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サッカージャンキー  作者: 宮澤ハルキ
第一章 少年サッカー編
22/48

第21節 未体験の世界

ー登場人物FILEー


宇留野(うるの) 貴史(たかし)

レッズJr.の10番。好きな食べ物はキムチで、嫌いな食べ物は豆腐。ちなみに海外サッカーヲタクである。

 サッカー選手は忙しい。それにはプロも小学生も関係ない。一つの試合が終わったらまた次々と試合が組まれていくのだ。


 遼たちにとってはハッピーエンドで終わった県大会から2週間ほどたった土曜日、遼はいつもとは異なったメンバーでまたも埼玉スタジアムにいた。これから埼玉県トレセン対神奈川県トレセンの試合が行われるのである。

 今日はまたもこの埼スタでの試合になるのだが、会場は県大会を闘った第3グラウンドではない。なんとあの6万5000人収用の『埼玉スタジアム』なのである。

 試合といっても公式戦ではなく、Jリーグディビジョン1の浦和レッドダイヤモンズ対横浜F・マリノスのゲームの前座という扱いなのだが、遼や遼の周りに座っているサッカー小僧たちはどことなくそわそわとして落ち着きが無い。そりゃそうだ、万単位の観衆の前でオーロラビジョン付きのスタジアムで試合をするなんて滅多に無い機会だ。テンションを下げるなと言う方が無理である。


 だけど遼の右隣に座っている爽太はナチュラルだった。本人曰く「別にどこでやろうが試合は試合。勝てばいいんだ」だそうである。爽太はいつも楽しむことよりも勝つことが優先させているので、それはこのような華舞台でも変わらないようだ。




「当然のことだけど……やっぱすげー面子だな」


 遼の左隣に座っている利樹がまるで他人事のように呟いた。


「そりゃそーだろ。だって埼玉県のベストイレブンだぜ」

「……俺もとうとうその中に入れたんだな」


 ゴクッと唾を飲みながら静かな声でそう言う。しかし彼の顔には野心的な笑みが満面に溢れていた。


「神奈川にはさ、瀧澤がいるんだろ?」


 瀧澤とは瀧澤秀斗たきざわしゅうとのことである。彼はナショナルで遼とツートップを組んでいるので、遼は彼とは顔見知りだった。


「いるよ。あいつも全国来るってさ」

「じゃあそこでやる前に今ここで負かしてやろう」


 利樹はキーグロを握りしめながら言った。口元にはさっきからつり上がりっぱなしである。県大会でレベルの高い試合を数多く切り抜けたことで、利樹は強敵との闘いを楽しむというタフなメンタルが身に付いたようだ。


 遼は改めてロッカールームを見渡した。

 トレセンに選ばれ続けている遼にとっては、このような試合があるといつも顔を会わせているメンバーばかりなので、久しぶりに集まった今日も特に何とも感じてなかった。

 だが今日初めてスタメンに選ばれた利樹からしてみればやはりそうそうたる顔ぶれなのだろう。確かにスタメンに名を連ねてる奴らは先の県大会でも活躍した奴らばかりで、豪華なメンバーと呼ぶのに相応しいなと遼は思った。


 キーパーは利樹。県トレではこれまでサブキーパーだったが、先の県大会でのプレーが認められこの試合スタメンに抜擢されたのだ。

 スリーバックは右から新座イレブンスの東、大宮アルディージャの前田、FC川越の英。ダブルボランチはSC熊谷のキャプテンである藤川と本庄FCの豊泉で、右サイドのウイングバックは川越の真島爽太、左サイドのウイングバックにはレッズの相沢が入った。そして最前線はツーシャドーの宇留野と遼、センターフォワードの一条というナショナルトリオがそびえ立っている。


