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僕はデートだと信じる

 ビルの建ち並ぶショッピングセンターの前で、早く着き過ぎた僕は、ウキウキと待ち続けていた。

 朝から、僕のテンションは上がりっ放しだった。

 顔は勝手にニヤニヤするし、鼻歌なんて、歌っちゃっているもの。さっきから、一分一秒が、長く感じて仕方ない。早く、約束の時間にならないだろうか。

「楽しそうだな、ちぃ」

 隣でふわふわと浮いている梅子が、呆れたように声をかけてくる。

 学校の時のように、気を遣って離れていてくれないだろうかと、思うものの、聞き入れてくれそうにない。まぁ、そこら辺は諦めよう。気にしなければいいのだ。

「楽しいに決まっているだろ。今日はデートだよ、デート」

 僕は、数日前の出来事に思いを馳せる。



「うぇえぇぇ~。約束したじゃんよぉ」

 昼休み、弁当も食べ終わって自分の机で落書きをしていると、天谷さんが大声を上げる。見れば、一緒にご飯を食べている日比木さんに文句を言っているようだ。

 ちなみに僕が一人でいるのは、偶々だった。スガは試合が近いらしく、バスケ部の連中と飯を食い終わった後に練習に行き、尾田は猿の本性をあらわにし、山へと帰ってしまった。

 もちろん後半は冗談だ。

 尾田はゲームのやり過ぎで、睡眠時間を取り戻そうと、保健室で寝ている。馬鹿だね、あいつは。

 というわけで、なぜか時間を持て余してしまった僕は、一人寂しく落書きをするはめに。別に、他に友達がいないわけでもないのだけれど、一度できた輪に、途中から入るのは苦手なのだ。こんなことなら、スガと飯を食わずに、他の友達と、最初から飯を食っていればよかった。

 愚痴っぽくなってしまったが、今は、天谷さんのことだ。

「だから、ごめんなさい。親が急に予定を入れたのよ」

 申し訳なさそうに誤る日比木さん。珍しい光景だ。

 入学してから一カ月とちょっと。調子に乗った天谷さんを、日比木さんがたしなめることはよく見るのだけれど、逆はあまりない。

「むぅ。夏物のバーゲンだったのに。楽しみにしていたのにぃ」

「一人で行ってきなさいな」

「それだとつまんないでしょ!」

 天谷さんは言いきった。

 日比木さんは困ったように溜息を吐き、そんな時、僕と目が合ってしまう。

「じゃあ、ちぃくんと行ってくれば。あんたたち、最近仲良いでしょ」

「ふえ? ちぃくんと?」

 天谷さんまでこっちを見てきた。見ていてごめんなさいと言うべきだろうか?

「というか、何の話?」

 僕は、当然の疑問をぶつける。

「今度、夏物のバーゲンがやるっていうから、一緒に買いに行く約束をしていたんだけれど、私に予定ができちゃったのよ。私の代わりに、ちぃくんが行ってくれない?」

 説明してくれる日比木さん。彼女は、天谷さんが男性恐怖症だと知らないのだろうか?

 いや。あの隠すことが下手な天谷さんだから、それはないだろう。むしろ、男の中でも、仲良さそうにしているので、より慣れさせようとしているだけなのかもしれない。

「いやいや。夏物って言っても、ほとんど女物だよ。ちぃくん、女物の服に興味ないでしょ」

 慌てて否定する天谷さん。やっぱり、一緒に出かけることを拒否られているのだろうか?

「ないの?」

 僕の方を一瞥して、短く聞いてくる日比木さん。ここで否定すれば、天谷さんとお出かけするチャンスを逃すだろう。

「あります」

「あるんだ! というか、あるんだ!」

 驚く天谷さん。

「じゃあ、良いじゃん。一緒に行ってきなよ、千沙菜」

「いやいや。私としては今、ちぃくんが女物の洋服に興味があることが気になるんだけれど。……はっ! もしかして、今をときめく、男の娘?」

「いや、違うからね。興味があるって言うより、そろそろ、姉さんの服が欲しいと思っただけだから。姉さんは忙しくて、買いに行く暇がないから、古いのしかないんだよ」

 嘘ではない。一割くらい本当だ。まぁ、そんなのはいつでもいいし、むしろ、天谷さんと出かける方が重要だね。

「……お姉さんの?」

「そう」

「サイズとか、わかるの?」

「ああ、それはわかるよ。この前、健康診断があった日に、身長百六十一センチ、上から八十四、四十七、八十五。どうじゃ、魅惑的な体型じゃろ、がはは。と、笑っていたのから、それで良いと思う」

「そ、そうなんだ」

 微妙な顔をして頷く、天谷さん。

 ……あれ? 姉のスリーサイズを知っていたから引かれてる?

