罠とはったり
ぞわりと身体中に気持ちの悪いものが通り抜ける。
歯を食いしばりそれに耐えていると、ぐいと体を前に引かれた。
「ミリ!」
「あ、お、オルフェ王子…」
先に出ていた王子は私を無数の手の中から引っ張り出した。
「うわっとと!」
「大丈夫か」
「は、はい」
私は王子にしがみつきながら顔を上げた。
「…抜けたんでしょうか」
「恐らくな」
私たちはまた見知らぬ部屋にいた。
だがさっきまでと違い死霊は追ってこない。
どうやらちゃんと通常空間へ戻れたようだ。
「は、はあぁあぁぁぁ」
思い切り声に出しながら私は溜め込んだ息を吐いた。
「よかった…。もし違ってたらどうしようかと…」
「俺はミリなら分かると思ったぞ」
「でも黒魔女だから分かったんじゃないですよ?以前の体験がものを言ったというか…」
王子と目が合った私はどきりとした。
「王子…!!め、目が…」
王子の瞳は以前よりもくっきりと金色に近くなっていた。
「やっぱり破魔の剣を使いすぎたんですよ!!このままじゃまた王子倒れちゃいますよ!?」
刃先に自分の姿を映したオルフェ王子は、そこに光る金色の目に触れた。
「心配ない。むしろこれが俺の本来の姿だ」
「本来の??」
「アルゼラを出る時俺は姿変えの術を施され、己の大幅な力も封じられた。どうやらそれが解けたようだな」
「え…」
「恐らくウダムのエネルギーが最後の枷を解いたのだろう。もう破魔の剣を多少使いすぎたくらいではひっくり返りはしないさ」
オルフェ王子は私の頬に手を添えた。
「俺はそれよりこっちの方が気になるな」
「え?」
王子は私の襟ぐりを引き肩を出させた。
「ちょっ…」
「見えるか?」
「い、いえ。分からないです!!」
私が慌てて襟ぐりを閉じると王子は今度は自分のを引っ張った。
王子のはだけた肌にちょっぴりどぎまぎしてしまったが、私はそこに螺旋状に広がる黒いアザを見つけ声を上げた。
「な、何ですかこの痣!?」
「やはりあるか。ミリにも同じようなのがあるぞ」
「な、な、な、なんで…」
オルフェ王子は剣を私に渡すと乱れた服を整え直した。
「ミリはこの先、あまり魔力は使うな」
「え…?」
「これは恐らく魔力の影響だ。お前の力の源はネイカとは違い悪魔そのものだ。ミリに闇に対する耐性がなければ先日の俺のようにひっくり返るが、あったらあったでこうして最後まで闇に染められる。やり過ぎると元の体に戻れなくなるぞ」
「で、でも!!それならオルフェ王子だって同じじゃないですか!?」
「それは…」
王子はふっと笑みを浮かべた。
「俺は何とかなる」
「…」
嘘だ。
絶対に。
でも、嘘をつかせているのは…私だ。
私は俯くと涙ぐんだ。
「王子…」
「ん?」
「か、簡単に黒魔女に会いに行こうなんて言って…す、すみませんでしたぁ!!」
王子は突然ぼろぼろと泣き出した私にぎょっとした。
「ミリ」
「だって、王子は止めたのにぃ!!」
「ミリは俺の為にここへ来ただけだろう?」
「そ、それはぁ…だってぇ!!」
何て私は馬鹿なんだろう。
オルフェ王子がいるなら、きっと何があっても大丈夫だと心のどこかで思っていたに違いない。
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
オルフェ王子は涙の止まらない私から剣と袋を受け取り床に置いた。
それから両手で私をすっぽり包み込んだ。
「泣くな」
「ふうぅ…」
「本当に大丈夫だから」
「本当、ですかぁ?」
「大丈夫じゃなければまたミリにも助けてもらう。それでいいだろ」
「わ、私が?」
あの時の苦行を思い出すと、私の目から涙が止まった。
「あれは…かなりきついです」
