大掛かりな罠
ミントリオからパッセロ王国を目指して北上していたオルフェ王子一行は、この一週間夜以外はほぼ休みなしで移動していた。
大陸北部は一つ一つの国土が広く歩きだけでは何日もかかってしまう。
オルフェ王子は荒野を渡り終えると南北に広く流れる川から船で移動するルートをとった。
もう何時間も船に揺られていたネイカは流石に気分が悪くなり甲板から川を眺めていた。
「ネイカちゃん、大丈夫?」
「コール…」
コールはネイカの隣で船から身を乗り出すと前方に目を凝らした。
「ここ見覚えがある。もうすぐパッセロに入るわ」
「…そう」
コールはネイカの背中をゆっくりさすった。
「ネイカちゃん、昨日もあまり寝てないんじゃない?酷いクマが出来てるよ」
「…」
「ミリが心配なのは分かるけど、このままじゃネイカちゃんも倒れちゃうよ」
ネイカは杖を握りしめると険しい顔になった。
「…って、言ったのに」
「え?」
「王子も、ミリの跡を探すって言ったのに…」
ネイカは全くその気配のない王子に不信感を持っていた。
どうするつもりなのか問い詰めたかったが、ミントリオを出てからの王子はずっと無表情で近寄りがたかった。
「王子には王子なりの考えがきっとあるのよ」
ミリと同じ顔で慰められると、ネイカは泣きそうになった。
「でも…早くミリを見つけないと。ミリが追い出されたのは私のせいなのに」
「ネイカちゃん…」
コールはネイカの手を取った。
「ネイカちゃんはずっと自分を責めていたのね」
「…」
「気付かなくてごめん。でもね、ミリはきっと微塵もそんなこと思ってないんじゃないかな」
「…」
「それにネイカちゃんが気に病むほうがミリは気にすると思うよ」
ネイカは唇を噛むと俯いた。
コールは出来るだけ明るく言った。
「ねぇ、パッセロについたら一緒にミリを探しましょう?王子ももしかしたらそのつもりで急いでたのかも知れないし」
「あ…」
その可能性はある。
ネイカは少し考えてから小さく頷いた。
コールは何とかネイカを元気づけようとあれこれとパッセロの話題を振った。
少し気の和らいだネイカはコールの話に相槌を打ちながら耳を傾けていたが、そこにレイが来た。
「コール」
「なに?」
「じきにパッセロに着く。その前にイザベラ姫としてドレスに着替えてこい」
「えー…」
コールは不満そうに唇を尖らせたが、レイは冷たく一瞥をくれただけで背を向けて行ってしまった。
ミリがいなくなってからというもの、オルフェ王子だけでなくレイの様子も明らかにおかしくなった。
人間味が薄れたというか無機質な感じだ。
「ミリ…。どこにいるのよ」
ネイカは不安で仕方がなかった。
今はコールだけが心の拠り所だ。
ネイカはコールの着替えを手伝うために一緒に船室へと入った。
指定された部屋に用意されていたのは、真っ黒なドレスだ。
コールは少しだけ苦笑するとそれに袖を通した。
「ミリ…」
ネイカはコールを着付けながら思わず呟いた。
茶色い髪を黒いレースのリボンで隠すように結い上げれば、そこにいるのは見慣れた姿そのものだった。
ネイカはまた泣きそうになった。
「ネイカちゃん…」
コールは不器用にもミリを慕うネイカの肩をそっと抱きしめた。
それから数十分を経て船が辿り着いた先はパッセロの最西部だった。
ここから半日歩けばもうパッセロの王都、アセオンに辿り着く。
オルフェ王子は隊列を整えさせると馬と馬車を新たに手配するよう指示を出し始めた。
ずっと隙を伺っていたコールは、王子の側に誰もいなくなったのを見計らうと走り寄った。
「オルフェ王子!」
王子は間近でコールを見ると僅かに目を見張った。
コールはその反応を見逃さなかった。
「ミリにそっくりだって言いたいんでしょう?」
王子は苦笑した。
「…いや、その逆だ」
「え?」
「同じ姿をしていても、やはり違うものだな」
「王子…」
王子の表情からはどこか哀惜の念を感じる。
ネイカに代わってミリのことを詰め寄ろうとしていたコールは思わず言葉を飲み込んだ。
王子は一呼吸置くと元の無表情に戻った。
「コール、ここからは馬車に乗ってもらう」
「え…あ、はい」
「それから頼みがある」
コールは話の流れにきょとんとした。
王子は辺りに鋭く一瞥をくれると声を潜めた。
「城についたら、恐らく一悶着起きる」
「え?」
「その時ネイカを頼みたい」
「…」
コールは意味が分からずに首を傾げた。
「一悶着ってどういうこと?」
「さぁな。それはまだ俺も分からない」
「えぇ??」
ますます意味不明だったが王子は真剣そのものだ。
「コール」
「は、はい?」
「もしミリを見つけたら、一時パッセロで保護した後にニヴタンディへ送り届けてやってくれないか」
「え…」
コールは流石に訝しげな顔になった。
「オルフェ王子。王子は私の側室の任を解く為に一度パッセロへ帰るよう言いましたよね?」
「…そうだ」
「でも王子には他の目的もあったんですね?」
「…」
王子は答えなかったがコールは確信を持って続けた。
「ミリとネイカを安全に預ける先を確保したかったから私に一緒に来るように言ったの?」
「…」
「それを嫌とは言わないけど、何が起こるのかはちゃんと教えて…」
オルフェ王子は人差し指でそっとコールの唇を塞いだ。