「ちぃくんのお姉さんの体型って、千沙菜とほとんど一緒ね」

「そうなの?」

「千沙菜は、少し胸が小さいくらいよ」

「うわっ、言わないでよ。私もそう思ったけれど、黙っていたのに。……それに、二センチくらいなら、すぐに成長するもん。私はまだ、成長期」

「はいはい。後は、ウエストが成長しないように、気をつけなさいね」

「意地悪な優奈。名前にある優しいの字が泣いているよ」

「別にいいわよ。泣きたい子には、泣かせてあげれば。というわけで、今度の土曜日に、二人で行ってきなさいな」

「僕は良いけれど」

 ちらりと天谷さんを見ると、彼女はにっこりと可愛い笑みを浮かべる。

「じゃあ、一緒に行こうか、ちぃくん」



 日比木さんには感謝しなければ。彼女のおかげで、こうして出かけるための待ち合わせが出来ている。

「……デートねぇ。ただ、買い物に付き合ってくれと、頼まれただけだろう? それがデートなのか?」

 冷めた顔をして忠告してくる梅子に、僕は余裕の笑みを浮かべる。

「ふふん。確かに、中身はただの買い物だね。でも、肝心なのは、二人がどう思うかさ。そして、天谷さんがどう思うかはともかく、僕はデートだと思う自信がある」

「一人だけ浮かれた、哀れな道化」

 ぼそりと言った梅子の言葉に、僕の心はがりがりと削られ、危うく打ち倒されるところだった。

 僕は引き攣りそうになる顔に、なんとか笑みを浮かべ続ける。

「道化で終わるか、英雄になるかは、この後の僕の振る舞いで、いくらでも変わるさ」

「そうだな。でも、ちぃの姫は、あそこで男に絡まれている」

 梅子が指さす道路の向こう側には、確かに天谷さんがいる。いつも見ている制服とは違い、今日は黒い長袖ワンピース。なんと言うか、シックな感じで大人っぽくて、いつも以上に綺麗だ。……それも、二人組の男に話しかけているし。

「ナンパされていらっしゃる!」

「そうだな」

「そうだなじゃない。助けに行かないと」

 天谷さんは男が苦手だ。普通に話す分には、そんな様子を見せはしないけれど、見ず知らずの男たちに話しかけられるのは、かなりの負担のはずだ。

 彼女は断っている素振りを見せているのに、男共は馴れ馴れしく話しかけ続けている。

 僕は急いで道路の向こう側に渡ろうとするけれど、大きな道路故に交通量もかなり多く。道路を直接渡ることも難しい。なので、結構遠いけれど、横断歩道まで走るしかない。

 美術部の根性付けで、無駄に足は速くなったけれど、焦る気持ちからすれば、遅くて仕方ない。横断歩道を渡り切った時、もう一度、天谷さんの方を見ると、彼女はしゃがみ込んでいた。

 目を離していた間に、何があったのかはわからない。けれど、天谷さんは怯えて、泣いているように見える。

 僕の頭の中がカッとなるには、十分なことだった。

 走り寄る勢いそのままに、僕は男の一人を殴り飛ばす。周囲がざわつくけれど、知ったことか。

「何をしやがる」

 殴られなかった男が文句を言ってくる。ふざけんなと思う。

「お前らこそ、天谷さんに何をした!」

「……天谷? なんだよ、この女の知り合いかよ。俺らだって知らねぇよ。いきなり泣き出しやがるし」

「いきなり泣き出した?」

「そうだよ。まぁ、俺らも少ししつこかったかもしれないけど、肩抱いただけで、泣くか普通?」

 殴られた男が自分たちこそ被害者だと言わんばかりに、非難してくる。

 確かに、普通の女子ならば、嫌がりはしても、泣きはしないだろう。けれど、天谷さんは男が苦手なのだ。特に、触られることを本格的に嫌っているように思える。そんな彼女にとって、肩を抱かれることは、本当に嫌なことだろう。……今の状況を見る限り、嫌というよりも、怖いのかもしれない。

