異形のベリサ
それから三十分ほど歩いた頃だろうか。
ネイカは激しく流れる滝の裏に入った。
そこにひっそりとあったのは暗い洞窟の入り口だ。
「ここ?」
「そうよ」
なんだかここの所どうも洞窟に縁がある気がする。
私はしばらく暗くてじめじめした中を歩いたが、その先に予想外の部屋が現れた。
「う、わぁ。何ここ!?」
思わず声が出るほどそこはだだっ広くて華やかな大ホールだった。
これじゃまるで貴族の屋敷の中みたいだ。
「言ったでしょう?魔の使い手が多いって」
「じゃあこれも魔力で…?」
「たぶんね」
「すごい…」
ホールには色々な人たちがいた。
身体中刺青だらけの男や、体が半分獣の女。
その他見た目や種族がバラバラな者たちがごった返している。
バナは二十人くらいの男たちと酒を飲みながらゲラゲラ笑い合い、こっちに気づくと大声をあげた。
「おい見ろよ!!あれがさっき話した女だ!!」
「おいおい、どう見ても黒魔女じゃないか!!」
「いや、あの目は黒魔女じゃないだろ。あいつら氷の目をしてるからな」
「しっかしガリガリだな!!どうせならもっとムチムチした女がいいぜ!!」
品のない大笑いがあちこちから上がる。
私の心は何だかスッと冷えた。
思い出したのは子ども時代。
誰もが後ろ指を指し私を笑っていた。
「生憎、今更こんな野次痛くも痒くもないわ」
「行こうミリ。相手にしないで」
私はネイカに続いて歩いたが、面白がった男が後ろから近付くと私の腕を掴んだ。
「わっ…」
「無視するのはいけねぇな!!」
ネイカは振り返ると杖で男の手を打った。
「離しなさい!!」
「ってぇ!!てめえこのクソチビが!!今すぐぶっ殺してやろうか!?あぁ!?」
私はネイカに伸ばされた男の手を掴んだ。
ここで怯えたらおそらく負けだ。
私は思い切ってその男に熱をぶち込んだ。
「うぐぁ!?」
男は身体中から湯気を噴き出し私から飛び離れた。
「な、何だ!?」
「魔力だ!!こいつやっぱり黒魔女だぞ!!」
ホール内が一気にざわつく。
私は息を思い切り吸うと、低い声で言った。
「だから何ですか?先に絡んで来たのはそっちです。貴方達が何もしなければ私も何もしません」
男は忌々しそうに舌打ちをしたが、こっちを睨みながらも引き下がった。
私とネイカは背を向けるとさっさと奥の廊下に入った。
ネイカは二人になると歩きながら小さく笑った。
「中々かっこよかったじゃない」
「あれが精一杯だって…」
「ミリってあんな低めの声も出るんだ」
「イザベラ姫になってからすっかり地声だったけど、どちらかというと昔から低い声で話してたのよね」
廊下ですれ違う人たちも私を見ては引きつりながら後ずさる。
私たちは出来るだけ身を縮め早足で進んだ。
来た道を覚えておこうときょろきょろしていると、急に足を止めたネイカにぶつかった。
「わぷっ!ご、ごめ…」
「これはこれは。まさか俺のアジトに黒魔女様を連れて来る馬鹿がいるとはな」
野太い男の声がする。
ネイカは目の前に現れた男に警戒して杖を向けた。
「…コウモリ」
「コウモリって…」
「ここのリーダーよ」
バナもかなり野生的な感じがしたが、この人はそれを上回る獣感だ。
ごつい腕も足もふっさふさの毛が生えており、岩のような顔の中で鋭く光る銀色の瞳が動いている。
コウモリというより熊みたいな男だ。
ネイカはその男を睨みながら声を絞った。
「ミリは黒魔女だけどあいつらとは違う。ベリサと話がしたいと言うから連れてきただけよ」
「ベリサと?」
「この人はベリサと同じ異質の黒魔女なの」
「なに…?」
コウモリは私を上から下までじっとりと見た。
「…なるほど。確かに他の黒魔女とは違うようだ」
男はにやりと笑った。
「いいだろう。ただし、俺も行く」
「え…」
「黒魔女同士の会話なら監視する必要がある。ネイカ、とりあえずその物騒な杖を下げろ」
ネイカは大人しく杖を下げるとちらりと私を見た。
こんな男に同行されるのは嫌だが、拒否権はないようだ。
男は先頭に立つとさっさと歩き始めた。
今までの倍の速度で足を進めながら私はネイカにそっと聞いた。
「異質の黒魔女って、なに?」
「悪魔に育てられなかった黒魔女のことよ」
「え…じゃあ…」
「あまり期待しないで。私はベリサに食事を届ける仕事をさせられていたけど話したことはないの。それに…」
「それに…?」
ネイカはぎゅっと眉間にしわを寄せると口を閉ざしてしまった。
なんだろう。
そのベリサという黒魔女に何か問題でもあるのか?
