第11節 エンジョイ・フットボール
SC熊谷は後方に人数を割き、ディフェンスを固めにきた。もちろんフルタイムをドローで終わらして、延長戦に持ち込むためである。
彼らの体力はおそらく県内で一番だろう。延長に持ち込めば、相手がたとえ格上でも必ず勝ち切ることができるという自信が熊谷の選手全員に表れている。
事実熊谷は、去年の県大会で優勝候補だった大宮アルディージャジュニアから、延長戦の末逆転勝利を納めているのだ。
だがFC川越は、むざむざや奴らの思惑通りにはさせない。
時間内に決着を付けるべく、スタミナがまだまだ残っている海と、こちらも海ほどではないがスタミナに自信があり、更に一端ベンチに下がっていたためまだエネルギーが残っている遼を中心に熊谷ゴールに襲い掛かって行った。
熊谷はガチガチに引いているが、守備力はかつて戦った南台SSほどではない。川越は遼の単独突破や、後方からのロングボールを海に合わせたりして決定機を作っていった。
だが熊谷の守備陣の気迫も半端では無い。
テクニカルエリアギリギリまで出て大声で怒鳴り続けている増川に突き動かされ、必死に走り、球際で身体を張ってゴールを守り続ける。
サイドを高速ドリブルで切り裂き、カットインしてミドルを打つという遼の得意なパターンも、熊谷の3人がかりのディフェンスによって防がれてしまった。
ちくしょう、と遼は芝を蹴って自分を呪う。
そしてレフリーがチラッと時計を確認するのを遼は視界に捉えた。ヤバい、もうすぐタイムアップだぞ。
川越の選手たちのプレーに焦りの色が見え隠れする。
優磨はスペースを見つけ、裏に抜けるロビングボールを海に出したが、海は焦りからかあまりにも早いタイミングで飛び出してしまい、オフサイドを取られてしまった。
遼には聞こえないが、優磨は口を動かして何やら毒づいている。今の優磨の機嫌だと、おそらくかなり酷い放送禁止用語を呟いているのに違いない。
キーパーの利樹も「落ち着け!」と叫んでいるが、たぶん彼も猛烈に焦っているだろう。その証拠にさっきから出し続けている指示の声が時々裏返ってしまっているのだ。
「ラストチャンスだ、利樹も含めて全員上がれ!」
川越ボールのコーナーキックになった時、竹下監督がベンチから怒鳴った。その指示を受けた利樹を含め、フィールドの22人全員が熊谷陣内に集結していく。
優磨はボールをプレースした後、短い助走から右足を一閃、頭ひとつ分抜けている海目掛けて放り込んだ。
相手に激しく当たられて体勢を崩した海だがなんとか頭にボールを当てる。そのこぼれ球を拾った爽太は、ディフェンスの隙間をぬって強引にシュートを打とうとした。
だが突然背後からボールを要求する声がして、咄嗟にヒールで後ろに落とした。普段の爽太なら味方がパスを要求してきても無視してシュートを打っていただろう。
だがこの声には従うべきだと身体が勝手に判断したのだ。凛とした迫力を含んだその声に、爽太の身体は勝手に動かされた。
ペナルティエリアのすぐ外でボールを受けたのは、青いユニフォームを着た肌の白い少女だった。
光はボールをコントロールすると、直ぐ様シュート体勢に入った。彼女を瞳には迷いの色は露ほども映って無い。光が絶対にシュートを打つと確信した熊谷ディフェンスは、シュートコースを消そうと遮二無二ボールに向かって突っ込んで行った。
だが光の振り足は止まらない。彼女はシュートブロックなぞお構い無しに右足を振り抜いた。
だが次の瞬間、そのプレーの動作を見ていたすべての人たちの動作がフリーズする。なんと光の放ったシュートは、緩い放物線を描いてゴールとは全然違う方向に向かって飛んでいくのだ。