「あんたらの行動で、どう思うかなんてのは、受け止める人の思いしだいだ。……確かに泣くとは思わないのかもしれないけれど、僕は天谷さんの味方だ。彼女を怖がらせ泣かせたのなら、僕はあんたらを許さない」

「なんだよ、それ」

「許さないのは、こっちだっての」

 殴られた男は、ふらふらと立ちあがりながら、そう言ってくる。唇を切ったのか、殴られた男の口の端から、血が出ている。自分でやっておいてなんだが、結構痛そうだ。

「んじゃ、やるってのかい? 相応の怪我は、覚悟しろよ」

 僕はできる限り、余裕の笑みを浮かべる。正直なところは、二人相手に勝てるかは微妙だったけれど、こういうときは、雰囲気で飲まれてしまえば、確実に負けるものだ。

 少しの間、にらみ合っていたが、二人の男は目配せして、構えていた拳を下ろす。

「ちっ。今回は見逃してやるよ」

「まぁ、喧嘩したって、何の得にもならねぇしな。けど、今度は見逃すとは限らないからな」

 二人は僕を強く睨みつけて、立ち去っていく。そんな二人の姿が見えなくなったところで、僕はホッとする。

 怪我をするリスクを嫌ったか、周囲の人が警察呼んだ方が良くないという会話をしているのが聞こえたからなのかはわからないけれど、少なくとも、僕の方からは引くに引けない状況だったので助かった。

「天谷さん。あいつらは行ったよ」

 しゃがみ込んだままの天谷さんに声をかけるけれど、一向に顔を上げようとしない。

「……天谷さん?」

 僕もしゃがみ込み、彼女の肩を恐る恐る触れようとすると、手を打ち払われた。

 その時に見えた彼女の顔は蒼白で、怯えきったものだった。けれど、打ち払った衝撃で、正気に戻ったのか、気まずげな顔をして、立ちあがる。

「ご、ごめん、ちぃくん。……あの、その、……私、帰るね」

「えっ?」

 僕が聞き返す前に、天谷さんはそそくさと走り去ってしまう。

 呆然と見送りそうになる僕だったけれど、梅子に背中を押される。

「たぶん、追っかけた方がいい。明日から会うたびに気まずくなるし、何より、傷ついた人を、一人にするとよくない。悪魔が来る可能性がある」

「……悪魔が」

 悪魔は、悪意のある人間だけでなく、傷ついた人間にも憑きやすい。やつらは、悪意だけでなく、悲嘆や恐怖などの負の感情ですら膨れ上がらせる。それは、とても危険なことだ。

 かつて、僕はいじめられていた孤児院の仲間に、悪魔がついたことがある。院長先生や他の仲間たちの励ましで彼は持ち直し、悪魔は離れてくれた。けれど、あのままいけば、彼は自らの悲しみと絶望を膨れ上がらせて、自殺をしていたかもしれない。

 他にも、悪魔が関係した一件は、いくらでもあるから、天谷さんに悪魔が憑いてしまった時のことを思うと、怖くて仕方なかった。

 ……ん?

