悪魔と少年
僕は悩んでいた。
勢いで告白してしまったけれど、正直、どんな顔して会えばいいのだろうか?
「うっわ。学校行きたくねぇ」
「それは良くないぞ、ちぃ。お前は勉強をしっかりとして、早く自立できるようになるんだろ」
「そうだね。……って、それは、昔の僕の記憶?」
少なくとも、僕は梅子に、そんな話をしたことはない。
「おぉ。そうかもしれんな。私の中に、ちぃとの記憶が全くないわけではないから、そこから思い出せたのだろう」
そう言えば、会った時から梅子は、ちぃという呼び方を覚えていた。記憶の断片があるのだろう。けれど、僕には断片すらない気がする。……いや。梅子の名前は、僕が覚えていたのだ。少しは、記憶があるのか。
というよりも、今は天谷さんのことだ。
結局答えが出る前に、教室についてしまった。
天谷さんの席は近いので、彼女の姿は必然的に目にはい……らない。
彼女の席には、誰もいなかった。いつもならば、僕より早く来ているはずなのに。
もしかして、告白なんかしたものだから避けられているとか。
……鬱だわ。マジで鬱だわ。
とはいえ、そんなネガティブに考えてばかりもいられない。
ちょっとポジティブに考えれば、たぶん告白をされて、天谷さんも、どう接していいのか迷っているんだと思う。
ならば僕は、いつもどおり接して、変に考えなくていいんだよと、教えてあげるべきなのだ。
思いがけず、自分のとるべき態度がわかった気がする。
……いつもの僕って、どんなんだっけ?
と、考えているうちに、天谷さんがやってきた。
「ボンジュール。……あぁ、僕の中のイタリア人の血が、勝手にしゃべりだした」
「そうなんだ。おはよう、ちぃくん」
「あ、うん」
……あれ? ノリが悪い。いつもなら少しは突っ込むなり乗っかるなりしてくれるのに。
「ちぃちゃん。いつからイタリアの人に?」
代わりに、天谷さんと同時にやってきたスガが反応した。
「昨日のテレビで、ヨーロッパ旅行を見てからかなって、別にスガじゃないからな」
「俺じゃないって、何が?」
「いや、反応が欲しかったのが、っていうか、こっちの話だ。それに、ボンジュールはフランス語だから、そっちを突っ込んで欲しい」
「うわ、そうなのか」
「ったく、そうなんだよ」
僕はスガの相手をしながらも、天谷さんのことを考えていた。
普通に考えれば、どう話していいのかわからなくなってしまったというところだろう。
けれど僕には、あの短い挨拶の中に、拒絶があったような気がしてならなかった。
おかしい。この前別れた時は、そんな様子はなかったはずだ。それなのに、今日は拒絶されている気がしてならない。
あれから何度も話しかけてはみたものの、答えは短い。
ここは勇気を出して、試してみるべきか。
拒絶されているのを知るのが怖いという思いもあるけれど、拒絶されているにも関わらず、話しかけ続ければ、余計に嫌われてしまう。なら、拒絶されているのなら。拒絶されている理由を知って、対処するべきなんだ。
だから、僕は試す。方法は簡単だ。
「天谷さん」
僕は声をかける。席を立つ天谷さんに、後ろから声を掛ける。
彼女が振り返り、僕だと認識したところで、僕は頭を撫でようと、手を伸ばす。
言い訳はすでに考えてある。
頭にほこりが付いているよ、だ。
普段の天谷さんなら、触られるのを嫌とはいえ我慢するか、手でやんわり防ぐか、避けてから軽口で拒絶の意思を誤魔化すだろう。
その三つの反応なら、まだ本格的に拒絶されているわけじゃない。……三つ目は、かなりスレスレだけれど。
天谷さんが、僕の手に気付いて目線を動かした時、彼女の瞳が揺れるのがわかった。
「いや!」
僕の手が、強い力で払われる。
まぎれもない拒絶。
覚悟はしていた。覚悟はしていたけれど、心がどうしても痛む。
「あ、あの、ち、ちぃくん、ごめん。わ、私、ちょっと、驚いちゃって」
恐怖からか、たどたどしい天谷さんの言葉。
しかし、その怯える様は、僕を拒絶しているというだけではないように思えた。
天谷さん。いったい君の身に、何があったんだ。
僕はそう問いたかった。
けれど僕は、怖くて言葉にできなかった。
天谷さんからの拒絶。それが、僕の心を臆病にさせる。
気まずさから逃げ出す天谷さんを、僕は見送ることしかできなかった。
日比木さんやスガが、何があったのかを聞いてくるけれど、僕がそれを知りたい。
ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ。
私はトイレに籠って、鬱々と考える。
あの電話がかかって来て以来、全てが上手くいかない。
随分と軟化されたはずの男性恐怖症は、大けがをして入院していたあの頃に戻ってしまったようだ。
