ミリとフィズ
我ながら、鏡の中の自分は別人だった。
長い黒髪を切り落としただけでここまで印象が変わるとは思わなかった。
「う、うん。これなら誰もイザベラ姫だなんて思わないよね」
私の企みは、この窮屈なイザベラとは全く別人になることだった。
ユセを見たときにピンと思いついたんだよね。
早速オルフェ王子が用意してくれた少年用の服を手に取ると身につけてみる。
「着方がいまいち分からないなぁ。ユセは確かこうやって着てたはず…」
ひらひらひらひら、少年服のくせにレースやらリボンが多い。
お貴族様の服ってどうしてこう無駄が多いんだ。
四苦八苦しながらなんとかサマになるように着こなす。
真っ白なスーツの襟は綺麗に映えるえんじ色。
ポケットの飾りや豪華な刺繍の入ったベスト、それからズボンも同じ色だ。
シャツの襟元はひだのついたシルクのリボンで、それをパールで飾られたブローチで留める。
目元がきりりと見える化粧を施し髪型をきっちりセットすれば、自分で言うのもなんだが見惚れる程の美少年に大変身した。
「か、完全に別人。やるじゃない私…」
あれだけ長ければ異様に映る黒髪も、短ければ不思議と好印象だ。
あまりにも完璧すぎる変装に、私はなんだか部屋の外に出てみたくなった。
「お昼前までに戻れば大丈夫よね…」
取っ手に手をかけると、どきどきしながら扉を開く。
内心びくびくしながら廊下を歩いたが、すれ違う高官
たちは皆振り返りもせずに隣を通り過ぎて行った。
私はほっとすると同時に嬉しくなってきた。
イザベラならこうして歩くだけでいちいち奇異な目で注目されていただけに、この解放感は大きかった。
普段の引きこもり気味はどこへやら、調子を良くした私はこのまま王宮内を散歩することにした。
とりあえずそろそろ構造くらいは掴んでおきたいと思っていたんだよな。
迷子にばかりなっていてはいざという時にまた失敗してしまうだろうし。
一度正門まで足を運ぶと、分かるところから時間をかけてじっくりと歩く。
今までちゃんと見ていなかったけれど、廊下を歩いているだけでも目がくらむ豪華さだ。
天井には有名な画家が手がけた絵が一面に広がり、柱の一本一本にまで精緻な彫り物がされている。
行き交う人々の位は皆高く、煌びやかなドレスか華やかなスーツで優雅に赤い絨毯を歩いている。
白い大理石の床はどこまでも続き、ぴかぴかに磨き上げられた窓の外には豊かな緑が広がる庭が見えていた。
「まるで天上世界…」
今更ながらではあるが、ほぅと魅入りながらあちこちをうろついた。
やや怪しく見えたかもしれないが、そこは着ている服がモノを言う。
豪華な貴族衣装の私は、不審どころか良いところのお坊ちゃんにしか見えないのだろう。
なんなら本物の貴族の少女たちがたまに振り返り頬を染める有様だ。
明るいガラス扉から庭へ出てみると見事なバラ園があった。
しばらく迷路みたいな庭を歩いていると、その先の噴水に見覚えのある姿が見えた。
「ユセ…!!」
私は思わず笑顔で走り寄ったが、ユセは驚いたように顔を上げたまま首を傾げた。
「失礼ですが、どちらの方でしょうか」
あ、そうだ。
変装しといて自分から駆け寄ってちゃ世話ないわ。
私は出来るだけ少年のような声を出した。
「私は北の公国から勉強の為にこのスアリザ王国に来ました。フィスタンブレアと言うものです」
「フィスタンブレア…」
「フィズとお呼びください」
ちゃんと決めていた通りの設定を口にする。
昨日会ったばかりだしもしかして気付かれるかとも思ったが、ユセは人好きのする笑顔で礼をした。
「貴方は僕のことを知っておられるようですが…。改めまして、僕はインセント公爵家の三男のユセと申します。僕にも長い名がありますが、ユセで結構です」
昨日と変わらない礼儀正しさ。
やっぱりユセは根っからの良いところの子だ。
とりあえずユセにもばれないようだし、これなら他の人が見ても黒姫とフィズが同一人物だとは誰も気付かないだろう。
よしよし。
ユセはふと私の脇腹に視線を落とした。
「トカゲを飼っているなんて、変わっていますね」
「…トカゲ?」
同じところに視線を移すと、豪華なベルトの部分にピンクのものがくっついていた。
「さ、サクラ!?いつの間についてきて…」
「サクラというのですか?可愛いですね」
ユセは指を伸ばすとサクラの頭をそっと撫でた。
ま、まずい。
ドラゴンだと気付かれたら大騒ぎだ。
「じ、じゃあそろそろ私は失礼します」
「あ、フィズ…」
ユセは少し躊躇った後でやや顔を赤らめて言った。
「その、僕もここへ勉強の為に上がらせてもらっています。西の棟に僕の部屋がありますので、もしよかったら…遊びに来てください」
「え…」
「その、同じような立場の友が一人もいなくて…」
私は納得すると笑って答えた。
「分かりました。そのうちにまた遊びに行きます」
ユセは嬉しそうにぱっと笑顔を見せた。
そっか。
ユセも少し寂しい思いをしているのかもしれないな。
イザベラとして会いに行くのは控えて、フィズとして付き合った方がいい友だちになれそうだ。
ベルトからきゅうとサクラの声がして、私は慌ててユセに背を向けた。
簡単な別れの挨拶を告げて、すぐにバラの迷路に逃げ込む。
周りに誰もいないことを確認するとサクラを手の上に乗せた。
「こらサクラ。勝手についてきちゃダメじゃない」
サクラはまだ見えにくそうな目で私を見上げて力なくきゅうぅと鳴いた。
うっ…、かわゆい。
まぁ確かにまだ翼は体にくっついたまま動かないし誰かに見られてもトカゲくらいにしか見えないか。
「お腹空いてるのかな…。魔力の他にも何か食べないと駄目だよね。でもドラゴンって何食べるんだろう」
人か?
いやいや、怖い怖い。
でも肉食だとして…生肉か魚?それともまだミルクとかなのかな?
どうせいつも食べきれない量の食事が部屋に運ばれてくるのだから、色々サクラにも試してみよう。
時計塔を見れば丁度もうお昼時だ。
別人作戦もどうやら成功したようだし、今日はここまでにして部屋に戻るか。
覚えるつもりで歩いていたからか、私はわりとスムーズに部屋までたどり着いた。
一応きょろきょろと確認してから黒い自室に急いで入る。
さっさと少年服を脱ぎ捨てて一番簡単に着られる黒いドレスに着替え、頭には髪を結っているように見える大きな黒いレースのリボンをつけた。
目元のアイメイクは、おろした前髪でできるだけ影になるように隠す。
しばらくするといつもの時間通りに豪華なランチが運ばれてきた。
私を見た者は誰一人不審な顔をすることもなく用事が済めば部屋を出て行った。
「よ、よし。大成功じゃない」
これなら明日からもフィズとして王宮内を歩けそうだ。
私は特に深く考えもせずに、ただ変装を楽しみながらふらふらと翌日も部屋を出て行った。