志は山より高く
遠いあの日に約束……"お父さん一緒に遊ぼう"と。
しかし、それは叶わぬ約束になってしまった。父親のカンナが魔王になったからだ。
スフィアはそれ以来母親と2人で生活するようになっていた。帰ってくるのは年に数回で、2人はそれを楽しみにしていた。
「お父さん、おかえり!」
「ただいま、スフィア。大きくなったな、何歳になるんだ?」
「お父さん、自分の娘の歳ぐらい覚えててよ」
スフィアは今年で15歳になる、俗にいう成人だ。
王立学院卒業を控えていたスフィアは士官すれば、父親にきっと会いたくなってしまうと悩んでいた。それに、母親を一人にさせることに罪悪感を持っていた。
「私、卒業してもお母さんと暮らす。お父さん、たまにしか帰ってこないから私まで仕官すると淋しいから……」
「スフィア………いいのよ、私のことは。貴方のしたいこをすればいいの」
「スフィアが仕官したら、前より家に帰る回数を増やそう」
しかし、スフィア本人は急に笑い出し、怒りの感情を顕にして、テーブルを叩きつけた。
「ふざけないでよ!お父さんが魔王になってから約束なんて守れた事あった?今まで絶対なかった。確かに魔王の仕事は忙しいかもしれないけど、家に帰ることはいくらでも出来た。お父さんは魔王になるためにお母さんと私を捨てたのよ!」
カンナはスフィアの頬を力いっぱい打った。白く透き通った肌はじわじわと赤くなっていった。瞳に涙を湛え、スフィアは家から出ていった。
「ミナ…………済まない。俺が父親をしないばかりに」
「スフィアはきっとわかってくれるわ」
無心で王都の街中を走りに走った。カンナの血を強くは受け継いでいたため、スフィアは銀狼の力を持っていた。その力は地を疾く駆け魔界一の疾さと賞賛されていた。
いつもならこの時間、王都は静かなのだが人は行き交い遠くの方では火の粉が見えていた。
「何があったの?……痛い離して!」
遠くから見ていた大男がスフィアの髪を引っ張った。大男は含み笑いをした後、スフィアが耳を塞ぐようなでかい声で叫び始めた。スフィアはそれを堪えるのか精一杯だった。
「おい、魔王聞こえるか!お前の娘を人質にした。開放して欲しければ、姿を表わせ!」
影犬は西門周辺で暴動が起きたとカンナに報告してきた。まさかスフィアが巻き込まれて無いかと不安感に襲われた。そんな時だった、大声で自分の娘が人質にされたのが聞こえてきた。しかし、カンナはスフィアを自分の娘とは公表していなかったために動くことができなかった。
「タイガ、西門の鎮圧に急げ。それと……スフィアのことをよろしく頼む。」
「かしこまりました。」
大男はこのことを計算に入れていた。もし、スフィアのことが公にバレてしまっては魔王の信用はガタ落ちになってしまう。そんな危機的状況に現れたのがタイガだった。
黒髪の金メッシュ、長い襟足の髪は赤い布でぐるぐると巻き付けていた。影を伝って殺めることで地位を確立してきたタイガは今では側近中の側近、執務室長官だった。
カンナはスフィアの無事を祈るしかなかった。こうなるなら、公表しておけば良かったと後悔したのだった。
「スフィア……頼むから無事でいてくれ」
スフィアの髪を掴んでいた大男はスフィアを石畳に叩きつけると、逃げ出さないように鎖で足を縛った。
タイガは物陰から大男の様子を伺うと好機がないかと睨みを効かせた。動く気配はなく魔王が動き出すのを今か今かと待っていた。
「つったくよぉ、なんで次代の魔王が犬なんだよ、俺達赤猿族から選べはいいのによぉう!神は。全くつまらないことしてくれるぜ」
魔王は二代続けて同じ種族から選ばれることはなかった。出来ないのだ、神が平等にと世界を作った時に決めたのだった。
タイガは大男の発言にしかめたが、焦って失敗するわけにはいかない。身を消して冷気を放ち始めた。
「うおっ、寒いなおい!」
タイガはそれを見逃すまいと銀狼の姿で大男に襲いかかった。大男も必死で抵抗した。大男の仲間が危険を察知して走りかかってきた。犬の分際でとタイガを中傷し、大男の仲間たちは反撃をした。タイガは袋叩きのようなかたちになってしまった。スフィアは目の前で血が飛び散る惨劇を見て瞳孔は開ききり、呼吸は浅く体は強張り思うように動かなかった。
「おい、魔王が来ないならこの女犯そうぜ!」
「所詮、猿はそんな低俗な事しか考えないんだな……ケホッ」
「犬っころは黙ってろ!さあて、何処から味わうとするかなぁ」
横たわっていたタイガの腹部に蹴りを浴びせた。舐めるような視線で大男たちはスフィアを見た。大男たちの顔はどれも飢えた顔つきだった。恐怖のあまり、スフィアの瞳からは涙が溢れ落ち、彼らの欲情を更に掻き立てた。
「お、お父さんたす……けて……イヤッ、イヤッ、イヤーッ!」
スフィアが叫んだ途端、強烈な暴風が吹き荒れ帯状の風が大男たちを切り刻んだ。その後も吹き荒れて周りの建物さえも破壊していった。
風が西門から徐々に広がる中、赤毛の男が宙からゆっくりと落ちるようにスフィア目掛けて麻酔弾を打ち込んだ。麻酔の影響でスフィアの意識がなくなるに連れ暴風は落ち着いた。
「おいおい、緊急司令出されたから南部から急いで帰ってみたら、お犬様はくたばったのかよ」
「う、うるさい。レイ、スフィアの保護を頼む。俺は事後処理を………」
スフィアの精神は混濁状態、タイガは骨を折る重症だった。どちらも今動ける状態ではない。
「どっちも動けねーのに事後処理できるわけねーだろ。直ぐ応援呼ぶわ」
政府から直に医療部隊や特殊部隊などがやってきて事後処理等を行った。後から分かった話だが、スフィアに切り刻まれた大男たちは先王ダノンの身内が決起した反乱軍だったという。その大男たちは先遣隊として西門に現れた。しかし、スフィアは本能的に敵が門の外にもいることを察知し暴風を起してなぎ倒していった。その数、およそ1000人。スフィアの潜在能力の高さに事件現場を調べた者は恐怖した。
「ん、ここは?」
「王立病院だ。怪我はないか、スフィア」
スフィアが目を開けるとそこは病室の白い天井だった。カンナとミナがスフィアを心配そうにこちらを見ているのが分かった。
カンナの顔を見るとフツフツと怒りが湧いてきていたが、スフィア自体それは表に出すようなことではないと思い黙った。とりあえず、スフィアは二人を寝たいからと言って病室から出した。病室の外で待機していたスフィアの主治医は、検査結果を二人に説明していた。
「脳波からわかったことだが、おそらく危機的状況下で感情が昂ぶり魔力の暴走となったのではという見解だ。今は脳波、魔力共に落ち着いているので安心してくれ。それより、タイガの方が重症だ」
スフィアの主治医はカンナの昔馴染みの医者だったので敬語は使わなかった。タイガの症状は重く全治6ヶ月と言い渡された。タイガ自身、怪我をすることは厭わないがスフィアを守ることが出来なかったことを悔やんでいた。
あれから数日後、スフィアは仕官した。父親に会いたいからじゃない。父親を信じている存在を裏切らせないために。