「うん……やっぱすげーや。今日俺あんまし出番無いんじゃないかな」


 利樹が興奮と落胆の混じった声で呟く。この面子だとまず防戦一方という展開にはならないだろう。


「いやわかんねーぞ。神奈川とは一回やったことあるけどかなり強かったぜ」


 遼のはす向かいに座っている藤川が言った。


「まあ勝ったけどな。俺のツーゴールで」


 宇留野が得意気に言う。


「でもその後強引にハットトリック狙いに行き過ぎて懲罰交代食らったよな」

「るせーよ一条。ってかテメーあの試合ノーゴールだったじゃねーかヘタクソ」

「なんだとコラ!」


 宇留野の言葉に一条がキレかけた時、丁度ロッカールームのドアが開いて監督が入ってきた。体格の良いその人物は入って来るなり威厳に満ちたオーラをその大柄な体からロッカールーム中に振り撒き、騒がしかった少年たちを一瞬にして黙らせた。遼のはす向かいに座っている少年は殊更体を固くしている。


「お前ら静かに待ってろと言ったろ」

「す、すいませんでした」


 一同が謝った。宇留野でさえしっかりと謝罪の言葉を口にした。

 SC熊谷の増川が県トレの監督も務めているのだが、この人は恐くてしょうがない。竹下監督は増川を自分の恩師と言っていたが、のほほんとした竹下監督の気質とよく合ったものだと遼は思った。


「ったく……何のためにお前にキャプテンやらせてるんだよ藤川。しっかりまとめなきゃ駄目じゃないか」

「はい……」


 いやそれは無茶だと遼は思った。テンションが上がりきったこの濃い面子をまとめられる人物はそうそういるもんじゃない。ましてや小学生だ。少しばかり大目にみてあげてもいいだろうに。

 割りと緩い竹下監督からガチガチな増川に切り替わると、そのギャップに付いていくのが大変である。何度県トレに参加してもこれだけは慣れることができない。

 流石に増川もこれ以上叱責しても逆効果だと判断したのか、「次からは気を付けろよ」とだけ言ってサッカーコートが描かれているホワイトボードを取り出し、戦術の最終確認をしようとした。

 だがその途端、サッカー小僧たちはまたもそわそわし始めた(もちろんさっきよりはずっと控えめにではあるが)。それを見た増川はため息を吐いて


「……好きにやってきていいぞ」


 とだけ言った。

 みんな呆気にとられたように、口を開けたまま増川を見上げている。竹下監督がそう言ったのなら遼も素直に「おっしゃあ!」と言って立ち上がるのだが、まさか増川がそんなことを言うとは夢にも思わなかった。


「……今のお前らには何を言っても無駄だと思ってな。ここで指示を聞いているフリをしてても試合になったらどうせ好き勝手やっちまうだろ」


 バレてたか。

 遼は最近トレセンの試合だと「宇留野と一緒に中盤から組み立てていけ」と言われるのだが、この試合ではもしそれを言われても無視して、怒られてもいいから自分のやりたいようにやろうと思っていたのだ。


「その代わり負けんなよ。そしてつまんないサッカーもや絶対にするな。やるんならとことんやりきってこい」

「はい!!」


 全員の返事が驚くほど綺麗に揃った。いや、県トレでのこのような返事はいつもビシッと揃えられているが、なぜか義務的に揃えられているような感じがしていた。だが今回のは違う。少年たちの明るい声がロッカールーム中に濁りなく反響した。

 県トレのメンバーたちは気合いをいれ、そしてクリスマスの朝の子どもたちのようなテンションでドアを開けてピッチへ続く通路へと向かった。そしてそこから埼玉と神奈川の両陣営が向かい合って並び、暗い通路の向こう側に見える光の指す方へと歩いて行った。


 そして光の中を通り抜け視界が急に開けた時、遼は「すげぇ……」と震える声で言った。途方もなく左右に広がる碧の芝生と、山脈の如くそびえ立つスタンド。スタジアムのピッチから見上げた壮大な光景に、遼の心はすっかり奪われてしまった。

