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人には見えないものが見える僕は、普通に恋をした

 なんとなく、ラブコメを書きたくなり、勢いだけで書いてみました。

 そうしたら、ものすごくこじんまりとした話になってしまった感が否めない。ラブコメなのに、コメディが少なかった気がしてならない。

 それでも、読み返してみたら、面白い気がしたので、投稿させていただきます。

 ……いやぁ、難しいですね、ラブコメって。

 私は探す。

 失ったものを。

 それは大切なものだと、わずかに残る記憶が教えてくれる。

 わずかな記憶に浮かぶのは、幼い男の子。

 私は彼と、ずっと一緒にいたのだと思う。

 残念ながら、何を話し、何をしたかも覚えていないけれど、それでも、彼を思うたび、私の心は暖かくなる。

 母や仲間たちとは違う思い。

 たぶんこれは、人で言うところの恋のようなものかもしれない。

 人ならざる私が、人と同じ気持ちを抱くかはわからないけれど、彼に会いたいという思いに、違いはない。

 ……彼が、私を覚えていてくれることはないだろう。

 あの世界での私がなくなった時、彼の中の記憶もまた、失ってしまったはずだから。

 それでも私は、また彼と会いたいのだ。

 だから私は、親しみ慣れた世界から意識を離し、手を伸ばす。彼の居た世界に。

 けれど、私の手は、彼の世界には届いてくれない。

 私の手を受け取ってくれるものがいないから。

 それでも私は、手を伸ばし続ける。

 いつか、あの男の子が、私に気付き、私の手を握り返してくれるように。



 僕は、普通の人には見えないものが見える。

 人の法則から外れた者。だから僕は、人外と呼んでいる。

 もしかしたらそれは、昔の人が言うところの妖怪の類なのかもしれない。少なくとも、僕は死んだ知り合いの霊というものを見たことがないので、幽霊かどうかはわからない。

 中には、幽霊だと言い張るものもいるのだけれど、よくよく話を聞けば、彼の記憶は矛盾や曖昧なものだらけで、正しいのかも定かじゃない。

 残念無念。

 これがもし幽霊だったのなら、テレビに出ている霊能者のように、あなたの旦那さんは、あなたに感謝していますよ……なんて、お涙頂戴なことを言って、スタジオを感動の渦に巻き込んでお金を稼ぐのだけれど、幽霊だと断定できない僕は、そうすることもできない。

 まぁ、変なものが見えるのは事実だし、嘘八百並びたて、それっぽいことを言うことだってできるだろう。けれどそれは、詐欺行為だと思うので、やる気もしない。

 嘘は良くない。

 見えないものが見えると言って、嘘吐き呼ばわりされた上に、いじめられた経験のある僕は、嘘が嫌いだ。この世に嘘という概念さえなければ、きっと、僕の言葉は信じられていたはず。

 みんな正直な生き方をしよう。

 ちなみに、嘘とオブラートは違うので、あの人デブだねなんて、正直に言うのは良くない。それは、嘘ではなく、悪意の言葉だ。

 ……でも、僕の好きな芸人さんは、あいつ馬鹿だねと、平気で言う。けれど、彼は馬鹿な人が好きなんだと思えるから、全然腹が立たないどころか、馬鹿だねと言われたいくらいだ。

 言葉というのは難しい。

 一見悪意の言葉と思いきや、好意的な言葉だったりするのだ。

 複雑なことこの上ない。

 僕の嫌いな嘘もまた、人を救うこともあるのかも。

 ……なんて現実逃避をしていても、目の前にいる女性は消えてくれない。

 そう、ほかの人には見えない女性だ。

 僕よりも、いくつか年上に見える。長い白髪を、まるで巫女さんのように後ろにまとめている。服装は梅の絵柄があしらわれた赤茶色の着物姿。あまり周りに馴染んでいない。古風な和服美人といえば聞こえは良いが、足は地面から離れ、宙を浮くその姿を見れば、誰がどう見てもこの世のものではない。

 少なくとも、僕は関わりたくはない。彼女のような存在と関わっても、ろくなことがないのは、既に思い知らされていた。あんまり覚えていないけれど。

 ああ、背中にある古傷が痛む。……あれ? お腹だったっけ?

 まぁ、それはどうでもいいことで、あまり長いこと彼女の姿を見ていると、声が聞こえそうな気がして、慌てて僕は視線を逸らす。

 別に、お互いが干渉できない不可侵な存在ならば、僕は彼らを恐怖したりはしないだろう。……そう、僕は彼らを怖がっている。

 彼らは普段であれば、形のぼんやりとした存在にしか見えない。しかし、少しでも意識し、認識していくと、だんだんと現実感をもって現われていく。

 最初にはっきりとした姿が見えるようになり、次に彼らの声が聞こえるようになる。そして最後には、触れられるようにすらなるのだ。そして、触れられるということは、向こうからも触れることができるといことでもある。

 つまり、現実の存在と同じように認識してしまったが最後、僕はその人外を無視することができなくなってしまう。もちろん、僕が影響を受けていようと、周りには人外は相変わらず見えないので、人外に煩わされる僕の姿は、みんなにはただの変人としか映らない。

 僕だけが何故、認識してしまうのだろうか?

