二人の距離
ぼろぼろになった私の部屋は、今度は三日かけて改装されることになった。
サクラのいたずらした跡はまだしも、悪魔を引き出した時に巻き起こった風は壁のあちこちまで切り刻んでいたからだ。
私はさすがにアイシャさんからお説教を食らっていた。
「姫様、どう生活したらこの僅かな期間で何回も部屋をこんな状態にできるのです!?世間ではまた貴方の新たな黒い噂が流れてしまいますよ!?」
「ご、ごめんなさい…」
背中を丸めて謝りながら、ちらりと隣のオルフェ王子を見る。
だが王子は素知らぬ顔で腕を組んでいるだけだ。
お、王子だってアレ見たがったくせに…裏切者ぉ…。
「イザベラ様、聞いてますか!?」
「はっ、はいぃ」
いつも優しかったアイシャさんが、…恐い。
アイシャさんはため息をつくと王子に向き直った。
「お部屋が元に戻るまでイザベラ様はどこにいて頂きますか」
「俺は今晩からまた北西の地に足を運ぶ用事がある。ミリは俺の部屋で過ごせばいい」
オルフェ王子は何でもないように言ったが、アイシャさんは断固としてその意見を否定した。
「なりません。王族の部屋に側室が一人で過ごすことは許されません。それでしたらまだ奥の間の方がよろしいかと」
私からすれば王子の隣の部屋だろうが王子の部屋だろうが変わらない気がするけど、やっぱり何らかのややこしい秩序とかがあるようだ。
王子は少し考えたが首を振った。
「たかだか三日のために奥の間を当てがうほどでもなかろう」
「オルフェ王子のお部屋よりはましでございます」
奥の間。
はて。
首をひねっていると、王子がため息まじりに言った。
「王宮の深部にある、一国の王などをもてなす為の部屋だ」
「おっ王様の泊まる部屋!?」
いやいや、だからそんな立派な部屋は勘弁してくれ。
「王子、庶民の泊まる部屋にしてください…」
「一の廓にそんなものがあるか」
「で、でも、もう少しランクを下げた部屋とか…」
「あるにはあるが、俺の管轄内で人があまり寄りつかず、且つ控えの間と水回りが完備されている部屋となればやはりそれなりの部屋になるぞ」
「そんなもの…」
なくてもいいと言いかけて、私ははっとした。
そうか、王子はサクラのことまで考えてくれているんだ。
アイシャさんはしばらく考え込んでいたが、決意を込めて顔を上げた。
「オルフェ王子。この期に一度イザベラ様を後宮に入れてはいかがでしょうか。あそこでしたらその条件に見合う部屋もございます」
「こっ、ここ、後宮!?」
アイシャさんは素っ頓狂な声を出した私に向き直るとしかつめらしい顔をした。
「イザベラ様。もういつまでも逃げてはいられません。アリス姫から何度もサロンの招待状が届いているのですよ?これは同じ側室様としてこなさなければならないお勤めでもあります」
王子は顎に手を添えると真剣に検討しだした。
「アリス姫か…。ふむ」
ふむって…。
えっ、無理無理。
王子早く断ってくれ。
何だか嫌な予感がしてだらだらと一人汗を流していると、王子はなんとアイシャさんに同意して頷きやがった。
「そうだな。たかだか三日のことだ」
「おっ王子ぃ!!」
焦る私を放置して王子はアイシャさんにあれこれと指示を出し始めた。
ちょっ、冗談じゃない!!
後宮なんて私のことを快く思っていない姫君の巣窟じゃないか。
そんなわざわざ風当たりがきつい場所に行けって、どんな罰ゲーム!?
