狙われたドラゴン
指笛につられ、大きな影はあっという間に近くなった。
風を巻き込む羽ばたきが砂塵を振り払う。
目の前に現れたのは青いドラゴンだった。
突然舞い降りた地上最強生物に辺りは騒然となった。
逃げ出す者が殆どだが、私は手を伸ばした。
ドラゴンがいてあの人がいないはずがない。
私は泣きそうになりながら限界まで声を絞り叫んだ。
「…っ、オルフェ王子!!」
「ミリ!!」
ドラゴンの背からすぐに望んでいた通りの声が応える。
その人は私を見つけるとひらりと地上へ降り立った。
「ミリ!!」
私はベリサを抱えたまま、よろよろと王子の元へと歩いた。
王子はそれより早く駆け寄るとぼろぼろの私を抱きしめた。
「よく耐えた。遅くなってすまない」
「う…うぅ、王子ぃ」
私の知っている腕。
覚えのある香り。
本物だと分かった途端私の足から力が抜けた。
コウモリたちは驚愕に固まっていたが、不穏にざわつき始めた。
「…ドラゴン、ドラゴンだ」
「まさか、どうやってユラ王の結界を超えてここまで来たんだ!?」
「いや、ドラゴンは時空と結界を超える唯一の生物。どんな結界もものともしないと聞いたぞ!!」
コウモリたちの目つきがはっきりと変わった。
「あれを…あれを奪え!!あれがあればこのユラ王の結界から出られるぞ!!」
「こんなチャンスは二度とないぞ!!黒魔女なんてもうどうだっていい!!ドラゴンだ!!ドラゴンを奪え!!」
フェヴリエンスもすぐに動いた。
「コウモリにあれを渡すな!!ぐずぐずせずに行け!!」
「はい!!フェヴリエンス様!!」
黒魔女が一斉にドラゴンへと飛び出す。
私は思わぬ事態に狼狽した。
「オルフェ王子!!」
「分かってる。行くぞ」
「あ…!!」
私は王子の腕を引っ張った。
「ま、待って!!ネイカ…ネイカもいるんです!!」
「なに…」
「あそこ!!あの崖の下!!」
敵は八方から迫っている。
オルフェ王子はすぐに判断するとドラゴンだけを空へと追いやった。
「逃すな!!」
コウモリたちが一斉にドラゴンに攻撃を仕掛ける。
その隙に王子は私を抱え上げるとネイカがいる崖下へ向かった。
ネイカはまだぐったりと壁にもたれかかっていた。
「ネイカ!!ネイカ無事!?」
私はオルフェ王子から降りるとネイカの肩を揺すった。
「ん…、み、り?」
「そう!!もう、もう大丈夫だからね!」
オルフェ王子はネイカの傷と脈を確認してから横抱きにした。
「ミリ、もう一度指笛を鳴らせるか」
「え…」
「あれが一番正確に位置が伝わりやすい」
「分かりました」
私はぶるぶる震える指を反対の手で押さえつけながら指を咥えた。
中々思うように音が出なかったが、何度も何度も吹き鳴らす。
そのうち一度だけ弱々しくもまともな音がした。
「ご、ごめんなさい。これが限界で…」
「充分だ」
オルフェ王子は騒ぎとは逆方向の空を見上げた。
少しするとそこから緑色のドラゴンが現れた。
「え、二匹いたんですか!?」
オルフェ王子は先にネイカをドラゴンの背に乗せると、次は私を抱えて乗せてくれた。
「その黒猫は何だ?」
「え!?えと、わ、私の仲間です!!」
「…仲間?」
「はい、えと、猫なんですけど、ただの猫じゃないというか!!」
相変わらずの説明下手に焦ったが、王子はすぐに切り替えた。
「分かった。後で聞く。飛ぶぞ」
「は、はい!!」
ドラゴンは羽を大きく広げると空へと舞い上がった。
そのまま結界の外まで行くのかと思いきや、大きく旋回する。
オルフェ王子は厳しい顔で下界を見下ろしていた。
その視線の先には敵を一身に引き受けた青いドラゴンがいる。
羽を傷つけられたのかその飛び方が少しおかしい。
オルフェ王子は私を振り返った。
「俺はあっちへ移る。ミリはこのまま先に結界の外へ出ろ」
「え!?」
「あれを連れてきたのは俺だ。犠牲にはできない」
「でも!!」
「ミリ」
オルフェ王子は私を引き寄せるとおでこにキスをした。
「必ず後で行く」
それだけを言うと王子は本当に飛び降りてしまった。
「オルフェ王子!!」
私は身を乗り出して叫んだが、その姿はすぐに煙に巻かれ見えなくなった。
ドラゴンを巡った争いは苛烈を極めていた。
フェヴリエンスを含めた黒魔女もコウモリたちも一切の容赦なく攻撃を仕掛けている。
「こんな…いくらなんでもこんなの無茶だよ!!」
どうしよう!!
どうすればいい!?
