常闇のウェバ
男はアリの巣のように入り組んだ穴を走り抜け、最後に狭くて行き止まりになっている場所で足を止めた。
「え、ここ…?」
「そ、そうだ。…ちくしょう、あんなに苦労して出入り口を作ったってのに知られる羽目になるなんてよぉ!」
男は少し窪みのある壁に手をついた。
その手が見る見る壁に吸い込まれて行く。
「ち、ちゃんと俺の水晶もって来いよな」
王子に釘をさすと男はそのまま壁の中へ消えた。
「オルフェ王子…」
「恐らく全く別の場所に繋がってるだろうな。俺が先に行くからミリはこの袋を持ってその後に来い」
「分かりました」
私と手を繋いでいたオディは少し後ろへ下がった。
「ぼくは行かない」
「え?」
「ぼく、ミランとユイオンのそばにないるよ」
「でも…一人で?」
「ひとりじゃないよ。ドラゴンたちがいるもん」
王子はオディの頭を撫でた。
「ユイオンを頼む」
「うん」
「俺たちが遅ければ先に帰ってくれても構わない」
「わかった」
オディは無邪気に頷いた。
「王子、いくらなんでもオディ一人じゃ…」
「オディも言っただろう?ドラゴンたちがいる」
「そのドラゴンに食べられたりしないか心配してるんですけど…」
「俺たちにその心配だけはいらんぞ。オディならここのものたちとも仲良くやるさ」
王子には不安のかけらも見当たらない。
きっと私には分からない感覚がこの二人にはあるのだろう。
「じゃあ、先に行く」
「あ、は、はい」
オルフェ王子は私に袋を渡すと壁に手をつき男と同じように消えた。
私は袋を抱えなおした。
「…行ってくるね」
「うん、いってらっしゃい!」
「オディも気をつけてね」
「うん!!」
オディに見送られながら、私は思い切って壁に手をついた。
体にぞわりとしたものが走る。
次はどんな空間になるのやらと構えていたが、予想に反して壁の向こうはすぐに外に出た。
「…オルフェ王子?なにやってるんですか?」
目の前にはちゃんと王子がいた。
が、王子は剣を抜き地面に転がる男に突きつけている。
よく見ると男の近くにナイフが転がっていた。
「ち、ち、ちくしょう!!女が先じゃなかったのかよ!!」
「思惑がはずれて残念だったな」
王子は剣をしまうと男のナイフを拾い上げた。
「さて。行こうか」
「ぐっ…ぐぬぬぬ!!」
男は立ち上がると肩を怒らせながらずんずん歩きだした。
私はやっと危なかったのだと気付いた。
「よく分かりましたね」
「これくらい予想出来なければ俺はとっくに死んでいるさ」
「え…」
王子は何でもないことのように言うと私から袋を受け取った。
「行こう」
「あ、はい…」
私は王子の隣を歩いた。
周りを見渡せば、ここは何とも不気味な場所だった。
まず一言で言えば暗い。
周りには枯れ果てたワカメのような植物が横たわり、足元は剥き出しの石がごろごろと落ちている。
空は夜のように暗いのに星の一つさえない。
「ここは常闇のウェバだな。アルゼラ八地域のうちで最も腐敗した場所だ」
「腐敗…」
「ここでは昼も夜もない。あるのは混沌とした不浄の世界だけだ」
…おぅ。
すごい負の言葉が並んだよな、今。
ちょっと王子が止めた意味が分かった気がする。
「そういえば雪もないですね」
「ここは気候すらないからな」
「なんか…嫌な予感しかしない場所ですね」
「そうだな」
平然と返されて私は少し不満を持った。
「王子って心から驚いたりしたことってあります?」
「失礼なやつだな。どちらかといえばミリといる時など驚きの連続だぞ」