そのボールはインフロントで擦られたような回転がかかり、左側のゴールエリアの角に向かって飛んでいく。落下点にいる熊谷のディフェンスは、呆気に取られている周りの選手たちを尻目に、そのボールを川越陣地にむかって大きく大きくクリアしようと振りかぶった。
「ああー!!」
川越のベンチから絶叫が飛ぶ。それとは対照的に熊谷ベンチの増川は安堵し、胸を撫で下ろしていた。誰もが延長戦突入を予感したその時だった。
そのボールに一人の少年が風のように飛び込んできて、クリアされる寸でのところでそのボールをかっさらった。
ゴールまでおよそ3、4メートル。完全に不意を突かれたキーパーだったが、遼の足元にあるボール目掛けて身体を投げ捨てて滑り込んで来る。遼はそれが追い付くより早く右足を振り抜き、インステップで思いっ切りボールを捉えた。
それはキーパーの指先を掠め、ゴールネットに飛び込んでいった。
「っしゃああぁぁぁ!!」
ネットを激しく揺らしたボールを見て、遼は雄叫びをあげながらガッツポーズを決めた。そしてそのまま走り出し、光に思いっ切り飛び付いた。それを中心にして続々と川越の選手たちが飛び付いてきて、熊谷のペナルティエリア付近で青いユニフォームの塊ができた。
熊谷の選手たちはその光景を顔をしかめて一瞥した後、一刻も早く試合を再開させるべくボールを抱えてセンターサークルにむけて走って行った。彼らはまだ試合を諦めてはいない。一秒でも時間が残されているならば、絶対に諦めてはいけないと日頃から増川に叩き込まれているからだ。
センターサークルまで全速力で走った熊谷のフォワードだったがそれは報われず、ボールをセットした瞬間にレフリーの笛が三度鳴り響いた。
その刹那、川越の選手たちも熊谷の選手たちもバタバタとピッチに倒れ込んだ。
熊谷の選手たちは敗北の悔しさと無念に耐えきれず崩れ落ちたのだが、川越の選手たちは疲労で立っていることができなかったのだ。無理も無い。一日に2試合も公式戦を戦い、しかも2試合目の相手が県内で最強の走力を誇るSC熊谷だったのだ。
遼は仰向けに寝て心地好い疲れに少し身を任せた後、整列のため立ち上がった。前線の選手の中で唯一立ったままでいた海と、キーパーの利樹に手伝って貰ってピッチに座ったり寝ているチームメートたちを一人ずつ起こしていく。
試合で負けた後というのは、それが本気で戦った試合ならば悔しさや怒りといった負の感情を少なからず抱くものだ。
自分たちを負かした相手がダラダラしてなかなか整列しないというのは、遼の経験上あまり気分の良いものではない。
試合後にわだかまりを残さないためにも、キャプテンとしての責任を全うしようとしたのだ。
そして全員立ち上がったらピッチの中央に集まっていき、礼や握手をして互いの健闘を称えあった。
熊谷のキャプテンと握手をした時、彼は涙の筋が残っている頬に必死に笑みを作りながら「絶対全国行けよ」と言ってくれた。
ああ、もちろんそのつもりだ。俺たちはなにがなんでも全国に行く。
整列が終わり、スタンドの応援に来てくれた父兄の人たちが陣取っている場所に向かい挨拶をした。スタンドからの拍手や賛辞を浴びて、少年たちは照れくさそうに笑っている。
その顔は、試合中に見せるサッカー選手としての顔ではなく、大人たちからの賛辞に素直に喜んでいる少年の顔だった。
そして川越の選手たちは胸を張りながら、竹下監督が笑顔で待っているベンチへニコニコしながら歩いていった。
◇
少し年期が入った居酒屋の木造のカウンター席に、二人の男性が座っている。一人は青年の面影が残る顔に無精髭を生やした小柄な男性で、もう一人は顔に深いしわを刻んだ、体格の良い男性だ。
「まずは川越の勝利に乾杯だな」
「いや、どうも」
竹下監督は、増川が差し出してきたジョッキに自分のジョッキを軽く当てて軽快な音を鳴らし、二人はキンキンに冷えた金色の液体に口を付けた。
