ドラゴンの巣
それから数日。
オルフェ王子は宣言通り私を連れて本当にアルゼラ観光を始めた。
とはいえ王子の体は肩の傷も含め大概回復しているにも関わらず、私の体力は中々戻らずにすぐ疲れが出た。
せいぜい近場を散歩する程度だったが、そこはアルゼラ。
見るもの見るものが珍しく楽しすぎた。
「王子!こっちこっち!」
「ミリ、名前」
「あ…、オルフェ」
私はかりかりと頬をかきながら言い直した。
「え、と。これ見てください!サクラがいるんです!」
私は店に並んだ小瓶の一つを手に乗せた。
中には飾りと小さなピンクドラゴンの模型が入っている。
しかもそれはどうやってかピチピチと羽を動かしていた。
「やっぱりアルゼラってドラゴンが身近なんですねぇ」
「そうだな」
「そういえばサクラ、どうしてるのかな。オディは森にいるって言ってたけど…」
「森にいるなら心配はない」
「そうですか?」
「今度森まで行ってみるか」
「え、いいんですか!?」
私の顔がぱっと輝くと王子はつられたように笑みを浮かべた。
「ミリは嬉しい時は本当に嬉しそうな顔になるな」
「そ、そうですか?」
「俺はその顔が一番好きだ」
「うぐっ…ま、また!!」
わざとだ。
絶対わざと言ってる。
くそぉ…分かってるのに赤くなる自分が悔しい!!
オルフェ王子は私の手を取りのんびりと歩き始めた。
「疲れてないか?」
「え?あぁ、そういえば今日はまだ平気です」
「ミリの体も大分回復してきたみたいだな」
「はい」
王子は厚い雲の広がる空を見上げた。
「明日は少し足を伸ばそうか」
「遠くに出るんですか?」
「そうだな」
ということは明日もただ観光して終わるのかな。
「別に、いいですけど…」
私の微妙な物言いに王子は振り返った。
「ミリ?」
「…」
王子とあちこち出かけるのは正直言ってめちゃくちゃ楽しい。
でも、王子はあれ以来私に何も話そうとはしてくれない。
私の不安は日に日に募っていた。
「オルフェ王子」
「ん?」
「…どうして、何も言ってくれないんですか?」
自分から切り出さないでおこうと決めていたのに、私はつい本音をこぼしてしまった。
「あ、いえ。何でもないです。すみません…」
「ミリ…」
「いいんです!!ほんと!!ほんと!!」
出来るだけ何でもないように取り繕ったが、王子は不自然すぎる私を静かに見つめてきた。
「あの!!ごめんなさい!!ですから、その!!」
「ミリ」
「ほんと私ってば余計なことばかりっていうかなんていうか」
「ミリ!」
王子は私の腕をぐっと掴んだ。
私ははっとして王子を見上げた。
「明日の行き先を教える」
「へ?」
「明日は、地上へ戻ってドラゴンの巣を見に行く」
「ドラゴンの巣…って、王子が昔よく行ってたっていう…?」
「そうだ。あそこなら誰を気にすることなく話が出来る。そこそこ歩くが大丈夫そうか?」
「あ…」
そうか。
このアルゼラでは誰がどこで聞き耳を立てていても分からない。
王子は最初から私の体力が回復するのを待ってドラゴンの巣で話をするつもりだったんだ。
やっと王子の意図に気付いた私は何だかすごく恥ずかしくなった。
そうならそうと言ってくれればいいのに…。
「王子…」
「名前」
「ぐ…オルフェ」
私は子どもみたいにふくれ面になった。
「オルフェ王子のその回りくどいやり方、分かりにくくて嫌です」
「ミリのど直球といい勝負だと思うが」
ぐぬぬ…。
負けてたまるか。
「そのすぐ本音を隠す癖、私の前ではやめてくださいよ。裏を読むなんて芸当が私に出来ると思います?」
王子は言ったそばから直球で文句を言う私に笑った。
「分かった。自覚はあまりないが気をつける」
「そうしてください」
よし、勝った。
勝ったぞ。
涼しい顔をしながら内心ガッツポーズをしていたが、私のことはお見通しな王子はやっぱり楽しげな笑みを浮かべながら素知らぬふりをしていた。
翌日の朝。
私とオルフェ王子はしっかり朝食を食べてからお城の地下へ向かった。
そこから地上へ出る扉をくぐり、雪の積もる外を歩き、そのまま雪山へと差し掛かる。
珍しく薄水色の空が広がる中、私は寒さとは別の理由で震えに震えていた。
「お、オルフェ王子!!た、た、助けて!!」
「別に何もしないぞ」
「無理です!!無理無理無理!!」
私の周りではどこから現れたのか大きな白い狼が跳び回っていた。
王子は呑気にそれを少し後ろから眺めている。
「うひゃあ!!こ、…怖い!!」
「その雪狼は大丈夫だ。そのうち慣れる」
「狼になんて慣れるわけないでしょうが!!」
私が叫ぶと王子はやっとこっちに来た。
雪狼の頭を撫でると少し下げさせる。
「あのですね、知り合いだか何だか知りませんが私には近付けないでくださいよ!?」
