渦巻く怒り
外を見れば既に日は傾いている。
夜の晩餐を考慮すると部屋に着いたらすぐに支度を始めなければならないだろう。
「晩餐かぁ。なんでこう、みんな晩餐会なんて開くんだろう」
「そりゃそうよ。歓迎を形で表そうとすれば晩餐会が最適だもの」
「まぁ、そうだけどさ…」
ぶつぶつ言っている間に部屋に辿り着く。
ネイカは扉を開こうとして突然悲鳴をあげた。
「な、何よこれ!?」
部屋の取っ手にはベタベタにシロップのようなものが塗られていた。
触ってしまったネイカは稚拙な嫌がらせに眉をつり上げた。
「姫たちの仕業ね!?」
「ネイカ大丈夫!?」
「別にこれくらいなんて事ないわ」
だが、扉を開けるとネイカは今度こそ絶句した。
明かりがなくても異変が分かるほど家具が散乱している。
「酷い…。ミリ、まだ入らないで」
ネイカは慎重に中に入ると先に手を洗い明かりをつけた。
パッと明るくなると今度は部屋の中がびしょ濡れである事にも気付いた。
ネイカはぶちりと切れた。
「呆れた!!やる事に品がないったらないわ!!」
「うわぁ…」
「ミリ、部屋に入って扉を閉めて!!でもまだこっちに来ちゃダメだからね!!」
ネイカは壁に立てかけていた杖を手に取った。
それを鋭く一閃させると意識を集中し始める。
私は言われた通りに壁際に寄ったまま見ていた。
すると部屋にぶちまけられていた水が細かく振動し始めた。
「あ…」
水はネイカがもう一度くるりと回した杖の動きに合わせたかのように床から勝手に宙へと舞った。
ネイカは杖の先に水を集めるとまた意識を集中した。
すると今度はじゅわりと音を立てて水が霧に変わった。
「凄い!!ネイカ凄い!!」
「はしゃいでないで窓開けて。湿気を逃がさないと」
私は倒れた家具を避けながら窓を開けに行った。
ネイカはまだ怒りながら杖を壁に立てかけ、晩餐用のドレスに手を伸ばした。
「それにしてもいよいよやりたい放題ね。ドレスは無事だったのかな…。いたっ!!」
「ネイカ!?」
ネイカは指を抑えながらドレスから離れた。
「ミリ!!来ないで!!」
「どうしたの!?怪我したの!?」
「いいから!!そこに居て!!」
ネイカはもう一度慎重にドレスのリボン部分を開いた。
そこには鈍く光るカミソリが歯をむき出したまま付けられていた。
「…良かった。毒ヘビとかだったら流石にどうしようかと思った」
「何!?何があったの!?」
「カミソリを仕込まれてたみたい」
「怪我は!?」
「大丈夫。少し指先を切っただけだから」
私はすぐにネイカに近付くと怪我をした指を確認した。
「うわっ。痛そう!!」
「血は出てるけど思いの外浅いと思う。平気よ」
私は刃のついたままのドレスを振り返った。
「これ、他にも何が仕込まれているか分からないから着ないほうがいいよね」
「私が全部確認するわ」
「別に晩餐なんて今着てる服でもいいから。お願いネイカ、もう触らないで」
私はガーゼかハンカチを探してきょろきょろしたが、ネイカが安心させるように笑った。
「大丈夫だってば。私が水を操れるの、見たでしょう?」
ネイカは自分の指に意識を集中させた。
すると流れていた赤い色がぴたりと止まった。
「ね?」
「す、凄い!!やっぱり凄いよネイカ!!」
「ミリだって練習すればこんな感じで力が使えるんだってば」
ネイカは黒いドレスを睨みながらため息をついた。
「それにしても…ほんとにどうしようか、これ」
「別に晩餐は絶対参加しなきゃいけないってわけじゃないし…」
