会えない
声が聞こえた。
それはスアリザへ来てから一年後のこと。
聞こえたのは心に直接響く人ならざる者の声。
孤独と猜疑心にすっかり塞ぎ込んでいた自分は、引き寄せられるようにその声を辿り、隠された通路へ入ると城の最も深い地下まで歩いた。
辿り着いたのは厳重に鍵をかけられた大きな牢屋だった。
そこは灯りも窓もなく手燭がなければ恐ろしいほどの闇の中だ。
「…だれか、いるの?」
恐る恐る牢屋の奥に声をかけてみると、チャリと鎖の音が僅かにした。
中には確かに誰かがいる。
鉄格子の扉に近付き中を照らす。
そこにいたのは、藍色の髪の…
「王子!!」
私はオルフェ王子の瞼が薄っすら開いたことに気付くと渾身の力で叫んでいた。
「お、オルフェ、おうじぃ!!」
もう何時間も耐えに耐えていた私の体は限界を通り越してがくがくと揺れていた。
顔中汗なのか涙なのかその他の液体なのか分からないもので濡れている。
こんなに必死なのに、王子はまだ焦点の合わない虚ろな目をしていた。
「このっ、は、早く、お、お、お、起きて、くださ、お、起きろおぉおぉ!!」
私は王子の黒く染まった頭をがしりと掴むとゆさゆさと揺すった。
「も、もぅ、やめますからね!?あ、あ、あ、あとは、自力で、起きて、く、くださいよ!?」
もういいよね!?
いいんだよね!?
だって五ミリくらいは目開いてるもん!!
私が王子から手を離すと、オーロラの空間にびしりと亀裂が入った。
「えっ」
驚く間も無くその空間は砕け散り、私と王子は真っ逆さまに落ち始めた。
「ちょ、えぇ!?」
荒ぶるオーロラのかけらに飲まれたかと思うと辺りが真っ暗になる。
内臓がずれるような不快感に耐えていると、急に地に足がつく感覚がした。
「…」
恐る恐る目を開くと、私は豪華な客室の床に座り込んでいた。
タイルに直座りしているのでひんやりとお尻が冷たい。
「あ、あれ…」
余りにも環境が変わりすぎて酷い目眩に襲われる。
「王子…」
何とか辺りを見回すとベッドに横になる王子が見えた。
身じろぎをしているのであっちもすぐに目が覚めそうだ。
私は立ち上がりベッドへ近付こうとしたが、体が全く動かずにへしょりと床に崩れ落ちた。
「う…、わはぁ。だめだ」
なんとか這いながらでも動こうとしたが、ふと壁に立てかけてある姿見が目に入った。
あ。
そうだ。
私、今元の姿に戻ってるんだった。
「…」
ヒョロガリな体に冴えない顔。
おまけに何重にも疲労が重なってもうおばけみたいだ。
私は四つん這いになったまま前ではなく後ろに下がり始めた。
…会えない。
この姿では、とても。
ずりずり部屋の扉まで後退しているとベッドから王子の声がした。
「う…」
私はどきりとしたが、そのまま静かに扉を開くと部屋から出た。
だがここまでが限界だった。
こっちだってもう動くことすらできない。
そのままぐったりと廊下でのびていた私は、幸いにも通りかかった人に無事発見され別室に運ばれた。
…それから三日。
私は眠りに眠り続けていた。
ミントリオでもそうだったが、丸三日も寝続けるとしばらくは何もかもが全く分からなくなる。
私は目だけは覚めたものの思考が停止したままで、見慣れぬ天井をただぼんやりと見つめていた。
「ミリ」
隣からそっと名を呼ばれる。
横目で見ると心配そうなコールが覗き込んできた。
「…コール?」
「私が分かる?よかった、このまま起きなきゃどうしようかと思った」
「…??」
コールがいる。
ここは…ミントリオだっけ??
「体はどう?顔色がすごく悪いわ。動けるなら何か食べるものを用意してもらいましょうか」
「…」
「あ、その前にお水をいれてくるわね。三日も水分をとってないなんて脱水症状を起こすわよ」
どうやら意識のない間ずっとコールが私の面倒を見てくれていたようだ。
コールはてきぱきと動いたが、私の頭はまだ全く働かない。
体もギシギシいって動かない。
数回に分けて水を飲ませてもらいやっと少し回復したが、それでも私はぐったりとまた横になった。
「ミリ…」
「ご、ごめん。なんか…力がはいらなくて…」
「そうね。もう少し休む?」
「うん…」
コールは私に掛け布をかけ直した。
すぐにまたうとうとと瞼が落ち始める。
「ねぇ、ミリ」
「…。んん?」
「オルフェ王子もネイカちゃんも、順調に回復してるわ。そろそろ二人とも起き上がれそうなの」
「…」
かいふく??
何があったんだっけか。
本気でボケているとコールが気遣わしげに言った。
「二人とも、ミリに会いたがってる」
「…」
「…どうする?」
「どうするって…??」
コールは言いにくそうに身じろぎした。
「その…。二人はまだミリのその姿をちゃんと見ていないのかと思って。それなのにここへ連れてきてもいいのか迷っちゃって…」
私はコールの言うことを理解すると瞬時に色々思い出した。
それと同時に慌てて首を横に振った。
「だっ、ダメ!!連れてこないで!!」
「ミリ…」
「ダメダメダメダメ!!お願いコール!!」
コールは興奮する私をなだめた。
「分かった。分かったから。じゃあミリがちゃんと動けるようになるまでは止めておくわ」
「ほんと!?」
「ええ。だから早く元気になってね」
私はほっと肩から力が抜けた。
あ、危ない危ない。
ネイカならともかくオルフェ王子にはやっぱりこの姿は見せられない。
でもいつまでもここにいたらあの王子の事だ、そのうち無理にでも踏み込んできそうだな…。
「コール」
「なに?」
「えと、食べ物と着替え…持ってきておいてもらってもいい?」
「分かったわ」
コールはすぐに希望の物を揃えてくれた。
「他に欲しいものはない?」
「うん、ありがと。…起きたらちゃんと食べておくから、もう一眠りしていい?」
「それじゃ私はネイカちゃんを見てくるわ」
「うん」
コールは何の疑いもなく部屋を出て行った。
…よし。
これでいい。
あとはもう少し体が動くようになればここを出よう。
かけ布をきゅっと引き寄せると、私は深い眠りに落ちないよう気をつけながら目を閉じた。