ミリのショック
外がすっかり明るくなると、私は王宮の至る所でイザベラ姫の名を聞くことになった。
「…なんでも、空から舞い戻ったそうだぞ」
「オルフェ様は?ご一緒ではないのか」
「今はブレン様が取り調べているとかなんとか…」
「いや、セシル様の手に渡ったと聞いたぞ」
「いやいや。何でも昨晩のうちにまた泡のように消えたらしいぞ」
「なんと…恐ろしい」
噂話をする男たちの隣を何食わぬ顔で素通りする。
もうこんな会話は一体何度耳にしただろう。
「それにしてもフィズの格好をしてから抜け出したことは大正解だったわ」
地味な少年姿の私なんか誰も振り返りもしない。
それに今は内輪揉めの為その辺の少年なんか気にしている場合でもないのだろう。
とりあえず私は不振でない速度で歩きながらベリサの見つけた武器庫まで降りて行った。
「あ、あそこかな?」
遠目から見ても見張りがいるだけでそれがダムなのかは分からない。
しばらくその辺をうろついていると私のお腹が音を立てた。
「うぅ…お腹すいた」
ベリサは鼻を動かした。
「朝は何も食べてないものね。向こうの塔に厨房があったから何かとってきてあげるわ」
「大丈夫なの?」
「平気よ。ミリは目当ての人を探し続けて。でもくれぐれも一人で動いちゃダメよ」
「分かった」
すっかり王宮の内部が頭に入っているのか、ベリサは微塵も迷うことなく通気口の中へ消えていった。
「さて、と」
私はひもじいお腹を無視して誰かが武器庫に近付かないか見張っていた。
…が、こんな所、争いでも起こらない限り殆ど人の出入りなんてない。
私の緊張感はほどなくしてなくなった。
「ふあぁ…。眠くなってきちゃった…。ベリサまだかなぁ」
よく考えれば昨日ほとんど寝ていない。
私は柱の陰に座り込むと壁にもたれながら膝を抱えた。
こんな所で寝てたら、レイなら怒りながら起こしに来るだろうな。
そう考えると私の唇に僅かに笑みが浮かんだ。
本気でうつらうつらしていると、とんとんと大きな手に肩を叩かれた。
「おい、おいぼうず。こんな所で寝ちゃいかん」
私ははっと顔を上げた。
「す、すみませ…」
「どこの所属だ?こんな真っ昼間からさぼるとはけしからんな」
ずんぐりむっくりした役人の男は私の腕を掴むと立たせた。
「まったく…最近の若者は平和ボケしていかん」
「あ、あの…」
「俺が送り届けて上官に厳しく管理するよう言ってやろう。行くぞ」
私はあたふたとした。
「いや、その!!ち、違うんです!!」
「言い訳は上官に言うんだな。さぁ、何処の者だ?」
「わた…僕はただ人を探していただけなんです!!」
「人探し?こんな暗い武器庫しかない場所で?」
抵抗むなしく引きずられていると、騒ぎを聞きつけた他の役人が三人も駆けつけて来た。
「何の騒ぎですかい」
「その少年は誰ですか?」
「それよりペケ様。ヨッド卿がお待ちだったのでは?」
役人の割に鍛え上げられた体の男たちは私をまじまじと見た。
私を捕まえたままの男はふんと鼻息を荒くした。
「こんな所でサボっている坊主を見つけたから連れて行くだけだ」
「だ、だから!!僕は人を探していただけです!!」
「たわけ。そういうことは就業時間が済んでからするものだ。出直すんだな」
「そんな!!」
もめていると三人の役人のうちの一人が急に大声を出した。
「あぁ、お前マーゴンのとこの倅じゃねぇか!!」
「え」
「なんだそういや薬持って来させるとか言ってたな。遅いと思ったら迷ってたのか?」
つかつかと私に近づくと反対側の腕を掴む。
「早く行ってやれ。咳が止まらなくて呼吸困難起こしてたぜ」
「あ、あの…」
「ペケ様、薬もらったら俺がすぐにこいつを送り届けるよ。確かにこんな時間に来るなんて説教の一つくらいマーゴンにしてもらわないとな」
私はぐいと引っ張られ二人の役人の方へ押しやられた。
ずんぐりした役人は特に執着もなく言った。
「ふんっ。せいぜい教育し直すようにマーゴンに言っておけ」
「はいはい」
私は体の大きな三人の役人に連れられて武器庫の隣にある事務室に連れて来られた。
「あ、あの…」
助けてくれたらしい三人を見上げると、男たちは揃って笑い出した。
「おんまえ、危なかったなぁ」
「そうそう。ペケペケに捕まるなんてついてない」
ぺ、ペケペケ…。
めちゃ耳に残る。
「まぁ、何してたのかは知らんが今度は捕まるなよ」
陽気な男たちに少し安心すると、私は思い切って聞いてみた。
「あの…!!」
「ん?」
「この武器庫を管理してる中に、ダムって人いませんか!?」
「はっ…?」
男たちは驚いて互いの顔を見合わせた。
「なんだ。お前ダムの知り合いか」
「いるんですね!?」
「おぉ。いたのはいたんだが…」
「え…」
微妙な返事に私はがっかりした。
「今は、いないってことですか?」
当てが外れて落ち込む私に男たちは親切に教えてくれた。
