フィズの身分
少年フィズとしてデビューしてから三日目。
私はやっとこのだだっ広い王宮を迷わず歩けるようになった。
出来るだけ目立たないようにしていたつもりだが、気がつけば王宮住まいの少女たちの噂の的になっていた。
なんでも昼の数時間だけ現れる、謎の高貴な美少年だそうだ。
…王子にもっと抑えた服を頼めばよかった。
せっかく呪いのイザベラから脱出したのに、また注目を浴びるようでは意味がない。
もう少し地味な変装にしなければと考えながら廊下を歩いていると、野太い声に呼び止められた。
「これ、そこの」
「はっ、はい…?」
振り返った私は凍りついた。
自分を呼び止めたと思われる人物は、普段なら口をきくことも憚られるアダヴ公爵だった。
インセント公爵と肩を並べるまさに大公爵様だ。
「見慣れぬ顔だな。そなたは何処出身の者だ?それにその腰の生物は何か」
どっしりとした体に鋭い目つき。
人の上に立ち続ける立場の人間の迫力というか、何だか見るからに怖そうな人だ。
私の背中がひやりと冷えた。
「い、いや…。気にされるほどの者ではございませんし、これは…トカゲです…」
「失礼だが、親の名は?この王宮には何の用でいらしたか」
…や、やばい人にひっかかったよな、これ。
たぶんとても私ごときが誤魔化せる相手ではない。
アダヴ公爵は蒼白なままの私を睨み据えると剣の柄に手を置いた。
「…答えられぬなら、不審者とみなす」
「うぇ!?ちょっ…本気ですか!?」
まずい!!
私は反射的に踵を返した。
「待たれよ!!」
ま、待てない!!
これは捕まれば本気でやばいんじゃないか!?
人の多い廊下に走り出ると、驚く人々の間を縫いながら更に逃げ惑う。
「うわっ、なんだ!?」
「きゃっ!!」
「お、王宮内は走るな!!」
「ごごご、ごめんなさーい!!」
謝りながらも正門の方に逃げるべきなのか自分の部屋に逃げるべきなのかおろおろと迷った。
後ろからアタヴ公爵の怒声が響き渡った。
「待たぬか!!誰かその小僧を取り押さえろ!!」
反応した衛兵が一斉に私の方を向いた。
後ろからはアタヴ公爵、前からは数人の衛兵。
逃げ場をなくした私はぜいぜいと息を切らせながら絶望に立ち竦んだ。
じりじりと追い詰めてきた衛兵が私に手を伸ばす。
もうだめだと固く目を閉じた瞬間、突然別の角度から先に腕を掴まれた。
「これはこれはアダヴ公爵。何事ですか」
「王子!!」
「お、オルフェ王子!!」
私を掴んでいたのは、オルフェ王子だった。
思わず叫んだ私は王子と目が合うと慌てて手で口を塞いだ。
アダヴ公爵は王子にきちんと一度礼をしてから険しい目で私を指差した。
「オルフェ王子、その少年をこちらへ。彼は不審者だ。昨日ドラゴンらきしものを連れた素性の知れぬ少年が王宮をうろついていると報告が上がっていたのだ」
え…。
えぇえ!?
そうなの!?
こっそり散歩していただけのつもりだったのに、めちゃくちゃマークされてるじゃないのか!!
