魔物侵入
階段をまた一つ上りきると、そこは信じられない光景が広がっていた。
さっきまで色とりどりに飾られていた花やリボンは逃げ惑う人々に踏み潰され、何人もの警備兵が腰の剣を抜き何かを牽制している。
「ま、魔物!?」
コールはぎょっとして叫んだ。
「やっぱり既に町に入り込んでるんだ!!強力な結界を張っているはずなのにどうして!?」
魔物は一匹。
熊の形をしている。
そして体からはもれなく黒い靄が立ち上っていた。
嫌でもルーナ国に入る時に通った森が思い出される。
「ミリ!!」
「え!?は、はい!?」
「貴女はこの辺で隠れてて!!」
「はい!?」
コールは私の短剣を手にすると警備兵の元へ走った。
「う、うそ!?コール!!」
行くか!?
そっちへ行くのか!?
丸腰の私は青くなりながらおろおろするしかない。
そうこうしているうちにもコールは警備兵に混じって叫んだ。
「横に並んじゃダメよ!!攻撃は魔物の死角から以外しないで!!」
「何だ君は!?下がってなさい!!」
警備兵の一人がコールに怒鳴ったが、コールは負けじと声を張り上げた。
「私は魔物大陸とも言われる北国パッセロの討伐隊の一人よ!!あなた、魔物退治の経験が私以上にあるの!?」
「な、なんだと…」
「大概の大型魔物の急所は首の後ろよ!!そこをひと突きするの!!私が囮になるから頼んだわよ!!」
コールは数人の男たちと魔物の前に立った。
「魔物は音に一番反応するから大声で注意をこっちに引きつけるわよ」
「わ、分かった」
コールの指示は的確で分かりやすい。
男たちは誘導されるがままに従った。
「こ、こっちだ魔物め!!」
「かかってこい!!」
剣を鳴らしながらわーわーと大声で喚くと、魔物は威嚇するように大きく両手を振り上げた。
「で、でかい!!」
「怯まないで!!こっちへ来たらぎりぎりまで引きつけてから散り散りに逃げて!!」
コールの声と同時に魔物は咆哮を上げて襲って来た。
コールは目を逸らさずに機を読むと叫んだ。
「散って!!」
魔物は標的がばらけたので動きを止め、のそのそと首を回した。
その瞬間にぐさりと刃が首の後ろに深々と突き刺さる。
魔物はうめき声も上げずに黒い灰となり風の中に消えた。
「や、やったぞ!!」
緊張から解き放たれた警備兵たちは安堵し歓声をあげた。
コールも額に浮かんだ汗を拭いほっと息を吐いた。
「よかった…。誰も魔物の傷負ってないよね?」
男たちはコールを取り囲んだ。
「ありがとうございました!!」
「訓練を受けていたものの実際に魔物と対峙するのは初めてで…」
「討伐隊というのは本当ですか!?」
口々に話しかけたが上官らしき男がそれをやめさせた。
「馬鹿野郎!!まだ終わっちゃいないんだぞ!!他に魔物が入り込んでいないか…」
言い終わらぬうちにまた悲鳴があちこちから聞こえてくる。
男たちは再び緊張に顔を硬くした。
「行くぞ!!」
上官は警備兵を連れてすぐに走り出した。
コールは呆然と立つ私を振り返った。
「ミリ!!私たちも行きましょう!!」
「え、あ、はい!!」
私は我に返るとコールの後を追って走った。
「あ、あれ!?こっちはお城じゃないよね!?」
「さっきの警備兵たちだけじゃ魔物の相手は出来ないわ!!エスブル様は絶対に応援を寄越すはずだからそれまでここで堪えるのよ!!」
コールの瞳には毅然とした光が宿っている。
服は切り裂かれて半分もはだけているというのになんて凛々しく勇ましい。
こんな時だが私は微塵も迷いのないコールに惚れ惚れと見入ってしまった。
コールはあちこち奔走し、警備兵と協力して次々と魔物を退治した。
その手際の良さに皆がおのずとコールの指示に従い始める。
もうどれくらい時間が経ったのか分からなくなった頃、コールが汗と泥にまみれながら魔物退治を続けていると体制を整えた私兵がやっとここまで現れた。
「コール!!」
「あ…」
コールは先頭の馬に乗った人に気づくと真っ黒に汚れた顔を輝かせた。
「ハルク!!」
「町で指揮を取っていたのはお前だったのか!!」
ハルクは馬から降りるとコールの頭を容赦なくぐりぐりと撫でた。
「今までどこに…って、お前なんて格好してるんだ!?こんなはだけた姿で男の前にいたなんて知れたらエスブル様に激怒されるぞ!!」
「じゃあその外套貸してよ!!」
「勿論だ!!このじゃじゃ馬娘め!!よくぞ持ち堪えてくれたもんだ!!」
コールは振り返ると私を指差した。
「ハルク、黒魔女も見つけたの!!…というか黒魔女が私を助けにきてくれたんだけど」
「何…?」
ハルクは少年姿の私を見つけると目を細めた。
「また会ったな、黒魔女。やはり変装してくると思ったぞ」
「…。…。あ!!さっきの!!」
「気付くのが遅いぞ」
私は無意識に後ずさった。
コールは剣を引き抜いたハルクを抑えた。
「待って。ミリのことはまた落ち着いてから話をするから」
「ミリ…?」
「黒魔女のことよ。でも今はそれより町を守ることの方が優先でしょう?」
「…」
ハルクは私を睨んだがコールを横目で見るとため息をついた。
「分かった。お前がそう言うなら」
「ありがとう」
「ここは俺たちが引き受けるからお前は黒魔女を連れて城に戻れ。俺たちが通ってきたルートなら魔物はいないはずだ」
「うん、分かったわ」
コールは大人しく頷くと私に向き直った。
「行きましょう」
「え、あ、はぁ…」
私は小さくなりながらハルクの横を通り過ぎた。
見下ろす目線が恐い恐い。
何だか苦手だぞ、この人。
ハルクは念を押すように言った。
「コール、もし魔物に遭遇しても絶対に一人で相手するなよ?まっすぐ城へ行くんだ」
「でも…」
「駄目だ。絶対そうしろ。エスブル様をこれ以上心配させるな」
「…分かった」
コールは渋々頷いた。
私たちはまたすぐに走り出し城を目指した。
ふと空を見上げるとさっきより不吉な鳥が増えている。
コールは難しい顔になった。
「魔物ね。飛行タイプは厄介なのよ」
確かに。
空から襲われたらどうしようもないよな。
「あれ…?でもあの魔物何だか動きがおかしいわよね。…何かに、攻撃されてる?」
「あ!!」
小さくて姿はよく見えないが、今確かに魔物に向けて火が放たれた。
「サクラ!!絶対にサクラだ!!」
私はぐっと目を凝らした。
魔物たちが旋回して何処かに行くと、豆粒ほどの影は大地に向けて飛んだ。
「サクラ!!」
「あ、ミリ!?」
私はコールが止める声も耳に入らないほど必死に走った。