3話 短き邂逅
「……どうして?」
「い、いや、どうしてって……そんな風に呼ばれたことないから」
「……ないの?」
当たり前だ、と思いながら蓮也は無言で頷く。
少女は、んー、と声を上げながら俯いていたが、ふと思いついたように顔を上げると、左腕を持ち上げた。そこに巻かれていたのは、文字盤の四角い、シンプルな腕時計のような形状の機械。
レラシオネスに住むものなら誰もが身に付けている、<フレット>だ。
正式には、FRETと表記されるが、そのまま読んで、フレット。
この島で生活している、という身分証明のようなものであるため、蓮也も左腕に装着している。その見た目は共通したものだが、一部のシステムに、決定的な違いがある。
フレットに内蔵されているシステムというのは、簡潔に言うと、携帯電話のそれと類似したものである。が、それに加えてフレットには、ラールの契約に必要な部分もあるのだ。その部分を強制的に制限するのが、一般生徒に限りかけられる、制限プログラム。そしてそれは、召喚儀典を迎えるまで解除されない。
だが、それも明日までの話だ。
自然と、力強く拳を握る。
ラールと契約する召喚儀典は明日。その時にはこのプログラムも解除される。
「……見て」
と、ぼんやりしていた蓮也の眼前に、半透明のモニターが現れた。
その真下にある、少女のフレット。それが、このモニターを空中に映し出しているのだ。
左上部に少女の顔写真。下部にある情報は非公開にしているのか、クエスチョンマークが並べられている。
そして右上部には、藤條琴葉の文字。それが少女の名前のようだった。
「うん。……えーと、これが?」
「……私の名前、藤條琴葉。……貴方の名前は、ボス。だから私……ボスをボスと呼ぶ。ボス……私を琴葉と呼ぶ。……おーけー?」
「……ん?」
なんでそうなるのか。
まったく意味が分からず、思わず蓮也は疑問の声を漏らした。
そもそも、前提からして間違っている。蓮也の名前は、決してボスなどというものではない。
「ふふっ……決まり」
しかし琴葉はそれを肯定の言葉とみなしたのか、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「いや、今のは……じゃ、じゃあ藤條さんで」
「…………」
とりあえず名字で蓮也が呼びかけてみるも、ふいと横に顔を背ける琴葉。
「藤條さん? ……藤條? じゃ、琴葉さん……」
琴葉は、蓮也のどの呼びかけにも反応しない。それどころか、頭の上にのせていた幼竜と戯れはじめる始末だ。
「……琴葉」
「なに? ボス」
根負けして名前で呼んだ蓮也に、くるりと顔を回し、琴葉は楽しそうに微笑む。
まあいいか、と蓮也は内心で呟いた。
相手は自分みたいな一般生徒とは違う、エリートの特待者。会話する機会などそうそうない。今だけなら。そう考えて無理やり納得する。
「ところで、なんで木の上に登ってたの?」
「ん……日光浴?」
「……いや、俺に聞かれても」
そう答えつつ、琴葉が腰かけていた木の枝をちらっと見やる。とてもではないが、この背の高い木々の群れの中、日光浴ができるとは思えない。
「ボスも、やる?」
気づけば、琴葉がすぐ近くで蓮也を見上げていた。といっても、未だその両目を閉じたままだが。
気にはなるが、なぜ目を開けないのか、などという無神経な質問はしない。
なにか理由があるとか、病気を患っているとか、そういった触れてはいけない類のものだろう。でなければ、目を閉じているメリットがない。
ラールには、特殊な能力を持っているものがいると聞いたことがある。あの幼竜が、琴葉の手助けをしているのかもしれない。
「ごめん、そろそろ俺、寮に戻らないと」
嘘ではない。時刻は遅く、あたりは闇に染まりつつある。
……が、それが全てでもない。
蓮也は苦手なのだ。高い所が。それが木登りだろうとなんだろうと、怖いのだ。地面を見下ろすことが。
「そう……じゃ、またね。ボス」
明らかにトーンダウンした声。罪悪感が胸に残るが、無理なものは無理だ。
「じゃあね、琴葉」
蓮也には、別れの言葉を告げるのが精いっぱいだった。
ちなみに、蓮也はただ単に高いところが苦手なのではありません。なので、キーワードに?がついています。