姫たちの恨み
まだ晩餐の余韻が残る会場を横切り、レイはあちこち視察し回っていた。
それというのも、ミントリオに入ってからひとつ気にかかることがあった。
常にオルフェ王子を見張るようにそばにいた貴族騎士の姿を近くで見かけなかったのだ。
「何かひっかかるな…」
あの五人の方針が急に変わるような伝令も届いていないはずだ。
レイはあちこち調べ終えるとオルフェ王子の部屋に戻るため城の深部へと引き返した。
その途中で意外な人物と出くわした。
「レイ?」
「…ユセ様」
レイは綺麗な姿勢で一礼した。
「こんな所でどうかなさいましたか」
「レイこそ、どうしてここに?」
「私は元々オルフェ様専属の従者なので」
「そうか…。フィズは?今彼はどこでどうしてるの?」
レイはユセの質問を無視した。
「オルフェ様に何か御用でしたか?」
「いえ、別に…」
「では、失礼します」
レイはさっさとこの場を去ろうとしたが、ユセに腕を掴まれた。
「あの…!!ちょっと、変なことを聞くけど、いいですか」
「はい?」
「その…」
ユセはもごもごと言った。
「フィズと…ミリさまは、実はご親戚か何かでしょうか?」
「…」
「前々から話し方も雰囲気も似ていると思っていて。その、だから、レイなら何か知ってるのかと…」
ユセは元々フィズともミリともそこまで関わりがある仲ではない。
その言い方はどうしても自信のないものだった。
代わってレイは揺るぎなく言った。
「フィズは最北にあるアルゼラの民で、イザベラ姫は北国パッセロの姫君です。話し方のイントネーションや顔立ちが似ていることはあるでしょう」
「…そう、かな」
「そうです」
ユセは力なく笑った。
「もう一度フィズに会えばはっきり分かると思ったのですが、レイがそう言うならきっとそうですね」
「話がそれだけならば、失礼します」
「はい。僕もイザベラ姫のところに戻ります」
レイは足を止めた。
「イザベラ姫のところに?」
「あ、はい。今日もフリンナ姫と揉めていましたので最後に様子だけ見に…」
「揉めていた?」
「はい」
晩餐でのフリンナ姫とイザベラ姫の揉め事を聞いたレイは顔色を変えた。
あれだけ問題を起こすなと言っておいたのにフリンナ姫に食ってかかるなど言語道断だ。
「…その状況を把握していながら、イザベラ姫のそばを離れたのか?」
「え?」
突然厳しい口調に変わったレイにユセは驚いた。
レイはちらりと王子の部屋を見たが小さく舌打ちをすると背を向けた。
「レイ?」
「イザベラ姫は俺が様子を見に行く。ユセ様はもうお戻りください」
「え、ですが…」
「失礼します」
レイはユセの返事を待たずに風のように走り去った。
ーーーーーーー
姫達が集うフリンナ姫の部屋は、異様な興奮に包まれていた。
私は両腕を掴まれたままフリンナ姫の前で無理やりひざまずかされていた。
小柄なヨリアレンナ姫が私の頭を掴み絨毯に押し付けた。
「まずはフリンナ姫様に今夜の詫びから入れてもらおうかしら」
「う…」
「ほら、謝りなさい」
押し付ける手には容赦がない。
どうやらニヴタンディでネイカに侮辱された恨みもこもっているようだ。
歯を食いしばりながら堪える私を見て、姫達はころころと鈴が鳴るような声で笑った。
「まぁ…やはりイザベラ姫にはその黒い絨毯までお似合いですのね」
「まだ謝罪しないなんて本当強情な姫ですこと」
ヨリアレンナ姫は中々折れない私に痺れを切らせると、そばにいた姫に言った。