「ねぇ、お願い!!オルフェ王子のところへ行って!!」
私はドラゴンの背中を何度も叩いた。
「お願い!!あなたの仲間を助けるの!!ねぇ!!」
ドラゴンは全く反応を見せない。
それどころかオルフェ王子が離れた途端に理性を失ったかのように落ち着きがなくなった。
私の隣にいたベリサは何かに気付くと急に蒼い炎を燃え上がらせながら振り返った。
「ミリ!!」
「え…」
黒猫が睨みつける先にふわりと黒魔女が一人現れた。
「おや、そこに居たのかベリサ」
黒魔女は杖をかざし巨大な氷を作り上げた。
「二匹目のドラゴンがいたとはね。ベリサ、お前にももう用はない。そのドラゴンを寄越せ」
氷は音を立て砕けると矢のように私たちに降り注いだ。
ベリサは炎を増幅させ、私とネイカを包むように氷の刃から守った。
だが防ぎきれなかった攻撃はドラゴンに直撃した。
興奮気味だったドラゴンはこの攻撃に怒り、空気を振動させるほど吠えた。
くるりと向きを変え黒魔女に業火を浴びせかける。
「ぐっ…なんて熱!!まるでマグマのようだ!!」
防ぎきれないと悟ると黒魔女はまた姿を消した。
だが今ので他の者達もこっちに気付いてしまった。
「あそこにもドラゴンがいるぞ!!」
「どっちでも構わん!!奪い取れ!!」
コウモリ達が騒ぐと私を乗せたドラゴンは唸りをあげたまま急降下し始めた。
「うわわ!!お、落ちる!!」
いくらドラゴンの結界内にいるとはいえ内臓が冷える下りっぷりだ。
争いの渦中に飛び込んだドラゴンは野生を剥き出しにしながら暴れ始めた。
「ミリ!!上へ戻れ!!」
オルフェ王子は暴れるドラゴンに叫んだがこの騒ぎで聞こえるはずもない。
それにユイオンならともかく、慣れてもいないドラゴンを宥めるには最低限側に寄らなければならなかった。
「お前ら…どけ!!」
うじゃうじゃと纏わりつく敵が邪魔で思うように動くことも出来ない。
オルフェ王子は苛立ちながら剣を引き抜いた。
漆黒の光を纏った剣は大きく伸び、襲い来る岩の蛇も炎も黒い竜巻も真一文字に切り裂いた。
これにはフェヴリエンスが目を剥いた。
「な…こ、これは我が同胞の黒い魔力!!お前は一体…!?」
コウモリたちもオルフェ王子を警戒した。
「あのフェヴリエンスの黒い竜巻を…!!」
「何なんだあいつは!?」
王子を手強しと見ると、コウモリはすぐに目標を私に切り替えた。
「この男はフェヴリエンスに押し付けておけ!!あっちだ!!あれを狙え!!回り込んで集中的に狙うんだ!!」
コウモリの仲間は一斉に動いた。
私の乗るドラゴンに標的を変えると獰猛に襲い来る。
ドラゴンは敵が増えたことに更に怒りを見せた。
だが闇雲に暴れれば連携の取れるコウモリ達の思う壺だ。
コウモリは仲間に正面からドラゴンの相手をさせると、自分はまた背後から迫った。
私たちは暴れるドラゴンにしがみつくことに必死でコウモリに気付いていなかった。
「見てやがれドラゴンめ…」
コウモリは手にした大きな銃を肩に乗せて構えた。
狙いを定めるとすかさず引き金を引く。
大きな音を立てて銃の中から放たれたのは炎を纏ったモリだった。
モリは結界を割り翼の根元にぐさりと突き刺さった。
その痛みにドラゴンは血の凍るような叫びをあげ暴れ狂った。
コウモリはモリから伸びた鎖を引きながら叫んだ。
「今だ!!乗れる奴は全員ドラゴンに飛び乗れ!!」
「うおぉおおお!!」
コウモリに繋ぎとめられたドラゴンに蟻のように次々と人が集る。
ドラゴンは耐えきれずに大きく体を傾けた。
「なんて酷いことを…!!」
私はモリを引き抜こうと両手で掴んだ。
もう力なんて入りもしないが、いくら何でもこれは酷すぎる。
「これはこれは、ベリサに黒魔女のおじょうちゃん。こんな所にいたのか」
「ネイカの奴もここにいるぜ」
乗り上げてきた男たちは私とネイカ、それからベリサを掴み上げた。
「や、は、離して!!」
「このドラゴンはもう俺たちのものだ。お前らは邪魔なんだよ!!」
私たちは引きずられるように端まで連れていかれた。
「じゃあな」
「このペットもくれてやる」
私は為す術もなく突き落とされた。
そのすぐ直後にネイカとベリサも宙に放り出される。
落下する不快感が身体中を襲った。
「うっ…、お、オルフェ王子ぃ!!」
「ミリ!!」
オルフェ王子は邪魔する全てを叩き斬ると全速でドラゴンを向かわせた。
白い手が這う川のぎりぎりを滑るように飛び抜ける。
私たちは寸前のところで駆けつけたドラゴンの背中に落ちた。
「うっ…」
「ミリ、起き上がるな!!」
「え…」
オルフェ王子の声がすぐそばで聞こえる。
私が見たのは漆黒の剣でフェヴリエンスを迎え打つ王子と二人の黒魔女。
黒魔女の杖は光り、渦を巻いた風が私を直撃した。
私は堪えきれずに再び吹き飛ばされた。
その先は何だかスローモーションを見ているかのようにゆっくりと場面が流れた。
遠ざかる青いドラゴン。
私を守ろうとして一緒に吹き飛ばされたベリサ。
そして、私に手を伸ばすオルフェ王子…。
スローモーションが解けた瞬間、私は音を立てて川の中へと落ちた。