思わず正直に言うと王子は小さく吹き出した。
「だろうな。出来るだけ世話にならんようにする」
「…」
「さぁ、泣いている暇はないぞ。早く先へ進もう」
私は何度も瞬きをすると笑みを浮かべる王子を見つめた。
どうしてだろう。
この人は私を安心させる天才だ。
私は自分から手を伸ばすと王子をきゅっと抱きしめた。
私たちは気を引き締め直すと慎重に部屋の外へ出た。
さっきまでは古い洋館を走り回っていたが、ここは何だかもっとおどろおどろしい。
廊下の壁や床や天井と、とにかくありとあらゆる物が黒い。
「黒いですね」
「ミリの好みではないのか?」
「さすがにこんな墨をぶちまけただけの廊下はちょっと…」
こつこつと私たちの足音だけが廊下に響く。
さっきまでの騒動を思うとこれまた不気味なほど静かだ。
広いホールに出るとまた階段があった。
今度こそ上に登れるのだろうか。
見上げていると二階のダンスホールの扉がキィと音を立てて開き始めた。
「お、王子…」
「何かいるな。…大きい」
「えっ」
王子は私を後ろに下げた。
「端に寄ってろ」
「で、でも…」
躊躇していると頭上から獣を絞め殺したような声が部屋を震わせた。
…これはやばいやつだ。
絶対にやばいやつだ。
私は引きつりながら少し下がった。
二階から現れた巨大な影は大きく飛ぶとシャンデリアに掴まった。
シャンデリアはその重さに耐えきれず鎖を振り切りながら落ちてきた。
「ミリ!!」
オルフェ王子は反射的に私を抱き込みながら部屋の端まで滑り込んだ。
間一髪、ホールのど真ん中では派手な音を立ててシャンデリアが粉々に砕け散った。
「うわっ、あぶっ、あぶなっ…!!」
「怪我はないか!?」
「は、はい」
王子は私を離すとすぐに砕けたシャンデリアの上に鎮座する化け物に剣を構えた。
「う…うわわわわ!!」
視界を埋め尽くす程の巨大な化け物は、ムカデを超越したオオゲジだった。
さっくり説明すれば、ムカデの足が全部長いやつだ。
こ…これはキモい!!
死ぬほどキモい!!
やばい!!
視界に入るのもきついのに象みたいにでかい!!
オオゲジは身体中から黒い霧を噴き出した。
「王子!!こ、これ、魔物です!!」
「分かってる」
王子が剣を一振りすると一気に漆黒の光が炎となり倍以上大きくなった。
「ミリはそこから動くなよ」
「オルフェ王子…!!」
王子は魔物に自ら飛び込んだ。
剣先は確実に魔物を捉えていたが、体に当たる瞬間にその姿が消えた。
王子は床に着地するとすぐに上に構えた。
私もつられて上を見れば、魔物は壁にくっついていた。
あれだけ長い足だ。
脚力が半端ない。
魔物は縦横無尽に飛び回り王子を狙い襲ってきた。
私はひやりとしたが、王子は横に飛ぶと逆にオオゲジの足を斜めに切り払った。
足をぶった切られた魔物は叫び声をあげてまた王子から跳び離れた。
だが飛び散った足はうごうごと蠢くとそこからまた足を生やし、これもまたそこそこ大きなオオゲジとなった。
「オルフェ王子!!後ろ!!」
増えた魔物に王子はすぐに反応した。
親玉から目は離していないのに、後ろから飛びかかってきたオオゲジを振り向きざまに一刀両断する。
「す、すごい…」
さっきまで逃げることに必死でちゃんと見ていなかったけど、強い。
その動きは尋常じゃないくらい速く、魔物を捉える的確さは後ろに目があるんじゃないかと思えるくらいだ。
でも、私はこの常人離れした動きを知っている。
「…レイ。レイと同じだ」
オルフェ王子の動きはレイそのものだった。
厳しくも頼もしいレイの顔が浮かぶと私は何だか胸が詰まった。
レイ…。
オルフェ王子がピンチなんだよ!?
こんな時に今どこで、何やってんのよ…!!