「チェルシー姫。イザベラ姫の手を踏んで差し上げて」
「え…」
侍女たちは私の腕から手を離し、代わりに私の手を床に押さえつけた。
「な…」
「ほら」
チェルシー姫はまさか自分が名指しされると思わず困惑したが、フリンナ姫と目が合うと言われるがままに床についた私の手をそっと踏んだ。
「まぁ、お優しい。ほら、もっとよ。イザベラ姫が自分の行いを悔い改めるまでですわ」
チェルシー姫はぎゅっと目を閉じると思い切って体重を乗せた。
私は思わず呻いた。
「うっ…」
「どう?イザベラ姫。謝る気になりましたか?」
「うぅ…、い、嫌…!!」
「そう…」
ヨリアレンナ姫は私の反対側の手も床に押し付けた。
「リヒラ姫」
「わ、わたくしですか!?」
「ええ。あの日の屈辱を存分にぶつけて構わないですわ」
「…そ、そうですわね」
リヒラ姫はごくりと生唾を飲んだが私の左手に足を乗せるとぐりぐりと踏みつけた。
「あっ、い…!!」
姫たちがくすくすと笑う中で、フリンナ姫は扇子を優雅にはためかせた。
「イザベラ姫。そのまま這いつくばって謝罪なさい。わたくしを、侮辱したことを」
「うぅっ…」
私は痛みに耐えながらもぶんぶんと首を横に振った。
フリンナ姫は扇をぱたんと閉じた。
「…まだ頭が冷えないならば、仕方がありませんわね」
フリンナ姫はすぐ手近にあった水差しを手に取った。
蓋を取り私の真上で返すとパシャパシャと音を立てて水が落ちてきた。
姫たちは声を上げて喜び、フリンナ姫は空になった水差しを優雅にテーブルに戻した。
「いかがかしら?」
「うっ…い、や」
嫌だ。
絶対こんなのに屈したくない!!
頑なに抵抗する私に、フリンナ姫よりもヨリアレンナ姫が苛立ちを見せた。
「あら…お水では物足りないようですわね。フリンナ姫様、次はわたくしが」
ヨリアレンナ姫は紅茶セットのお湯が入ったポットに手を伸ばした。
他の姫たちは流石にぎょっとした。
「よ、ヨリ姫。流石にそれは…」
「あら。なにか?」
「ね…熱湯では跡が残りますわ」
ヨリアレンナ姫ははカップにお湯を注ぐと口を出した姫に手渡した。
「そうね、ユナ姫。でもほら、熱いと言ってもわたくしたちが口にできる温度ですわ」
「ですが…」
「ここまできても意地を張るイザベラ姫が悪いのです。…フリンナ姫様を差し置いて、オルフェ様に取り入るこの売女がね」
「よ、ヨリアレンナ姫…?」
ヨリアレンナ姫から殺意が漂う。
幼くして初めて側室に入ることになったヨリアレンナ姫をずっと守っていたのは、フリンナ姫だった。
ヨリアレンナ姫はこの美しく気高いフリンナ姫を心底敬愛していた。
「…それなのに、フリンナ姫様こそ、オルフェ王子の正妻に相応しいというのに!!やっと邪魔なアリス姫がいなくなったというのに!!貴女は邪魔でしかないのよ、イザベラ姫!!」
「ヨリアレンナ姫…お待ちなさい!!」
ただの脅しではないと悟ったフリンナ姫が制止をかけたが、ヨリアレンナ姫はそれを振り切って私に熱湯をぶちまけた。
直撃した私の背から白い湯気が広がる。
「…っ、あつい!!」
これには堪らず声が出た。
ヨリアレンナ姫は高らかに笑うとポットまで私に投げつけた。
「ほほほほ!!いい気味ですわ!!お前などさっさと消えるがいいわ!!」
ここまでするつもりはなかった姫たちは、皆揃って息を飲んだ。
すると突然大きな音を立てて扉が開いた。
「イザベラ姫!!」
姫たちは飛び上がり悲鳴を上げた。
