第36節 闘志
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◎風野 浩人
なかよしキッカーズの右ウイングにして10番。卓越した足元のテクニックと正確なキックが武器。小2まで神奈川に住んでいた。好物は梅干し系のお菓子である。
「優磨お疲れ」
「おう。今流れはこっちだ、いけるぞ。ビクターを頼む」
「任せろ!」
FC川越で海の次に身長の高い大場と、一番身長の低い優磨がタッチをしてピッチから入れ替わる。すっかり疲弊していた優磨は、交代した瞬間気が緩み足がもつれて倒れそうになってしまった。だが竹下監督が支えてくれたので、なんとか倒れずにすんだ。
「お疲れさん。してやったな優磨」
竹下監督は優磨の頭をくしゃくしゃと撫でた。優磨は火照った顔に笑みを浮かべて頷く。そして松本コーチともハイタッチを交わした後、ベンチメンバーからビブスを受け取って、ベンチの一番奥の席に腰を降ろした。
「ふぅ…………」
優磨は濡れタオルで首から上を拭いた後、薄めたアクエリを煽るようにして飲む。どんどん飲む。だが喉の渇きはなかなか癒えない。飲んでも飲んでも体内に吸収されるどころか、汗となって外に放出されてしまうのだ。
(…………少し生き返った)
暫く水分を補給し続けた後、体は些か楽になった。まだ脱力感が残っているが、目眩は収まってきている。優磨は試合を見るべく顔を上げた。
だが直後、優磨の表情が凍りついた。
「あっぶねー助かった……」
隣に座っているメンバーが安堵の声を漏らす。優磨も声には出さなかったが、心の中で同じく深い安堵の溜め息を吐いていた。
なかよしキッカーズの右ウイングがサイドを緩急を付けたドリブルで破り、センタリングを上げると見せかけてカットインを決める。彼はバイタルの中央で待ち構えていたビクターからパスを送り、ビクターは右足のインステップでダイレクトでミドルを放った。
それはバーを掠めて消えていったが、川越の選手たちにインパクトを与えるのには十分だった。
「シュート打たすなよ! しっかりコース切ってこうぜ!」
利樹がキーグロを叩いて怒鳴る。利樹はこのゲームのターニングポイントを敏感に察知したのか、ディフェンスを引き締めようとしている。
だが利樹のそれはあまり効果をなさなかった。このプレーをきっかけに、流れは完全になかよしに傾くことになる。
◇
ビクターのプレーのキレか明らかに増した。大場は懸命にビクターを封じようとするが、本領を発揮し始めた怪物はそれを蹴散らして好き勝手に中盤を荒らし回る。つられてなかよしの両サイドも活性化し、川越は爽太と海まで守備に回っていた。
「奴ら遼をほっといてまで攻めんのかよ!」
優磨は驚いた。遼はセンターサークル付近に一人佇んでいるが、周りになかよしキッカーズのディフェンスは一人もいない。キーパーはセンターサークル手前まで出てきてポシショニングを取っているが、もしそれで遼にボールが渡ったらどうするのだろうか。彼が一人で遼のドリブルを止められるとは思えない。
遼にボールが渡れば一点はほぼ確実。
だが、遼のところにボールはやってこなかった。
「竹下監督、あと何分っすか?」
優磨はピッチから目を離さずに竹下監督に聞いた。
「あと……2分半くらいだな」
竹下監督は時計を見ながら答える。
もう残り時間は少ない。その少ない時間で逆転すべく、なかよしキッカーズはほぼ全勢力を攻撃に充ててきた。川越は結局遼も引いてきてこれを凌ごうとする。
雨あられのように降り注ぐシュートを、利樹が、ディフェンス陣が体を投げ出して防ぐ。中盤はビクターに支配されているため、こぼれ球は悉く敵に拾われてしまう。そのため、なかよしの攻撃は途絶えることなく襲い掛かってくる。ちなみに右サイドは爽太が守備面でも冴えを見せているためやられてはいないが、左サイドはなかよしの風野に制圧されてしまっている。
そして、またしてもその左サイドから崩された。
