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サッカージャンキー  作者: 宮澤ハルキ
第一章 少年サッカー編
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第6節 やるか逃げるか?

 汗ばんだパジャマを洗濯機に放り込むと、遼は鏡に顔を近づけて自分の顔を覗き込んだ。その顔はいつもの血色の良さそうな顔ではなく、少しやつれているように見える。彼の特徴的な大きな丸い目は、隈のせいでさらに大きくなっているように見えた。

 こうなってしまった原因は、昨夜嫌な夢を見てしまい何度も目が覚めてしまったからだ。あまり夢を見たりすることの無い遼だが、この夢は見るのは初めてではない。この夢には何度もうなされてきた。

 洗顔フォームをチューブから出し、水で溶いて掌で伸ばす。そしてそれを顔に塗りたくりながら、その悪夢も一緒に洗い流してしまおうと思った。







 昨年の県大会、FC川越はベスト8で敗退した。あの頃俺には、そしてFC川越にはまだ色々な物が足りなかったのかもしれない…………。


 遼と爽太の実力は、川越の中ではずば抜けていた。ずば抜け過ぎていて、チームの攻撃はすべて五年生の二人に依存していたといっても過言ではない。


 確かに少年サッカーというのはチームとしての総合力よりも個人の能力が物を言う場合が少なくなく、圧倒的な個の力が一つでもあれば、それだけで上に勝ち進んで行けることもある。

 だがいくらその力が圧倒的であっても、県トップクラスの選手を多く揃え、その上戦術的にもしっかりとしたチームを相手にし、更にそのチームにその力を上回る力があったとしたら太刀打ちするのは難しい。


 昨年度の川越も、確かに優れた選手を多く揃えたチームだった。だがレッズと比べるとやはり見劣りし、戦術も未熟で、攻撃はまだ五年生の二人の少年頼み。更にレッズには、五年生ながらトップ下でゲームメーカーを担い、「天才小学生」と全国から注目を集めているエース・宇留野貴史がいた。

 最早やる前から結果は見えていたのかもしれない。


 二人はボールを持つ度に激しいマークに遭い、自分たちの持ち味であるドリブルでの単独突破が封じられた。縦への推進はできなくなってしまったがボールは何とか保持できたので、味方のフォローがあれば相手守備陣を崩すことができたかもしれない。

 だが、味方はレッズの攻撃を怖れるあまり自陣に引きこもり、誰も二人のフォローには来てくれなかった。

 そのため川越の攻撃は手詰まりになり、殆どチャンスらしいチャンスを作ることができなかった。

 それとは対称的に浦和レッズの五年生エースは、味方の十分なサポートを受けながらピッチの中心で伸び伸びと攻撃のタクトを振り続け、3得点すべてに絡む活躍でレッズを勝利に導いた。


 試合終了を告げるホイッスルが鳴ったと同時に、赤のユニフォームを着た選手たちは歓喜に踊り、青のユニフォームを着た選手たちは涙に暮れた。

 爽太は手を腰に当てたまま、心ここに在らずといった感じでピッチの一点を見詰めて動かなくなり、遼は嗚咽を漏らしながら芝に突っ伏して泣き崩れた。

 遼のすぐ傍では、宇留野貴史が笑みを浮かべながら、川越の選手たちを見下ろすようにして立っている。


 悔しさ、怒り、悲しみ、絶望。あらゆる負の感情が遼を深い闇のどん底に突き落とした。







 人生最大の屈辱の瞬間だった。この場面は遼の脳みそに乱暴に刻み込まれたまま、決して消えることは無い。消し去りたくても消えてくれないのだ。

 遼はあの敗北から立ち直って、再び自信を取り戻してからその悪夢を見ることは殆ど無くなった。だが、県大会が近づいてきてナーバスになっているのか、この前の火曜日の夜練の後からまた時々見るようになってしまったのだ。


