僕は手をつなぎたい
「それで、ネズミの姿をした悪魔を、倒すことができたんだね」
お見舞いに来てくれた天谷さんは、僕の話を聞いて嬉しそうに言う。
「うん。本来の力を取り戻した梅子は、凄い強いし、周りの仲間も、同じくらいに強かったからね。むしろ、悪魔がかわいそうに思えるくらいのリンチ状態だったらしいよ。惜しむらくは、世界を渡るのに力を使いきっちゃった僕は、なんの活躍も出来なかったことだよ」
「そんなことないよ。ちぃくんが梅子さんを、彼女の世界にまで運ばなければ、倒すことはできなかったんでしょ? なら、ちぃくんの大活躍だよ」
「そうだぞ、ちぃ。お前は、自分の成すべきことをした。それは十分に誇れることだ」
ベッドを挟んだ窓側で、ふわふわと浮きながら、天谷さんの言葉に同意してくる。
あの戦いが終わった後、なんとか元の世界に戻れた僕は、あちら側での疲労を、怪我という形で発現してしまい、全身に軽い打撲を負った状態になってしまった。命には全く別状はないのだけれど、体のあちこちが痛むので、まともに動くことはできない。全治二週間、安静ということで、姉さんの勤める病院に入院するはめになってしまった。
表向きは、階段から落ちたことになっているけれど、真実を知る天谷さんは、責任を感じて毎日のようにお見舞いに来てくれる。その時、約束通り人外の話をするのだけれど、彼女は楽しそうに聞いてくれる。僕にとって、それがなによりも嬉しかった。
天谷さんはすっかり、前の調子を取り戻している。
目を覚ました父親に、彼女ははっきりと告げたそうだ。
「私は二度と会いたくない。あなたは家族だというけれど、私はあなたを家族とは思えないし、思いたくもない。この気持ちは変わらないし、あなたにあった今も、その気持ちは変わらないどころか、強くなるの。二度と私の前に現れないで!」
それは、父親に怯えていた天谷さんからは、信じられない言葉だ。けれど、その時のことを話してくれた彼女は、弱々しく笑いながらも、少し清々しい顔をしていた。
「私はあの人からの電話を受けた時、思ったのは助けてほしいという思いだけだったんだ。……でも、昔のちぃくんに言われたように、私はそれじゃいけなかったんだよ。悪魔にとり憑かれないように、強くならなくちゃね。……怖いのに、向こう側へ行こうとしたちぃくんを見てたら、そう思ったんだよ」
天谷さんは強くなろうとしている。その決意としての、父親への決別の言葉だったのだろう。
それは、彼女にとって、確かに必要なことだと思う。
天谷さんの言葉に、彼女の父親は素直に引き下がったそうだ。お酒に酔っていなければ、悪魔にとり憑かれていない限り、暴力的な性格ではないようだ。けれど数日後、天谷さんの下へ、父親からの手紙が来ていたらしい。それは、謝罪文だったということだ。悪魔が離れたことで、父親の中にも、自らの罪を見つめなおすだけの余裕ができたのか。けれど、悪魔は結局、人が持つ負の感情を肥大化させているだけだ。手紙の最後に、もう一度会いたいと、とんでもなく身勝手なことが、書かれていたという。
それに対して天谷さんは、父親の姿を見ることが、どれだけ自分に負担かを、説明した文章をしたため、もう二度と会いたくないと、送り返したのだそうだ。
それを聞いて、天谷さんは強くなろうとしているだけでなく、もう、強いんだなと思った。
少なくとも彼女は、自らの傷と向き合い、恐怖の対象である父に、再度、拒絶の言葉を紡いだ。それはとても強いことだ。
もう、天谷さんが悪魔にとり憑かれることはないだろう。
「今も、梅子さんは居るんだよね?」
「ん。窓のところに居るよ」
「そっか」
天谷さんは頷いて、窓側に向かって頭を下げる。
「梅子さん。助けてくれて、ありがとう」
それは、人外の見えないものからしたら、滑稽な様子だったかもしれない。けれど、梅子の見える僕は、驚きとともに、嬉しさがあった。
今まで誰も、梅子の存在を認めてくれなかった。僕にとって、大切な人だからこそ、それが悲しくもあっただけれど、天谷さんはちゃんと認めてくれる。それが本当に嬉しい。
「当然のことをしたまでだ、だってさ」
「うはぁ。そっかぁ。ちぃくんという通訳がいれば、私も梅子さんと話せるんだね」
目を輝かせる天谷さん。それはそれで、僕が疲れそうでもあるけれど、天谷さんが喜ぶのなら、やってあげるのも良いかもしれない。
「そういえば、ちぃくんの話だと、梅子さんの頼みは三つって言ってたけれど、一つは思い出して欲しいというので、もう一つは悪魔退治の手伝い。……もう一つは何だったの?」
「ああ、それは」
僕は窓側にある右手を、梅子の方へと伸ばす。すると、彼女は僕の手を嬉しそうにつないでくれる。彼女と手をつないでいると、とても安心した気持ちになれる。
「ただ、手をつないで欲しいってことだよ。やっぱり梅子は、別の世界の存在だから、不安定な部分があるんだ。だから、この世界の相手に触れてもらえることで、この世界に受け入れられたっていう、安心感を得られるんだってさ」
「それは、梅子さんから触れるだけじゃダメなの?」
「そうだね。人外は、精神的な存在だから、結局のところ、触れるという事実よりも、受け入れるという事実の方が重要なんだと思う」
「受け入れる。つまり、大切に思うってこと?」
「うん。僕にとって、梅子は家族のように大切だ」
「……家族。……これはもしや、ライバル?」
「ん? ライバルって?」
「にひひ。こちらの話だよ」
天谷さんは誤魔化すような笑い方をすると、手を差し出してくる。
「これは?」
「私も、手をつないで欲しいな」
「えっ? でも……」
天谷さんは男の人が苦手だ。特に、触られたりすると、恐慌を起こすことだってある。それなのに、笑顔を浮かべたまま、彼女は手を差し出し続ける。
「確かに男の人は苦手だけれど、ちぃくんとは、手をつなげるようになりたいんだ」
その言葉が、どんな思いからきているのかはわからない。けれど、天谷さんが、僕のことを精一杯受け入れようとしてくれているのが伝わってくる。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
そう言って握った天谷さんの手は、柔らかくてとても温かい。強く握ったら壊れてしまいそうで、力を入れることが怖くて仕方ない。
さっきから心臓が高鳴って、耳元でバクバクとうるさいし、本当に天谷さんが好きなんだなと、改めて思う。同じ好きでも、梅子とは感じ方が全然違う。
「というか、鳥肌がめっちゃ立っているんだけれど」
僕は思わず、天谷さんの手を見て、指摘してしまう。
「んははは。まぁ、人間、すぐには変われないのさ」
天谷さんは恥ずかしそうに笑いながらも、決して、拒絶して離そうとはしなかった。
たぶん、僕は今、幸せなんだと思う。
これから、どんなことがあるかはわからない。
大変なこともあるだろう。
だから僕は願おう。
これからも変わらずに、こうやって、梅子や天谷さんと、手をつなぎたいと。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。
ラブコメは難しい。読むのは嫌いではないのだけれど、自分で書くとなると、中々話が思い浮かばない。本当は、ファンタジー要素なんて入れる気はなかったのに、僕は逃げました。少しでも、想像を膨らませられるように。
それでも、楽しんでいただけたのなら幸いです。
読んでくれて、本当にありがとう。