ちぃくんにまで、怯えた顔を見せてしまった。彼の傷ついた顔を思い出すと、私の胸はじくじくと痛んだ。こんなはずじゃなかったのに。本当だったら、男の人が苦手なりに、一生懸命、彼と仲良くするつもりだったのに。
……私には男の人が苦手になったトラウマがある。
それは、父が原因だった。
私の父は、所謂、DVを働く人だった。あの人はよく、お酒に酔ってはお母さんに暴力をふるっていた。できることなら、お母さんを助けたかったけれど、あの人の暴力は、私にも容赦なく振るわれるのだ。そうなると、お母さんは私を庇うために、より一層の暴力を振るわれてしまうので、私はあの人の目に留まらないように、必死に隠れているのがやっとだった。
私の怯え続けた毎日。
そして、あの日がやってきた。
学校から帰ると、あの人が家にいた。本当ならば、仕事に行っている時間帯のはずだったのに。怖いと思いながらも、こういう日もあるだろうと、私は自分の部屋にこもり、息を押し殺すことにする。お母さんもまた、仕事に行っていて、家には私とあの人の二人だけだったし、それに嫌なことに、あの人はすでにお酒を飲んでいて、いつ暴力をふるってくるかわからなかったから。
けれど、あの人にとっては、すぐに部屋にこもってしまう私が、気に入らなかったのだろう。
あの人は、私の部屋に押し掛けてくると、可愛げがない、俺を馬鹿にしていると、怒鳴りつけて、私に暴力を振るった。
庇ってくれるお母さんは居ない。
幼かった私は、ただただ殴られ続けた。あの人の怒りが収まり、満足するまで。
あの時に、私は男の人を心の底から怖いと思ったのだと思う。
お母さんが帰ってきたとき、私は瀕死だった。あちこちを骨折し、内臓も傷め、下手をしていたら死んでいるところだったという。
私は病院に入院し、あの人は逮捕され、お母さんは離婚した。
入院していたころの私は、男の人が怖くて怖くて、怯え、泣き続けていた。
あの人との出来事が、完全なトラウマになってしまったのだ。
……でも、入院していたころのことを思い出すと、ある一つの思い出が胸に残る。
あの、男の子との出会い。
今では、本当にあったことなのかわからない。もしかしたら、夢だったのかもしれない。それほどまでに、現実感のない出来事だった。
けれど、私が救われた話。
屋上で、一人で泣いている私の元に、小さな男の子がやってきた。私よりも年下かもしれない。
「どうして泣いているの?」
男の子が訪ねてきたけれど、私は、そんな男の子すら怖くて泣き続けていた。それでも彼は、とても困った顔をしながらも、私を心配するように、近くに座り込んで、私が泣き終わるのを待ち続けていた。まさか男の子は、自分自身が怖がられているとは夢にも思わなかっただろう。
私は泣きやむことはなかったけれど、少し落ち着きを見せると、男の子は言った。
「んとさ。信じないと思うけれど、僕は人には見えないものが見えるんだよね」
「ひ、人には見えないもの?」
泣いていて幾分か声は震えていたけれど、私は何を言い出すのだろうと思っていた。幼いとはいえ、九つの私は、サンタやお化けや幽霊はいないと信じていた。男の子の言葉は、とても突拍子もなく、馬鹿みたいに思えた。けれど彼は、私が信じているかどうかなど気にせず話を続ける。
「そう。その中でも悪魔っていうのが、人の嫌な気持ちにとり憑いて、その嫌な気持ちを大きくするんだ。そして、君にはその悪魔がとり憑いている」
酷いことを言われたと思った。悪魔にとり憑かれているなんて、ある意味、悪口でしかない。でも男の子は悪気もなくそう言ったのだ。そして、私の方に手を伸ばしてきた。トラウマのある私は、殴られると思って、身を固くした。
けれど、その時驚くべきことが起こったのだ。私の近くにある何かを掴むような仕草をすると、彼の腕に次々と引っ掻き傷が刻まれていく。その傷はかなり深いようで、男の子の腕から、血がだらだらと流れていく。
男の子は痛みに顔を歪め、泣きそうな顔をしながらも、持っていた何かを私から引き剥がすように引っ張って、あさっての方向へと投げつける。
そう。男の子は何かを掴んでいたのだ。私には見えない、……人には見えない何かを。
そしてそれは、男の子の言うような、悪魔なのかもしれない。
私についていた何かを引きはがされたとき、私の中にあった悲しみと恐怖が、随分と和らいだ。私には見えない何かは、本当にいるのかもしれないと、私は茫然としながらも、そう感じていた。
「……ごめん。でも、……ありがとう」
病院の屋上には、私と男の子しかいないのに、彼は私ではない誰か、虚空の方に視線を移し、はにかむような笑みを浮かべてお礼を言っていた。
いったい、彼には何が見えているのだろうか?