 その時、僕の記憶の琴線に触れるものがあった。

 悪魔の一件。その中に、大切なことがあったはずなのだ。なのに、思いだせない。

 人外の者が消滅してしまえば、現実的な力がないため、たちまち記憶が曖昧になってしまうもの。それは、悪魔でも変わらない。けれど、その一件は……。

「ちぃ。追わないの」

 梅子の言葉で、思考は中断される。

 そうだった。僕に大切なのは、過去の記憶よりも天谷さんだ。

 だから僕は、急いで彼女を追いかけた。



 姿は見失っていたけれど、梅子が彼女の気配のようなものをたどり続けてくれたので、すぐに見つけることはできた。

 天谷さんは、最寄りの駅のホームにいた。

 南部長に感謝しなければいけないなと思う。もしも、中学時代の僕のままだったなら、電車が来る前に追いつくことはできなかっただろう。

「天谷さん!」

「ちぃくん? ……あの、なんで」

「追いかけてきたに決まってんじゃん。あのまま、天谷さんを帰すことなんてできないよ。大丈夫なの?」

「あ、あはは。大丈夫だよ。別に、殴られたりしたわけじゃないし。というか、ちぃくんの方が、大丈夫? 思いっきり殴っていたから、拳が痛いでしょ?」

 天谷さんは笑顔を浮かべながらも、心配してくれる。けれど、その顔がいつもより引き攣っていることに気付いていた。無理をしているのだ。 

 僕も伊達に美術部じゃない。これでも、人のことを細かく観察しているのだ。……その割には、髪を切ったことにも気付かないよねと、姉に言われるけれど、天谷さんの大好きな笑顔を見間違えることはない。

「僕は大丈夫だよ。それよりも、僕は天谷さんに話したいことがあるんだ」

「私に? ……あの、……今日じゃないとダメかな?」

 天谷さんは、まだ、心を立て直せていないのだろう。だから、一人になろうとしている。いつもの自分の振舞いができるように。

 彼女は不器用なんだ。人に甘えることができず、普段の明るい自分という殻を作りだし、自らの弱さを上手く隠してしまう。どちらかといえば、僕も同じなので、彼女の気持ちが痛いほどわかる。心から頼れるものが少ないものにとって、頼ることは相手への負担にしか思えない。だから、遠慮してしまう。

 ……僕も、姉さんに迷惑かけたくなくて、遠慮ばかりしてしまっている。けれど、天谷さんには遠慮をしてほしくはなかった。弱さを見てしまった僕には、彼女の明るさが、痛々しく見えてしまうから。

「今日じゃなくちゃ、ダメだ」

 天谷さんは迷うように視線をさまよわせ、後ろに並ぶおばちゃんが、興味津々と言った感じで見ているのに気付いて、溜息を吐く。

「……わかった。けど、あっちで話を聞くから」

 そう言って指差したのは、ホームの端の、人が少ないところだ。

 僕にしても、おばちゃんの視線に晒されながらは恥ずかしいので、断る気はなかった。

「……それで、話ってのは?」

 愛嬌のある天谷さんには珍しく、無愛想な顔をしている。それだけ彼女に、取り繕う気力もないのだろう。

「うん。……まぁ、簡単な話だよ。僕は天谷さんが何で男を苦手かは知らないし、……まぁ、知りたいとは思うけれど、無理に聞こうとも思わない。でも、それがどんな理由であれ、僕は天谷さんを守りたい。……いや、守りたいんじゃなくて、守るんだ」

「守る?」

「そうさ。天谷さんが、悲しんでたら、怖がってたら、泣いていたら、僕はいつでも駆けつけて、天谷さんを守ろう。……だから、無理をしないで欲しいんだ」

「……無理なんて」

「ん。天谷さん自身は、無理をしているとは思っていないのかもしれないけれど、僕にはそう見えちゃうんだよ。だからもし、少しでも助けが欲しいと思ったなら、頼ってよ。僕は、天谷さんのためなら、なんだってするから、だから、一人で抱え込まないで欲しいんだ」

「……ちぃくんはなんで、私のことを、そんなに心配してくれるの?」

「そ、そんなの、大切な友達だからに決まっているだろ」

 ああ。僕の声が上ずってしまう。下心が見え見えだったかもしれない。けれど、彼女は特に気づいた様子もなく、笑みを浮かべる。それは、弱々しいものではあったけれど、とても、自然なものだった。

「……そっか。……ありがとうね、ちぃくん。なんだか、励まされちゃったなぁ」

 恥ずかしそうに、天谷さんは頬を?く。

「でも、本当にありがとう。私、男の人が苦手だけど、ちぃくんと友達になれて、良かったと思うよ」

 それを聞いて、僕は嬉しくもあったけれど、胸が痛みもした。

 僕は、天谷さんに避けられたくないから、好きだという気持ちをひた隠し、友達という立場を選んだ。ある意味、ただの友達だと思わせるように、僕自身が仕向けたと言って良い。それなのに、僕の心はただの友達でしかないことに、ショックを受けているのだ。なんて浅ましいのだろうか。