「この雪狼は昔もよくドラゴンの巣まで道案内してくれていた。俺の匂いも覚えているようだな」
「そのドラゴンの巣も一体どこにあるんですか!?」
王子に連れられてもうかれこれ二時間も雪山を登り続けている。
のんびり歩いていたとはいえ流石に疲れが出ててきた。
「もうそこだ。あの岩の向こうはカルデラになっている」
「カルデラ…」
「そこがドラゴンの巣だ」
ドラゴンの巣…。
今更だがよく考えたらドラゴンがうじゃうじゃいる巣なんて全く行きたくないじゃないか。
考えが丸ごと顔に出ている私の背中を、王子は軽く押した。
「見て損はないぞ」
「得もありませんよね?」
「滅多に見られるものじゃない。それに俺がいないと間違いなく生きては拝めないぞ」
「ありがたくて涙がでそうです」
「ほら、行くぞ」
私は渋々足を動かした。
私たちの周りを雪狼が踊るように跳ねながらついてくる。
王子が言った場所まで登り詰めると、視界は一気に開けた。
「う、わあぁ…」
王子の言う通り、そこはカルデラになっていた。
一番底はエメラルドの水が溜まり、その周りでは数匹のドラゴンが座り込んでいる。
よく見ればあちこちに卵の殻が落ち、赤ちゃんドラゴンが見えた。
「思ったより少ないんですね」
繁殖地とかいうからどれだけいるのかと思ったが意外にも数えられるほどだ。
「ドラゴンは寿命が長いからな。生まれる子どもの数はこんなものだ」
「寿命ってどれくらいなんですか?」
「一番長くて一千年と聞いたことはある」
「いっせ…」
「時々巣以外でも卵を産むようだが、そんなことをするのは大半は育てる気のないドラゴンだ。現にスアリザまで流れてきた卵もその果てだろう」
「サクラですか?」
「そうだ」
王子はここまで道案内をしてくれた雪狼を帰すと、一歩中へ足を踏み入れた。
「ミリは少しここで待ってろ」
「え…あ、王子!?」
オルフェ王子はなんと一人でカルデラの中へ降りて行った。
突然の侵入者に中のドラゴンがいきり立つ。
一斉に羽を広げる様はここから見ても首をすくめるほどだ。
「オルフェ王子!!」
私は王子が襲われないかとひやひや見ていたが、予想に反して和やかな展開になった。
王子が近付くとチビドラゴンが懐くように寄ってきたのだ。
ここから見たらまるで鳥が何羽も王子の肩や手に止まったみたいだ。
母親らしいドラゴンたちも王子が二、三声をかけるとすっかり落ち着いた。
「…すごい」
それは不思議な光景だった。
まるでドラゴンは昔から人間の友であるかのように大人しくオルフェ王子を迎え入れている。
「ミリ」
王子は振り返ると私を手招きした。
「こっちだ」
行けるか。
馬の時とはレベルが違うぞ。
ぶんぶん首を横に振ったが、王子はチビドラゴンたちに何かを吹き込むと一斉に空に放った。
その子たちはぴちぴちと羽を動かし私の周りに集まってきた。
「うわわ…」
私は身を縮めたがその中の一匹がちょこんと腕に止まった。
「あ…、サクラ…?」
その子は生まれて間もないサクラによく似ていた。
そうなると不思議と他のチビドラゴンも可愛く見えてくる。
「わわ、ちょっと、…ふふ」
チビドラゴンたちは私に懐きながらカルデラの中へ引っ張り始めた。
こんなの抵抗できるわけがない。
私は仕方なく滑りやすい傾斜に気をつけて降りて行った。
「ミリ」
「オルフェ王子、ずるいですよこんなやり方」
「可愛いだろう?」
「かっ、可愛いですけれども…!!」
私は王子のすぐ後ろにいるドラゴンに息を飲んだ。
…でかい。
「ほ、本当に大丈夫なんですか?」
「うっかりチビドラゴンを踏み潰さない限り大丈夫だ」
「…。気をつけます」
王子は慈しむように大きなドラゴンを見上げた。
「彼女たちは人間なんかより余程世界のことを知っている。俺はここでその話を聞くのが何よりも好きだった」
「世界の話…」
すごい規模だな。
「こんな育ち方してたなら、王子はスアリザに来た時物凄く窮屈だったんじゃないですか?」
何気なく聞いたが、途端に王子から笑みが消えた。
「…王子?」
「…」
チビドラゴンが王子の肩に乗りきゅうと鳴いた。
「スアリザ、か」
「…」
王子が適当な岩に腰を下ろしたので、私もそれに倣った。
「ミリ」
「はい」
「今からする話は誰にもしたことがないものだ」
…きた。
やっと話が聞けるんだ。
「お前の嫌いな王宮の裏の話でもある」
「はい」
「それこそ聞いたところでミリには何の得もない話だが…」
「前置きが長いですよ」
私は王子の顔を真剣に見つめた。
「教えてください」
私たちの周りをちょこちょことチビドラゴンが徘徊する。
母ドラゴンはすっかり落ち着いてまた座り込み地面に頭を預けている。
王子は片膝を抱えると重い口をやっと開いた。