増川は喉を鳴らしながら美味そうにビールを飲んでいる。そしてしわの深い顔に更にしわを寄せて、「くあーっ」と気持ち良さそうに唸った。鼻の下に泡の髭が付いているのを見て、竹下監督は思わず笑みをこぼした。
「お、なんだ? まさか髭が付いていたのか?」
竹下監督の笑みに気づいて、増川もまた笑いながら聞いてきた。
「そのまさかです。その癖は前から変わりませんね」
「淳一こそ、いい歳こいて相変わらず唐揚げに目が無いみたいだな。流石に30過ぎたおっさんがニコニコしながら唐揚げを頬ぼるのはどうかと思うぞ」
「ま、まあまあ、いいじゃないですか。こうして久しぶりに飲むんですから、そういうのも懐かしい物だと思っておきましょう」
少し焦るように竹下監督は言った。淳一とは竹下監督の名前である。
増川はもう一口ビールを飲んだ後、浅く息を吐いてからカウンターを見つめて言った。
「いい選手が揃ってるな、お前のところは」
「まあ、かなり手塩にかけて育てましたから」
「そうだな、じゃなければスタメンの全員があそこまでしっかりした技術は持ってないだろう」
そう言った後、増川は竹下監督と目を合わせた。
「一人ひとりの個人技を中心とした戦術は相変わらずだが、去年鮎田が監督をしていたチームとはまるで別だな。選手の能力が全体的に高水準で、連携面もかなり良い。俺んとこもここ数年の中ではかなり良く仕上がったチームだったんだが、敵わなかったよ」
鮎田とは、FC川越の去年の六年生の代の監督のことである。去年のチームは一人ひとりの能力の差が大きく、攻撃面のほとんどを五年生だった遼と爽太に依存していた。
だが今年の代はそうではない。
やはりチームの中心は遼と爽太なのだが、その二人を除いても一つのチームとして成り立つほど粒が揃っているのだ。
これは元プロのサッカー選手である竹下監督が、まだ彼らが一年生のころから徹底的にボールを触らせて、技術を磨か続けたせたことが大きい。
小学生の時は神経系が非常に発達する時期なので、ボールに触れば触るほど、渇いた砂のようにどんどんテクニックを吸収していくのだ。
「だけど今日俺は監督に負けたと思ってます。選手が苦しんでるのに、俺は何もしてやれなかった。遼やみんなのサポートのお陰で光は立ち直ることができましたが……選手たちが頑張ってくれなければ負けてました」
増川は黙ってその話を聞いていたが、竹下監督が話終わるとへっというような笑みを浮かべて
「勝利した監督が何言ってんだよ。確かに戦術家としては俺の方が上だろうな。そこは譲れん。だけど少年サッカーの監督っていうのは、ただ戦術家であればいいだけじゃないだろ? 選手を育てるのが一番大事な仕事なんだ。だからいい選手が多いってのは、淳一が良い監督だっていうことを充分証明してると思うぞ」
と言った。竹下監督は素直にその賛辞を受け取った。
これは自分に向けられた賛辞であると同時に、あいつらに向けられた物でもある。これをしっかり受け取めるのは、あいつらに対しての礼儀だとも思ったのだ。
それから二人は色々なことを話した。もちろんサッカーのことである。
サッカーのことだけなのだが、サッカー馬鹿にとっては一晩で語り尽くすのは不可能なほど話題はたくさんある。少年サッカーの監督理論、現代の進化した戦術について、Jリーグでの優勝予想や海外のビッグプレーヤーたちの凄さについてなど、内容は様々だ。
唐揚げを相変わらず頬張り続けている竹下淳一とビールを飲む度に泡の髭を作る増川直也。二人は日付が変わってもサッカーをつまみに話続けていた。
これまでは4日に一度くらいのペースで更新していましたが、これからは毎週月曜日に更新していきます。