 騒がしい人ごみの中、何故か知り合いの声だけがはっきりと聞こえるということがある。それは、無意識の内に情報を取捨選択し、無駄な雑音を切り捨てているらしい。もしかしたらこの人外にしても、普通の人には見えても仕方がないものなので、僕以外の人間は、人外の認識を無意識に切り捨てているのではないかと、僕は考えている。

 そんな便利機能が、僕にも欲しい。

 見えてしまう僕は、否応なく認識してしまう。否定しようにも、否定すること自体が、認識にもつながっている。できる対抗策は、違うことを考えて目の前のもののことを考えないようにすることだけだ。

 しかしそれも、限界が近くなってきている。自分の能力への考察に思いを馳せることで、見ないふりをしてきたけれど、どうしても視線は、空飛ぶ着物の女性に行ってしまう。彼女も僕のことが既に見えているのだろう。僕の周りをふわふわと、物珍しそうに飛んでいる。彼女の体を突っ切るのも気持ち悪いので、僕の歩行は避けるように、ふらふらと蛇行している。真っ直ぐに学校に行きたいのに、邪魔されっぱなしだ。

 そして、着物の女性はついに、何事か話しかけようとしてきた。

「おう。何、ふらふら歩いてんだ、ちいちゃん」

 突如、背中にかけられる声。振り向けば彼がいた。

 幼馴染の菅原健吾こと、スガだ。

 明るく活発で、クラスの人気者。運動神経抜群だわ、顔だって所謂イケメンだ。唯一の救いは、頭が悪いということだろう。これで頭が良かったら、嫉妬が止まらない。

「げ、幻覚が見える。貞子よろしく、井戸から人が。ク、クスリ。クスリをよこせぇ!」

 僕はさながらゾンビの如く、必死の形相で掴みかかる。我ながら迫真の演技。けれど、スガは僕の腕をあっさり捻り上げる。そして、ポケットから出したスマートフォンを無線のように構える。

「暴れる犯人を逮捕しました。どうやら覚せい剤を使用している模様。応援よろしくお願いします……って、朝っぱらから何やらせんだよ」

「クスリに人生を狂わされた不良の役を。こんな大人になったら駄目だよという戒めさ」

「すれ違う小学生は、ドン引きだよ。つうか、俺まで恥ずかしいわ」

「またまたぁ。楽しんでいた癖に」

「やった後悔の方が大きかったぞ。……というか、覚せい剤飲んで錯乱しているやつが、自分が幻覚見てるなんて言わないっての。幻覚だとわからないからこそ、錯乱しているんだからよぉ」

「経験者は語る」

「まぁな。中毒から抜けるのは、きつかった……って、やってねぇよ、覚せい剤」

 ノリ突っ込みを行うスガに、僕は馬鹿みたいに笑って見せた。

 少なくとも、何かをやっていれば、人外のものに意識を向けることはない。

 そういった意味で、話題が次から次に浮かぶ友達と話しているときが、一番楽に感じる。

 少しだけ視線を転じれば、付き纏っていた着物の女性もいなくなっていた。諦めてくれたのかもしれない。



 入学したばかりの高校一年生というのは、何気に必死だ。公立の中学から受験して、高校に入学したものにとって、周りに居るのは初めて知り合う人の方が圧倒的に多く、自分から知り合っていかなければならない。僕は、誰に対しても物怖じしないスガのおかげで、早くも交友関係を広げられたのが、有難かった。

 持つべきものは、幼馴染だ。

 感謝感謝。

 一学期の半ばになったというのに、未だに孤立しているやつは、何人かいる。そんな状態になっていれば、学校だって楽しくないだろう。

 ……まぁ、勉強を楽しいと思ったことなんてないけれど。

 教室に入って自分の席に着くと、速攻で尾田が近付いてきた。高校に入学してからの友人で、猿っぽい見た目をしたやつだ。

「なぁなぁ。数学の宿題、やってきたか」

「そう聞くってことは、尾田はやってないんだな」

「まぁな。……いやぁ、昨日はいそがしかったんだよ。買ったゲームが面白くて、ついついやめられない止まらない状態に」

 見れば確かに尾田の目は、充血しているように見える。もしかしたら、徹夜でもしたのかもしれない。人が時間を捻出するとき、一番削るのは睡眠時間だと思うから。僕も色々と心当たりがあるので、わからないでもない。ちなみに、お金を捻出するために削るのは食費だろう。二つとも、人が持つ三大欲求だというのに、随分とないがしろにされている。果たして人は、最後の性欲を削って、何を捻出しているんだろうか? ……倫理とか?

