22話 異界となりし戦場
「ここだと思ったんだけどな……」
ゴソゴソ、と掃除用具の入ったロッカーの中を探りながら、蓮也は呟いた。
つい先程、佐々木の静止を振り切って進んだ扉。その先は、中央棟地下一階の<儀典の間>に繋がっていた。
今までいた場所は地下二階だったのか、と新たな発見をしつつ、そのままわき目もふらずに階上を目指して今に至るわけだが……ロケットが見つからない。
相も変わらず、静寂に満ちている中央棟。
外では舞達が戦っているはずなのに、ここまで静かだというのが、蓮也は不気味でしかたがなかった。
……もう決着がついたのだろうか?
そんな考えが頭をよぎるが、ロッカーを探る手を止めていたことに気づき、慌てて動かしはじめる。
もしそうだったとしても、まずは失くしたロケットを見つけねばならない。
窓でもあれば少しでも外の様子を窺えるというものだが、いかんせん屋上へと続くこの場所には窓が存在しないのだ。
下手に屋上を開けて、暴走体と遭遇してしまったら、それこそ笑えない。
「……まさか、暴走体が建物の壁をぶち破ってきたりしないだろうな……」
自分で言っててなんだが、寒気がしてきた。
蓮也はぶるり、と身を震わせ、ロッカーの中にあるものをどかしていく。
そして、その手が空のバケツを取り上げた時。
「お?」
ロッカーの奥に、キラリと光を反射するものがあった。
すぐさまそれに手を伸ばし、引き寄せる。
「お! あったあった」
長く伸びた銀の鎖に、円を模った金色の造形。
まさしくそれは、蓮也が失くしていたロケットであった。
多少の埃が付着しているが、払えばどうということはない。
蓮也はロケットが見つかったことに安堵し、ほっと息を漏らすと、中を確認するためにその留め具を開いた。
瞬間、衝撃で外れてしまったのだろうか、ヒラヒラと舞い落ちてくるものがあった。それは、中にはまっていた、最初で最後の家族写真。
「……あれ?」
慌ててそれを拾おうと身を屈めた時、蓮也はピタリ、と動きを止めた。
裏向きとなって床に落下した写真。
裏面など見たことがないため今まで気がつかなかったが、そこには文字のようなものが書かれていたのだ。
折り目がつかないように、そっと手を伸ばす。
薄く、掠れた文字。
それは――。
「……ありが……とう?」
一体誰に向けての感謝の言葉なのか。
そして一体、誰が書いたものなのか。
「…………」
やはり父の遺品だから、生前に父が書いていたのだろうか。
見ていても疑問は解決しないので、写真をはめ、ポケットにしっかりとロケットをしまう。
そしていざ、蓮也が地下の部屋に戻ろうとした瞬間。
ドゴォォン!! という轟音が建物全体を揺らした。
「……な、なんだ!?」
響いたのは、なにか重量のあるものが地に落下したような、そんな音。思い浮かぶのは、モニターで見た光景。
――まさか、舞たちの身になにかが!?
ゴクリ、とつばを飲み込む。
バクバクと鼓動する心臓。
いてもたってもいられなくなった蓮也は、恐る恐る屋上の扉へと手を伸ばした。
キィ、と錆びついた音を鳴らしながら回るドアノブ。
そして、どうか暴走体がいませんように、と心の内で願いながら、蓮也は扉を押し開けた。
隅にポツンと存在する、古いベンチ。地に転がる砂利や石。目前に広がるのは、普段通りの殺風景な光景。
幸いなことに、屋上には暴走体の姿はなかった。
――屋上には。
「なんっ……だ……」
外に広がる景色。
それはあまりにも現実離れした光景だった。
まず目につくのは、大地から天へと伸びる、黒い柱。それも、一本だけではない。
宙を埋め尽くさん、とはいかないばかりも、すぐには数えられないほどの多さ。そして、その柱一つ一つが遥か上空で繋がっており、その様はさながら、宙に浮かぶ巨大な網のよう。
異様なのは、それだけではない。
本来ならば、視線の先、眼下には、レラシオネスの大地が続いている。――そのはずなのだ。
だがしかし蓮也の目に映るのは、レラシオネスの雄大な景色ではなく、また広大な空でもなく。
なんとも形容し難い、真っ黒ななにか。黒い柱とは違う。下は地面から、上は雲間に消えるほどの大きさである。
……強いて言うならば、とてつもなく巨大な黒い壁、とでも言うべきだろうか。
その存在のせいで、あるはずの景色が途絶えてしまっているのだ。
それはまるで、蓮也のいる中央棟とその周辺一帯が切り離されたかのようで。
右を見ても左を見ても同様の光景が続いており、完全に、その黒いなにかに囲まれてしまっているらしいのだ。
先程、モニターを通して見ていた時にはなかった光景。自らの目に映る世界が信じられず、思わず目を瞬かせるが、依然として景色が変わることなどない。
気分はまるで、とてつもなく大きい籠の中に入ったかのよう。