 けれど、僕の中で石原が天谷さんに告白したときのことを思い出される。

 あの時、僕は何の関係もない部外者だった。……そして、それは今も変わらない。

 確かに、前よりは仲良くなっている自信はある。でも、ただの友達である以上、彼女に告白するものと、同じ位置に立つことはできないだろう。

「ねぇ、ちぃくん。やっぱり今日は、ごめんだけど、買い物に行く気分になれないんだ。だから、また買い物に付き合ってくれるかな?」

 ねだるように上目遣いで聞いてくる天谷さんは、卑怯なくらいに可愛くて、僕はただ、頷くことしかできなかった。

 そして、改めて思う。

 僕は、天谷さんが好きなのだと。その気持ちが抑えられないほど。

「ごめん、天谷さん。僕は嘘吐いた」

「嘘?」

「ああ。僕が、君を心配するのは、友達だからじゃない。……す、好きなんだ。一人の男として」

 言った。言ってやった。僕の人生、初めての告白だ。

 告白したことへの高揚感と、今までの関係が壊れてしまうのではないかという後悔が、胸を苛む。

「……ちぃくんが、……私のことを好き? ……でも、……でも私は――」

 この後彼女が言うのは、断りの言葉だろう。そんなのは、悲しいくらいにわかりきっていることだ。だから、僕は彼女の言葉をさえぎるように伝える。

「――男が苦手なのは知っているよ。僕のことを、愛してくれないことも。……別に、付き合って欲しいとは思わない。……いやまぁ、できれば付き合いたいけれど、……それでも、付き合えなくてもいいと思っているのは、本当なんだ。いつも通りの友達の関係でも、僕は十分に満足だから。……本当に。……それでもただ、知っておいて欲しかった。僕が天谷さんのことを好きなことを」

 僕の言葉を聞いて、天谷さんは黙り込む。そして、泣き笑いのような表情を向けてくる。

「……なんだかそれ、私がずるい気がする。……いつも通りの友達同士って、……私、どんな顔してちぃくんと話せばいいかわからないよ」

「どんな顔を向けてくれたって構わないさ。天谷さんと仲良く話せるのなら」

 僕の答えに、天谷さんは困った顔をして、俯く。

「ずるいなぁ。ずるいよ、ちぃくんも……私も。……私はちぃくんの望む気持ちをあげれない。でも、ちぃくんと、友達のままでいたいとも思っている。……なんていうか、ちぃくんに甘え過ぎてて、自分に腹が立つね」

「そんな君も、素敵だ」

 少し冗談めかして言うと、天谷さんは笑う。

「うふふ。ちぃくんのばぁか」

 ばかって言われた。けれど、なんとなく嬉しかった。

 その時、電車がホームにやってきた。天谷さんはそれを見て言った。

「ごめん、ちぃくん。私帰るね。……ちぃくんのこと、少し考えさせて。……なんだか私、とても混乱しているから、……帰って、ちゃんと考える。真剣に」

 確かに、その方がいいだろうと思う。

「うん。……でも、どんな答えでも、できれば友達継続はお願いしたいな」

「ふふ。善処します」

 そう、冗談めかして答えると、天谷さんは軽やかに、電車の中へと入っていく。

 僕の告白が、どう転ぶかはわからない。

 けれどその姿には、ナンパをされて、過去のトラウマに傷ついていた姿はなくなっている。

 ただ単純に、それが嬉しかった。



 私は家に帰ってから、シャワーを浴びる。なんだか、もやもやとした気持ちを、少しでもすっきりさせたかったから。

 比較的、大きな一軒家である私の家は、一人でいるがらんとした印象を受けて、いつも、寂しい気持ちになる。先ほどまで、ちぃくんと一緒にいたから、余計にそう思えるのかもしれない。

「好きなんだ……か」

 まさか、ちぃくんに告白されるとは思わなかった。

 シャワーを浴び終え、バスタオルで優しく叩くように水滴を取りながら、鏡を見ると、私の姿が見て取れる。

 自分が綺麗だという自覚は、……まぁ、ちょっとはある。

 お肌のお手入れだってしているし、おしゃれにだって気にかけている。そこまでして、自分が少しも綺麗じゃなかったのなら、泣けてくる。

 まぁ、それはともかく、何度か告白もされているし、ナンパだってされている。

 ……今日の嫌なことを思い出した。

 まぁ、それもともかく、自分が少しは綺麗だから、好きになってくれる人がいるのだと思う。

 ちぃくんも、私のことを綺麗だと思ってくれたのだろうか?