コウモリは複雑な廊下に入ると更に速度を速めた。
ついて行くだけで必死になっていると、見張りが二人立つ部屋でやっと止まった。
「リーダー、どうしたんだ?」
「ベリサに用がある。通せ」
「は、はぁ…」
見張りたちは私に気付くとひっと声を上げた。
「り、リーダー!?こいつ、黒魔女!?」
「そうだ」
「なっ、ど、え…!?」
「構うな。お前たちは見張りを続けろ」
「はぁ…」
コウモリは扉の鍵を開けさせるとさっさと中へ入った。
「ミリ」
「う、うん」
ウングルンドの強烈な姿も前に見たばかりだし、ちょっとやそっとじゃ驚くまい。
私は心して部屋へ入ったが、目の前のものを見た瞬間完全に言葉を失った。
「え…」
床に座り込んでいるのは、もはや人ではなかった。
顔は女のものだが、服の下から覗く皮膚は黒く頭からは触覚のようなツノが生え、背中からは悪魔の翼が生えている。
まるで人に悪魔が乗り移ったかのような姿だ。
「どうして…どうしてこんなことに?」
私の声に反応して、女の目が薄っすらと開いた。
「…誰?」
「ベリサ、お前に客だ。お前と同じ、人間に育てられた黒魔女だそうだ」
「…」
ベリサが視線を上げると悪魔の体がぎしりと音を立てた。
私は半歩下がった。
「あなた、名前は?」
「え、あ、あの…み、ミリ…」
ベリサは無機質な目で私を見つめた。
「あなたは、悪魔にその身を捧げられるのかしら」
「え…?」
「悪魔に育てられた黒魔女は何の抵抗もなく受け入れるそうだけど、あなたはどう?」
「…」
私は何も答えられなかった。
こんな禍々しい悪魔を目の前にして、答える言葉があるはずもない。
コウモリは皮肉っぽく笑った。
「こいつだってお前みたいになりたくはないだろうさ」
「貴方には分からないでしょうね。正気のまま悪魔に身を委ねる恐ろしさは」
「抵抗した末にそんな姿になっちまうんならいっそ大人しく喰われておけばよかったのさ」
「そうしてフェベリエンスみたいになれと?あれは人の形をした悪魔でしかないわ」
私は全く頭が働かなかった。
コウモリとベリサの会話なんて意味すら分からない。
中々衝撃から立ち直れずにいると、私をじっくり観察しながらベリサが話しかけてきた。
「その指輪はなに?」
「え…」
「ふふ…まさかあなた、悪魔と契約もせずに人間と婚約でもしたの?」
私ははっとして指輪に触れた。
そうだ、呆けてばかりじゃだめだ。
ちゃんと話しをしないと。
「あ、あの!!き、き、聞きたいことがあるのですけど…!!」
「なに?」
「わ、私…私は正直言って悪魔と契約なんかしたくありません!!でも…、あの…!!」
駄目だ。
目の前のベリサ相手に上手く言葉が出てこない。
ベリサは必死にな私を真剣に見つめた。
「まさか、本気で人間の男と?」
「は、はい」
コウモリとネイカは私がはっきり肯定したことに驚きを見せた。
「まさか黒魔女が??人間なんかに??」
「ミリ…」
ベリサは私の言いたいことを汲み取ってくれた。
「そう…。何とか悪魔の契約から逃れるすべを知りたいのね」
私は固唾を飲んで頷いた。
どうか…
どうか、一筋の光でもいいから…。
「あなたの気持ちはとても分かるわ。でも、残念な答えしか私には言えない」
ベリサは一度閉じた目を開くと厳しい現実を口にした。
「悪魔の花嫁となることを拒否すれば、あなたに残された道はひとつ」
「…」
「私みたいに…喰われるのみよ」