ミリとフリンナ姫
私が見ていることにも気づかずに、男は更に怒鳴りながら右手を振りかぶった。
「こんなざまで父上にどう申し開きをするつもりだ!!今すぐ王子に媚でも売ってスアリザへ戻してもらえ!!」
「お、お兄様…やめ…」
ばしりとフリンナ姫の頬がまた音を立てる。
怒りがおさまらない男はまた手を振りかぶった。
私はそれを見た瞬間何も考えずに飛び出していた。
「やめて!!」
フリンナ姫を庇うように抱きつくと、勢いの止まらない男の手は私の背中に当たった。
「いっ!!ったぁあぁあ!!」
火傷跡にビンタ。
これはかなり痛い!!
男は突然現れた私に驚いたが、身なりから身分低しと読み取ると悪びれるどころか侮蔑の目で見下ろした。
「何だお前は。邪魔をするな!!」
私は涙目のまま振り返ると勢いに任せて言った。
「…ど、どんな理由であれ、男が女に暴力を振るうのは、い、いけないことだと思います!!」
「これは私の妹だ。どう扱おうと私の勝手だ!!」
「妹だろうが妻だろうが、そんなもの何の免罪符にもなりません!!」
「何だと!?」
男は威圧するように無理やり後ろから私の襟ぐりを掴み引き寄せた。
隙間からアリス姫のネックレスと胸に巻いたさらしが見える。
「ん…?お前そんな格好だが、女か?」
呆気にとられていたフリンナ姫は我に返ると私を引き寄せ男の手から離させた。
「お兄様おやめください!!この者は関係な…」
言いかけたフリンナ姫は私の顔を見て凍りついた。
「…い、イザベラ姫?」
「あ…」
流石にこの距離で見られたら気付かれた。
男は訝しげな顔になった。
「イザベラ姫だと?お前が言っていた黒姫か?こいつが?」
男は私をまじまじと見おろすと鼻で笑った。
「オルフェ王子は一風変わった王子だと噂では聞いていたが、なるほど。こんな妙竹林な姫を側室にするとは」
私は何だかむっとした。
私のせいとはいえこんな奴に王子の悪口は言われたくないぞ。
「そこを退け、邪魔だっ」
「い、嫌です」
私は男を睨んだ。
「貴方は、オルフェ王子が側室を解放している事情をちゃんと知っているんですか?」
「は?」
「別にフリンナ姫に落ち度があったせいじゃありません。それなのにこうやって姫一人を責めて折檻するのはあまりにも狭量じゃありませんか!?」
男はどう見ても格下の私に意見され激昂した。
「無礼者が!!貴様誰に向かってそのような口を!!」
怒鳴りながら腰の剣を引き抜く。
真っ青になったのはフリンナ姫だ。
「お、お兄様!!いけません!!」
「黙れ!!これで捨て置いては私の名誉に関わる!!」
「イザベラ姫はこれでも一国の姫ですわ!!」
「こんな格好でいるこいつが悪いと世間は判断するさ!!そこを退けフリンナ!!」
男はフリンナ姫を突き飛ばすと大きく剣を振りかぶった。
元々脅しのつもりであったのだろう。
威嚇ばかりで軌道の甘いその剣は、私に辿り着く前に音を立てて地面に弾き飛んだ。
「な…」
男の目の前に短剣の刃先がぴたりと突きつけられる。
突きつけたのは、私だ。
「力でねじ伏せるとはこういうことです。理不尽でしょう?」
「貴様…!!」
「動かないでください」
突風が吹き抜け木々がざわざわと音を立てた。
私は短剣をしまうと精一杯目に力を込めた。
「これ以上フリンナ姫に酷いことはしないでください。そうすれば貴方がイザベラ姫に剣をはたき落とされたという不名誉な噂は広まりはしないでしょう」
「ぐっ…」
男は睨み殺しそうな顔で私を見ていたが、向こうからガサガサと草を踏む音が聞こえると、さっと剣を拾いこの場を去った。
「フィズ!!フィズどこだ!?」
近付いてきたのはベッツィだった。
「お、いた!!座ってろって言っただろ!?びっくりするだろうが。…あれ?誰だ?」
ベッツィはフリンナ姫を見て首を傾げたが、様子のおかしい私にすぐに駆け寄った。
「フィズ?」
「ベッツィ…」
必死で立っていた私はここで限界を迎えた。
がくがくと足が震えその場にへたり込む。
「お、おい!?」
「は、あぁあぁぁ、こわかった…」
「何やってたんだよ!?」
「あ、だ、大丈ぶ…。怪我はしてないから」
良かった…。