「んっ…」
「余計なことは口にしないほうがいい」
コールは驚いて王子を見上げた。
王子の目は恐いくらい厳しい。
その気迫にごくりと喉が音を鳴らした。
無意識に腰の剣に手をやろうとし、今着ているのがドレスだったことを思い出す。
身体中に冷や汗が浮かんだが王子はあっさりとコールから離れて行ってしまった。
「な、なに…」
愕然としている間に次々と出発の準備が整っていく。
コールは迎えに来たレイに連れられて、ネイカと共に馬車の中へと押し込まれた。
不穏な空気ながらも一行は静かに王都に入った。
後は城に出向き王子がコールを王に引き渡せばそれでこの旅は終わりだ。
馬車の中でコールから話を聞いたネイカは最大限に辺りを警戒していた。
城に着くとコールの侍女として一緒に馬車から降りる。
構えに構えたが、城に入り謁見の間までは何の問題もなく通された。
緊張を見せるネイカの隣で、コールは少し笑みを浮かべて言った。
「はぁ。流石に半年ちょいくらいじゃ何も変わってないな。後でお気に入りの場所も案内してあげるね」
「うん…」
ネイカは返事をするとちょっぴり肩からが抜けた。
それでも振り返れば貴族騎士にセスハ騎士団の者たちがやたら硬い顔で待機しているのが目に入る。
ネイカは嫌な予感がして身震いをした。
数分待たされた後、大臣の声が響き王が姿を現した。
「お父様…!!」
真っ先に声をあげたのはコールだった。
「おぉ、イザベラ!!元気そうで何よりだ」
現れたのは恰幅のいい溌剌とした王だった。
コールを見ると相好を崩しオルフェ王子にもにこやかに話しかけた。
「オルフェ殿。貴方自らが長旅を経てこのパッセロまでイザベラを送り届けてくださったこと、心より感謝する」
「お初にお目にかかります、パッセロ王。スアリザ王が第三王子オルフェです。一度こうしてきちんとお会いしたいと思っておりましたが、それがこんな形で申し訳ありません」
「うむ、災難があったと聞いたぞ。亡くなった姫は大変気の毒なことだ…」
和やかな挨拶の滑り出しだったが、ここでずっと静かに控えていたソラン、ロレンツォ、カウレイ、ファッセ、リヤ・カリドが動いた。
五人は剣を抜き、何とパッセロ王を取り囲んだのだ。
「ユベット王!?」
「貴様ら何事だ!!」
パッセロの兵士たちが剣を抜いたが、それに対抗するようにセスハ騎士団が一斉に剣を抜き構えた。
オルフェ王子もこれには険しい顔になった。
「お前たち、これはどういう事だ!!王に武器を向けるなど死罪に値するぞ!!」
いや、それだけでは済まない。
これでは戦争を仕掛けたようなものだ。
自分に何か言い出すのは予想していたが、身分重視のこの五人が国を脅かすほどの危険な手段に出るとは流石に想定外だ。
「全員動くな」
事の重さを重々承知している五人の顔もやはり青く固いものだ。
その中でもソランは冷静に言葉を発した。
「パッセロ王よ。貴方が送りつけてきた刺客は返させてもらう」
「何!?刺客だと!?」
「よもや側室と偽りかの危険と噂高い黒魔女を王宮に紛れ込ませるとは恐ろしいことを…」
「一体何の話だ!!」
「とぼけられても無駄ですよ。もう調べはついております」
ソランの合図で、ファッセはネイカに、カウレイはコールに、そしてリヤ・カリドとロレンツォはオルフェ王子に剣を向けた。
「お前ら…」
オルフェ王子は怒りに燃える瞳で睨んでいたが、ソランは王子を振り返ると声を張り上げた。
「オルフェ王子。貴君はイザベラ姫を危険な黒魔女と知りながら側室へと招き入れた。その理由をお聞かせ願いたい」
「…」
「どうした、言えぬか!?言えぬなら私が答えてやろう。貴方は密かに力を手に入れ、現王、もしくは今最も時期王座に近いセシル様に取って代わろうと目論んだ。違うか!?」
「違う!!」
「では納得のいく理由を今ここで述べよ!!」
オルフェ王子は内心舌打ちをした。
ここで本当の事をいっても信じるはずがない。
何よりそんなことをすればミリの代わりに全く無実のコールにまで被害が及ぶ。
ソランは更にオルフェ王子に一歩詰め寄った。
「オルフェ王子。スアリザでは貴方がシウレ姫殺害の真犯人として正式に発表されました」
「何…?」
「実行犯、もしくは共犯者として名が挙がっているのはそこのイザベラ姫です。既に貴方の処分はこちらに託されております」
ネイカとコールは揃って息を飲んだ。
だがネイカはすぐに黙っていられずに声をあげた。
「何よそれ!?いくらなんでも一方的過ぎない!?」
ネイカは黙ったまま事の成り行きを見ているレイを振り返った。
「レイ!!どうして何も言わないの!?オルフェ王子が…ミリがそんなことするはずないって一番知ってるのは貴方でしょう!?」
レイは一斉に注目を浴びると静かに近付いてきた。
「レイ…」
ネイカはレイが応えてくれたことにほっとしたが、レイは無表情のまま目の前を通り過ぎた。
そして動きを封じられたオルフェ王子の前に立った。
辺りがしんと静まり返ると、レイはケイド・フラットの証であるペンダントを取り出した。
「オルフェ王子。我が主人、セシル様の命により貴方を永久に国外追放し、これより最北の地に連行します」
凛とした少年の声が告げたのは、氷よりも冷たい王子の流刑宣言だった。




