アルゼラと解けた呪い
温かいものに全身が包まれて、私は幸せな気持ちで眠っていた。
はぁ…。
こんなに気持ちいい眠りって一体いつぶりだろうか。
何だかすごく癒される。
触り心地のいい何かに擦り寄ると頭の上からヴォっと変な声がした。
…ヴォ?
私はうっすらと目を開いた。
「あ、おきた」
すぐ横から聞き覚えのない幼い声がした。
そっちを向くと、ぷくっとしたほっぺが愛らしい男の子がにこにことしているのが見えた。
「おはよう、おねいさん。こんにちは」
…。
だれ?
私が反応しないので、男の子は手を伸ばしてきた。
「おねいさん、おねつ?」
「い、いや、熱は多分ないと思うけど…」
「よかった。ミランもしんぱいしてるよ」
「…ミラン?」
「うん。ほら」
男の子は天井を指差した。
つられて見上げた私は目を剥き悲鳴をあげた。
「うっ、うわあぁあ!!ドラゴン!?」
なんと私が寝こけていたのはドラゴンのお腹の部分だった。
ドラゴンは私を包み込むように丸まり、巨大な顔がこっちを見下ろしている。
私は冗談抜きで心臓が飛び出るかと思った。
なんと言ってもめちゃくちゃ近いし大きい!!
私なんてドラゴンの親指くらいしかないんじゃないか!?
顔面蒼白でパクパクしていると男の子が楽しそうに話しかけてきた。
「おねいさん、おなまえ何ていうの?」
「は…、はぅ…」
「ぼくはオディ。おねいさんは?」
「な、なまえ…みみみ…ミリ」
「みみみぃ?へんなの」
男の子は可愛らしく笑い、私はそれを見て少しだけ落ち着いた。
四つん這いになりながらドラゴンの腹からそっと離れ、辺りを見回してみる。
「あの、ここは…どこ??」
室内なのは分かるが、それ以上はドラゴンが大きすぎて全く何も見えない。
オディはうきうきしながら私の手を引いた。
「ここはミランの休むところだよ。もう少ししたらね、ママがかえってくるの」
「ママ?」
「うん。ちょうどみんな出てくるから、みぃもいこうよ」
私はオディに連れられるまま建物の外へと出た。
「う…わぁ」
外は一面の銀世界だった。
平原のど真ん中にでもいるのか周りには何もなく、ただ降り積もった雪がどこまでも続いている。
それにしてもスアリザは南の国だからこんなに大量の雪なんて初めて見た。
…ん?
でも待てよ?
こんなに雪が積もっているのに案外寒くないぞ。
雪ってそんなに冷たくないものなのか?
足元の雪をすくってみると手の中がちゃんとひんやりと冷たい。
やっぱりそうだよな。
それなのに何でこんなに外は寒くないの?
オディなんて七分袖の一枚着だぞ??
