第29節 縦横無尽
ー登場人物FILE-
◎柏原 圭
サンフレッチェ広島FCJr.の8番で、ナショナルトレセンのセンターハーフ。長く垂れた細目が特長的。広島の大ファンで、ことごとく広島の選手を奪っていくレッズのことを恨んでいる。
「優磨(パス出せ)っ!」
遼は裏にダッシュで抜け出すと見せかけて相手ディフェンスのラインを下げさせ、そして鋭く切り返して戻り、完全に相手の右サイドバックを振り切った。
そして優磨は、遼がフリーになったタイミングを逃さずにパスを出す。遼はそれをしっかりと足元に収め、体勢を立て直して自分に向かってきたサイドバックの裏へスルーパスを出した。
「ナイスパァス遼!」
海がサイドバックの裏に空いたスペースを逃さずに、中から走り込んで来ていたのだ。
(お前にしちゃいい動き出しだな)
優磨は内心誉めた。
海はコントロールすると、縦に向かって猛ダッシュで直進する。サイドバックは慌てて追いかけるが当然追いつくはずもない。そしてペナルティエリアの中くらいの位置まで駆け上がった時、左足でセンタリングを上げようと振りかぶった。
(あーもうだめだそれ)
優磨は、いや川越のみんなは知っている。海の左足はおもちゃなのだと。中の選手はろくなセンタリングが来ないだろうと思ったのか、走り込むスピードを少し緩めてしまった。
しかし。
海はまさかのキックフェイントを仕掛けたのだ。
「おろ?」
ベンチでは不意を突かれた松本コーチが情けない声を出す。いや、あなたがひっかかってどーすんですか。
しかしブロックに来ていた相手のサイドバックはこれに引っ掛かり、バランスを崩したところを海はかわしにいった。
しかし。
海の切り返したはかなりでかくなってしまったので、サイドバックをかわしたはいいがカバーに来た柏原に奪われそうになってしまった。
「オラァ!」
しかし。
海はそんなことはお構い無しにセンタリングを上げようとする。ブロックしようとした柏原の右足と海の右足がボールを挟んで激突し、柏原は見事に吹っ飛ばされた。
「海落ち着け! 中を見ろ!」
こぼれたボールを尚も強引に蹴りに行こうとする海に、竹下監督は落ち着いて中央で浮いている望月に出すように言った。
だが熱くなってる海の耳にはそんな声はまったく届いていない。左サイドから少し中に入ったバイタルエリアで、海は右足を振り抜いた。ちなみにセンタリングではない。シュートである。
「バカッ……ってあれ?」
悪態を吐こうとした優磨であったが、シュートの弾道を見て目を見開いた。 思いの外かなり良いシュートだったのだ。
海のシュートは、唸りを上げながら川越陣内から見てゴール右上の隅を強襲する。キーパーはまさかあんなとこからシュートを打ってくるとは思わなかったのか反応が遅れ、跳んではいるものの届かないことは誰の目にも明らかである。
「おおっ!」
川越のベンチでは、松本コーチが拳を握りしめ、そして選手たちが腰を浮かせて今にも立ち上がろうとしていた。しかし直後「ガンッ」という音が広島のゴールから響き、ベンチの選手たちと松本コーチは安いコントのようにガタガタと崩れだした。
しかし攻撃はまだ続いている。
跳ね返ってきた球を、望月が競り勝ってヘディングでエリア内に戻し、それを更に爽太がヘディングで捩じ込もうとした。だがボールはゴールラインを越えようかというところでディフェンスに掻き出され、更に別のディフェンスに大きくクリアされた。
しかもそのクリアは、遼とサイドバックの小林の上がりによって手薄になっている左サイドの裏に飛び、相手のフォワードにツーバウンドしたところをコントロールされ、一気にピンチになってしまった。
相手フォワードは、川越のディフェンスが戻らないうちにシュートまで持っていこうとドリブルのスピードを上げる。そのフォワードに真っ先に向かって行ったのはセンターバックの英だった。
カウンターの原則は決して止まらずに、いかに速くフィニッシュまで持っていくかだ。一度でも止まってしまえば速攻は成立せず、カウンターは終わってしまう。広島のフォワードもそれは解っているようで、英が進路を塞ぎに来ても積極的に縦へと突破を図ってきた。
英はそれをさせまいと、絶妙な間合いを保ちながら相手フォワードをじりじりとゴールから遠ざける。
ペナルティエリア付近まで来たとき、相手フォワードは右足のヒールチョップでカットインを仕掛けて来たが、英は素早く体の向きを変えてノーファールで相手を吹っ飛ばした。
「おおお! ナイスディフェンスだ英!」
松本コーチが暑さで真っ赤になってる顔を綻ばせながら叫ぶ。ピッチでは利樹が、そして遼も英のことを称えていた。
「いやーいい守備したね英! (広島の)9番の突破も中々鋭かったけどしっかり止めた!」
「とーぜんですよ松さん」
対照的に竹下監督は冷静だった。さほど興奮した様子を見せずににんまりと笑う。
「英がいつも相手してるのはあいつですよ?」