「というわけで、貸してくださいませんか」

 拝むように手を合せ、頼んでくる尾田。猿にねだられているように見えるのは、彼の猿っぽさがなせる技。まぁ、そんな技は持ちたくないけれど。

「しょうがないな」

 僕は彼の猿っぽさに同情して、数学のノートを渡してやる。

「丸写しはすんなよ。ばれるから」

「任せとけ。俺を誰だと思っている」

「……猿?」

「馬鹿にしてんだろ」

「あはは。ごめんごめん。……まぁ、尾田が中学時代にどれだけの異名があるかは知らんけど、ノートを写すのが得意って、宿題忘れる常習者ってことだろ? 自慢できねぇ」

「むぅ。小賢しい正論を」

「何の話をしているんだ?」

 自分の席に荷物を置いたスガがやってくる。

「うむ。宿題についてだ」

「宿題? そんなのあったっけ?」

「馬鹿な。宿題事態を忘れていただと?」

 顔を驚愕に染める僕と尾田。

「くぅ。上には上がいた」

 尾田は自信を喪失したようだ。

「そんなものの上にはなりたくないけどね」

「また正論を」

「うっさいなぁ。それよりも、二人とも早く写しなよ。時間無くなるぞ」

 僕は数学のノートを投げつける。

「なにこいつ。やさしい」

 ときめき顔をするスガは、少し気持ち悪かった。

「まぁ、僕の半分は、優しさでできているからね」

「どこぞの薬のような御人やぁ」

 二人は喜び勇んで、宿題を写しに行った。

「残りの半分は何で出来ているの?」

 突然かけられた女性の声に、僕はヒヤリとする。今朝見た、着物の女性がついてきたのかと思ったのだ。声の方を見れば、話しかけたのは、斜め後ろの席に座る天谷さんのようだ。

 僕的に、このクラスで一番綺麗な人だと思っている。おしゃれな人で、化粧もアクセサリーの類も付けているけれど、その全てがさり気なく自然なもので、ケバさが全くない。顔は小さく手足は信じられないほど細い。モデルだと言われても、僕はあっさり信じただろう。同じ人間かと疑いたくなるほど、丁寧な作りをしている。

「……えっと、なんだっけ?」

 一瞬、彼女の姿に見惚れて、何を聞かれたのかを忘れてしまった。

「ほら、今、半分は優しさでできているって言ったじゃん。だから、もう半分は何かなって、気になったんだよね」

 人懐っこい笑みを浮かべて、そう言う天谷さんはめちゃくちゃ可愛かった。

「ん~。……後半分か」

 正直、勢いで言っていることなので、そこまでは考えてなかった。

「今考えているんだ」

 少し残念そうに苦笑する天谷さんに、何が何でも話さなければと思う。

「じゃあ、もう半分は神秘でできているってことで」

「神秘?」

「そうさ。僕の中は神秘でいっぱい。……それに、神秘的な男って、モテるらしいしね」

「あはは。らしいねぇ。優しさ半分、神秘が半分か。良い男じゃないか。モテモテだねぇ」

「照れるなぁ」

 僕は本当に照れたように、体をくねらせる。もちろん、天谷さんが、冗談で言ってくれているのはわかっている。けれど、綺麗な同級生に、良い男だなんて言われれば、照れてしまうのは、仕方ないことではないだろうか?

 もっと話していたかったけれど、残念ながら、担任の先生が来てしまったので、話は打ち切られた。後で、自分から話しかけてもよかったのだけれど、残念ながら天谷さんは、サッカー部の石原と付き合っているという噂を聞いているので、少しばかり話しかけづらかったりするのだ。



 放課後になると、僕は美術室へと行く。美術部に所属しているのだ。ちなみに、スガはバスケ部、尾田は帰宅部と、二人とも違う部活だ。

 良くは知らないが、スガはかなり有力な選手らしく、先輩たちに期待されているらしい。小学生の頃、バスケ漫画を読んで二人で始めたのはいいけれど、僕は残念ながら続かなかった。けれど、今までスガが頑張ってきたのは知っているので、彼の活躍は嬉しく思う。

 今度、試合の応援にでも行ってみるのも良いかもしれない。

 尾田に関しては、家に帰れば速攻でゲームの続きをやっていることだろう。

 僕は美術室へと行くと、部長や先輩と話をして、絵を描き始める。

 絵を描くのは、昔からの習慣だった。

 好きかと聞かれれば、僕は首を捻る。

 一人でいるときは、ひたすら絵を描くようにしているけれど、それは好きだからではなく、何もしていない状態が続くと、人外を認識してしまうからだ。これは、僕の中での防衛策。絵を描くことは嫌いではないけれど、別段好きというわけでもない。

 それでも、上手くなりたいとは思っている。

 描きたい風景があるのだ。

 幼き記憶にだけ、存在する風景。

 そこは、見渡す限りが水で満たされいた。子供の僕は、膝辺りまでが浸かっているというのに、冷たさを感じず、むしろ、感じていたのは心地良さだ。どんなに歩こうと、波一つ立たない水面は、宝石箱のように輝く星空を映し出していて、足下にも星空があるように思えた。周りには、様々な種類の木々が等間隔に並び立っていて、その木々にしても、花が最も咲き誇っている瞬間を切り取っているようで、その一本一本だけでも、見惚れるほどに美しかった。

 当時の僕に、風景や木々を観賞するような高尚な趣味はなかったけれど、いっそ魔性と言っていいほどの魅力が、あそこには満ちていたのだ。僕は心の底から美しいと思えるものを、その時初めて知ったのだろう。

 地平線というべきか、水平線というべきか、その向こう側に、他とは違う大きな木が目にできた。まるで、山のような巨大な木。それ自体が光っているようにも見えて、不思議な存在感を示していた。ゲームやファンタジー小説で出てくるような世界樹は、ああいったものなのかもしれない。

