第14話
ついに、サラの第三部隊への異動が正式に発令される朝が来た。
第一部隊の女子寮の前。少ない私物を詰めた鞄を手に、サラは静かに建物を後にしようとしていた。
春の柔らかな朝陽が降り注いでいるというのに、サラの心は深い夜の底に沈んだままだった。この数日間、カイルの顔を見ないように、声を聞かないように、ただ息を潜めてやり過ごしてきた。今日ここを出れば、もうあの痛みに心をすり減らすこともなくなる。
「サラ……っ!」
背後から、一番聞きたくなかった、けれどずっと待っていたような気がする声が響いた。
ビクッと肩を揺らしたサラがゆっくりと振り返ると、そこには息を切らしたカイルが立っていた。髪は乱れ、目には焦燥と必死さが浮かんでいる。
「カイル……」
「よかった、まだ間に合った……! なあサラ、聞いてくれ! 違うんだ、俺はお前にちゃんと話さなきゃいけないことが——」
「もう、いいよ」
サラの声は、自分でも驚くほど凪いでいた。
カイルが必死に一歩踏み出そうとしたのを、サラは冷たい視線と、わずかに後ずさる動作で完全に拒絶した。見えない壁が、二人の間に分厚く立ちはだかる。
「サラ……? 頼む、誤解なんだ。俺はただ、お前にふさわしい男になりたくて……ミアのことは、ただの後輩として剣を教えてただけで……!」
「だから、もういいってば」
カイルの弁明を、サラは静かに遮った。
本当なら、その言葉を聞いて「誤解だったんだ」と安堵して、泣いて喜ぶべきだったのかもしれない。でも、今のサラの心は、そんな風に都合よくカイルの言葉を受け入れられるほど無事ではなかった。
「カイルが誰に優しくしようと、誰を好きになろうと、もう私には関係ないことだから。……わざわざ、言い訳しに来なくていいよ」
「言い訳じゃない! 俺は……俺が本当に好きなのは……っ!」
カイルが核心の言葉を叫ぼうとした瞬間。
「やめて」
サラは、ひどく悲しそうに、きつく目を閉じた。
「これ以上、私を惨めにさせないで。……彼女さんに、悪いから」
その一言は、どんな鋭い刃よりも深く、カイルの心臓を的確に貫いた。
「え……」
カイルの声が掠れ、伸ばしかけていた手が力なく宙を彷徨う。
サラの口から出た「彼女」という言葉。それは、彼女の中でカイルとミアの関係が完全に既成事実として固まっており、そして何より、カイルとの間に『他人の境界線』をきっちりと引いた残酷な証拠だった。
カイルが何を言っても、もう彼女の心には届かない。
自分が良かれと思ってやった不器用な行動が、彼女にどれほどの絶望を与え、どれほど厚い壁を作ってしまったのかを、カイルはここに至ってようやく完全に理解したのだ。
「今までありがとう、カイル。幼なじみとして、私を守ってくれて」
サラは目を開けると、最後の力を振り絞るように、薄く、寂しげな微笑みを浮かべた。
それが、昔からずっと隣で見てきた幼なじみの少女がカイルに向けた、一番大人びていて、一番遠い表情だった。
「さよなら」
短く告げると、サラはもう二度と振り返ることなく、第一部隊の敷地から歩み去っていった。
「サラ……っ、待って、サラ……!」
喉の奥から血を吐くような声が出たが、足は鉛のように重く、一歩も前に踏み出せなかった。
『彼女さんに悪いから』。
その言葉が呪いのようにカイルの身体を縛り付け、遠ざかっていく小さな背中を、ただ絶望の中で見送ることしかできなかった。




