第38節 for you
お、発の横文字タイトル笑
※今回は登場人物紹介はお休みさせて頂きます
遼は余韻に浸っていた。
現在も準々決勝の別の試合が行われている。名古屋グランパスのジュニアチームと、かつて対戦した桐生率いる南台SSが戦っている。
ちなみに準決勝は、この試合に勝った方と対戦するのである。観察のために遼はその試合を眺めていた。しかし、試合の内容はほとんど頭に入って来なかった。
(なんか俺……うまくなったな)
相手の動きが手に取るようにわかる。自分がボールを持って、跨いで、タイミングをずらすだけで簡単に隙ができるのだ。
相手の隙を作り出すという感覚。今までもそんな感覚はなかった訳ではない。寧ろ敵を抜くためには、どうしたってフェイントをかけるなりして隙を作らなければならない。昔からドリブルが得意だった遼には、その感覚は元から備わっていた。
ただ現在、その感覚が異常なほどに研ぎ澄まされているのだ。最近調子がいいということもあるが、これは明らかに自分の進歩だと思う。
(…………あの時にこの感覚が欲しかったな)
あの時、それは5年生の終りに開かれた幾つかの国際試合のことである。遼たち日本選抜は多くの強豪国と戦ったが、互角以上の勝負を繰り広げ、多くの試合に勝利した。だがブラジルとコートジボワールには完敗した。特に、ブラジル代表と対戦した時の衝撃は大きかった。
全員上手かった。サッカー王国は常時タレントには事欠くことがないようだが、それは若手……いや、ジュニア年代でも同じようだ。
ペレ、ガリンシャ、ジーコ、ロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョ、ネイマール…………。皆各年代のサッカー史に残るセレソンのプレーヤーだ。幼いセレソンの中から、いずれ遼たちの年代のスーパースターが誕生するだろう。
アイルトン•マウリシオ•ダ•シウバは、その候補筆頭の少年だった。
カナリアの10番を背負ったカーリーヘアーの少年は、おそらく遼が対戦した相手の中では最高クラスの実力を持っていた。その大会で遼と宇留野はベストイレブンに選ばれたが、アイルトンは得点王とMVPをかっさらっていった。
あの時はいいようにやられてしまった。圧倒的なフィジカルと、ブラジリアン特有のジンガを元にした華麗なテクニックの数々。そして何と言っても、彼最大の武器である爆発的なスピード。遼にはすべてが完璧に見えた。
だが今の自分なら……遼はそう思わずにはいられなかった。
(……アイルトンがどのくらいレベルアップしたかはわかんねーけど、今ならやり合える気がする)
そう言えば全国大会の2週間後から、スペインで国もクラブチームもごちゃ混ぜにした、12歳以下のの国際大会があるとナショナルトレセンの監督が言っていた。その大会にブラジル代表は来ないらしいが、アイルトンの所属するFCサントスの下部組織は来るとも聞いた。
「早くやりてぇな……」
血が滾る。今さっき激闘を終えたばかりなのに、身体はもう次の対戦相手を求めていた。
高鳴る鼓動をあやそうと、試合に注目する。
展開は名古屋が押していた。ディフェンダーとミッドフィルダー、そしてフォワードに1人ずつナショナルトレセンを要する名古屋が、試合の主導権をがっちり掴んでいる。
だがそれでも、南台が誇るスーパーキーパー・桐生雄彦の牙城は揺るがない。名古屋の放つ枠内シュートは、全て桐生に防がれる。
まるでチーターのバネを持ったゴリラだ。その巨体からは信じられないような華麗な身のこなしで、あらゆるシュートをストップする。
(……あいつは小学生用のゴール使っちゃ反則だろ。大人用でいけよ)
遼は苦笑する。味方の時は最高に頼もしいが、敵に回すと滅茶苦茶厄介である。マジで点が入る気がしないのだ。
「キーパーッ!!」
名古屋のウイングバックが入れたクロスが、ゴールエリア付近に上がった。それを桐生が飛び出してキャッチする。そして直ぐ様エリアギリギリまで走り出し、ライナー性のパントキックを前線のスペースに蹴った。
「っしゃあ、ナイスキックタケ!」
待ち構えていたのは、南台の攻めの中心であるセンターフォワードの冨田累。
持ち前の快足を飛ばしてボールに誰よりも早くボールに追いついた彼は、ペナルティエリアを飛び出してきたキーパーの上を越すシュートを放ち、それはゴールエリアでワンバウンドしてからネットを揺らした。
(南台らしいゴールだな)
遼は苦笑する。かつて自分たちも同じような型でやられたのを思い出したのだ。
冨田は、名古屋のトップチームに所属する長井にプレースタイルが似ている。その彼に名古屋のジュニアチームが点を取られたことを考え、遼は少しおかしくなった。
(……俺は他の人に、どの選手に似ていると思われているのかな)
Jなら浦和レッズの原島か、それともガンバの伊佐美か。世界ならネイマールか、メッシか、アザールか……歴史を辿るとロナウドか、それともマラドーナか。
いや、俺は俺だ。俺はこの人たちをすべて超える最高のサッカー選手になってやる。メッシが4年連続バロンドール受賞なら、俺は5年連続だ。待ってろ、そのうち俺が抜き去ってやる!
