見ていたが、ふと森の中に気配を感じて振り返った。
さわさわと揺れる葉と風の音。
耳を澄ませてもそれしか今は聞こえない。
それでもレイの第六感は敏感に何かを察知した。
「オルフェ様…!!」
手にしていたブラシを放り投げるとレイは腰の剣を引き抜いて全力で私たちの方に走った。