「でも勝手に欠席は流石にまずいんじゃない?レイを探しに行ってすぐに新しいの新調してもらおうか?」
私は荒れた部屋を見回すと一つ身震いした。
「こ、この服でいいから。行かないでネイカ」
「ミリ…」
流石に今一人になるのもネイカを一人にするのも恐い。
ネイカも反対はしなかった。
「分かった。せめてミリの髪は結うわ」
「うん。お願い」
私たちは慎重に家具を片付けてから少しだけ身なりを整えた。
時間になり、通された晩餐会場は流石に目も眩むほど豪華なものだった。
勿論参加する人たちも皆壮麗に着飾っている。
旅をしながら着ていた私のドレスなんて全くの場違いだ。
「う、うわぁ」
私は居たたまれなくなった。
これは流石に恥ずかしい。
壇上ではすでにミントリオ王の挨拶が始まっている。
私は相変わらず壁際で小さくなっていた。
「まぁ、見てあれ」
「スアリザの恥さらしですわ」
姫達がわざわざ私を嘲笑いながら通り過ぎて行く。
つられたようにミントリオの人達も眉をひそめながら揃って私を見た。
「ご、ごめんネイカ。やっぱり部屋へ戻ろう」
私は隣に話しかけたが、こんな時真っ先に憤慨するはずのネイカから反応が返ってこない。
見ればネイカは細かく震える腕を庇いぐったりと壁にもたれかけていた。
「ネイカ!?」
私はすぐに異常を察知するとネイカのおでこに手を当てた。
「ネイカ熱があるんじゃない!?指は!?痛いの!?」
「…へ、平気よ。騒がないで」
いや見るからに平気な感じじゃない。
もしかしてさっきのカミソリに何か仕込まれてたのか!?
「まぁ、どうかなさって?」
顔を上げればフリンナ姫がくすくす笑いながらこっちを見下ろしていた。
その顔は明らかに面白がっている。
「フリンナ姫…まさか」
「あらあら。今日は正式にご招待を受けた晩餐だというのにそのドレスは酷いですわね。よろしければわたくしのを一つお貸しいたしましょうか?」
周りから嘲笑が巻き起こる。
私はフリンナ姫を睨んだ。
「あら、何か言いたそうですわね」
「…」
「おっしゃいたいことがあるのでしたら構わずどうぞ?」
そう言いながらも私が反抗するなどとは露ほども思っていないのだろう。
フリンナ姫は余裕の笑みで扇をあおいでいる。
私の中で静かに怒りが湧いた。
物事には限度ってものがある。
私は押し殺した声で言った。
「…オルフェ王子が、貴女よりアリス姫を重宝した理由がよく分かります」
フリンナ姫は思わぬ名に眉を寄せたが、私は精一杯冷たく言い放った。
「貴女とアリス姫では品格が違いますから」
「な…」
「失礼します」
私はネイカを支えながらその場を後にした。
残されたフリンナ姫は私の暴言にぽかんとしていたが、ミントリオの貴族達にひそひそと囁かれているのに気付くと真っ赤になった。
「フリンナ姫様…」
侍女たちが慌てて声をかけた。
「あんなの気にすることありませんわ」
「そ、そうですわ。行きましょうフリンナ姫」
フリンナ姫は侍女たちをも無視するとつかつかと歩き始めた。
「フリンナ姫!!」
「フリンナ様…」
侍女たちは急いでその後を追った。
フリンナ姫は屈辱と怒りで爆発しそうだった。
あの憎きアリス姫と比較されたこともだが、あれではまるで自分がオルフェ王子に相手にされていなかったと言われたようなものだ。
フリンナ姫は醜悪に歪んだ顔で低く言った。
「…今夜、皆を私の部屋へ」
「え…?」
「イザベラ姫を何としてでも引きずり出して来なさい」
侍女たちは顔を見合わせたが、怒りを隠しきれないフリンナ姫に震え上がると黙って頷いた。