遼は立ち上がり、1人観客の雑踏から抜け出した。そして会場の隅の誰の邪魔にもならなそうなところに行くと、リュックからボールを取り出して1人リフティングを始めた。
ボールを触っていないと、禁断症状が起きそうだった。
◇
夕方宿舎に戻り風呂に入った後、遼は宿舎の外の自販機でコーラを一缶買って、近くのベンチで涼みながら飲もうとしていた。
夕陽は少し前に沈み、空は西の部分に微かな青味を残して紫色に染まっている。遼はそれを見上げながら、コーラをごくごくと喉に流し込んだ。
「あ、遼ちゃん」
聞き慣れた声で、不意に呼び止められた。振り向くと光が、自販機の側で濡れた髪を揺らして手を振っている。遼も手を振り返した。
(久しぶりに見るな、こんな光)
四年生くらいまでは一緒にお風呂に入ったこともあったが、流石に今はもう無理だ。互いの家に泊まっても、風呂は必ず別々に入る。当たり前のことなのだが、遼は昔の光が思い出されたように感じられ、少し懐かしいような感情を覚えた。
光はQooのオレンジ味を買ってやって来た。遼は1人で占領していたベンチの片側を空け、光に場所を作る。光は「ありがとう」と言って、静かに腰を下ろした。
「遼ちゃん今日は凄かったね」
「やっぱり? 最近体キレッキレだしさ、なんか上手くなった感じもあるんだ!」
嬉しそうに喋る遼を見て、光は頬が緩んだ。
「特に4点目のゴールなんて凄かったよ。 あんなのウイイレでもできないって!」
「そこまで言われると結構はずいわ」
遼は照れ臭そうに、しかし嬉しそうに頭を掻いて笑う。
「でも最後にビクターが突っ込んで来た時はヤバかった。光が声掛けてくれなかったら、足がもげてたかもしれない」
遼は肩を竦める。確かにあのスライディングは、食らったら痛いではすまなかっただろう。
「私も、夢中になってた。物凄いスライディングだったよね」
光はあの時、ビクターが鬼気迫る表情で遼に接近したのを見て、何かが起こると予感した。そしてそれを遼に伝えるべく、必死に「遼ちゃん、後ろ!!」と叫んでいたのだ。
(私の声……ちゃんと届いていたんだ)
光は胸の上あたりが暖かくなるのを感じた。
ボールと一体になって、味方をも置き去りにして一人敵陣へ切り込んで行った遼。絶対に届いて欲しいと願った声は、ちゃんと届いていた。
「明日は名古屋だ」
遼は空になったコーラの缶を、足で踏み潰しながら言った。
結局桐生たちは逆転を許し、1対2というスコアで敗退した。遼たちはナショナルトレセンを3人率いるチームと戦うことになったのである。
「勝てるよ」
だって遼ちゃんがいるし。
その言葉は胸の内にしまった光であった。
「絶対優勝しようぜ。……光とこうして全国で戦うのも、この大会が最後だからな」
「……!」
「光のためにも、明日は……そしてその次も絶対に勝つ! ……あっ」
そう言ったあと、遼はばつが悪そうに顔を背けた。
「……うん、ありがとう遼ちゃん」
光は溢れそうになった涙をなんとか堪えて、遼にお礼を言った。
男子と女子が同じフィールドで戦い、全国制覇を目指せる大会はこの大会が最後だ。これから先はもう2度とこのような機会は訪れない。
もっと遼ちゃんとーーもっとみんなとサッカーをしたかった。もっともっとみんなと対等に戦いたかった。
夜部屋で泣き伏したこともあった。我が身を呪ったことも何度かあった。男の子に生まれたかったと思ったことも、幾度となくあった。
ーーでももうそれでもいい。
光は嬉しかった。遼が自分のために勝とうと言ってくれたのである。とてもとても嬉しかった。
「……そろそろ飯だ。行こうぜ」
「うん」
遼は立ち上がり缶を拾うと、素早くゴミ箱に捨てて小走りで去って行った。
光も立ち上がると、のんびりと歩いてその後を追った。