第30節 ニュー甲本
ネイマールさん半端なかったっす!!
俺もう惚れ直したっす!!
※今回の登場人物FILEはおやすみさせて頂きます
遼はピッチから逃れるように、真っ先にベンチへと引き上げて行った。そして控えの選手たちが開けてくれた席の一つに座り、氷水から濡れタオルを引っ張り出して首筋に当てる。そしてそのまま俯き、失点の場面を思い返していた。
(あのパスは的確な判断だったのか)
縦のコースは確かに敵が来ていた。しかし一人だけ。自分なら突破できたのではないか? ノールックパスなんて慣れないことを、あの場面でするべきではなかったのではないか?
(くそっ! 何やってんだ俺)
己に激しい苛立ちを覚える。日本一の選手になるのではなかったのか? それがなんだこのザマは。大言壮語もいいところである。
(くそっ! くそっ! くそっ!)
後半、もっとガンガンいってやる。やってやってやりまくってやる。
「竹下監督」
「ん、なんだ?」
「えーっと……」などと呟きながら後半に向けての指示を出そうとしていた竹下監督だが、遼の方を向いてキョトンとした顔をした。
「後半俺センターフォワードやってもいいですか?」
遼は目をギラつかせて竹下監督に問う。すると隣に座っていた海が、弾かれたように遼の方に振り向いてきた。
「おいちょっと待てよ遼! 俺は代わりたくねーぞ!」
海は抗議の声を上げ、竹下監督にも「俺代わりたくないっすからね!」と喚いている。竹下監督は腕を組んで悩んでいる。そして腕組を解き、意味ありげな笑みを浮かべた 。
「面白そうだな。やってみろよ」
「はい!!」
遼はその笑みの意味を特に気にすることもなく、ただ嬉しそうに頷いた。ただ海はご立腹である。太い唇を尖らせてブーブー文句を言っていた。
「海、俺はお前にウイングはとても似合っていると思うぞ」
「な、何でですか?」
「世界の名だたるウイングたちを見てみろ。古くはジョージ・ベスト。今はクリロナ、ネイマール。みんな世界最高峰の選手じゃないか。しかもイケメンが多いんだぜ。……俺の言いたいこと、解るか?」
海の太い唇は、縦ではなく横に広がり始めた。
「俺も最高の選手で、尚且つイケメンだと?」
「そうだその通りだ!」
「うおっしゃあ! まっかせて下さいよ! ハッハッハーお前ら! どんどん俺様にボールを集めるがいい!」
優磨は拳を震わせて、今にも海をどつかんとしている。ただ竹下監督が慈愛の瞳で優磨を制しているため、渾身の突っ込みを炸裂させることはできなかった。
それから竹下監督と松本コーチが幾つか指示出した後、ハーフタイム終了を告げるレフリーの笛が鳴り、選手たちはピッチへと戻って行った。
遼はばちんと頬を叩いて気合いを入れ、一歩いっぽ芝を噛み締めながらピッチへと戻る。だがタッチラインを越えようとしたその途中、竹下監督が遼のことを呼び止めた。
「遼! バイタルから向こうのスペースと、そこに来たボールは全部お前のもんだ! 好きなだけやってこい!」
そう言うと竹下監督は破顔した。遼も火照って赤みを帯びている顔に、少年らしい爽やかな笑みを浮かべて応える。
そしてセンターサークル付近にポジションを取り、広島ボールのキックオフに備えた。広島のフォワードが緩いボールを出したら、いつでもかっさらいに行けるように。
(まずいな……)
柏原は思った。
柏原は前半、表情から察するに遼はどこか集中しきれていないように思えていた。そのため虎視眈々と遼のボロが出るのを待っていて、案の定そこから同点弾が生まれたのである。
だが、今の遼の目付きは彼が集中し切った時に見せるそれだ。
柏原はその目を一回だけ見たことがある。ナショナルトレセンの海外遠征で、フランスの12歳以下の選抜チームにハットトリックをかました時である(ちなみに柏原は知らないが、県大会の時の遼はもちろん本気であった)。
「おい、後半集中していくぞ!」
柏原は振り返り、ディフェンス陣に向かって喝を入れる。
集中し直さなければ、あいつ一人にやられてしまう――柏原の脳内で、警報器がけたたましく鳴り響いていた。
◇
後半が始まって5分ほど経って、優磨はかなり手応えを感じていた。遼のセンターフォワードは自分にとってめちゃくちゃやり易い。
海から遼に代わったことで“上の”ポストプレーの迫力は落ちたが、“横の”ポストプレーの質は格段に上がった。元々パワープレーを好まず、平面で勝負したい優磨にとってこれは非常にありがたいことであり、遼も優磨とより近い縦の関係を築くことができたので、攻撃のパターンは多彩になった。
優磨がボールを受けると、常に絶妙なタイミングでパスコースに入ってくる奴がいる。青のユニフォームの10番だ。すかさず優磨はそこにパスを送り、新たなるパスコースを作るために自らも駆け上がって行く。
遼は背後に敵の接近を感じながらも、お構いなしにターンを決めて抜け出す。敵の重心の流れを利用した巧みなターンだった。
「4対4だ! いけー遼!!」
ベンチから叫び声が聞こえた。言われなくてもそのつもりだぜ!