そう言うと竹下監督は、左サイドををドリブルで切り裂いている川越の10番を指差した。
「ああ……そりゃ上手くなるわ」
松本コーチは苦笑する。
英は攻守に別れてのフォーメーション練習などではいつも遼とマッチアップしており、その度にチンチンにされているので大抵のドリブルに対する耐性はできていた。 FC川越の選手たちは一人ひとりの能力が高いことで評判である。それは竹下監督たちによる徹底した個人技術の習得練習の賜物でもあるわけだが、要因はそれだけではなかった。
毎日毎日、朝から晩までサッカーに明け暮れる一人のサッカー小僧がいて、そして彼に感化されてしだいにみんなもサッカー小僧になっていったのだ。
もちろん竹下監督も選手たちがよりサッカーを好きになるよう尽くしたのだが、やはり遼がいなければここまでレベルの高いチームにはなっていなかったと思われる。
好きこそ物の上手なれ――これはサッカーにおいては大いに当てはまることなのだ。サッカーは(成長速度は人によって異なるが)好きになればなるほど上手くなるものなのである。
楽しみながらボールを蹴る。これこそがサッカーの醍醐味だ。
「いいねえこういうの……」
竹下監督はボソっと、誰にも聞こえないように呟く。そしてとても楽しげな表情を浮かべ、体を椅子の背もたれに預けた。
しかし数秒後。竹下監督の表情は突如強張り、そして渋い顔になった。更に「う~ん」と呻きながらボードにペンを走らす。隣では松本コーチが「あああもう!!」と絶叫していた。
◇
川越はカウンターのカウンターを仕掛けていた。英の奪ったボールは光と優磨を経由して遼へと繋がれる。前がかりになった広島の後方はかなりスペースがあった。
「おお! 川越の展開はええぞ!」
「甲本だ! 甲本が突っ込んでく!」
観客席から怒号が飛ぶ。遼はボールを受ける際、右足のインサイドで前にコントロールすると見せかけて足を引くと、軸足の後ろを通すクライフターン気味のトラップでディフェンスをかわした。
そしてそのままスピードに乗り、縦に突っ込む――と見せかけて、右足のアウトでマイナス気味にノールックパスを出した。そこには望月が走り込んで来ている。フリーの望月はダイレクトでのシュートを選択した。
しかし望月にボールは渡らなかった。
先程のカウンターで前線に上がっていたはずの柏原がスライディングでこれを阻止した。しかもボールは柏原の足元に収まっている。
柏原は起き上がると同時に、前線の背のでかいフォワードに向かって精度の高いロングボールを蹴った。そして自らも攻撃に参加すべく再び駆け上がって行く。
「マジかよ……」
目の前でボールを奪われた望月は驚愕のあまり呟く。
(相変わらずすげえ脚力だな)
遼も、川越陣内のバイタルエリアでボールを受けた柏原をまじまじと見ながら思った。
「あ、ヤバいぞこれ!」
遼はハッとする。感心している場合ではなかった。慌てて猛ダッシュで帰陣を開始する。
柏原を止めに行った光が、右足でのキックフェイント+アウトサイドでの切り返しでかわされた。
光が一発でかわされるほどの鋭い切り返し。ナショナルトレセンのセンターハーフはただの体力馬鹿ではなかった。
(な、なんであんなに走った後なのにこんなにキレがあるの?! )
光は自分の横を走り抜けていく垂れ目の少年を、驚愕の表情で見送る。手を伸ばしファウルで止めようとしたがもうどうしようもなかった。
「くそっ!」
佐藤は今にもラインを掻い潜りそうな広島のフォワードのマークに忙しいため、英がたまらず飛び出した。
柏原はドリブルを止めない。 英が立ちはだかるが構わずその左側を抜けようとする。英は体を当てて止めに行った。
(よし、止めた!)
ガシッと英と柏原の体がぶつかる。英は安堵したがそれもつかの間、柏原の足元にボールが無いのに気づいて英は慌ててボールを探した。そして次の刹那、英は自陣ゴールネットの中に白く泡立つネットとボールを見た。
戻っている最中の遼は、柏原が英の接近に合わせてボールを股間に通したのをはっきりと見た。そのボールは柏原を追い越しとエリアに侵入したボランチに渡り、彼は利樹との一対一を制したのだ。
「よっしゃーやったぞ圭! マジナイスパス!!」
ゴールを決めた広島のボランチは柏原に飛び付き、柏原はそれに応える。広島の選手たちは次々と柏原たちの元へ集まり、祝福の輪を作っていった。
それとは対照的に川越の選手たちの雰囲気は暗い。自分たちが圧倒的に押していたのにも関わらずカウンター一発で同点にされてしまった。しかも、エースが出したパスをカットされて。
「ほら切り替えていくぞ! 集中しろ集中!」
ベンチから松本コーチが声をあげて選手を叱咤激励する。しかしそれ以降川越の攻撃はいまいち元気がなく、広島の方もセーフティーのまま残り時間を使おうとしてきたので、前半は広島の同点弾以降、大きく動くことなく終わりを迎えた。