 やっぱり、私も人間だから、好きになってくれるのは嬉しいとは思うのだけれど、それと同時に、怖いとも思ってしまう。そんな自分が嫌だった。けれど、どうしようもないのだ。男の人が怖いという気持ちは、心の傷として、癒えることなくあり続けているのだ。

 ちぃくんは、それがわかっていてくれるから、友達のままで良いと言ってくれたのだ。ただ、好きであることだけを、知っていてくれるだけでいいと。

 それは、私にとってどれだけ優しい関係だろうか。そして、ちぃくんにとっては、とても酷い仕打ちだ。

 私は、大きめのTシャツとゆったりとしたズボンの部屋着を着ると、二階にある自分のベッドに寝転がった。

 ちぃくんのことを考える。

 出会ったのは、入学式の日だ。

 彼の自己紹介は、なんとなく覚えている。特徴的だったから。

「初めまして。さっき先生から呼ばれたとおりの名前だけれど、人は僕をちぃと呼ぶ。くんでもちゃんでも、好きな敬称を付けてくれて良いよ。……趣味はそうだね、絵を描くことだね。中々、おしゃれだろう? 特技はあれだ。目に見えないものが見える的なね」

 そんなことを言うちぃくんに、教室中は黙り込んだ。電波くんかと、私ですら思ったもの。

 でも、ちぃくんは笑う。

「いやいや。今のは冗談だよ。本気にされても困るんだけどな。ノリ悪いなぁ、みんな。さては緊張しているね。実は、僕もしている。足なんてガクガク震えが止まらないよ。っと、言うことで、小心者のちぃをよろしく」

 小心者だという割に、他の人は名前と出身校と、あとは一言二言いうだけなのに、随分とべらべらしゃべる。変な人だなというのが、第一印象。

 話すようになるのは早かった。席が近かったということと、彼が気さくだったということもある。けれど、話しかけたのは私の方からだった。

 一人でいるとき、ちぃくんはよく、ノートに何かを描いていた。私はなんとなく気になって覗いてみると、とても上手な木の絵が描かれていた。そのことに少し感動して、私から話しかけた。

「絵、上手いね。いつも描いてるように見えるけど、本当に好きなんだね。絵を描くの」

「別に好きじゃないよ」

 ちぃくんは否定する。あの頃の私はわからなかったけれど、彼は少し捻くれているところがあると思う。

「え? でも、絵を描くのが趣味だって言ってなかったっけ?」

「まぁね。でも、描くのは別に、好きじゃない。嫌いでもないんだけどね。……ただ、僕にとって、習慣というだけさ。例えるのなら、毎朝ジョギングをする、おじさんたちのようなものだね。僕の場合、ジョギングじゃなくて絵だけれど」

「でも、おじさんたちだって、楽しくてジョギングしているんじゃないの?」

「そうなの? 僕は健康のために、仕方なくやっているんだと思っていたよ。だって、走るのって、……苦しいじゃん」

「……まぁ、私もそうは思うけれど、楽しいって思う人も、普通に居るよ」

「苦しいのが楽しいって、……変態か!」

「いやいや。今の発言は、多くのマラソン愛好家を敵に回したよ」

「大丈夫さ。彼らはマゾだから、むしろ、罵られることで喜びを――」

「――感じません」

 彼の言葉を最後まで言わせず、きっぱりと切り捨てる。途中から、冗談になっていたのはわかっていたので、ついつい、二人で笑ってしまった。

 本当に何気ない会話だったけれど、その時から私はちぃくんと、普通に話すようになった気がする。

 ちぃくんと話すときは、なぜか二人とも、冗談が多くなってしまうのは、この時の影響なのかもしれない。

 もしかしたら、あの告白にしても、冗談だったのでは?