「……現実……なのか」
認めざるをえず、ぼそりと呟く。
しかし明るさは、夏の夕暮れ前と言うにふさわしいほどの明るさ。決して暗くはない。
それがまた、目の前の光景に不釣り合いであった。
「っと……」
ぼんやりしている場合ではない、と蓮也は柵に駆け寄った。
さっさと音の正体を確認して、建物内部へ戻らなければ。そう思って、ぐいと柵から身を乗り出そうとして――慌てて踏みとどまる。
何度も言うが、蓮也は高所から真下を見下すことができない。ただし、真下でなければオッケーだ。
自分でも変だと思うが、こればかりはしょうがない、と蓮也は改めてそろり、と地上の様子を窺った。
瞬間――。
心臓が、ドクンと跳ね上がった。
視線が一ヶ所に固定される。それは、中央棟よりさほど遠くない、地上の一点。
草木豊かな緑。地面から立ち昇る漆黒の柱。その中においてなお、一ヶ所だけ異質な色があったのだ。
周囲の光景より明らかに浮いているそれ。
地に足をつけているのは、白銀に輝く鴻大な神鳥。その巨体には、黒く、太い紐のようなものが幾重にも巻き付いており、行動を制限しているように見受けられる。
そして、その背に乗るのが――銀糸を思わせる髪を持つ、見慣れた少女。
間違いはない。
先程モニター越しに見た姿でもあったし、なにより見慣れたその髪を蓮也が見間違えるはずがなかった。
「……ま……い? 舞!?」
その状況を見て気が動転した蓮也は、我を忘れて思わず絶叫していた。
舞の周囲から巻き上がる土煙。それを見れば、先刻の轟音の正体が、舞がラールと共に地上に落下したという推測が容易につく。あの巨体、そして翼を封じている黒紐のこともあるため、ほぼ確実だろう。
――ただ、それだけであれば、蓮也とてこんなに取り乱しはしなかった。
問題は、舞を取り巻く周囲の状況にあったのだ。
「あ……あ……」
脳が目の前を認識していくにつれ、声が震える。
蓮也の視線の先で、なんとか動こうと、もがく舞。そんな彼女を上空より包囲する、無数の黒い影があった。
ゆっくり、しかして着実に距離をつめていく影は、決して友好的なものではなく、寧ろその逆。舞もそれを理解しているからだろう、必死に抵抗しているが、黒紐の拘束は外れない。
「……そうだ! 夕真は!?」
佐々木の言う通りならば、舞の近くにいるであろう、夕真。彼ならば、舞を救えるだろう。
そう考えた蓮也は、首を振って紅色を探した。
「……そんな」
しかし口から漏れたのは、落胆の言葉。
結論だけ言えば、夕真はいた。いたにはいたのだが――舞とは全くの逆方向。舞が、右方にいるのに対し、夕真がいるのは左方の森の中。距離的に遠すぎるのだ。これでは、舞の助けに間に合わない。
手すりを握る手に、力が入る。
……暴走体となったラールは、どういった行動に出るんだ!?
思えば、それを蓮也は知らない。
佐々木は、「危害を加える」と言っていたが――。
ピピィッ!
不意に耳元から聞こえた音に、ビクッと蓮也は身を竦ませた。
その正体は、フレットが鳴らすメールの着信音。しかしいつもとは違い、蓮也が操作するわけでもなく、勝手にモニターが起動された。
本来、メールで送られてきた文章はフレットを操作することでモニターに映し出されるのだが……。
こんな時に一体、と困惑を孕んだ表情で蓮也はモニターを見る。
差出人の名はない。あるのは――。
『なにもしないの?』
たった一言。
しかし、それだけでも蓮也の心に変化を与えるには充分だった。
無責任なその一言に、血が沸き立つ。
「そりゃ、俺だってどうにかしたいさ! でも、俺にはなにもできないじゃないか!!」
誰だか知らないが、勝手なこと言ってくれる。
蓮也は思わずカッとなって、モニターにむかって怒鳴った。
すると、その蓮也の叫びに反応したのか。モニターのメッセージが消失し、カチカチ、とキーボードを叩くような機械音と共に文字が表示されていく。
『また逃げるの?』
「……逃げる? 逃げるってなんだよ!? ラールもいない! 戦うこともできない! 一体俺に……こんな俺になにができるっていうんだ!?」
そうだ。自分にできることなどなに一つないんだ。
蓮也は、己の力のなさを痛感し、唇を噛んだ。
「……何処の誰か知らないけど……ほっといてくれよ」
肩を落とし、己の心情を吐露する。
しかし、それでもモニターが消えることはなかった。
文字が出力される音。今度はなんだ、と鬱陶しげに顔を上げた蓮也だったが、映し出された内容を見た瞬間、その表情が凍った。
『このままじゃ彼女、暴走体に喰われて死ぬよ?』
「……っ!!」
息がつまり、言葉が出ない。
ややあって、ようやく出せたものは、コヒュッという空気を吐き出す音だけだった。