私はただただ不思議だった。
そして男の子は、私を見てくる。
「信じられないかもしれないけれど、悪魔を退治できたよ。けれど、悪魔は嫌な気持ちを大きくするだけで、その気持ちは君のものだから、依然としてあり続けるんだ。だから、その嫌な気持ちは、君が何とかするしかないんだ。それに、その嫌な気持ちを見せ続ければ、また、悪魔がとり憑くかもしれない。だから君は、その気持ちと上手く折り合いを付けて生きていかなくちゃいけないよ」
彼の忠告は、わからないでもなかった。
私の中にある悲しみと恐怖は、随分と和らいだけれど、未だにあり続けている。この気持ちを押し殺さなければ、また、悪魔にとり憑かれて、悲しみと恐怖に囚われてしまうということだろうか?
冷静に考えれば、そうしなければいけないのだと、あの頃の私は思えることができた。悲しみや恐怖を見せ続ければ、お母さんに心配をかけてしまう。
思い返せば、あの時そう言われたから、自分のトラウマと向き合って、今、一般的な生活が出来ているのだと思う。それは、少なからず男の子の言葉を信じて、頑張れたからだろう。
少なくとも、腕から流れ続ける男の子の血が、嘘とは思えなかったから。
「あ、あの。腕は大丈夫なの?」
心配になって尋ねると、男の子は自分の腕を見て、痛みを思い出したように顔を顰める。けれども、私に向けた時には、子供そのものの笑みを浮かべていた。
「あはは、超痛い。こんなに痛いのは事故以来だね」
「事故?」
「ん。昔にちょっとね」
そう言った男の子の顔は、とても悲しそうに変わるけれど、すぐに笑みを浮かべる。彼にも大きな悲しみがあるのかもしれない。けれど、それをすぐに包み込むだけの強さが、彼にはあるんだ。大して年が違うわけでもないのに。
「じゃあ、僕は行くね。悪魔にとり憑かれないように、心を強く持つんだよ」
男の子は最後まで、私を心配するようなことを言って、薄らと透き通るように消えていった。
私はそれを、信じられない気持で見ていた。……彼も、人ではなかったのかもしれない。
けれども、突然消えてしまった彼に、私は恐怖を感じなかった。少なくとも、あの時の私は、あの男の子に救われたと思ったから。
今、私の中にある恐怖は、あの頃のように、制御できないほどに大きく伸しかかっている。
もしかしたら、あの時のように悪魔にとり憑かれてしまったのだろうか?
怖くて怖くて、誰かに助けてほしかった。けれど、今まで、あの男の子と二度と会うことはなかった。
助けて欲しい。
そう思いながら、ふと思い浮かぶのは、ちぃくんの顔。
さっき、拒絶したばかりだと言うのに、自分はなんて、浅ましいのだろう。
そう思って、私は泣いた。
その日も、天谷さんに話しかけることができなかった。
また拒絶されるのではないかと思うと、怖くて仕方ない。
きっと、天谷さんの身に何かがあったのだろう。
守りたいという思いはいくらでもあるのだけれど、何もできていない自分自身が悔しい。
天谷さんが、助けを口にすれば、僕はいくらでも力になりたい。けれど、彼女自身が僕を怖がっている。そんな彼女に、何をしていいのかわからなかった。
日に日に暗くなっていく天谷さん。
僕は、そんな彼女の肩に、あるものを見つける。
それは悪魔。
ムカデに似たその姿は、まだ小さい。けれど、このままにしておいたら、これからどんどんと大きくなっていくことだろう。
梅子に退治してもらおうとしているのだけれど、小さすぎるせいなのか、小賢しい知恵が回るのか、何度も認識しようとしては、悪魔は天谷さんの中に身を隠し、梅子が触れられるようになるまでの認識をさせてはくれない。
腹立たしいけれど、いつかは認識することができるようになるのを、待つしかないだろう。
これは、時間が解決してくれることだ。
けれど、悪魔を取り除いただけでは、全ての解決にはならない。
問題なのは、悪魔がとり憑いていたことではなく、悪魔がとり憑くほどの恐怖を、天谷さんが感じているということなのだ。
どうすれば、助けられるのだろう。
何が起こっているかすらわからない今の僕には、彼女が助けを求めてくれるまで、見守ることしかできない。
帰り道、私は周囲に警戒しながら歩いていた。それはいっそ、怯えているように見えたことだろう。
……実際、その通りなのだから仕方ない。
いつ、電話の相手が、あの人が、私の前に現れるかわからない。そう思うだけで、心臓が止まりそうな思いがする。
電話の相手は、父だった。
刑務所から出てきた父は、私に直接会いたいというのだ。
なんて、虫の良い話だろうか。
高々六年で、私の中の傷は癒え、あの人の罪は消えたとでも思っているのだろうか?