トップスピードでドリブルする遼に一枚付いて、もう一枚がカバー、あとは爽太と優磨を警戒しながら徐々に距離を詰めてくる。逆サイドの海はマークが付いていない。
遼は突っ込む。スピードを緩めずに突っ込むと見せかけ、急停止して左側に90度の角度で切り返す。そしてまた縦に爆発的に加速して一人を抜いた。
(あいつ、一人で来る気だ!)
柏原は戻りながらそう確信した。広島ゴールの前では、キーパーが「厳しくいけ! 潰せェ!!」などと怒鳴り続けている。広島のディフェンスたちもそれを予感し、抜かれたディフェンスを含む4人で遼を囲みに来た。
遼はギアを更に上げる。ディフェンスは遼が突破しようとしているコースを、二人がかりで両側から塞ぎにきた。だが――遼は今にも閉まりそうな自動ドアの隙間を縫うような具合で、二人の間を一瞬で通り抜けた。
「えっ?!!」
「な、なんだと?!」
あっさりと4人がぶち抜かれてしまった。残るはキーパー一人。堪らず飛び出すキーパー。遼は大きなフォームでキックフェイントをかけてキーパーを芝に倒すと、アウトサイドで切り返して無人のゴールに思いっきり叩き込んだ。
「っだらああああ!!」
ボールは千切れんばかりにゴールネットを揺らし、遼はこれまでの鬱憤をすべて晴らすかの如く叫んで、空中でガッツポーズを決めた。
遼は優磨に抱きつかれ、海に頭を叩かれ、爽太には背中を叩かれながら自陣へ悠々と帰還する。やっと自分らしい得点をすることができて、遼の表情はなんとも晴れやかだった。
「やっと吹っ切れたか」
竹下監督はニヤニヤしながらその光景を眺める。一方松本コーチは、選手たちと一緒にわいわい喜び合っていた。
(あいつ、全国大会になってから色々おかしかったからな……まあ、吹っ切れたんなら良かった。これでこの先も暫くは大丈夫かな?)
レッズを、そして宇留野貴史を倒して、永らく目標にしていた埼玉県のトップにようやく辿り着いたからか。そして期待していた全国のレベルに落胆したことにより、新たな目標の価値が霞んでしまったからなのか。ここ最近の遼はいまいち集中に欠けることが多かった。
遼自身は別に敵を舐めてる気などまったくないが、6年間も一緒にサッカーをしてきているチームメートやコーチ陣たちから見れば、全力の時のプレーとはやはり全然違った。
しかし今、己の不甲斐なさに気づいた遼はこれもまたやはり無意識のうちにキレを取り戻しつつある。
(これは思ったよりも簡単に優勝できるかも……おっと俺がこんな軽い気持ちではだめだな)
竹下監督はニヤついた顔をしながら、自分自身を戒める。一方隣の松本コーチは、もうこの試合は貰ったとでも言わんばかりのどや顔をかましている。っていうかなんであなたがそんなにどやっているんですか……。
そんなベンチの二人の目の前で、遼率いる川越のオフェンス陣は水を得た魚のように広島陣内をかき回している。
爽太が優磨との細かいワンツーでエリアに侵入すると、中の遼にゴロの速いパスを送る。遼は足元に正確に収めると、ツータッチ目に、広島ディフェンスの足から逃げるようなループを後方に落とた。優磨は更にそれを浮き玉で逆サイドに送る。そこには海が飛び込んで来て、強烈なヘディングシュートを――キーパーにぶち当てた……。
「おいマジかよ海!!」
「ぐあああ今の決まってたらすげーかっこよかったのに! 何が世界最高のイケメンウイングだよ!!」
「……なんであれを外すんだ」
三人に責められて、海の身長は縮んだように見えた。
「くっそーなんで点取れねえんだ……」
……海の場合これはよくあることなので、誰も何とも思っていない。海本人も「まあいいか! 次だ次!」とあっさり切り替えてしまっているので、川越はこれを特に引きずることもなかった。
川越の攻撃は途絶えない。遼と優磨を中心に中央を切り崩していくと思えば、引き付けて両サイドに展開して広島のディフェンスを振り回す。
海のウイングも思いの外ハマっており、不器用ながらも激しい上下動に広島のサイドバックは悪戦苦闘していた。
「ヘイ!」
遼が広島のディフェンスの重心に入り、優磨からクサビを受けようとする。しかし優磨は遼には出さず、遼に注意が持っていかれた広島のディフェンスラインの裏に速いスルーパスを出した。
抜け出したのは爽太。キーパーが飛び出してきたところを、冷静に体勢を見極めて右側にアウトサイドかわし、無人のゴールにボールを流し込んだ。
「よし」
この日2点目を決めた爽太に、川越の選手たちが群がって喜ぶ。
(……やっぱ遼が近い方がやり易いな)
優磨だけでなく、爽太もそう感じ初めていた。
一方柏原は真逆である。最前線で躍動し続ける遼をどうやって止めるか。それだけではなく、この巧みに連動してくる川越の攻撃をどうやって封じるか。
(クソッ……どうする?!)
遮二無二走り続ける柏原であったが、答えは浮かんではこなかった。
ミスった爽太は既に点取ってました……