 淡い期待を込め、そんな風に考えてみる。けれど、違うということは、あの時のちぃくんの顔を思い出せば、わかってしまう。

 冗談だと考えられれば、私は楽になれるとは思う。でも、真剣に告白してくれたちぃくんを、とても傷つけてしまうことになる。

 そんなこと、できるわけもなかった。 

 これからも、ちぃくんと友達でいたい。けれど、明日から、どんな顔をして、話せばいいのだろう?

 ……あれ?

 そこまで考えて、不思議に思う。

 私は男の人が苦手だ。

 触れられれば、心はたちまち恐慌を起こすし、話すのだって実のところ、逃げ出したいほどだ。でもこのままじゃ、一般的な生活ができないのもまた事実で、それに私は、自身のトラウマを克服したいとも思っていた。

 だから私はカウンセラーに通い、普通に話すことだけは、なんとかできるようにした。また、男の人と接する状況に慣れようと、女子高ではなく、共学の高校も選んだのだ。

 今のところは、怖いのをなんとか押し殺し、男子と女子、わけ隔てなく接することが出来ていると思う。

 それでも、少しでも気を抜いたら、途端にぼろを見せてしまうだろう。今日、ちぃくんの前で、泣いてしまったように。

 だから、未だに克服しているわけじゃない。

 なのに、私はちぃくんと話したいと思っている。一緒に居たいと思っている。

 それが不思議だった。

 今まで、私に告白してきた人はいた。

 石原くんもそうだ。

 告白を断れば、その人との間に微妙な距離が開く。私はそれを、嫌とは思わず、むしろ、ホッとしていたほどだ。

 それなのに、ちぃくんだけは違う。嫌だと思っている。

 何でだろうか?