風野は単独で突破を図ると、海を抜き去り、小林のカバーがやって来る前に中にアーリークロスを放り込んだ。
「クリア!!」
利樹が守備陣に怒鳴る。本当は「キーパー!!」と叫びながら飛び出し、キャッチなりパンチングなりしたかったのだが、風野は利樹がギリギリ飛び出せないような絶妙な位置にボールを入れてきた。
もちろん、それを合わせるのは先程から幾度となく川越ゴールを脅かし続けているビクターである。大場は望月と二人がかりでビクターを抑え込もうとするが、ビクターの圧倒的なフィジカルは易々とそれを蹴散らす。そして――
ビクターの額は完璧にボールを捉え、強烈なヘディングが炸裂した。利樹は必死に飛ぶが、もうなす術は無かった。
後半アディショナルタイムに、川越は同点に追い付かれてしまった。
「ぬああやられたあああ!!」
松本コーチが頭を抱えて呻く。竹下監督も悔しそうに顔を歪め、観客席の川越の選手の父兄たちが陣取る部分からは深い溜め息が聞こえた。
「トシ、ボールだ!」
「おう! 早く始めろ!」
遼が一刻も早く試合を再開させるために利樹にボールを要求する。利樹も遼と同じことを考えていたようで、すぐ様ボールを遼に投げた。
「取り返すぞ!」
英が檄を飛ばす。ピッチ上のFC川越の選手全員が、覇気のこもった声で「おう!」と応えた。
残り時間僅かというところで勝利を逃したのに、彼らに落胆の色は見えない。
いや、少なからず悔しかったに違いない。だがそれを上回る高揚感が彼らを包んでいるように見える。試合中に進化したなかよしキッカーズを、ビクターを打ち破ってやろうと燃えている。
遼はサークルの真ん中にボールを置き、レフリーの笛を待つ。そして笛が鳴り響くと、ボールと共に一気呵成に駆け出した。
慌てて寄せてきたなかよしのセンターフォワードを寄せ付けず、抜き去ってビクターと対峙する。そしてトップスピードのまま股抜きをして抜いた。ビクターの顔が凍りつく。遼の目にはもうゴールしか映っていない。
そのまま次のディフェンスもかわしてシュートを打とうとした遼だが、股抜きのタッチが大きくなってしまいスライディングで潰されてしまった。
「ファウル!!」
海がアピールするも、笛は吹かれなかった。そして直後、別のことを告げる笛が3度鳴り響き40分の激闘が終了した。
「大丈夫か遼?」
ピッチ座ってレガースの位置をを直している遼に、海がタックルを食らった足の状態を問いてきた。
「大丈夫。それよりもビクターを抜けてよかった」
本人に聞こえるようにわざと声を少し大きくして言う。案の定、ピッチから出ようとしているビクターは憤怒の形相でこちらを睨んできた。
「延長が楽しみだな」
いつの間にか遼の隣に立っていた爽太が、口の端を釣り上げながら言う。
「よっしゃあ! 燃えてきたぜ!!」
海が声を上げる。それは遼と爽太の気持ちも表している。
青いユニフォームの9番、10番、11番の3人は、真上でギラギラと照りつけている太陽にも劣らない闘志を漲らせながらピッチを後にした。
◇
竹下監督から細かい戦術的な指示はなかった。もう竹下監督の中では万策尽きた状態なのだろう。優磨で試合を決めて大場がビクターを抑えて締めるというのが、竹下監督が描いていたパターンだった。だがビクターの能力が予想を上回ってしまったので、それは崩壊してしまったのだ。
竹下監督は申し訳なさそうにそれを打ち明けた後、1つだけ大まかな指示を出した。
――――点を取ってこい。そして絶対に勝とう。
竹下監督はそう言って選手を見渡した。
もうここから先は川越の選手となかよしの選手との能力勝負になる。
俺らは竹下監督に育てて貰った。竹下監督に勝たせて貰った試合だって何度もあった。
今回は俺らが監督を勝利に導くんだ。竹下監督のために勝つんだ。
遼はハーフェーラインの向こう側のゴールを見てそう誓った。
隣では海が手を腰にあてがって殺気を張り詰めさせていた。
「川越勝つぞ!!」
「おうっ!!!」
遼が気合いを入れ、チームメートたちが全声力で応えた。そして直後、延長戦開始さ笛が高々と鳴り響いた。