 目的も行き場所も特になかった僕は、抱えていた悲しみも喪失感も忘れ、世界樹に向かって、歩き続けた。

 その後の記憶はない。

 気が付けば、既に嗅ぎ慣れていた、消毒臭いベッドの上で、寝転がっていた。

 今の話を聞けば、ただの夢じゃないかと思うかもしれない。

 けれど、十年以上経った今でも鮮明に覚えているし、何より、その夢を見てからなのだ。僕が人外を見えるようになったのは。

 少なくとも、ただの夢だとは、思えなかった。

 だから、僕は絵を描き続ける。

 あの時の風景を再現できたなら、あれが何だったのかが、わかるような気がするから。

 けれど、描けば描くほど、僕の絵は、理想とかけ離れていく。イメージ通りに描けているはずなのに、色を重ねるごとに、なんだか、嘘臭く見えているのだ。

「むぅ。……上手くいかない」

「そう? 綺麗だと思うわよ」

 部長の南部長が、僕の絵を覗き込んで、褒めてくれた。

 ボーイッシュな髪形をした南部長は、文化部らしからぬ、活発な女性だ。というか、性格からして、体育会系に近い。幸い、上下関係にはうるさくはないけれど、努力や根性が大好きで、絵を描くのにも根性論を持ち出してくる。確かに、一つの絵を完成させるのには、かなりの集中力と根気が必要だ。けれど、美術部の活動に、持久走も筋トレもいらないと思う。

 でも、僕は南部長のことが結構好きだ。彼女の描く絵は、大胆さの中に繊細さが表れていてとても綺麗だし、彼女の真っすぐな性格も、好感が持てる。

 真っすぐ過ぎるせいで、辛辣なことを言ってきたりもするけれども、褒めるときは、お世辞ではなく、本当に褒めてくれているのだということも分かるので、こちらも素直に、嬉しくなる。

「ありがとうございます。……けど、僕の中のイメージと比べると、めちゃくちゃ落ちるんですよ。なんていうか、人工物っぽいような」

「そんなの、仕方ないんじゃない。等間隔に植えられた木なんて、人の手が加わらない限りは、あり得ないでしょ。どうしたって、人の作意は見えてしまうものよ」

「……そうか。……そうですね」

 確かに、等間隔に植えられた木は、管理されていなければあり得ない。言われてみれば、そうだと思えた。けれど、幼い頃に見たあの風景には、作り事めいたものは、なかったように感じたのだ。

 果たしてそれは、その頃の僕の感受性が低かったせいだろうか?

 けれど、鮮明に思い出せるあの空間には、神聖で神秘的な雰囲気があるけれど、やはり、人の作意を感じ取ることはできなかった。

 それは、僕の中で、勝手に美化されているだけなのかもしれないという可能性もあるのかもしれない。

 けれど、確かめようにも実際の風景を見ることはできず、僕の記憶の中だけに存在する。

 自分の中に迷いが生まれ、つい、口にする。

「……この絵で、良いんですかね?」

「さぁ、知らないよ。ちぃくんがどんな絵を描きたいのか、知らないんだから。……でも、私はこの絵を綺麗だと思うわ。それでも、これで満足するかどうかは、キミの勝手なのよ」

 やはり真っすぐな南部長の言葉に、僕の迷いは、あっさり晴れた気がする。

 彼女の言う通りだ。僕はこの絵に、満足していない。

 求めているのは記憶の中の風景だ。例え、自分の中で美化されていたとしても、僕が描きたいのは結局、あの風景なのだ。

「ありがとうございます、南部長。部長の言う通り、やっぱり僕は、この絵じゃ満足できませんね」

「そっ。まぁ、それで良いと思うわ。満足しちゃえば人はそれまで。成長しようという気概をなくしちゃうもの」

「……そうですね」

「とりあえず努力し続ければ、いつかちぃくんも、目的の絵を描けるはずよ。とにかく、ガンバ、ガンバよ」

「あはは。南部長は、いつもそれですね」

「当然よ。頑張れば何だってできるのよ」

 南部長は、ガッツポーズで力説する。そして、時間に気づいたのか、彼女は美術部を見回して、大きな声で言う。

「野郎共。根性付けの時間だよ」

「うぇえぇ~」

 主に、一・二年の部員達が、一斉に不満の声を上げる。三年たちはすでに慣れているのだろう。嫌がる下級生を見て、ニヤニヤしている。僕も、他の下級生と変わらない立場なので、性格が悪いなと恨めしく思うね。

「うっさい、お前ら。これは、我が美術部に伝わる、素晴らしき伝統よ」

 南先輩が一喝すると、みんなは嫌々ながらも、伝統の根性付けの準備を進める。

 それは十分間、腕立て伏せを力の限り続けた後、五階建ての校舎を、一階から屋上の踊り場まで、ひたすら三十分間、昇り降りをやっぱり力の限り繰り返すのだ。

 これは、かなりハードだ。慣れたとしても、それだけ腕立て伏せの回数が増え、階段の昇り降りが速くなるだけで、楽になることは一向にない。それでも、さぼっているのを見られれば、それだけペナルティーが科せられる。なので、みんなは必死で取り組んでいる。

