第3節 リスク
ベンチに戻り、竹下監督の周りに半円を描いて座った選手たちの様子は実に様々だ。つるつる頭から湯気を立ち上らせ、顔をしかめてゆでダコのようになっている者、長い髪の毛の下から無表情のまま、ギラギラとした眼光を発している者、弱々しい表情で俯いている者、などなど……。ちなみに遼は首を傾けたまま、目尻にしわを寄せて下唇を尖らせていた。表情は確かに様々だが、共通しているのは、ポジティブな気持ちでいる者は誰もいないということだ――竹下監督を除いて。
竹下監督はそんな選手たちを見渡すと、ニヤッという音が聞こえてきそうな笑みを浮かべ、口を開いた。
「よしよし、良い出来だ。後半もこの調子でガンガン攻めていこう」
え? 何を言ってるんだ竹下監督は。遼はいぶかしげな目で竹下監督を見上げた。いや、遼だけではない。選手全員がそのような目で竹下監督を見上げている。
「いやでも、そのまま攻め続けたら、またカウンター食らっちまいますよ」
首を傾けたまま、遼は言った。攻め続けたら、前半に失点した場面をまた繰り返すことになりかねない。これ以上失点したら勝つのが相当厳しくなる。これが前半を闘った南台への、遼の感想だった。だから後半はなるべくリスクを抑え、敵が隙を見せたところで攻撃を仕掛けていくというゲームプランを思い描いていたのだ。なのにこの調子で攻めていけとは……。竹下監督は俺らに自滅しろとでも言いたいのだろうか。
「カウンターを食らったら、何とかして止めればいい。もしそれで失点したとしても、取り返していけばいい話だろうが」
竹下監督は、何当たり前のことを聞いているんだ、というような顔で言ってきた。
いや監督、それが出来たら苦労しないって……。南台はかなり鍛えられたチームだ。あの鉄壁のディフェンスだって、桐生一人の力ではあそこまで堅くはならない。俺らが失点したあの刃のように鋭いカウンターだって、あのセンターフォワードの力だけではない。選手全員が相当な気持ちを持って、意思統一をしていないとあそこまではできないだろう。
「でもあそこまで攻めてゴールできなかったのに、どうやって点を取れば……」
光が俯いたまま小さい声で言った。本来トップ下の後方にいて、ディフェンシブなポジションからゲームをコントロールする筈の光までも、リスクを冒してまで上がったのだ。そうしてまでゴールを奪えなかったのだから、光も厳しい物を感じているのだろう。
すると竹下監督は、腕を組み溜め息をつきながら
「お前ら、何弱気になってるんだよ。俺はお前らをそんな軟弱者に育てた覚えはない。攻めて攻めて攻めまくる。目の前にでかい壁があったら殴って壊す。それがお前らのサッカーなんじゃないのか?」
と言った。
その通りだ。それがFC川越の、そして甲本遼のサッカーだ。みんな攻撃的で、楽しいサッカーが好きに決まっている。俺たちがそれを曲げたことは無かった。だが、南台は今までやったどのチームよりも守備が堅い。俺たちのサッカーが通用しないのではないかと、急に不安になってしまったのだ。
「確かに南台のディフェンスは凄い。実際俺も初めてだよ、こんなに上手いキーパーや、堅い守備陣を相手にするのは。だけどな、お前らは自分たちを過小評価しすぎだ。試合に出てるお前らからは解りにくいだろうが、向こうの監督はかなりハラハラしてたみたいだぞ」
南台のベンチを見ると、向こうの監督は怒鳴りながら、大袈裟なジェスチャーで指示をしている。「お前らまだまだ甘いぞ! このままだと後半絶対やられるからな!」という声まで聞こえてきた。
「相手だって初めてなんだよ、こんなにも分厚い攻撃をしてくるチームは」
竹下監督は再び笑みを浮かべ、そう言った。その言葉で、みんなの顔にだんだんと自信の色が戻っていった。海なんかはもうこの試合は貰った、というようなしたり顔をしている。竹下監督はそれを見てさらに
「いいか、ディフェンスっていうのはかなり精神力を消耗するものだ。それは相手の攻撃力が高くなればなるほど消耗は激しくなる。後半の20分、お前らの中で最大の攻撃を見せてこい。そうすれば20分で二点を取ることだってできる」
と続けた。遼もいける気がしてきた。斜め後ろを見ると、FC川越の中では数少ないマイナス寄りの思考の持ち主で、内気な気質の光までもが俯いていた顔を上げ、眼に光を宿し始めている。
「おし! やっと元気になったなみんな。マークに封じ込められた不甲斐ないナショナルトレセンと関東トレセンなんかに頼らないで、お前らだけで結果を出してこい!」
竹下監督がそう言った瞬間、ハーフタイムの終了を告げるレフリーのホイッスルが鳴り、選手たちはいつもの倍以上に元気な返事をしてフィールドに戻って行った。……遼と爽太を除いて。
遼と爽太は、竹下監督が最後に言った言葉に噛みつき、「俺は絶対不甲斐なくなんか無いです!」とか「……俺は必ず決める」だの言っていた。レフリーに「早くしなさい」と促されて渋々フィールドに戻ろうとしたとき、竹下監督から
「お前ら、あまり一人で何とかしようとし過ぎるなよ。ポジションチェンジとかをもっと有効に使ってみろ。お前らがマーカーを振りましてやるんだ」
とだけ言われた。その瞬間、遼の身体は電流が流れたようにビリッとなった。遼はこの言葉で、あることを閃いたようだ。
……あ、その手があったか! なんで思い付かなかったんだろう。これを使えば、だいぶ相手を混乱させることができるじゃん!……味方も混乱するかもしれないけど。チラッと爽太を見ると、爽太もいつもの無表情ながら、口元に微かな笑みを浮かべている。爽太も同じことを思い付いたのだろうか。そうとは限らないかもしれないが、これでかなり戦況が変わるかもしれない。
キックオフ前、遼は小刻みにステップを踏んで、両足で何度か軽くジャンプした。このゲーム、まだまだ何が起こるか解らなそうだ。