ミリの抱えるアレ
目が覚めたら、自分のベッドで一人横になっていた。
窓の外はすでに暗くなりかけている。
「あれ…王子…?」
サクラがきゅうきゅう鳴きながら顔を舐めてきた。
「サクラ…。お腹すいたの?」
私ははっとして時計を確認した。
「まずい…もうすぐ夕食の時間だ…!!」
自分はまだ少年の姿のままだ。
早くドレスに着替え直さなければと慌てていると扉がノックされた。
「イザベラさま、失礼します」
「あ、アイシャさん!!待っ…」
止めようとしたが先に扉は開かれた。
アイシャさんは私の姿を見ると一瞬固まった。
「い…イザベラさま…?」
「あ、あの、その…」
な、なんて言おう。
だらだらと冷や汗を流していると、アイシャさんはため息をつきすたすたと私に近付いた。
「オルフェ王子からお聞きしました。貴方はそのお姿で王宮のことを勉強されておられるとか…」
…へ?
「くれぐれも他言無用でお世話をするようにと厳しく仰せつかっておりますが…、まさか本当に姫君さまがこんなことを…」
…なるほど。
アイシャさんを私の協力者にしてくれたのか。
これは色々助かるな。
「アイシャさん。別に危険なことをするわけではないので大丈夫ですよ」
「オルフェ王子は…王子たちの中でも一番何をお考えなのか分からない方なのです…」
うん、それは確かにそんな感じだ。
アイシャさんは厳しそうな顔に微笑みを浮かべた。
「貴方は確かに少し変わった姫さまですが、オルフェ王子にとっては良いお相手なのかもしれません」
なんとも返事の出来ない私に一礼すると、アイシャさんは自ら食事を運んでから部屋を出た。
それにしても王子は帰って早々私が問題を起こしていたのに、すでにアイシャさんにまで手回しをしているとはやはり対応が素晴らしく早い。
私はちょっぴり感心しながら豪華な食事に手を伸ばした。
「サクラおいで」
ベッドに呼びかけるとサクラはぴちぴちと羽を動かして飛んできた。
「さ、サクラ!貴方もう飛べるようになったの!?」
ドラゴンの成長って思ったより早そうだな。
サクラはテーブルにちょこんと座るとお皿に首を突っ込んだ。
「こ、こらサクラ。待てよ待て!ちゃんと私の手から食べるのよ」
サクラが問題を起こさないためにはしっかりしつけをしておかないと。
私は何度も何度も根気よくサクラに‘待て’を教え込んだ。
サクラが満足して眠り始めると、私は甘々のティラミスを頬張りながら色々考え込んでいた。
イザベラから抜け出したかっただけなのに、フィズとして思わぬ地位を与えられ周りに認識されてしまった。
これはこれで身の振り方に充分気をつけなければならないではないか。
「はぁ、王宮自体がもう疲れる…。早く帰りたい…」
どうすれば一年も待たずに帰れるだろうか。
大体こうなった最初の原因は…。
頬杖をついていた私ははっとした。
「そ、そっか。イザベラ姫だ。本物のイザベラ姫を、私も探せばいいのよ」
本物さえ見つかれば私なんているだけ邪魔なんだから、さすがにオルフェ王子も解放してくれるだろう。
フィズの身分も保証されたことだし、王宮内でもイザベラ姫の国を調べたり人から話を聞いたりすることくらいは出来そうだ。
うん。
引きこもりな私にしては実に前向きな発想だ。
それにフィズに変身していれば、意外と知らない人と話すのも恐くない。
とりあえず結論を出した私は、長い食事を終わらせると次に体を流しにバスルームへ向かった。
「サクラ。サク、おいで」
呼びかけるとサクラはむくりと顔を上げて一緒に入った。
「少しお水溜めてあげるから泳ぐ練習するんだよ?」
泳がしながら体を洗わせる。
どんなペットだってやっぱり清潔にしている方がいい。
サクラは水が大好きなようで喜んで風呂釜に飛び込んだ。
それにしても髪が短いと洗うのがすごく楽だ。
さっさと洗い流すとサクラをタオルで拭き、部屋着に着替えてベッドに転がった。
「ふぁぁ。あんなに寝たのにもう眠いや」
サクラが来てから私の眠気はいつもより更に増えた気がする。
感覚だけど、多分魔力がサクラに常に流れ出てるからだろうな。
「これじゃとんだ怠け姫だわ」