 心の底からこんな根性付けを素晴らしいと思っているのは、南部長だけだろう。さすが体育会系女子だ。おそらく僕らは、日本で一番足腰の強い美術部だと思う。……なんて無意味な足腰だろうか。

 根性付けが終わった時、僕はもう、立っていられるような状態じゃなかった。完全に膝が笑っちゃっている。

 同級生はみんな、僕と同じ状態だ。けれど上級生は、僕らよりも階段を往復しているにも関わらず、あっさりと回復している。美術部というだけあって、女子部員の方が多いにも関わらずだ。

 これが、積み上げてきた一年という重みかと、僕はいつも、驚いてしまう。継続は力なりと言うけれど、先輩たちを見ていると、努力するってすげぇなと素直に感心する。

 まぁ、その努力が必要かどうかはさておき。



 部活が終わった後、なんとか立ち上がれるようになった僕は、ふらふらと教室へと向かう。美術室に置いておくと、絵の具で汚すことがあるから、鞄をロッカーに入れっ放しにしてあるのだ。

 廊下を歩いていると、廊下の教室側の窓越しに、教室の中が見て取れる。部活が終わるような時間なので、他のクラスには、人がほとんどいない。

 夕陽の差し込む、誰もいないガランとした教室。

 中々、幻想的な光景だ。

 絵になる。

「まぁ、僕は絵を描こうとは思わないけれど」

「美術部なのにな」

 ……声が聞こえた気がする。気のせい気のせい。疲れて幻聴が聞こえたにすぎない。びっくりだ。根性付けにこんな弊害があるなんて。

 僕は、見えそうな気がする着物を無視して、ただただ、機械的に歩き続ける。そして、自分のクラスの前までやってきて、僕は思わず、立ち止まる。

 開け放たれた扉から見える教室の中に、人の姿があったのだ。

 最初は、人外なのかと、身を強張らせたのだけれど、見知った顔だった。

 今朝も話した天谷さんだ。

 彼女は校庭側の壁に寄りかかり、スマートフォンを弄っている。その姿は寂しそうではあったけれど、とても美しい。夕日に照らされた教室に、誰かを待つように、教室で佇む美少女が一人。

 先ほども、誰もいない教室を絵になるなんて思ったけれど、これは、そんな比じゃなかった。幼い頃に見た世界樹の光景の印象が強く、練習のために色々な絵を描いてはいるものの、自分からあの風景以外の絵を描こうという気持ちになったことは少ない。

 けれど僕は、天谷さんの姿を描きたい欲求に駆られる。それほどまでに、目の前の光景は美しかった。

 タイトルを付けるならば、『夕暮れの教室であなたを待つ』とか。

 ……長いよ。というか、そのまんま過ぎるよ。

 自分で自分を駄目だししてしまった。残念ながら、僕にネーミングセンスはなさそうだ。

 珍しく描きたいと思ったのだけれど、画材は美術準備室にあるし、筆記用具は教室のロッカーの中だ。準備室の鍵は閉まっているだろうし、教室に入れば天谷さんは気づいて、この空気が壊れてしまうだろう。だから僕は、この光景を少しでも記憶しておこうと、ただただ見惚れてしまう。こんな姿を見られれば、変態確定も良いところだ。

 そんなことを思ったからなのか、廊下に足音が聞こえた時、僕は思わず隠れてしまう。場所は、黒板の中にある教卓の中。しゃがみ込みながら入ったため、天谷さんは気づかなかったようだ。というよりも、スマートフォンにつけたイヤホンで、音楽を聴いているようなので、周囲の気配に疎くなっているのかもしれない。

 前に、音楽を聴きながら歩いてた女子のスカートの中を、後ろからつけてきた男が盗撮するという痴漢行為があったと、いつかのホームルームで聞いたことがある。僕だって、音楽を聞きながら歩いていたら、近づく車に気付かず、轢かれそうになったことだってある。

 音楽を聴くということは、予想以上に無防備で危険なのだと、教卓の中で、僕は認識を広げた。

 ……いやもう、マジで勘弁してください。こんなところ見つかったら、ホームルームで言っていた痴漢に、負けないほどの変質者だよ。

 何で隠れたのだろう? こんなことなら、見惚れてましたすいませんで、終わらせとくべきだったよ。まだ、そちらの方がマシだ。今はただ、天谷さんが気付かない内に、足音が通り過ぎるのを、神様に願うのみ。

 ガラリと、教室の後ろ側の扉が、開く音がした。

 来ちゃったよ、神様。頼むよ、神様。役立たずめ。

 けれど、人を待っているような天谷さんの姿から、誰かが来ることは予測してしかるべきだったのかもしれないと、思い直す。

 せめて、誰が来たのだろうと思って、少し身を乗り出して教卓の隙間から覗き見る。

 男子生徒だ。見覚えがある。確か、サッカー部の石原。

 天谷さんと付き合っているという話だから、当然か。これから一緒に、仲良く帰るのだろう。手なんか繋いだりして。

 ……あれ?

 僕は、自分の胸元を見る。痛みを感じた。

 一瞬だったけれど、疼くような裂かれるような、変な痛みだ。

 もしかして、嫉妬しているのだろうか?

