ひとり
翌朝。
報告を受けたオルフェ王子は反射的に部屋を飛び出そうとした。
だがレイは体でそれを阻んだ。
「行ってはなりません。貴方が行けばせっかく消えかけた火にまた油を注ぐだけだ」
レイはなだめるように言った。
「怪我も大したことはありません。今貴方はミリに構いつけている暇はないでしょう?」
「姫たちを管理できなかったのは俺の責任だ」
「オルフェ様」
レイは睨むように王子を見上げた。
「今まで通り情よりも立場を優先してください。貴方が揺らげば全てが終わりだ」
「…」
オルフェ王子はどさりと椅子に座りなおした。
やりきれない思いに陰りのある瞳を伏せる。
しばらくそのままで激情をやり過ごすと、ぼんやりと言った。
「明日…」
「はい?」
「明日の祭りで、この旅も終わるな」
「…」
レイは僅かに沈黙した後俯いた。
「そうですね」
「…」
二人の間に緊張を孕んだ空気が流れた。
オルフェ王子は頭を切り替えるとテーブルに置いた書類を手に取った。
「…今日の予定を聞こう」
「はい」
レイも顔を上げると、いつも通り今日王子のこなすべき仕事を次々と伝え始めた。
ーーーーーーーー
私は手を握られて目を覚ました。
「…あ、ネイカ?」
ネイカは薄っすらと目を開いていた。
「ネイカ、大丈夫?苦しくない?」
「私、どうしたんだっけ…?」
「晩餐会の途中で体調を崩したんだよ。もうちょっと寝ておいた方がいいかも」
私はネイカを出来るだけ刺激しないように毒のことは黙っておいた。
「お水持ってくるね」
体を起こすとぽとりと背中からタオルが落ちる。
私はそれを見て昨夜のことを鮮明に思い出した。
ネイカに気付かれぬようそっとベッドを抜け、洗面台の鏡で体をチェックしてみる。
背中と腕の部分に少し赤黒さは残っているが大したことはなさそうだ。
「…よかった。ごめんねイザベラ姫。身体に変な痣が残らなければいいけど…」
私はドレスではなくゆるい部屋着に着替えてからネイカに水を運んだ。
ネイカは部屋に運ばれた食事も少しだけ口にするとまたすぐに横になった。
やはりまだ体に辛さが残っているようだ。
「ごめん、ミリ…」
「ううん。どうせ私は部屋から出ないんだし気にせず寝ててよ」
「うん」
私はネイカが眠りにつくまでずっとそばにいた。
窓の外を見れば明日の祭りに向けてあちこちで賑わっている。
ぼんやりとそれを眺めているとノックの音が聞こえた。
「失礼します。食器を下げに来ました」
「あ、は、はい」
昨日の今日だけにびくびくと扉を開く。
そこにいたのは朝食を運んで来たのと同じ男だ。
男はさっさとお盆を下げると何故かまた部屋に入ってきた。
そしてにこにこしながら話しかけてきた。
「イザベラ姫様のお迎えの方はもう国から来られたのですか?」
「え?」
私は不意に聞かれてどぎまぎした。
「え、いえ。その、まだ何も聞いてないので分かりません」
「そうですか」
男は笑顔を消すと急に無表情なった。
「来られては貴女もさぞ困るでしょう」
「へ?」
「もう辿り着いたはずの使者を、貴女が消し去った可能性もありますよね」
「は?」
意味が分からずに首を傾げていると男の手元が光った。
私はナイフを向けられていることに気付いた。
「な、ななな…」
「お静かに。このまま大人しくついて来てもらおうか、イザベラ姫。…いや、忌まわしき黒魔女」
「え!?」
私は驚きながらも無意識に男から距離をとった。
男が扉の向こうに合図をすると、ぞろぞろと五人の男が入って来た。
なんだかこの男たちには見覚えがある気がする。
私はそのうちの一人に気付いた。
「あ…、昨日飛行船の中にいた…!!」
そうだ。
あの扉前で腰の剣に手を置きながら睨んできてた男だ。
ってことはこの人たちはみんな昨日の飛行船にいたミントリオの人!?