むにゃむにゃと言いながら目を閉じる。
サクラはまだ元気にその辺を飛び回っているが、私の意識はおかまいなく暗闇へと落ちていった。
しばらくの間心地よく眠っていると、遠くの方でがしゃんがしゃんと物が壊れる音がした。
それでも夢の中でふわふわと揺れていると、突然肩を思い切り掴まれた。
「ミリ!!」
「はいぃ…?」
「起きろミリ!!」
「な、なにぃ…?」
まだまだ寝足りない私は不機嫌な顔を上げた。
「…オルフェ王子ぃ…?今夜は閉店いたしましたので夜這いはまたのご機会に…」
「寝ぼけてる場合か!!部屋を見てみろ!!」
王子に言われるがまま部屋を見た私はぽかんとした。
ちぎれたカーテン、倒されたテーブルと花瓶、食い荒らされた本たち、焦げた絨毯…。
「ま…まさか…」
嫌な予感にきょろきょろとその姿を探す。
思った通り、今まさにベッドの天蓋を食い破ろうとぶら下がってるサクラがいた。
「さ、サクラ!!」
私は真っ青になり王子を見上げた。
王子は呆れた顔で見下ろしてくる。
「…もう問題を起こしたか」
「や、ご、ごめんなさい!!私がどうしても眠くなっちゃったから…」
「あんなに昼寝をしたのにまだ寝るか」
「だ、だってこれは仕方ないんです!!」
私は自分の魔力が勝手にサクラに流れること、それに伴い自分は眠気が増すことを四苦八苦して伝えた。
王子は黙って聞いていたが、難しい顔で首を振った。
「そんなに体に影響の出るものなのか?俺にはその魔力が見えないからなんともな」
「見えない…」
私は時計を見上げた。
時間はちょうど深夜零時を迎えようとしている。
髪が伸びればきっとできるはずだ。
私の抱えるアレを見せれば、少しは分かってもらえるだろうか…。
ごくりと喉を鳴らすと私は王子を見つめた。
「分かりました。どうせ部屋もこんなことになっちゃったことですし、少しだけ魔力の源をお見せしましょう」
「ミリ…?」
王子は驚いた顔になったが、ひっくり返された椅子を立て直すとそこに深く腰掛けた。
「ぜひ、頼む」
興味深げに見てくる王子に、私は挑むように顔を引き締めた。
「サクラ、おいで」
サクラを呼び寄せると王子の手の中に渡す。
少し距離を取ると、私は天井の向こうに見えるはずの星空を見上げた。
しんと部屋の中が静まり返る。
チクタクと一秒ずつ時を刻む時計の音だけが、今から起こる現象のカウントダウンを告げていた。
…まだ出来るのかな。
あれを最後に引き出したのはもう十年以上前だ。
私は体の芯にあるものに意識を集中した。
覚えのある不快感がぞわりと背筋を這う。
カチリと小さな音を立てて、長い針と短い針が12で重なった。
その瞬間、私を中心に風が巻き起こった。
部屋の中がびしびしと音を立てて揺れる。
王子は反射的に腕で顔をかばいながらも私から目を離さずに何が起こるのかを見ている。
短かかった黒髪は流れるように長くなり、腰までさらりと落ちる。
だがそれはすぐに風に巻き上げられた。
風は私の目の前の空間を切り裂いた。
そこから黒い光が溢れ出し、禍々しく大きな手が出現する。
王子はさすがに立ち上がると声を上げた。
「ミリ!!」
「大丈夫ですよ。これはまだ私と契りを交わしていない悪魔ですから。こいつの狙いは私だけです」
強気で言ってみたものの、私の足は震えた。
悪魔は常に魔女を望んでいる。
黒魔術継承の素質を持つ者だけが交わすことのできる悪魔との契り。
って、こ…こんな恐いのとどうしろってのよ。
魔女の契りで有名なのはあれでしょ、あれ。
やっぱ無理だよなぁ。
切り裂かれた空間からは、手だけではなくまさに悪魔といったおどろおどろしい物体が上半身を現した。
胸の中に直接的に声が響いてくる。
あえて言葉にするのなら、契約するか否か問いかけてきている感じだ。
私は汗を握る手に力を込めると悪魔をにらみ上げた。
「契約はまだ致しません。騒がせてすみませんでした。お引き取りください」
王子の見ている手前、何でもないふうにさらりと格好良く言い放ちたかったが、私の声はどう聞いても完全に震えていた。