オルフェ王子が国外追放されてから間もなく、表立った支持者は次々と王宮から追いやられたそうだ。
流石に大貴族は退けられないものの、ダムたちのような役人は難癖をつけられては役職を奪われ遠ざけられたらしい。
「今王宮ではオルフェ様の名を出すだけでまるで反逆者扱いだ。何せ絶大な権力を握るのはブレン様だからな。ダムの奴もまた投獄されなかっただけでもマシさ」
「そう、ですか」
「お前も余計なことに巻き込まれたくなければ早く王宮を出たほうがいいぜ?」
「…はい」
男たちはわざわざ人通りの多い廊下まで私を送ってくれると武器庫へと帰って行った。
「ベリサ…私がここにいるって分かるかな」
しばらく廊下でうろうろしながら待ってみたが、恐そうな衛兵が鋭く見てくる。
仕方なく私はその場から離れた。
「うぅ…お腹すいたなぁ」
あてもなく歩き回り、ひもじい中思い浮かんだのは昨日もらった甘いチョコレートだった。
「そうだ。図書室へ戻ろう」
あそこなら私みたいな少年がうろついていても咎められないだろうし。
私は出来るだけおどおどしないように背筋を伸ばして図書室を目指した。
図書室は昼でも静かだった。
人はいるが、年齢問わず皆熱心に本を読んでいる。
私は本を探すふりをして昨日の小部屋に行ってみた。
そっと扉の取っ手を引いてみるも鍵がかかっている。
「まぁ、そうだよね」
ぽりぽりと頬をかいていると静かな足音が近づいて来た。
私は扉から離れ本を選んでいるふりをしたが、足音はすぐ近くで止まった。
そろりと横目で見た私は、その人を見て息を飲んだ。
「れ…!!」
大声を出しそうだったが、先に手で口を塞がれる。
「こんな所で何をしている」
私はもがきながらその手を退けると反対に力一杯その人に抱きついた。
「…レイ!!本物だ!!本物だよね!?やっぱりここにいた!!」
「静かにしろ」
レイは私を離すと恐い顔のまま声を落とした。
「…オルフェ様はどうした」
「まだ多分アルゼラにいるよ」
「何故お前だけここにいる」
「ちょっと色々あって…」
私はどう話したものかと悩んだが、レイは周りの気配を探ると更に声を潜めた。
「ミリ、時間がない。今すぐお前は王宮から出ろ」
「え」
「間違っても正面からは出るなよ。召使い用の風呂場の横から行け」
「ま、待ってよレイ。私レイにも色々聞きたいことが…」
レイは冷たい目で私を睨んだ。
「セシル王子は今本気でイザベラ姫を捜索させている」
「う…」
「そんな陳腐な変装をしていても見つかるのは時間の問題だ。死にたくなければ一刻も早く出て行け」
私はレイの手を掴んだ。
「レイがいるなら、大丈夫だもん」
「…」
「レイ…」
私は真剣にレイを見つめ返した。
「オルフェ王子を裏切ったなんて、嘘だよね?」
「…」
「王子の危機の元凶がレイだなんて…嘘だよね?」
「…」
レイは無表情になると私の手を振り払った。
「俺は裏切ってなどいない」
「え!?じゃあ…!!」
「俺は昔から王の…そして今は長兄であるセシル様の手駒だ。オルフェ様もそれは承知の上だ」
「へ…?」
私の頭は混乱した。
レイは畳み掛けるように言った。
「俺は破魔の力を得たオルフェ様を見張るために側にいたに過ぎない。旅の途中でもオルフェ様の動向をセシル様に報告していたのは俺だ」
「う、うそ…」
「嘘じゃない。それからオルフェ様を国外追放する正式な書面を受け取り、流刑を執行したのも俺だ」
「え…」
私は信じられない思いで固まった。
だって…だってオルフェ王子はそんなこと一言も言わなかった。
レイが側にいながら王子を守れなかったのは、仕方のないことだと言っただけだ。
「うそ…そんなの、うそだよ」
「…」
レイは無表情のまま私に背を向けた。
「さっさと出て行け」
冷たい声で言い放つと、レイは本棚の向こうに消えた。
私はすぐに後を追ったがもうその姿はどこにもない。
「レイ…!!」
私は足音も荒く図書室を飛び出したがやはりいなかった。
呆然と立ち尽くしていると厳つい顔をした年寄りがつかつかと近付いてきた。
「おい、ここは騒ぐ場所ではないぞ!!」
「あ、は、…はい」
怒られた私は急ぎ足で図書室から遠ざかった。
何も考えられずに廊下をさまよっていると、何処からともなく黒猫が現れた。
「ミリ!」
「ベリサ…」
「何処にいたの?随分探したんだから」
「ごめん…」
ベリサは様子のおかしい私にすぐに気付いた。
「何かあったの?」
「…」
私は足を止めるとぼんやりとベリサを見下ろした。
「ベリサ…」
「ん?」
「ベリサぁ…」
ベリサは急にぽろぽろと涙をこぼし始めた私に驚いた。
「どうしたの?」
「ふぅぅ…」
「ミリ?」
うそだ。
こんなのうそだよ。
信じてたのに。
ずっとずっと、レイのこと信じてたのに。
私はその場にしゃがみこむと、受けたショックからしばらくの間立ち直れずにいた。