私は壁際まで追い詰められると手に当たったネイカの杖を握った。
男たちの間に緊張が走る。
「気をつけろ…。おかしな力を使うかもしれん」
「一気に捕らえるぞ」
前にいた男たちが一斉に私めがけて突撃してきた。
「うわわわ!!」
私はしゃがみこむと転がるように前に出た。
「いっ…!!背中いったぁ!!」
激痛に一瞬視界が白くなったが泣きごとをいっている場合ではない。
「も、もう!!なんでこんな目にばっかり!!」
私はネイカの杖を振り上げてありったけの力を込めた。
「もう、いい加減にして!!」
杖の先が私の声に反応して眩しく光った。
「うわっ!!何だ!?」
「め、目が!!」
「早くあの黒魔女を捕らえろ!!」
目をやられた男たちが闇雲にこっちに手を伸ばしてくる。
私は杖を放り投げると廊下に走った。
「待て!!」
「やはりあいつは魔女だ!!」
「逃すな!!」
走るたびに背中がじんじんと痛むが、私は構わず全速で走った。
な、なんだかニヴタンディでもこんなことしてなかったっけ!?
ぜぇぜぇ言いながら走るがこのままじゃ捕まるのは時間の問題だ。
私はその辺の空き部屋へと転がり込んだ。
「は、はぁ。はぁ…。そ、それからどうしよう!?」
ふと全身鏡に映った自分と目が合う。
この長い黒髪は遠目に見ても分かりやすいほどの目印だろう。
「そうだ…」
私は戸棚をかたっぱしから開けてハサミを探した。
「あ、あった!!」
ハサミを手にするとバッサリと黒髪を切り落とす。
着ていた服はドレスではないので髪が短くなっただけでも少年のように見える。
私はスカートにも切り込みを入れてズボンに見えるように括り付けた。
部屋の外からはまだばたばたと私を探し回る音が聞こえる。
私は体を縮めてそれが過ぎるのを待った。
足音がだいぶ遠のくとすぐに部屋からそっと出る。
私は足音を忍ばせながら男たちが去ったのと反対側に逃げた。
遠回りを繰り返し、なんとか城の出口近くまで降りてくる。
一人で外に出るのは抵抗があったが、城の中ではどこにいても見つかる気がして居られなかった。
城の出入り口は明日の祭りの準備のためか解放されていた。
私は素知らぬ顔をして人の流れに入り込むと、さっさと正門も出て賑わう町に降りた。
城から大分離れ、サラサラと流れる河原まで辿り着くとそこで体力の限界を迎えた。
「は、はぁ、はぁ。シヌ…」
草の上に座り込み仰向けになると背中が地面に擦れて悶絶した。
「いっ…いたたた。もぅ散々…」
仕方なく横向きになり呼吸を整える。
落ち着いてくると少しずつ頭が回り始めた。
あの人たちは間違いなくミントリオ人だ。
それなのに昨日来たばかりの私を黒魔女と呼び捕まえようとしてきた。
…。
…。
…なんで?
考えてもさっぱり分からない。
いやでもこうなると昨日飛行船にいたのは偶然とは思えないな。
あれが私が黒魔女かどうか確かめるために合わせて乗り込んで来たとすると…。
私の脳裏にミントリオ王の顔が浮かんだ。
王はわざわざ私の部屋まで迎えに来て、半強制的に飛行船まで連れて行った。
これがもしあの男たちと関係があるとすれば…?
「…か、帰る場所がない」
オルフェ王子もレイもユセもネイカも、信用できる人は皆城の中だ。
こんな所にいても結局私が落ち着ける場所なんてない。
私は一人で途方にくれた。