電話の向こうであの人は、刑務所がどんなに大変だったかと、まるで自慢話のように話していた。
あの人はいつもそうだ。
お酒を飲んでは暴力を振るい。素面に戻れば、申し訳なさそうに謝って、それで許された気になって、また、同じことをする。
私としては、声だって聞きたくないのに、もう二度と会いたくないという気持ちを、あの人はわかってくれない。家族だから、すべて許されるだなんて思っている。その厚かましさが腹立たしい。そして、あの人の声を聞くだけで、あの頃と同じように怯えてしまう自分が情けなかった。
心を強くなんて、男の子に言われたように、全然できていない。
それでも、私は絞り出すように何とか言ったのだ。
「会いたくない」と。
あの人は、少し沈んだ声で、「そうか」と言った。けれど、あの人はやっぱり、私の気持ちなんてわかってはくれなかった。あの人は、こう続けたのだ。
「でも、父さんは会いたいんだ。きっと、会えば、気持ちも変わるさ。家族なんだから」
私はもうあの人に、怒りよりも、恐怖しか感じられない。
自分の気持ちが最優先で、他の人の気持ちなんてお構いなく踏みにじってくる。
私は急いで電話を切ったけれど、あれから恐怖は日に日に強くなる。
知らない電話番号からかかってきたら、全てがあの人からの電話のような気がして怖くなり、いつ、私の前に現れるかもわからない。
実際に、何度も電話があったのだろう。
お母さんが出て、何度も怒っているのを、あれから何度か見ている。
……そして、電話番号がわかるということは、家だってわかっているはずなのだ。
それでも、帰らないわけにはいかなった。
友達の家に泊まるという選択肢もないわけでもなかったけれど、父のことを、友達にはあまり、知られたくはなかったから。
でも、無理にでも泊まらせてもらえばよかったと、私は思った。
自宅のある住宅街。いつも、帰りの時間帯は人通りが少なくて、寂しい気持ちになる。そして、今日はそんな道に、一人の男が、家の塀に寄りかかるようにして立っていた。一目見てわかってしまう。私の父だと。
別に筋骨隆々の、いかにも荒々しい男でも、ヤクザ映画に出てくるような強面の男でもない。むしろ、眼鏡をかけた優しげな感じのする、細身の中年男性。だからこそ、私は男の人が怖い。そんな人が、とても酷い暴力を振るうから。
私は逃げたいと思ったけれど、恐怖のため、体が凍りついたように動かなくなってしまう。
「やぁ、千沙菜。綺麗になったね」
恐怖に引き攣る私の顔とは対照的に、とてもにこやかな笑みを浮かべて近づいてくる父。
彼は、私の頭を撫でようと手を伸ばしてくるけれど、私は殴られるとしか思えず、ギュッと目を閉じる。
けれど、父の手が、私の頭に触れるような感触はなかった。
私の嫌そうな顔に気付いてくれたのだろうか?