 まさかと、笑い飛ばそうとしたけれど、上手く笑えない。

 確かに、胸の痛みを感じたのだ。

 初恋は中学の時に済ませたつもりだった。その時は、近くに寄られると、心臓が跳ね上がり、変な緊張感を覚えたものだ。けれど卒業式、片思いのままで終わった恋に、少しだけの喪失感はあっても、胸の痛みなんて感じたことはない。

 恋をすると、本当に胸が痛くなるんだということに驚きながらも、いつからだろうと考える。

 少なくとも、朝はこんなことはなかった。天谷さんと石原が付き合っている姿を想像したけれど、そうなんだと思っただけだ。それなのに、今はじくじくと痛んでいる気がする。

 ということは、あれだ。

 今なんだ。

 教室に入ろうとして、一人寂しげに佇む天谷さんを見て、そのあまりの美しさに、あっさりと恋に落ちてしまったのだろう。

 ある意味、一目惚れ。

 何とも単純で、厄介なことだ。

 僕には、他の彼氏から横取りするような積極性も度胸もない。待っているのは、緩やかな失恋。それがわかっているはずなのに、何故、恋をしてしまったのだろうか。

 恋とはままならないものだと、テレビかなんかで聞いたことがある。本当にその通りだと、今更になって思うね。

「悪い、待たせたな。部活が長引いちまってさ」

 本当に悪いよ。時間どおりに来てくれていれば、無駄な恋も、こんなところに隠れている必要もなかったのに。

「別に。今日は友達と遊ぶ予定もないし、帰ってもやることがあるわけでもないから、気にしなくていいよ」

 天谷さんは、なんて優しい人だろうか。例え相手が彼氏だろうと、遅れてくれば、文句の一つでも言っていいのに、つぅか、言われろ石原。

 石原とは交流がなかったので、好きでも嫌いでもなかったのだけれど、今は恋敵として妬ましく思える。

「そう言ってくれると、有難いな」

「まぁ、私は帰宅部で、何かしているってわけでもない、暇人だからね。サッカー部の次期エース様とは、比べようもなく」

「……俺、嫌味を言われている?」

「んふふ。そぉんなことないよぉ」

 冗談めかして言う天谷さん。彼女の楽しげな姿が、胸に痛い。

 このまま教卓から飛び出して、楽しげな雰囲気をできることならぶち壊したいところだけれど、そんなことをすれば、天谷さんに嫌われることも、目に見えている。

「それで、話ってなんなのかしら、石原くん」

「ん。……いや、……その、……さ」

 天谷さんが尋ねると、石原は途端に歯切れが悪くなる。

 デートにでも誘うのだろうか? もしかして初デート? それならば、石原が照れ臭くて、言い淀んでいるのもわからないでもない。こっちとしては、その照れ臭さも羨ましくて、仕方ないがな。

「……あのさ。噂って聞いてる?」

「噂? ……もしかして、校長がカツラって噂のこと? 確かにあれは、生え際が不自然だよね。この噂を聞いて以来、朝礼で校長の顔を見るたびに気になっちゃって、気になっちゃって」

 ああ。確かにそれは気になって……って、明らかに石原の言いたいことと違うだろう。天谷さんは天然なのだろうか?

 まぁ、デートの誘いだとして、石原が何の噂を気にしているのかは、知らんけど。

「それで、校長のカツラがどうしたの? もしかして、ズレているところの写真を撮っちゃったとか? それは、ぜひ、見てみたいわ。決定的な証拠よ」

 天谷さんは。なぜ、そこまで校長のカツラに、興味を見せているのだろうか。まぁ、見られるのなら、僕も見てみたいが、そんな写真。普段は堅物そうな人だからこそ、そんな隙だらけの姿を見せられたら、絶対笑える。申し訳ありません校長先生。あなたの頭上が面白すぎるのがいけないのです。

「いや、その噂じゃないから」

「じゃあ、あれね。同じクラスのスガくんとちぃくんが、ラブってるって噂ね。まずいわ。私のひた隠しにしている腐った部分が、フル稼働しそう」

 ……フル稼働はやめてください。

 つぅか。そんな噂があったのか。本人達の知らぬ間に。

 怖いぞ。怖すぎる。スガとはそれとなく距離を取るべきだろうか? それはそれで、腐女子たちの脳内エピソードが膨らみそうで怖い。……そして、いつの間にか尾田まで加わっていたり。

 やばい。本気で吐き気がしてきた。

 うぅ、天谷さん、腐女子だったんだ。……でも、僕なら、それごと愛してみせよう。

「それでもなくてさ。……ほら、俺と千沙菜が付き合っているって奴」

 少し、頬を赤らめながらいう石原。ちなみに、千沙菜は天谷さんのことだ。くそっ。下の名前で呼びやがって馴れ馴れしい。……羨ましくなんかないもん。……くぅ、妬ましい。

「ああ、それなの」

 僕が一人で悶々としていると、打って変わったように、天谷さんの方はつまらなそうな顔をする。

 あれ? 噂ってことは、もしかして二人は付き合っていないのだろうか?

 諦めていた分、嬉しさが半端じゃない。

「本当に迷惑よね。友達にはからかわれるし、それに、……いや、なんでもない」

 何かを言いかけ、天谷さんは言葉を切る。それに、なんだろうか? 他に好きな人がいる的なやつだろうか?

