再びフィズへ
日は高く行き交う人々も空飛ぶ飛行船もみんな楽しそうだ。
それなのに私は、私だけは一人だ。
私だけ…
空を見上げていた私はハッとした。
違う。
あそこにいる。
私は何も考えずに指笛を空高く鳴らした。
こんな賑やかな昼間に聴こえはずもないのに、何度も何度も鳴らした。
「…サクラ!!」
指笛だけじゃ足りなくて空に大声で呼びかけた。
「サクラおいで!!いないの!?」
もう一度指笛を鳴らした時私はふとあることに気付いた。
音が出る瞬間に振動に乗って魔力が外に流れている。
そうか。
もしかしたら…。
私は思い切り息を吸い込むと、指笛の音に乗せて力が外に弾けるイメージを思い描いた。
ピイィーと高らかな音が空に響き渡る。
その音量はさっきとさほど変わらないのに私にはどこまでも突き抜ける音に聴こえた。
数分ほど待つと、やっと空からばさばさと羽音が聞こえてきた。
「さ、サクラぁ!!」
サクラは葉っぱをたくさん体につけたまま私の腕の中に降りてきた。
「サクラ、サクラぁ。会いたかったよ!!」
サクラも嬉しそうにキーキー鳴いた。
「もしかして何処かで寝てたの?葉っぱだらけだ。起こしてごめんね」
私はぎょっと通り過ぎていく人目も気にせずにサクラを抱きしめた。
体が反応して魔力が渦巻き始める。
「っとと、ちょっと待って!!全部流れちゃダメ!!」
私はサクラを抱きしめながら懸命に内側の魔力に意識を集中した。
サクラに流れた力をある程度で食い止められるようにブレーキをかける。
あまり思うようにはいかなかったが、どうにか自分がひっくり返る手前で止めることには成功した。
「や、やった…。ちょっと進歩したんじゃない??」
それでも体からは力が大分抜けた。
サクラは満足そうに尾を振ると私の膝で丸くなった。
「ふふ。サクラも寂しかった?よしよし」
サクラを撫でているとやっと何だか落ち着いてきた。
「サクラ、もう大分故郷に近付いてきたねぇ」
話しかけると少しだけ頭を上げたが、サクラはまた膝にふせった。
私はサクラの爪や鱗を触って感触を確かめてみた。
レイの言う通りもう随分しっかりしている。
これなら自然に返しても立派なドラゴンに育つだろう。
「サクラ…」
サクラを返して、それから私はどうすればいいのだろう。
一体いつまでイザベラ姫としていなければならないのだろう。
「…なんでもいいから平穏な生活を送りたいなぁ」
出来れば誰も私を知らないところでまた帽子作りに携わりながら生活したい。
あ、でも家から母さんを連れてこないと。
遺骨が入ってるのは小さなカップだから持ち運びには困らないしな。
疲れた顔で一人物思いにふけっていると、誰かが息急き切って走ってきた。
すっかり疲れて反応できないでいると、その人はがしりと私の肩を掴んできた。
「やっぱり!!フィズ!?」
「へ…?」
顔を上げると満面の笑みの赤毛の青年がいた。
「え、あ?べ、ベッツィ!?どうして…」
ベッツィは両手を広げると感極まって私に抱きつこうとしたが、サクラがそれを阻んだ。
「っとと、サクラ!!お前またでかくなったな!!」
ベッツィは仕方なく私の隣にどさりと腰掛けた。
「おま…、戻ってきてるならきてるで騎士団に来いよ!!ずっと心配して待ってたんだぞ!?魔物の傷は!?もういいのか!?」
「いや、その…。傷は大丈夫だけど、どうしてベッツィはここに?」
「俺たちも昨日からこのデクール町には入ってたんだぜ?いやぁ、いいよな飛行船!!乗ってみたい!!…って、眺めてたら空からサクラらしきものが降りてくるのが見えたからさ。もしやと思って来てみたら居るじゃねぇか!!」
ベッツィは嬉しそうに私の背中をパンと叩いた。
「いっ!!いったぁ!!」
「な、なんだ!?」
「背中!!や、やけどしてる」
「火傷!?」
「大したことないけど、触らないで…」
涙目で顔を上げるとベッツィとまともに向き合った。
ベッツィは驚いた顔で私をまじまじと見た。
「…フィズ、お前化粧してなけりゃそんな顔してるんだな」
「えっ」
「あ、いや、そうやって見るともう女にしか見えないくらいお前って…」
言いかけたベッツィは薄着の私を見て固まった。
それから自分の目を何回かこすった。
「…ベッツィ?」
「むねが、ある」
「え?」
ベッツィは呆然としながら膨らんだ私の胸を掴んだ。
「…本物?」
私は瞬間冷凍されたが次の瞬間叫んでいた。
「う、うわぁ!!痴漢!!」
「えっ!!」
「痴漢、痴漢だぁ!!」
私の隣でサクラもギャアギャア叫んだ。
ベッツィは慌てて私の口を塞いだ。
「ばっ、ばか!!変なこと叫ぶな!!いてて!!サクラ噛むな!!噛むなって!!」
「んほ!!んはふひふふ!!」
「分かった!!俺が悪かったから!!静かにしろ!!」
私は真っ赤な顔で肩で息をした。
ベッツィは私が大人しくなると手を離した。
「と、とにかくここは場所を変えよう!!人目が集まりすぎだっ」
確かに皆私たちを不審な目で見ていく。
何よりサクラが目立ちすぎだ。
私はベッツィに促されて立ち上がろうとしたが、腰が全く上がらなかった。
積もり積もった疲労なのか、やはり魔力を持っていかれすぎたのかは分からないがこれじゃ動くことすらできない。
「フィズ?」
「…ご、ごめん。先に行って」
「いや、置いて行けるわけないだろ!?」
ベッツィは散々迷ったが慎重に私を抱え上げた。
「運ぶだけ。運ぶだけだから」
「うん」
「変な下心はないから。…いて、噛むな」
「うん」
「他意はない。…噛むなサクラ」
「言いすぎると逆に不自然だけど…」
「そ、そっか」
ベッツィは真っ赤になると硬い動きのまま歩き出した。
「な、なぁ、フィズ」
「…ん?」
「お前のこと、その、聞いていい?」
「…」
「いや、無理にとは言わないけど。もしかして何か困ってるのかなぁとか、思ってみたりしただけで…」
「ベッツィ…」
ベッツィはぎこちない笑みを見せた。
「これでも腕は立つんだ。お前もあの森で見ただろう?口も堅い方だし信頼できる奴だと思うぞ?」
「…自分で言ってる」
「おう、他に言ってくれる奴なんていないからな!!」
私は自信満々に言うベッツィにつられて少し笑ってしまった。
「ありがとう、ベッツィ」
「おう、何でも言え!!」
「ふふ…」
勝手なものだが、今自分がフィズなのだということを認識すると心が少しだけ軽くなった。
フィズでいればフリンナ姫たちにいわれのない攻撃をされることも、黒魔女として追い回されることもない。
私は疲れ切った体から力を抜くとベッツィに寄りかかった。
「ふ、フィズ?」
「ごめん…このまま少し休ませて」
「おおお、俺は別に構わないけど…。だから噛むなってサクラっ」
ずっと強いられていた緊張感から解き放たれた私は、ベッツィの温かさにすっかり安心するとそのまま動かなくなった。