王子は更に蒼白になった私をちらりと見下ろすと、優雅に微笑んだ。
「この者は極寒の地、アルゼラの者だ。身元は私が保証しよう」
「あ…アルゼラ!?あの世界で唯一ドラゴンと交流を持つという神秘の民族ですか…!?」
「そうだ。詳細は言えないがこの者はある理由で私が預かっている。ちゃんと伝えていなかったのは私の不手際だ。すまなかった」
頭を下げた王子にアダヴ公爵は慌てて剣を収めた。
「そ、それはこちらも情報不足でした…。お顔を上げてください王子」
王子は背筋を伸ばすと私の手を引いた。
「それでは、失礼します」
流れるような美しい礼をしてから、私を連れてその場を離れる。
まるで初めから決めていたかのような淀みない王子の対応に、私の方が呆気にとられた。
「お、オルフェ王子…」
「黙ってろ。とりあえず俺の部屋までこのまま行く」
「う…は、はい…」
もちろん王子は私がミリだと気付いている。
まぁこの服は王子が手配してくれたのだから気付いても不思議ではないか。
それより王子はかなり怒っているようだ。
騒ぎを起こしちゃったのはやっぱりまずかったな…。
王子は部屋に入ると、私の手を離しすぐに怒鳴りつけてきた。
「お前は…!!一体何を考えている!?」
「うはっ、ご、ごめんなさい…」
さすがにここは素直に謝る。
王子は私の髪に手を伸ばした。
「なんて無残なことを!!女なら髪くらい大切にしろ!!」
「…。へ?」
予想外のことを怒られて私はぽかんとした。
え、だって…勝手に変装して騒ぎを起こしたから怒ったんじゃないの?
王子の声に、サクラがきゅうと鳴き声を上げた。
王子は怒気を収めるとサクラをじっと見下ろした。
「…無事に生まれていたのか。いつだ?」
「お、王子が勝手に私の腕に卵を入れていった翌日です」
王子は目を見張った。
「そんなにすぐにかえったのか」
そういえば私はこの三日間王子を全く見なかったことに思い至った。
「もしかして王子、どこかへ出てたんですか?」
「東南の村だ。干ばつが酷いとずっと聞いていたからな。この目で見て来た」
「そうだったんですか。私はてっきり…」
他の側室様のところでのんびりいちゃいちゃでもしてるのかと思った。
意外にちゃんと働いてるんだな。
考えてることが丸ごと顔に出ていたのか、王子は目を細めて笑った。
「戻って早々、なんて姿をしているのかと思ったが…。これはこれでなかなか趣があるな」
「え…」
私の襟元の立派なブローチとカラーに手を伸ばすと、王子は慣れた手つきでそれらを外した。
「勝手に美しい黒髪を切り落とした罰に、今夜はこのままで相手でもしてもらおうか」
耳元で囁かれた私は凄まじいスピードで壁際まで逃げた。
「い、いや、これは!!この髪は、深夜零時を回ればまた元に戻るんです!!前も言ったじゃないですか!!」
「…そういえばそんなこと言っていたな。本当にまた長くなるのか?」
「なりますなります!!だから逆に毎日わざわざ切らないといけないんですから!!」
必死で説明していると、王子はくすくす笑いながら言った。
「深夜零時だな?」
「う、は、はい…」
「分かった。楽しみにしてる」
…何が?
私の疑問をよそに、王子は一枚の真っ白な紙を取り出すとセンターテーブルで何かを書き始めた。
「アダヴ公爵にああ言った以上お前の新しい身分証を偽装させねばならん。大人しく引きこもっているのかと思いきやとんだことをしでかしたな。で、その姿で誰かに名は名乗ったりしたのか?」
「あ…。フィスタンブレア…と」
「本名の一部を使うとは馬鹿だな。さっそく正体のばれるヒントをくれてやってどうする」
私はぐっと詰まった。
返す言葉もございません…。
「さっきも言ったが、お前は極寒の地アルゼラという国の出身だ。あそこは未知と未開の国だと言われている一方で実は一番進んだ国なのではないかと噂ばかりの場所だ。何を聞かれても国のことは話せないで押し通せ」
「は、はぁ…」