アイシャさんが去ると王子は私を連れて自室に戻った。
二人きりになると私はすぐに王子に食ってかかった。
「王子!!今度はなんの嫌がらせですか!?よりによって、こ、後宮なんて!!」
「落ち着けミリ」
王子は部屋の奥に置いてあるオウム用の鳥籠に近付くと蓋を開けた。
中からぴちぴちと飛び出てきたのはサクラだ。
王子が手配した即席の檻だが、まだ小さいサクラには丁度いいサイズだ。
サクラは王子の肩に止まるとすりすりと頭をすり寄せた。
うっ…。
なんだかこれじゃ王子に怒れない。
王子はサクラをあやしながら淡々と言った。
「ミリ、後宮は確かにお前には居辛い場所だろう。だがあそこは俺と宦官の医者以外の男は誰一人踏み入れることを許されていない。
あそこでならサクラを連れ込める部屋もあるし、イザベラとして過ごす分には別に誰かに狙われたりはしないだろう」
「で、でも…」
サクラは王子から飛び立つと私の手の中に入ってきた。
見上げるくるりとした目がやっぱり可愛い。
そっか…そうだよね。
王子は私のこともサクラのこともちゃんと考えてくれている。
それならば私ができることは結局大人しくいうことを聞くことしかないのだろう。
だ、大丈夫。
たかだか…三日過ごすだけじゃないか。
「…。分かりました」
「今度は騒ぎを起こすなよ」
「う、は、はい…」
まだ不安そうにサクラの頭を撫でる私に、王子は手を伸ばし頬に触れた。
「出来るだけ早く終わらせて帰ってくる。もし身に危険が迫るほどのことがあればアイシャにすぐに知らせろ」
「はい…」
「お前が眠る時はサクラは必ずこの籠に入れておけよ」
「はい…」
珍しく素直に頷く私に、王子は眉を寄せた。
「そんなに不安か?」
「…」
なんとも言えずにただサクラを撫でていると、王子はサクラごと私を両手で包み込んだ。
なんだろう。
なんだか王子の腕と体温に慣れてきた自分がいる。
特に抵抗しない私の背を、王子はゆっくりと撫でた。
「次は、ミリを連れていけるように手配するかな」
「え…」
「あまり楽しい旅ではないがな。姫を連れ回すのは言語道断だがフィズとサクラなら連れ出せる」
「ほ、本当ですか?」
王宮を…出られる!?
それにサクラも外で自由に飛ばせてあげられればどれ程喜ぶことか。
考えるだけで何だか嬉しくなってきた。
自然と笑顔になった私に、王子は満足そうに微笑み返した。
「その為には大人しくしていろ。黒い部屋が元に戻ったらどんな帽子でも作れるくらいの材料を入れさせておく」
「え!?じゃあ、じゃあ…七色のビーズとか…」
「ああ、好きな材料を書き出しておけ」
「ほ、本当!?」
それなら今まで作りたくても作れなかった帽子も色々試せる!!
うきうきと考えながら目を輝かせていると、ふと優しく見下ろす王子と間近で視線が絡んだ。
私は痺れたように動けなくなった。
なに、これ。
…王子の瞳から目が離せない。
王子も私を見つめたまま全く動こうとしない。
私はしばらくの間王子の腕の中で凍りついたように固まっていた。
王子は、私の背中から頭に右手を添えなおすと引き寄せるように力を入れた。
どうなるかなんてバカでも分かる展開だ。
二人の距離がかなり縮まった時、その間にサクラがぴちぴちと入ってきた。
「さ、サクラ…!」
瞬間解凍された私はサクラを掴むと途端に真っ赤になって王子から離れた。
あ…、危ない危ない。
うっかり雰囲気に流されるところだった…。
気まずくて王子に顔向けできないでいると、今度は背中から抱きしめられた。
「ミリ」
今度は私はすぐにじたばたと暴れた。
「ちょっ、ちょっと待ってください王子!!今のは無しにしましょう!!タイムタイム!!」
焦る私に王子は何か言おうとしたが、その前に扉の向こうから王子を呼ぶ従者の声が聞こえてきた。
どうやら今夜の出発準備を始めるようだ。
王子は私を離すと颯爽と扉の方に歩いて行った。
「あ、王子…」
思わず呼ぶと王子は一度足を止めて振り返った。
「続きは帰ってからだな」
「つ、続きなんてありませんから」
真っ赤な顔のままぷいとそっぽを向くと、王子はふっと笑いそのまま部屋を出て行った。
…さっきからばくばくとうるさいよ心臓。
違うんだから。
これは王子にとっては気まぐれで始めたゲームなんだから。
自分に言い聞かせていると、今度はうるさいだけの心臓にちくりと痛みが走った。
そんな自分に、私はひどく動揺した。
一人になったオルフェ王子の部屋をうろうろと歩き回る。
なんなの。
なんなのこのピンクな予感は…。
やだやだやだやだ。
馬鹿を見るのは分かっているでしょうに。
頭はひどく混乱していたが、幸いなことに少しの間王子とは離れることになる。
「よ、よかった…」
私の口からは無意識にそんな言葉がこぼれ落ちた。
これ以上王子のことを考えるとどつぼにはまりそうだ。
私はぶるぶると首を横に振ると、考えること自体を一切放棄した。
大体今から後宮という恐ろしい場所に行かなければならないのだから、いらぬことで混乱している暇はない。
うん、そうだそうだ。
「サクラ、少しの間だけお引越しだよ」
サクラと戯れながら、私は無理やり意識を後宮へと向けていた。