 レッズ対マリノスの試合が始まるまでまだ一時間以上あるわけだから、当然スタンドには所々空席が目立つ。しかしJリーグでトップの観客動員数を誇るレッズのホームスタジアムというだけあって、既に万単位の観客は集まっている。

 少年たちのほとんどは、入場した時今まで経験したことのない人数の観客からの歓声を浴びて、さっきまでのハイテンションはどこに行ってしまったのかすっかりあがってしまっていた。

 整列し、握手をするという試合の度に行っている動作でさえもぎこちなくなっている。

 遼は芝を歩く一歩いっぽに力を込め、なんとか舞い上がらないようにと踏ん張ろうとした。


 なんだかレガースの位置が気になってきた。

 遼は瀧澤と握手した時、互いに「おう」などと軽く声を掛け合ったが滝澤の声色はいつもより強張っていたので、なんだか少しだけ安心した。


 そして22人が各ポジションへと散らばり、レフリーの笛が鳴って試合が始まった。


 遼は一条が軽く押し出したボールを宇留野へと下げる。このファーストタッチで遼は宙ぶらりんになっていた己を完全に取り戻せた。

 首を振り敵味方のポジションを確認しながら小刻みなステップで少し前線へと上がる。すると敵ボランチが早速張り付いてきた。


 埼玉はかなり余裕を持ってボールを回している。足元の巧い選手が揃っている上にピッチがいつもよりかなり広いので、自分たちがミスをしなければほぼ100パーセントボールを失うことはないという状況である。

 神奈川はこのまま前線から追い続けても無駄だと判断し、自陣にリトリートしてブロックを作ってきた。瀧澤以外のほぼ全員が自陣でディフェンシブなポジショニングを取っている。


 埼玉もただボールを支配し繋ぐだけでなく、攻撃のスイッチを入れるために宇留野から一条へ思い切った縦パスが入れられた。一条はトラップし、腕でディフェンスをブロックしながらフォローに来た遼に渡す。遼はそれをダイレクトで右サイドへ展開した。

 爽太はサイドバックの裏へ抜け出し、それを右足のインサイドで中に切り返すようにコントロールする。そして爽太は中を見て、ツータッチ目に左足でセンタリングを上げようと振りかぶった。

 だがそれを阻止するべく、神奈川のサイドバックがスライディングでセンタリングのコースに入り込んできた。爽太の振り足は止まらない。爽太はそのまま強引に中に上げ――なかった。

 爽太の左足はボールを軽く跨ぎ、そして跨いだ左足の後ろから右足が出てきてリズミカルにボールを叩いた。いわゆるラボーナという奴である。そのボールは神奈川のサイドバックの上を越えて二列目からペナルティエリアに侵入してきたばかりの藤川にピタリと渡った。


 ウオンッ!!


 爽太のビッグプレーにスタンドが揺れた。

 藤川はそれを胸でコントロールすると、バウンドする前にインステップで打った。そのシュートは通常のゴールならバーを越えてしまっていただろうが、今日使っているのは小学生用のゴールより大きいプロのゴール。バーの下を掠めてゴールネットに突き刺さった。


 沸き上がるスタンド。興奮する埼玉の選手たち。そして呆然としている神奈川の選手たちがそこにあった。


「すげえええ爽太ああああ!!」


 藤川が真っ先に爽太に抱きついてきた。そしてその二人を中心にしてどんどん埼玉の選手たちが群がってくる。ベンチでは増川が腕を組んだまま大爆笑していた。


「おめーやりやがったなこの野郎!」「フツーこんなところでやるかよそれ!」「ってかそもそも試合中にラボーナ使うかよ!」などと味方から様々な賛辞の言葉を浴びて、爽太は唇の左端を微かに吊り上げて喜びを表した。

 爽太のメンタルの強さは、プロと同じ舞台でもまったく動じなかった。

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