「くそっ」


 悪態を尽きながら、タオルで乱暴に顔を拭く。そして朝食を食べ、歯を磨いてから玄関に向かった。これから学校である。

 遼は黒くて重いランドセルを持ち上げると、それをかったるそうに背負いながらドアを開けて外に出た。







 家の門を出ると、門の横の電柱の陰から色の白い少女がひょこっと顔を出した。


「おはよう遼ちゃん」

「おっす光……」


「遼ちゃんどうしたの? いつも朝は元気ないけど今日は更にテンション低いよ」


 遼は朝に弱いので、いつも学校に行くこの時間帯は元気が無い。それに加えて、昨夜うなされた悪夢が遼の元気の無さに拍車を掛けていた。


「そうか? いつもこんな感じだよ」


 遼は今できる中で精一杯の強がりを見せながら言った。


「そう……もうすぐ県大会だから、遅くまでウイイレやってちゃだめだからね」

「うん」

「何かあるんならいつでも話聞いてあげるから」

「うん……って別に何も無いからな!」


 どうやら光にはただ元気が無いのではないと悟られていたようだ。


「10年以上一緒に居て気付かない筈無いじゃん。あんまり一人で考えすぎるのも良くないよ」


 光とは物心付いた時からの友達で、かなり長い付き合いだ。人見知りで内気な光も、実は遼たちの間だと結構よく喋る。


「そうだね、まあ気が向いたら相談するよ。あ、爽太だ」


 歩きながら話していると、遼たちの方に向かって来る長髪の少年が見えた。爽太はポケットに手を突っ込んだまま、少し俯きながら歩いて来る。


「おはよう爽ちゃん」

「おう」

「いつも時間通りに遼ちゃんの家の前にいるのに、遅れるなんて珍しいね」

「寝癖が中々直んなかったから」 


 爽太はぶっきらぼうにそう言った。

 いや、それは嘘だ。おそらく爽太も寝付くことができず、睡眠不足で寝坊したのだろう。彼の顔を見ると、遼と同じく目の下に黒い物があったから察しがついたのだ。

 三人は学校に向かって歩きながら話始めた。


「お前でも緊張するんだな」


 遼が少しからかうような感じで爽太に言った。

 爽太はやはり図星だったのか、一瞬口元に戸惑い見せたがすぐに真顔になり


「お前こそ昆虫みたいな目になってるぞ。それに俺は緊張なんかしていない。イメトレをしてたんだ」


 といつも通りのハスキーで強い口調で言った。


「確かに遼ちゃん、今昆虫みたいだね」

「お前ら……誰が昆虫だよ。そしてそのイメトレでは俺らはレッズに勝ったのか?」

「…………さあな」


 暫くの沈黙の後、ぶっきらぼうに突き返された。


「なんだよさあなって」

「結局はやってみなきゃわかんねえってことだよ」

「それはそうだけど……だったらイメトレする意味ないじゃん」


 遼が突っ込んだ。


「要するに心の準備ってこと」


 爽太がそう言うと光が笑いながら


「爽ちゃんでも心の準備をするくらいなんだね」


 と明るい声で言った。遼と爽太は二人で顔を見合わせ、少し笑ってしまった。何かおかしくなってしまったのだ。


「わたしはそんなに不安に思って無いよ」

「どうして? あいつらに勝てる保証は無いんだぞ」

「保証ならあるわよ。だって遼ちゃんと爽ちゃんがいるもの」


 遼はそれを聞いてへっと笑った。あてにならないよ、その保証は。


「それに……わたしたちがいるもの」 


 校門の近くに着いた頃、光はそう言って照れくさそうに笑った。朝日に揺れる葉桜のような、眩しい笑顔だった。


「マークに封じ込められた不甲斐ないナショナルトレセンと関東トレセンなんかに頼らないで、わたしたちだけで結果を出すことだってできる! 」


 光は南台SSとの試合のハーフタイム時に、竹下監督監督が遼と爽太に向けて言った台詞をほぼそのまま言ってきた。


「俺らといる時以外でも、そのくらい強気だといいんだけどな」

「な、何よ爽ちゃん! 今度の試合では大丈夫よ」


 顔を真っ赤にしながら言った。光はいじられるといつも顔を赤くする。

 いじられて顔を真っ赤にするくらいなら、そんなこと言うなよな、馬鹿。……お陰さまで元気になったよ。







 校門を通り、昇降口で上履きに履き替え始めたところでチャイムが鳴り始めた。三人はバタバタと上履きを履き、全速力で教室に向かった。


「じゃーなお前ら、昼休みにグラウンドな!」


 6年1組の教室が見えた時、遼は二人に慌ただしく別れを告げた。そして勢いよくドアを開けて席に着いた。危ない、何とか間に合った。


 汗ばんだブラジル代表のレプリカユニフォームの襟元をパタパタしたがら風を送る。その風はとても心地よかった。







 


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