あの一撃は相手がこっちを侮りまくってくれたから上手く防げたようなものだ。
それにしても最近は短剣なんて握ってもなかったのによくぞ体も動いてくれた。
ベッツィに手を借りながら何とか立ち上がると、まだ青い顔をしたフリンナ姫と目が合った。
フリンナ姫はきゅっと唇をかんだが、私を睨むと震える声を絞った。
「余計なことを。なぜわたくしなどのために?」
「え?いや、別に…」
「わたくしに恩を売りたかったのですか?…それとも昨日わたくしが貴女にしたことへの嫌味な意趣返しですか」
フリンナ姫は握りしめた手に力を入れると声を荒げた。
「やはり…やはり貴女はいつでも目障りですわ、イザベラ姫…!!さっさとわたくしの前から消えなさい!!」
ベッツィはよく分からないながらもフリンナ姫の物言いに口を出そうとした。
だが私は体でそれを止め前に出た。
「別に、咄嗟だったし貴女だから助けたわけではありません。あえて理由を言うならば人として、ですかね。私は貴女とは違いますから」
「なんですって!?」
今なら一対一。
物申すなら今しかない。
私はずっと抑えていた不満をついに口にした。
「大体、回りくどい嫌がらせをしてないで文句があるなら始めからこうして率直に言えば良かったんです!!それを昨日だって姫たちを使ってあんな卑劣なことまで!!」
フリンナ姫も激しく応戦してきた。
「あ、あれは貴女が先にわたくしを酷く侮辱したからでしょう!?よりによって、オルフェ様もミントリオ王もいらっしゃる晩餐の席で!!」
「フリンナ姫が限度を超えることをしたからです!!部屋を水浸しにするだけでなくドレスに毒の剃刀まで仕込むなんて!!」
「毒ですって!?誰がそんな恐ろしいことをするものですか!!」
思わぬ叫びに私は目を見張った。
「え…?」
「わたくしは…わたくしは確かに貴女に制裁をと考えていましたが、毒だなんて思いつきもしませんわ!!」
私はぽかんとした。
「え…、じゃあ部屋の水浸しは?」
「知りません!!」
「取っ手のベタベタは?」
「そんな稚拙なことをわたくしがするとでも!?」
え…。
え?
あの嫌がらせは、本当にフリンナ姫じゃないのか…?
じゃあ他の姫が独断で…?
フリンナ姫はきつく握りしめた手を開くとぶるぶると震えた。
「…貴女が、貴女が目障りなのよイザベラ姫」
「…」
「わたくしはオルフェ様の一番でなければならないのに…。その為の努力も日々してきましたのに…。アリス姫だけでも目障りでしたのに、なぜ、なぜ貴女がオルフェ様のお気に入りに…」
「フリンナ姫…」
私はフリンナ姫を見てはっとした。
フリンナ姫は興奮が冷めぬままに涙を落としていた。
「あ、貴女が憎いわ。何の苦労もなくオルフェ様を手に入れた、貴女が…!!」
私は歯を食いしばりながら嗚咽を耐えるフリンナ姫がなんだか哀れに思えてきた。
フリンナ姫が勝ち取らねばならなかったのは、オルフェ王子の愛だけではない。
祖国より期待され、プレッシャーを与えられ続けながら求められた正妻という立場なのだろう。
昨日されたことは許せないけど、この人にもこの人なりの事情がある。
「フリンナ姫」
私は一歩フリンナ姫のそばに寄った。
どうせ姫たちとは明日お別れだ。
それならば、恨み残らぬよう伝えなければ。
「私は、実は本当に姫ではないんです」
「え…」
私は小声で続けた。
「私にも事情があって、不本意ながらいっときイザベラ姫のふりをさせられているだけなんです。オルフェ王子は最初からそれを知っているから私を庇うためにそばに置いただけです」
「イザベラ姫…?」
「私の存在が貴女を苦しめることになり、すみませんでした。…ですが、元々私は貴女とは違う場所に立つ身です」
フリンナ姫は混乱する頭を軽く振った。
「そ、それでは、それでは貴女は誰ですの?」
「それは言えません」
私はフリンナ姫から離れると軽く頭を下げた。
「私は貴女に恨みを持つことはしません。ですから、どうか姫も私のことを一日でも早く忘れてください」
「イザベラ姫…」
「失礼します」
私はハラハラしながら見守っていたベッツィを促してその場から離れた。
残されたフリンナ姫は呆然としながらも溢れ続ける涙を静かに落としていた。