 それに、私はちぃくんのことが好きだし的な。

 ……ごめんなさい。夢を見過ぎました。もし、好きなやつがいるって展開でも、どうせ、僕ではないだろう。なんせ、僕の近くにはスガがいる。僕よりスガの方が、モテるのだ。おのれ、スガめ。

 いつの間にか、スガに嫉妬してしまった。僕って、心がちっちゃい。

「め、迷惑なんだ」

 石原は引き攣ったような顔をする。付き合ってはいなくとも、石原は本当に、天谷さんのことが好きなのだとわかる。

「まぁね。石原君だってそうでしょ? ただのお友達なのにね。石原君はただでさえモテるから、そんな噂が広がっちゃったら、恋愛のチャンスをなくしちゃうでしょ」

 天谷さんはほほ笑みを浮かべたまま、彼にとってはとても残酷なことを言う。まぁ、僕としては、願ったりな会話ではあるけれど。

「違う。恋愛のチャンスなんていらない」

「そうなの? このくらいの男の子って、女の子と付き合いたいっていうのが普通だと思っていたんだけれど、違うんだ。さすが、サッカー部の次期エースだね。部活にストイックなんだ」

「だから違う。俺は! ……俺は、千沙菜が好きなんだ」

 絞り出すように告白する石原。

 中学時代に恋をして、結局、告白する勇気のなかった僕は、石原のことを凄いと思った。例え恋敵であろうと、彼の決意も勇気も、馬鹿に出来るものじゃない。

 いったい、天谷さんはどんな答えを返すのだろう。

 僕は、上手くいってしまうのではないかと、うすら寒い焦りのような感覚を味わう。

 石原と天谷さんが付き合うことが怖いというだけでなく、そこに、何の関わりのない自分が嫌で嫌で仕方なかった。もし僕が、以前に告白していたのなら、名乗りでるような真似ができたかもしれない。けれど、今の僕は、無関係な人間でしかない。

 ただ、天谷さんの答えを祈るような気持ちで、待つことしかできないでいる。

「ごめんなさい、石原くん。気持ちは嬉しいけれど、私はあなたと付き合う気にはなれないの」

 そういった天谷さんは、とても寂しそうで悲しそうな顔をする。

「な、なんで。俺のどこが悪いの」

「ううん。別に、石原くんが悪いわけじゃない。話しやすいし、サッカーは上手いし、顔だって悪くない。……けど私は、石原くんを好きになれない」

「だから、なんでさ」

「ごめんなさい。これは、私の問題なの」

 拒絶の言葉に、石原は絶望したように呆然とする。

 天谷さんはそんな彼に、何か声をかけようとするけれど、申し訳なさそうに、口を噤む。

「……お、……俺、……待つよ。……俺はずっと、天谷のことが好きだから、お前の気持ちが変わるまで、待っている。だから――」

「――私は、石原くんを好きになれない」

 まるで、石原の言葉を断ち切るような、天谷さんの冷徹なまでの拒絶の言葉。綺麗なだけに、冷たい顔をすると、どこまでも怖い。

 普段の優しくノリのいい天谷さんからは、想像できない態度に、石原はたじろいだ。正直、僕の未来の姿を見たようで、僕もかなりのショックを受けている。

「くそ! なんでなんだよ!」

 冷たい雰囲気に耐えられなくなった石原は、そう叫ぶと教室から走って逃げだした。彼の眼からは、涙が流れていた気さえする。男だろうと、好きな人にあれだけきっぱり拒否られたら、そりゃ泣くってものさ。

 哀れ石原。

 というか、超気まずい。

 一刻も早くこの場から逃げ出したいけれど、天谷さんが出てってくれないと、それも難しい。

「……で、ちぃくんはそんなところで何しているのかな?」

 窓の外を眺めながら、そんなことを言ってくる天谷さん。

「にゃ、にゃお~ん」

「ああ。なんだ、猫だったのかぁ……って。そんなわけないじゃん。……何で名指ししているのに、誤魔化せると思っているかなぁ」

 呆れたように笑みを浮かべて、教卓を見つめて言ってくる。

「少しでも、見つかっていない可能性を願って」

 僕は諦めて、教卓の下から出る。

「そう。何で、教卓の下なんかにいるかね」

 不思議そうに首を傾げる天谷さん。今さっき、男を手酷く降ったばかりの人に、キミに見惚れてなんて経緯を言う勇気は、僕にはない。

「小さなメダルを探して。……王さまが探しているんだ」

「……どこの王様か知らないけれど、百円玉でいい? 九十九円ショップの王様なら、変えてくれる品は、選び放題だぁね」

 スカートのポケットの中から、黒字に綺麗な赤いラインの入ったおしゃれな小銭入れを取り出して言う。……ノリはいい人なのだ。……というか、スカートにポケットなんてあったんだ、女性の服なんてちゃんと見たことないから、今まで知らなかったよ、という微妙な驚きを隠して、首を横に振る。