スピードではオオゲジにとても敵わない。
オルフェ王子はカウンターを仕掛けながらも徐々に部屋のど真ん中へと押しやられた。
足元は壊れたシャンデリアで埋め尽くされている。
「王子…!!」
これじゃどこからでもオオゲジは攻撃できる。
私はオルフェ王子が食い破られる様が目に浮かび全身に冷や汗をかいた。
だがこれは王子の誘いだった。
王子は右斜め上からオオゲジが襲ってきたタイミングを見計らってシャンデリアの骨組みを蹴り上げ、自分は反対側に跳んだ。
オオゲジはそれに思い切り突っ込むと身動きが出来ずにもがいた。
王子は剣を大きく振りかぶるとオオゲジの頭のど真ん中に思い切り突き立てた。
その傷口から黒い炎が上がり一瞬にしてオオゲジを燃え上がらせる。
魔物は体に痺れるほどの断末魔の叫びをあげると、炎の中で灰と化した。
「オルフェ王子!!」
私は震える足を叱咤しながらまだ炎の残る灰の中へ走った。
そこにはまだ剣を床に突き立てたままの王子がいた。
「オルフェ王子!!王子!!」
「…ミリ」
王子の瞳がまた金色を増している。
王子は剣をしまうと飛び込んできた私を抱きとめた。
「怪我してないか」
「してません!!私は全くしてませんから!!」
「そうか。それならいい」
「よくありませんってば!!王子、もうここから出ましょう!?王子がおかしくなったら元も子もないですよ!!」
叫んでいると何処からかケラケラと笑い声がした。
「やるじゃないのぉ。あんたたち何者?」
「ウングルンド!?」
私は王子を庇うように立った。
姿はないがこのねっとりとした声は間違いない。
「早く水晶持って来なよ。もう退屈で退屈で、待ちくたびれたわぁ」
「あ、あなたがけしかけてくるからじゃないですか!!」
「うるさいねぇ。お前に用はないよ」
ウングルンドは更にねっとりとした声を出した。
「そっちの黒い気配が濃厚な男、あぁんた美味しそうでたまらないよ」
「おいし…」
「あぁ、早くおいでぇ。あたしのオトコ」
…。
…な、なんか、なんか知らんが急に腹が立ってきたぞ。
こいつ一体何なんだ?
私は闇に向けてキッと睨んだ。
「さっきから大人しく聞いてればねぇ!!何好き勝手なことばかり言ってんの!!」
「ミリ、やめろ」
王子は止めたが私は怒り心頭で叫んだ。
「大体、私たちはただあなたに聞きたいことがあったから来ただけです!!それなのにこの横暴さにはもう我慢できないわ!!」
「我慢できない?出来なければどうするつもりだい?ひ弱なお前ごときに何が出来るってぇ?ひひひ」
ウングルンドは馬鹿にしたように聞き返してきた。
負けるもんか。
こんな奴に絶対オルフェ王子は渡さないからなっ。
私は据わった目で自分の後ろを指差した。
「何が出来るかですって?そうですね、ここからドラゴンの聖地ウダムへの隠し道を塞ぎます!!」
「…。なに?」
「私はその道を通って来たのでウダム側の出入り口の場所を知ってるんです。そこをドラゴンに潰してもらいます」
ウングルンドは一瞬黙ったがまた高らかに笑い声をあげた。
「ひひひひ!!何を馬鹿なことを!!ドラゴンにそんな芸当できるものか!!」
「出来ますよ!!」
「どうやって!?」
「私はドラゴンの管理者の知り合いですから!!」
「なに…?」
「しかも、二人も!!」
「!!」
一人はちびっ子だけど!!
ウングルンドは今度は明らかに動揺を見せた。
「ど…ドラゴンの管理者はユラ王に常に監視されているはずだ。貴様ごときの言うことなど聞くものかっ」
「私言いましたよね?ウダム側から来たって。どうして私たちがドラゴンの聖地に居たと思います?」
「…」
「今もドラゴンの管理者はウダムで私たちの帰りを待っています。私たちが帰らないその時は、そこの入り口を破壊するように頼んであります」
これは王子が青紫の男に言っていたことを真似しただけだし、最後のは思い切りはったりだ。
後は虚勢を張ることしか私には出来なかったが、しばらく押し黙っていたウングルンドが低い声で言った。
「…登っといで」
声と共に上の方でがちゃりと扉が開く音がした。
怪しく漂っていたウングルンドの気配は消え、ホールには再び静寂が訪れた。
私はへなへなとその場に座り込んだ。
今更ながらドクドクと耳元で脈打つ音がうるさく響く。
…ま、またやってしまった。
この勢いで喧嘩売ってしまう性格がいい加減呪わしい。
今まで何度もそのせいで痛い目に遭ってんのに本当懲りないな私って。
がっくりと肩を落としているとオルフェ王子が私の前で片膝をつき頭をがしがしと撫でた。
「お前は…。相変わらず何が飛び出るか全く分からん奴だな」
「だ、だって…」
「それにしてもウングルンドを黙らせるとは大したものだ」
王子は笑みをこぼしたまま声を潜めると私の耳元に囁いた。
「ドラゴンの管理者が俺だと明かさなかったのは賢明だったな。使えるカードは残しておいた方がいい」
「え?だって、そんなことしたらあいつますます王子に執着するじゃないですか」
「…計算していたわけではないのか?」
「計算?そんな腹黒王子みたいなこと、私は出来ませんよ」
王子はきょとんとする私に苦笑した。
私たちは軽口を叩きながら揃って上を見上げた。
この階段の先に黒魔女ウングルンドがいる。
話し合いが出来るのかはともかくとして、私と王子は互いに目配せをするとその階段を登り始めた。