王子はサクラをちらりと見た。
「そのドラゴンは本来なら城で育てて飼育するのが筋だが…」
飼育…。
そんなことになったらサクラは鎖に繋がれて国の威信とやらの為に利用されるだけなんじゃ…。
「だ、だって王子!!この子は飛べるようになったら空へ返すって…!!」
王子は感情の読めない瞳で見つめてきた。
「い…嫌だから!!この子は、この子は自由になる為に生まれてきたのに…!!」
サクラを握りしめながら必死で訴える。
この子は、私と同じ。
だから私が守らないと…。
「ミリ…」
「いや!!」
王子は私に近寄るとサクラに手を伸ばした。
「さ、触らないで!!お願いだから私からこの子を取り上げないで!!」
「ドラゴンは危険な生物だ。ミリ一人ではそのうち確実に持て余す」
「…その時は、この子のいるべき場所へ返すから…。お願い王子…お願い…」
なんだか必死すぎて泣きそうになってきた。
王子は厳しく引き締めていた顔をふと柔らげると伸ばした手を私の頭においた。
「そこまで言うのなら仕方がないな。まぁどちらにせよ今ミリから引き離すと弱るかもしれないしな。しばらくはミリに任せる」
「…ほ、本当…?」
「ただし、問題を起こしたら即取り上げられるだろうからな。そうなるともう俺では守ってやれないから注意しろ」
見上げた王子の顔は、なんだか優しく見えた。
ほっとして力が抜けると、私の瞳から一粒だけ涙がこぼれ落ちた。
「可愛いお願いの仕方もちゃんとできるじゃないか、ミリ」
王子は指先で私の涙をすくうと頬に口付けた。
思わず真っ赤になった私はその場を飛びのいた。
「お、王子!!!」
「身分証とドラゴン。大きな貸しは二つだな」
「い、今のでチャラです!!」
「馬鹿を言うな。割に合わん」
「わっ…割…」
王子は真面目に言うとゆったりとした椅子に深く腰掛けた。
いつもと同じように振舞ってはいるが、よく見ればかなり疲れているようだ。
それもそうか。
遠出から帰ったばかりなのだから。
何だか申し訳ないことしちゃったかな。
「…王子…?」
オルフェ王子は瞳を閉じたまま動かなかった。
こんな所で仮眠を取るつもりなのだろうか。
「ここで寝ちゃったら風邪ひきますよ…?」
呼びかけても反応がない。
揺すり起こすべきなのか上掛けをかけるべきなのか…。
眠る王子の顔は意外なほどあどけない。
華やかで妖艶な笑みより、なんだかよっぽどこの無防備な顔の方がどきりとさせられる。
とりあえず無害そうなので、私はそっと王子の肩に触れた。
「王子、眠るならベッドへ…」
言い終わらないうちに手首を掴まれ引き寄せられる。
「お、王子!?寝たふりですか!?」
「いや…一瞬、落ちてた…」
王子は私の腰に腕を回すと本格的に抱きしめた。
「王子!!」
「…静かにしてくれ。休みたいんだ…」
「あちらで、一人で休んでくださいっ」
一応声を落とすものの精一杯抵抗してみる。
このまま休まれちゃたまったもんじゃない。
王子は目を閉じたまま喉の奥で笑った。
「ミリ…、お前は何か欲しいものはないのか?」
「え…?」
突然の問いかけに戸惑う。
「宝石でも、領地でも、何でもいい…」
眠そうな声で何言ってんだか。
「欲しいものはとりあえず間に合ってるので別にないですよ。それよりベッドで寝てください」
あっさり言うと王子は満足そうに口元に笑みを刻んでからまた眠りに落ちた。
「ちょっ…、だから…あっちで…」
よじよじと私の体を登ったサクラが王子と私の間で丸くなった。
こちらもここで寛ぐ気満々だ。
これは…諦めるしかなさそうだ。
私は身をよじると出来るだけ王子に体重がかからないようにした。
間近で聞こえる寝息と温かな体温。
久しぶりにじんわりと人肌を感じていると、何だかこっちまで眠くなってきた。
「ちょっとだけ…休んでもいいかな…」
ゆったりと大きく豪華な椅子の上で、人二人とミニドラゴン一匹はすやすやと寝息を立ててしばらく平和に眠り続けた。