突然部屋に飛び込んできたのが少年だと分かるとフリンナ姫の侍女が前に飛び出た。
「なっ、だ、誰です!?無礼者!!ここが誰の部屋か分かってますの!?」
少年はざっと部屋を見回すと凍るような目でフリンナ姫を見た。
「…何をされているのですか、フリンナ姫」
固まっていたフリンナ姫は我に返るとヨリアレンナ姫を庇うように前に出た。
「貴方には関係ありません。お引き取りを」
「…」
少年はずかずかと中へ入ると悶絶する私のそばに片膝をついた。
そして押さえつけていたもう一人の侍女を睨んだ。
「…下がれ」
「な…」
侍女はその目の強さに押されて二、三歩下がった。
少年は一瞬で私を抱え上げるとさっさと扉に向かった。
「お、お待ちなさい!!あなた何の権利があって勝手に…!!」
フリンナ姫が叫ぶと少年は振り返り声を落とした。
「俺はオルフェ様直属の従者だ」
「え…」
「このことを王子に報告されたくなければ二度とイザベラ姫に手を出すな」
姫たちは一斉に青くなった。
「ま、待ちなさい!!これにはれっきとした理由が…!!」
後ろから悲鳴が相次いだが少年は無情に扉を閉めた。
それからすぐに私の部屋へ戻るとドレスに手をかけた。
ぐったりしていた私はやっと顔を上げられた。
「れ、レイ…?」
「喋るな。肌を見せろ」
レイ…。
レイだ。
凄く怒った顔をしているのに、私はレイを認識した途端安心してぼろぼろと涙を落としていた。
「レイぃ」
「泣くな」
「ふうぅ…。レイ…レイ」
レイは器用に私のドレスを剥ぎ取ると真っ赤になった肌に眉を寄せた。
「…ちょっと待ってろ」
私をソファにうつ伏せに寝かせ、冷やしたタオルを赤くなった肌に当てる。
それからびしょ濡れの私を丁寧に拭き、最後に踏みつけられていた手の手当てをした。
「怪我も火傷もそこまで酷くはない。これなら跡も残らず消えるだろうが、しばらくは痛むから冷やせ」
レイはもう一度背中の火傷具合を確かめた。
これだけで済んだのは先に水をかけられていたことと、熱湯の温度がそこまで高過ぎなかったからだろう。
私はじんじん痛む身体に呻いた。
「レイ…いたい」
レイはすぐに冷えたタオルを取り替えた。
私は包帯の巻かれた手でレイの服をきゅっと握った。
「レイ、行かないで」
「俺は…」
「行かないで、行かないで…」
「…」
レイは泣きながらお願いをする私を黙って見下ろした。
私の手も体もまだぶるぶると震えている。
ずっと厳しい顔をしていたレイは、私の隣に腰を下ろした。
「…分かった」
「ほ、本当?」
「ただし朝までだ。心配せずとももうお前に手が出せないようフリンナ姫には釘を刺しておいた」
「うん…」
私は何度も頷きレイの服をぎゅっと握りしめた。
レイは私が落ち着いて寝付くまで待ってからベッドに運び直した。
「…ネイカ?」
そこには浅い呼吸ながらも静かに眠るネイカがいる。
レイは私をネイカの隣にうつ伏せのまま寝かせた。
それからネイカの様子を一通り確認し、注射の跡を見つけるとほっと息を吐いた。
「処置済みか。何かあったのか…?」
眠る私とネイカを見下ろしながら、レイは自分に戸惑った。
やらなければならないことは山とある。
自分の最優先はオルフェ王子であり、王子に今何かあったら自分は自分を許せない。
ここは一刻も早く戻るべきなのだが…。
「…」
窓から差し込む月の光が静かな部屋を優しく照らす。
レイは再びベッドのそばに腰を下ろすと、火傷を冷やしながら苦いため息を一人こぼした。