悪魔は何事か怒ったように黒い煙を噴き上げたが、そのまま切り裂かれた空間の中へと消えていった。
風は悪魔が消えたと同時に止み、私の部屋にはまた静寂が訪れた。
チクタクと時を刻む針は、五分しか進んでいない。
王子は予想以上に禍々しいものを見せつけられ、完全に固まっていた。
私は糸が切れた人形のようにその場にへたりこんだ。
な、情けないけどすごく恐かった…。
子どもの頃は何故かそんなに恐いなんて思わなかったはずなんだけどな。
「…すごい、な。あんなのがミリの中にいるのか」
「私の中とか恐いこと言わないでくださいよ。私にはあれとやり取りする力が生まれながらにあるだけです」
「それが黒魔術を継承できる素質とやらなのか」
私が頷くと王子は何とも言えない顔になった。
まぁ、これでもう私にちょっかいをかける気にはなるまい。
自分の腕の中にいる女がこんなんじゃさすがに嫌でしょ。
王子はサクラを手の中から解放すると部屋を見回した。
「…嵐が通ったような部屋だな。今夜はここでは眠れまい」
「お、お気になさらず。それでは王子はお部屋にお帰りください。おやすみなさい」
ぶっきらぼうに淡々としか言えないのはこの際仕方がない。
だって…立てないんだもん。
王子はそんな私に手を差し出した。
「お前も来い」
「…」
「心配せずとも何もしない。こんな部屋でお前を置いておけないだけだ」
「でも…」
王子は渋る私の手を勝手に掴むとそのまま引き上げようとした。
だが抜けきっている私の腰がそれについていかない。
私は真っ赤になった。
「う、動けないんです…」
蚊の鳴くような声で言う。
あぁ、本当決まらないなぁ私って…。
王子は手を離すと、今度は私の体ごとすくい上げた。
「お、王子!!」
「それなら初めからそう言え。意地っ張りな奴だな。行くぞ」
サクラがぴちぴちと羽を動かしながら後に続いたが、王子はついて来られないように先に扉を閉めた。
「あ…サクラ!」
「今夜はお前の部屋に閉じ込めておく。俺の部屋まで滅茶苦茶にされるわけにはいかないからな」
「あぅ…。すみません…」
王子は自室に入ると私をベッドの上におろした。
そのままじっと見下ろされる。
物凄く居心地が悪くなった私は軽く身じろぎをした。
「ミリ」
「な…なんですか?」
「気軽に見せろなんて言うべきではなかった。恐い思いをさせて、悪かった」
「…」
あ、謝った…。
あの俺様王子が、私に?
何これ、奇跡?
「こ、こちらこそお見苦しいものをお見せしまして…」
わけのわからない事を返していると、王子は少し笑った後で長くなった私の髪をゆっくり撫でた。
「黒魔女か…。世間に恐れられるわけだ」
「ご覧の通り、契約前なので実は半人前ですが…」
「ミリはあんなとんでもないものをずっと抱えて生きているのか…」
「…」
労わるような手つきで触れる王子の顔は、なんだかすごく優しい。
違う違う…。
変な音立てないでよ、心臓。
「今夜はこのまま寝ろ。震えが止まるまで、俺が側にいるから」
王子は私を安心させるように頭や肩も撫でた。
…おかしいな。
猛獣王子に撫でられて、安心するなんて。
あぁ、なんだか急激に眠くなってきた。
「王子…」
「ん?」
「王子は私が、こわくないの…?」
思わず聞いてしまったのは、あんなものを見た直後でもあまりにも私に触れる手に躊躇いがないから。
王子はぴたぴたと私のほっぺを手の甲でたたいた。
「あの悪魔は恐ろしいと思ったが、ミリが恐ろしいわけないだろう?」
「…」
意識が薄れていく微睡みの中でも、私の身体はなんだか熱くなった。
あんな禍々しいものを見せたのに、この人は私を少しも恐がらない。
そんなこと…あるんだ。
私の体を熱くさせたのは、感動にも似た喜びだった。
「うれしい…」
そのとき浮かんだのは、きっと心からの笑顔。
そのまま目を閉じると夢見心地で王子の手の感触だけを堪能した。
私は気付いていなかった。
その時王子が釘付けになったように私を見ていたことに。
完全に夢に落ちる手前で唇に何か温かなものが触れた気がしたが、やっぱり私はそれが何か気付くこともなく深い眠りに落ちていった。