「みぃ、こっちだよ」
少し先に行ったオディは大きく手を振った。
やっぱり何もない場所で立ち止まると、にこにこと言った。
「ついたよ」
「へ?」
「ここにいれば大丈夫だから」
「こ、ここ??」
何が何だかさっぱり分からない。
私が首を傾げていると、何処からか澄んだ鐘の音が響き渡った。
するとそれを合図にしたかのように積もっていた雪が一斉に噴き上がった。
「ななな、なに!?なに!?」
雪の下からは次々と建物が現れた。
それはどれも見慣れない形をしているが、どうやら家や店のようだ。
何もなかった雪の平原は、あっという間に町へと変貌を遂げた。
私は驚きすぎてぴくりとも動けなかった。
一体何がどうなったのか全く理解できない。
オディは私の手を掴むと、遠くに見えるクリスタルの煌めきが眩しいお城を指差した。
「ママあそこ」
「お城…?」
「でもすぐにくるの」
オディが言うのと同時にまた地面から雪が吹き上がった。
出て来たのは家ではなく人だった。
「オディ!」
「ママ!おかえり!」
オディは雪の中から出て来た女の人に飛びついた。
「森で人を拾ったんだって!?」
「ううん。もりの上のがけだよ。なんとね、ヤンガラのどうくつの出口にたおれてたんだよ!」
「何だって!?ヤンガラの!?」
オディは私を振り返り指差した。
「みぃだよ」
「…この子が拾った子?」
女の人はまじまじと私を見ると目を見張った。
「この子黒魔女じゃないか」
「え…」
「それにしても何故わざわざ危険なヤンガラの洞窟から来たの?ヤンガラは気分屋な上に冷酷だよ。もし少しでも機嫌の悪い時に訪れたりしたら憂さ晴らしに嬲り殺されていたかもしれない」
頭に鱗肌のあの怖い人が浮かぶ。
私は思わず身震いした。
…ルシフめ。
「私はクレレント。これでもアルゼラを統括するピッツェル一族の端くれだよ」
「アルゼラ!!」
目の前の驚きの連続でずっと思考麻痺していた私は、やっと全てのことを思い出した。
「アルゼラ…ここはやっぱりアルゼラであってるんですか!?」
「そうよ。ここはアルゼラ八地域のうちの一つ、ラカラカ・ムー。アルゼラの入り口ってところね」
アルゼラ…。
ついにアルゼラに辿り着いたんだ!!
やった!!
「あ、そ、そうだ!!小さな赤ちゃんドラゴンこの辺で見ませんでしたか!?」
「赤ちゃんドラゴン?」
「はい!!あの、ずっと南のスアリザという国でその子卵から孵ったんですけど、自然に放すためにここまで連れて来たはずなんです!!」
反応したのはオディだった。
「いたよ。はじめてみたちっちゃなドラゴン」
「え、ど、どこに!?」
「もりにいっちゃったよ」
森…。
まさかもう順応してるのか…?
クレレントはオディに言った。
「オディ、ミランに言って森を見て来てもらいな」
「うん。ぼくも森にいっていい?」
「あんたは暗くなる前には帰んなよ」
「はい!!」
オディは元気よく手を挙げると元来た道を走って行った。
「あの…、あんなに小さいのに森になんて行かせて大丈夫なんですか?」
「オディなら大丈夫よ」
心配する私をよそにクレレントは陽気に言った。
「あんた、行くあてはあるの?」
「え…」
「ないならうち来る?」
「…」
私は何とも言えずに黙り込んでしまった。
「遠慮なんてしないでよ。その代わりアルゼラの外の話、沢山聞かせてくれない?研究対象にしてるの。…それに」
クレレントは意味深な笑みを浮かべた。
「貴女にとても興味があるわ。その強力な呪いはいつからなの?」
「呪い…」
「元に戻ったのは久々なんじゃない?アルゼラは地域全体に抗呪の結界が張ってあるからね」
私ははっとして顔を上げた。
それから自分の体に手を這わせ、最後に顔を触ってみた。
…まさか。
「か、鏡!!鏡ないですか!?」
「そこのガラスなら映るんじゃない?」
私はクレレントの指差した店らしきものに走った。
それから勢いのままガラスを覗き込んだ。
…。
…。
…。
イザベラ姫より…細い輪郭。
ぱっちり二重はなくなり、そこには一重の小さな目があった。
あんなに血色の良かった唇は薄く、顔全体が青白い。
「あ…」
私、だ。
そこに映っていたのは間違いなく、本物の私の姿だった。
…戻れた。
元の私の姿に。
「…はは。イザベラ姫に比べたら、本当…ひどい顔だわ」
でも、戻れた。
戻れたんだ。
私から乾いた笑いがこぼれた。
何だか唐突すぎてどう受け止めたらいいのか分からない。
嬉しい?それとも…?
私の様子に何かを察したクレレントは、ぽんと肩に手を乗せた。
「えと、みぃちゃん?貴女も色々あったみたいね」
「…ミリです」
「あ、そうなの?じゃあミリちゃん。とりあえずうちまで行こう?」
私はクレレントに連れられ不思議な町をしばらく歩いた。