 相談してみようと、私は優奈に電話をしてみる。

「はおはお。私よ私」

「私なんて名前の友達はいません」

 そう言って、電話を切られた。

 ……もう一度電話をしてみる。

「みんなのアイドル天谷千沙菜ちゃんよ」

「すいません。知り合いに、アイドルなんていないので」

 また切られた。

「もう、良いもん。不貞寝してやる」

 私はスマートフォンを投げ捨て、枕を抱きしめようとすると、今度は優奈の方から電話があった。私は不満を訴えるように、スマートフォンをのろのろと拾う。

「むぅ。何の用ですか?」

「あんたから電話してきたんでしょ。で、何の用よ。せっかくの良いシーンの邪魔をしやがって」

 どうやら、スマートフォンでアニメを見ていたようだ。良いシーンかどうかなんて、私に電話する側からすればわからないのだから、勘弁してほしい。

「というか、せっかくの家族旅行なんだから、スマフォでアニメを見るのは、やめときなさいな」

「何時間も親と話していたところで、つまんないんだから仕方ないわよ。……んで? そっちのデートはどうなったの?」

「デ、デートじゃないよ。ただ、お買い物に手伝ってもらうだけだもん」

「その割には、楽しそうにしてたねぇ」

 電話の向こうで、ニヤニヤしているのが見えそうな口調だ。普段なら、少しは腹を立てて見せるのだけど、優奈は気になることも言っていた。

「……私、……楽しそうにしてた?」

「ん? ……してたように見えたけど、……何かあったの?」

 私の言葉に、何かしら勘付いたようで、気遣わしげに聞いてくる。

「んっと、買い物に行くはずだったんだけれど、私が男嫌いを爆発させちゃって」

「何? ちぃくんがムラムラして、襲いかかってきたとか」

「違うよ。むしろ、ナンパされたのを助けてくれたの」

「へぇ。やるじゃん、ちぃくん。それで、どうなったの?」

「んと。とりあえず、私は心乱れっぱなしだから、帰ることにしたんだけど、その時に、……ちぃくんが告白してきたの」

「ふ~ん」

「あれ? ふ~んって、それだけ」

「そりゃ、わかりやすかったからね。ちぃくんが千沙菜のことを好きなのは」

「……わかりやすかったんだ」

 それに気付かなかった私っていったい……。

「まぁ、それで、あんたはまた断ったわけだ」

「……いや、その……」

 口ごもると、電話の向こうで驚いたような素っ頓狂な声が上がる。

「ほぅ。まさか、OKしたの?」

「ううん。ただ、ちぃくんが言ってくれたの。好きだということを知ってくれているだけで良いって。だからその、保留中みたいな感じに」

「へぇ。珍しいね。いつものあんたなら、無慈悲に断るのに」

「無慈悲って酷いなぁ。……でもまぁ、そうだよね。男の人と仲良くしょうとしているくせに、いざ告白されたら、あっさりと逃げちゃうんだもんね。相手にしたら、とても酷いことをしているとは思うよ。……でも、今回は違うの。私は、ちぃくんと友達のままでいたいと思っているんだよ」

 私は自分の気持ちを吐露する。

「ふぅん。良かったじゃん。それだけ、男に慣れてきたってことでしょ」

 あっさりとした優奈の答えに、私は目からうろこが落ちたような気持ちになった。

「そっか。そうだね。何でちぃくんだけに、そんな気持ちになったんだろうって、不思議に思っていたんだけれど、そっかそっか。私が男の人に慣れたからだったんだね」

「まぁ、だから、ちぃくんのことも好きになったんでしょ」

「……好きになった?」

 私は優奈の言葉を繰り返し、その意味を理解すると、頭に血が上ったような感覚がする。

「す、好きってありえないよ! 私は男の人が苦手なんだから! それに、ちぃくんは決してかっこいいわけでもないし、運動神経抜群というわけでも、頭がいいわけでもないよ。それに、ちょっと捻くれてもいるし……」

 ……あれ? 何で私、こんなにムキになっているんだろう?

「理屈っぽいなぁ、千沙菜は。人を好きになるっていうのは、そういうのじゃないよ。顔がいいとか頭がいいとか運動ができるとか、確かに好きになりやすい条件ではあるけれど、結局のところ、人は何となく好きになっているものだよ。……私だって、石原の嫌なところをいっぱい知っているのに、なんでだか好きだしね」

「……私が、ちぃくんを好き?」

「まぁ、変に否定しないで、ちゃんと自分で考えてみな」

 そう言って、優奈は電話を切ってしまった。

 私は茫然となりながらも、優奈の言うとおり、私のちぃくんへの思いを考えてみる。

 さっき、私が言ったとおり、ちぃくんは決してかっこいいわけでもないし、運動神経抜群というわけでも、頭がいいわけでもない。それに、ちょっと捻くれてもいる。

 それでもちぃくんは、ナンパに絡まれているところを、助けてくれた。

 あの時、私は恐慌状態にあったけれど、今思えば、本当に嬉しい。

 ちぃくんは、とても優しいし、……私はちぃくんと一緒にいると楽しいと思う。

 だから、今日の買い物にだって一緒に行こうと思えたのだ。

 私は買い物をとても楽しみにしていたし、今日着ていく洋服にだって、いつもより悩んでいた気がする。

 思い返してみれば、男の人が苦手な私では、あり得ないことばかりだ。

 それでも私は、そう思っていたのは事実で、その理由は――。

「――ちぃくんが好きだから」

 顔が熱くなる。今、鏡を見れば、私の顔は、真っ赤になっているだろう。

 自覚してしまった。私には、絶対にないことだと思っていたのに、私は本当に、好きになっている。ちぃくんを。 

「どどど、どうしよう。ただでさえ、どんな顔して会えばいいのかわからないのに、本当に、どんな顔して会えばいいんだろう?」

 私はただただ、うろたえ続けてしまう。小さなころから、男の人が苦手な私。好きになるのも初めてだ。どうしていいのか本当にわからない。

 その時、電話が鳴る。スマートフォンではなく、家の電話だ。

 お母さんは仕事でいないので、私は仕方なく廊下に備え付けてある電話の子機を取る。

 そして、電話から聞こえてきた声に、先ほどまで浮ついていた心が嘘のように冷えて行くのがわかった。

 膨れ上がる恐怖。

 電話から聞こえてくる声を聞きながら、私は思う。

 助けて、ちぃくん。


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