「いえ、いりません」

「ふふ、そう。……で、いつから居たの?」

「石原が来る、少し前」

「うわぁ。じゃあ、全部見てたんだ」

「……えっと、まぁ」

「ううむ、今日のことは秘密にしておいてね。ふられたなんて知れ渡ったら、石原くんが可哀そうだから」

「あ、うん。それは、しないよ。……でも、なんで断ったの?」

 僕は聞いてからしまったと思った。あまりにも踏み込んだ問いだ。天谷さんの気を悪くさせてしまうかもしれない。恐る恐る彼女の顔を伺うが、彼女は特に気を悪くした様子もなく、肩を竦める。

「ちぃくんは、どうして、断らないと思ったの?」

 問いに問いで返された。けれど、僕は自覚する。確かにその通りだ。なぜ断らないかを聞いたということは、僕は、石原が上手くいくと思っていたということだ。

 それはなぜか。

 答えは簡単だった。

「天谷さんの言ってた通りだよ。僕はあんまり石原と話したことはないけれど、サッカーは上手いし、顔だって悪くない。さっきの見る感じ、性格だって悪くなさそうだ。何より、告白する勇気があるってことは、男らしいとも思えたしね」

 悲しいことに、すべて、僕より優っていると言っていい。何をしても勝てる気がしない。だからこそ、何が悪いのか。それがわからなかった。

「……んとね、石原くんのことを、優奈が好きなのよ」

「優奈?」

 僕はわからず首を傾げる。

「日比木よ。同じクラスのね。あっ! これも内緒だからね」

 日比木さんならわかる。同じクラスで、更に、天谷さんと仲のいい友達だったはず。……そうか。友達が好きだから、身を引いたのか。

 ……というか、天谷さん。口軽すぎ。

 けれど先ほど、石原と天谷さんが付き合っているという噂が迷惑だという話をしていた時に、何を言いかけたのかはわかった。

『本当に迷惑よね。友達にはからかわれるし、それに、石原くんのことは、優奈が好きなのに』

 彼女はそう言いそうになったのだろう。けれど、好きだという気持ちは、人伝えにするべきじゃないと、口にするのをやめたのだろう。

「……でも、友達のことばかり考えて遠慮してたら、天谷さんこそ、恋愛のチャンスをなくしちゃうよ」

 なぜ、僕はそんなことを言ってしまったのだろうか? もしかしたら、石原の本気の告白を、しっかりと考えてくれなかったことに、腹立たしく思ったのかもしれない。

 確かに石原は恋敵ではあるけれど、彼の思いは本気だったとは思うから。

「ふふ、そうかもね。……でも、ぶっちゃけると私、男の人が苦手なのよね」

 恥ずかしそうに言う天谷さんに、僕は一瞬ぽかんとする。

「……天谷さんって、百合の人?」

「違うわよ。男の子同士とか、見ているのは好きだし」

「……好きなんだ」

 それもどうかと思います。まぁ、BL好きは意外に多いと言うし、仕方ないのかもしれないけれど。

「ただ、男の人を、怖いと思うだけ」

「……それって、僕も?」

 そう尋ねると、とても呆れた顔をされた。

「いや。なんで自分だけは違うって思えるかな。ちぃくんは女の子?」

「いえ、男の子です。……ただ、今も普通に話しているし、怖がられている気はしないんだけど」

 天谷さんは弱々しい笑みを浮かべる。

「……まぁ、話すだけならね。でも、付き合うとなると、それだけじゃないでしょ。いくら清いお付き合いをと思っても、手を握られたりはするわけだし」

 今の言葉で、ああ、本当に苦手なんだと思った。普通の好き合っている人同士ならば、手をつないでいると表現するのに、天谷さんは手を握られると言った。この場合、彼女は圧倒的に受けで、彼女から握り返す気は、全くないということでもある。

「……そっか、男が苦手なんだ」

「まぁ、昔に色々あってね」

 その色々が聞きたかったけれど、それ以上聞かれることを拒絶するように、彼女は机に置いておいた自分の鞄を持つ。

「じゃあ、私は帰るから、また明日ね、ちぃくん。このことは秘密だからね。……ではでは、気をつけて帰るんだよ」

「……気をつけてって、それは僕の言葉じゃないかな」

 男らしく僕のことを心配してくれた天谷さんに、僕は苦笑してしまう。



 今日一日で、色々なことがあったと思う。正確には、部活後の短い時間の出来事だけれど。

 天谷さんを好きになり、石原がふられるのを目撃し、更には、彼女が男を苦手にしているのだと知った。

 男が苦手な理由がなんなのかはわからないけれど、その苦手意識をなくさない限りは、彼女に告白しても、無駄に終わるのだろう。

 それでも僕は、いつかは告白したいと思った。

 石原が天谷さんに告白したとき、自分が彼女にとって、関係のない立場だということが嫌で仕方なかった。少なくとも、好きだということだけでも、知って欲しい。そう、思わないでもない。

 けれども、告白してふられた後、今までのように話せなくなるのではないかという恐怖もある。そもそも、どんな顔をして会っていいのやら。

 知ってほしいという思いと、知られたくないという思い。果たして、どちらがいいのだろうか? 

 僕は決断できずに、迷っていた。

 そして、僕は思い知る。

 この日の出来事が、まだ、終わりではないと。

 小さなアパートの、自分の家のドアを開けると、着物姿の女性がいた。

「やぁ、待っていたよ、ちぃ」

 満面な笑みを浮かべる綺麗な女性に、なぜか僕は、梅の花を連想した。


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