「失礼なのはそっちじゃないですか。もっとこう、わぁ!!みたいに驚くこととか…」
「…。ないな」
「…。ないですね」
内容など全くないが王子と話していると少し気がまぎれる。
そうこうしているうちにこんな荒野にはお似合いの真っ黒な屋敷が見えてきた。
男は足を止めると一つ身震いをした。
「あ、あそこがウングルンド様のお屋敷だ。後は勝手に…」
言いかけた時、急に辺りが眩しく光ったかと思うと耳をも劈く雷鳴が轟いた。
「うわっ!!」
「ミリ!!」
王子は咄嗟に私を片手で抱え込んだ。
雷鳴は一発だけだったが、まだ鼓膜に振動を残している。
「な、何だったんですか今のは…」
恐る恐る顔を上げた私は絶句した。
さっきまで目の前で話していた男が、辛うじて人型を残したまま真っ黒に焦げている。
「王子!!」
私は悲鳴をあげて王子にしがみついた。
オルフェ王子は水晶の入った袋を捨てると剣を引き抜いた。
「ミリ…結界は張れるか」
低い声で私の耳元に言う。
私は頷きたかったが、突然の事態にがたがたと震えるだけで全く使い物にならない。
オルフェ王子の剣に黒い光が宿った。
緊迫した空気の中、空から不気味な声が響く。
「…あたしの水晶を地面になんて置かないどくれ」
「ウングルンドか」
声は低くしゃがれながら笑った。
「あぁんたたちのせいで運び屋が一匹死んじまったじゃないか。責任を持ってそれをここまで運びな」
声と共に黒い門が軋みながら開き始める。
私の喉がごくりと音を立てた。
「ほら、屋敷の一番上だよ。ちゃんと無事に持ってきなぁ。ひひひ」
声はわんわんと響きながら消えた。
私は怖過ぎて早くも泣きそうになった。
「お、オルフェ王子…」
オルフェ王子はさっきまでの穏やかさが嘘のように辺りを鋭く見渡した。
「囲まれているな」
「へ?」
「仕方がない。行くぞ!!」
「えぇ!?」
王子は私の手を掴み門の中へと飛び込んだ。
その瞬間私たちを取り囲むように地面からぼこぼこと何かが出てきた。
「う、うわぁ!!なになに!?」
「喋るな!!屋敷へ走れ!!」
私は何が何だか分からないまま走らされた。
幸い玄関口まではそこまで距離がないが、辿り着き取っ手を握っても扉は開かなかった。
「開かない!!開かない開かない!!」
「落ち着けミリ!!」
「でも!!」
オルフェ王子は袋を私に押し付けると背を向け剣を構えた。
この時、私たちを追っていたものがはっきりと見えた。
「うわわわわ!!何あれ!?何あれ虫なの!?」
土から出てきたのは巨大なムカデや蜘だった。
しかもどれもどす黒い血にまみれ、苦しく悶えた人の顔をしている。
オルフェ王子は一際強い漆黒の光を剣に集めると、その怪物たちに向けて一閃した。
爆風を巻き起こしながらその波動は怪物を蹴散らしていく。
「王子!!その力は…!!」
破魔の力!!
使わせちゃダメだ!!
私は扉にかじりついた。
「開け!!開けこのぉ!!」
取っ手をがちゃがちゃと引っ張っているとピリッと何かが反応した。
「あ…そうか魔力!!」
ええと、ええと!!
集中しろ私!!
両手に意識を向け、何とか力を送り込む。
するとカチリと小さな音がした。
取っ手を引くと今度はその動きに扉がついてきた。
「開いた!!王子開きました!!」
私は袋を掴むと王子に続いて屋敷の中へ飛び込んだ。
すぐに扉を閉めて鍵をかけ直す。
「は、はぁ、はぁ。よかった…」
まぁ、予想通りと言いますか安心したのはほんの束の間。
振り返った私の目に飛び込んできたのは、目を光らせながら漂う大量の黒い浮遊物だった。