しかし、そうではないようだ。
「な、なんだい、君は」
父の狼狽するような声。私が恐る恐る目を開けると、私の目の前にある、父の手の平。その腕を横から掴む手があった。
「……ちぃくん?」
そこに居たのはちぃくんだった。
彼は父を、ナンパから助けてくれた時のように、鋭く睨みつけていた。
「僕は天谷さんの……友達だ。おっさんこそ、何者さ。天谷さんが嫌がっているだろ」
「と、友達だって? ……君はちょっと勘違いしているようだから言うけれど、彼女は僕の娘なんだよ。ただ、彼女の頭を撫でようとしただけだ。父親なら、当然だろ?」
文句を言う父に、ちぃくんは手を離して、迷うような顔をする。父の言葉が本当なのか、判断しかねたように、私の方を向く。
確かに父親だ。否定したくとも、その事実はどうしようもなく、けれど、助けて欲しいのも本当のことなので、私は押し黙ってしまう。
父は、そんな私とちぃくんの様子も構わず、言葉を続ける。
「それに、友達というけれど、君はまるで、ストーカーのように、突然走って現れたじゃないか。むしろ、本当に友達なのかい? 君こそ娘に、邪まな思いを抱いているんじゃないのか?」
そう問われて、ちぃくんは困ったように押し黙る。
確かに、ちぃくんはどうしてここに居るのだろうか? それでも、私にとって、ちぃくんの方が、父よりも遙かに信じられる。
「……全く。最近の若者は、怖いのが多いね。行こう、千沙菜。私は、君とゆっくりと話したいんだ」
ちぃくんを牽制するように睨みながら、父が私の手を取ろうとしてくる。
けれど、身を竦ませる私を見て、ちぃくんは父の腕をまた掴んだ。
「だから、何なんだ君は!」
ちぃくんの腕を振り払い、怒鳴りつける父。
「……正直、天谷さんの親子の間に、何があったか知らないけれど、少なくとも、天谷さんは嫌がっています」
きっぱりとしたちぃくんの言葉に、父は少し押し黙るけれど、すぐにちぃくんを睨みつける。
「そう。私たちには君の知らない色々な事情がある。けれど、君には関係ないことだ。これは、我々、家族の問題なのだよ。君のようなストーカー男が、口出しするな!」
怒鳴られたちぃくんは頷く。
「そうですね。確かに天谷さんたちの問題です。だから、天谷さんに聞かせてください。僕が必要かどうかを」
そう言って、私の方を見てくるちぃくん。
助けて欲しい。そう言いたいけれど、すぐ近くに居る父が怖くて、言葉にすることができない。何か、言わなくちゃいけないのに。
何も言えずにいる私に、父は何かを言おうとするけれど、その前にちぃくんが口を開く。
「天谷さん。天谷さんの後を付いてきたのは、謝るよ。ごめんね。信じてくれないかもしれないけれど、僕は人には見えないものが見えるんだよね」
「……人には見えないもの?」
あの時の、男の子のような言葉に、私は自然と問い返していた。
「そう。その中でも悪魔っていうのが、負の感情にとり憑いて、その負の感情を大きくするんだ。例えば恐怖とか悲しみをね。そして、君にはその悪魔がとり憑いている。それが心配で付いてきちゃったんだ」
「何を馬鹿な」
父が呆れたように言うけれど、私はちぃくんの言葉に惹かれていた。まるで、あの時救ってくれた男の子の言葉だ。
「僕は悪魔を取り除くから、それでから、天谷さんの答えを教えてほしい」
そう言ってちぃくんは、私の近くの何かを掴む。そして、あの時と同じように、彼の腕に傷が刻まれていっているのだろう。彼の着ていたワイシャツの袖が、血によって赤く染まっていく。
ちぃくんは痛みに顔を歪め、泣きそうな顔をしながらも、持っていた何かを私から引き剥がすように引っ張って、あさっての方向へと投げつける。
そう。男の子と同じように、何かを掴んでいたのだ。私には見えない、……人には見えない何かを。
そしてそれは、男の子の言うような、悪魔なのだろう。
私についていた何かを引きはがされたとき、私の中にあった恐怖が、あの時と同じように、随分と和らいだ。
「……ごめん。でも、……ありがとう」
男の子と同じように、虚空の方に視線を移し、ちぃくんはお礼を言う。
もしかして、あの時助けてくれた男の子も、ちぃくんだったのだろうか?
「……お願い。ちぃくん、助けて」
私の中には、父への恐怖は未だにあり続けている。けれど、ちぃくんが悪魔を取り除いてくれたおかげで、私はなんとか、助けを口にする。
それは、とても卑怯なことなのかもしれない。
ちぃくんを傷つけてばかりなのに、私は甘えて、助けを求めている。
……それでも、私は助けて欲しかった。
誰かにじゃなく、ちぃくんに。
「任せてよ、天谷さん。僕は君を助けたいんだから」
嬉しそうに言うちぃくんの顔を見て、私は確信を持って思った。
やっぱり私は、ちぃくんが好きなんだと。