第5話 公爵家のお家騒動①
さて、そんな濃厚な1日が終わろうとしている放課後。私は迎えの馬車に乗り込み、オレンジ色に染まった夕日を見ながらこれからの事を考えていた。
公爵家の紋章の入った馬車は揺れも少なく見た目もその中身もとても豪華だ。だが、その行き着く先は自分への興味が失せている冷たい両親とそれに倣った使用人達がいるだけのただの大きな箱である。ある意味学園より疲れる場所かもしれない。
決して必要以上に話しかけられたりもせず、使用人達からすらも冷たい態度を取られ続け、公爵令嬢だと言うのに専属の執事や侍女もいなければ護衛すらつけてもらえない。それだけで“フィレンツェア”の価値がどれほどのものかと言うのを見せしめでいるかのようにも思えた。
友人もおらず、婚約者や両親からも愛してもらえない。その程度の存在なのだと。
そう思うと、フィレンツェアにとって……そして私にとってもこの馬車はとてつもなく乗り心地の最悪な乗り物なのだ。
ただ、婚約破棄や今後のスローライフ計画の事を考えると両親に全てを黙っているわけにはいかないだろうとも思う。かと言って素直に全て話した所で婚約破棄に了承してくれるとも思えないのだ。もちろん力技で無理矢理なんとかする事も可能だが、あまり騒ぎは起こしたくない。
いや、いっそ逆に騒ぎを起こして公爵家から勘当されるのもいいだろうか?とも考えたがすぐにその考えを頭から消した。今の時点で家から追い出されるような下手な騒ぎを起こしたら、それこそヒロインがどのルートだったとしてもそれを理由に断罪されそうな気がする。
なにせ一般的な常識として高位貴族の令嬢が家を追い出されるということは、よくても修道院送りになり一生監視されて過ごすと言うことだ。さらに悪ければ身分を平民にまで落とされて路頭に迷った挙げ句に野垂れ死にするとわかっていて見捨てられるということでもある。
それに修道院だって言い方を変えれば犯罪を犯した若い女性用の監獄のようなものでしかない。例え冤罪でも犯罪者になってしまっては平穏なスローライフなんて送れないだろう。目指すのはジェスティード王子有責での婚約破棄だ。その上で家の恥だからと勘当されて放り出されるのが理想だった。
「それに、婚約破棄後の生活をどうするかも準備が必要よねぇ」
肩の上でウトウトと眠り出したアオを膝の上に乗せ、キラキラと輝く鱗を撫でた。気持ち良さそうな寝息が『ぴぃ~』と聞こえてきて、ついほっとしてしまう。前世で殺し合ったとは思えないくらいにアオはすでに私の心の癒しになっていた。
そもそも、どちらかと言うと平民に落とされる方が私にとってはハッピーエンドなのだ。だがいきなり無一文で放り出されても困らないように今のうちに下準備はしておいた方がいいとは思う。もちろん聖女時代に散々サバイバル生活をやっていたので放り出されたとしても野宿くらいならすぐに出来るし生き延びる自信はあるが、それではスローライフとは言えない。アオとのんびりまったり暮らすためにも最低限の衣食住の環境は整えたいのだ。そして公爵家を追い出されるのが大前提なのでもちろんブリュード公爵家のお金も権力も使えない。これまでのフィレンツェアのように権力を行使してなんでもするわけにはいかないのである。
この世界は前世の世界とは違う世界だ。この世界での法律や地域によるマナーの違い、勉強嫌いだったフィレンツェアの知らない事は私も知らないわけだが、それはとてもたくさんあるようだった。
……やっぱりこの世界の事を勉強するしかないか。とため息をついた。前世の知識かあれば無双出来るなんていうのは、神様が好きだった漫画の世界の話であって現実ではそうもいかない。サバイバルをしながらモンスターを倒していた記憶がこの世界でそれほど役に立つとは思えなかった。
せっかくの学園なのだ。この世界で必要な知識は、やはりこの世界で学ぶしかない。そう思うのは前世の記憶を思い出してから時間が経ち、落ち着いてきたせいなのか新たな事を色々と思い出してきたせいでもあった。
それは、ゲーム通りなら最終的な断罪劇は今から1年後の建国記念パーティーになるのだが実は神様の気まぐれ設定のせいで〈シークレットエンド〉というものがある事だった。確か何かの条件を満たすとシークレットキャラが出現してシークレットルートが解放される。神様がどこまで設定を作っていたのかは詳しく知らないのだが、このキャラがまた厄介な存在になりそうだった。確か、特殊能力があるとかなんとか。あまり思い出せないが……神様曰く「恋愛にトラブルは必要不可欠だから!」とのことで、トラブルメーカー確定らしい。あぁもう、どうせならもっと有益な情報を思い出せればいいのに……とにかくヒロインや攻略対象者以外にも注意しなくてはいけない人物が増えたわけである。しかも顔も名前もわからないなんて……もしもこのシークレットルートが解放されたら悪役令嬢なんて確実に巻き込まれそうだ。だからこそ、面倒事から逃げるには知識があるに越したことはないだろう。
そう言う意味では聖女時代の方が楽だったかもしれない。あの頃は勉強よりもその日を生き抜くことの方が重要だったからだ。しかし今の私に聖なる力はすでになく、残ったのはあの時代に体に叩き込んだサバイバル術と神様から教えてもらった乙女ゲームやオタクの知識くらいだ。いや、一般的な常識などはもちろんフィレンツェアの記憶のおかげで体が覚えていると言うか、身に付いているのだが……しかし。と、フィレンツェアのこれまでの勉学の成績を思い出すと眉をハの字にせざる得なかった。フィレンツェアは「どうせ守護精霊のいない自分が勉強なんかしたって意味なんかない」と最低限の事しかしてこなかったのだ。まぁ、王子の婚約者になってからは挨拶の仕方や動き方なんかは公爵令嬢として恥ずかしくないようにと覚えさせられたみたいだけどそれだって付け焼き刃にしか過ぎない。
「確か悪役令嬢は自分の成績を上げる努力よりもヒロインの邪魔をして足を引っ張る方を頑張っていたのよね。元々勉強嫌いの設定なんだわ。
そうだ、思い出した!悪役令嬢とヒロインのテスト対決とか、ダンス対決なんてミニゲームもあったわ。あんな凶器のようなピンヒールを履いて動き回れるなんてヒロインって万能過ぎなんじゃないかしら?」
ヒロインはその色々な対決イベントなるミニゲームで高得点を取ると特別ボーナスとしてアイテムが貰えていた。確かショップでも買えない特殊アイテムが景品になっていて、その中には守護精霊に関するものもあったはずだ。それは守護精霊の加護の力を強める事によって強力な魔法が使えるようになるチートアイテムなるものだった。
各ルートでヒロインがそのアイテムを手に入れるとセイレーンの魅了の力が一気に挙がり、好感度が爆発的に上がるのである。つまり攻略が簡単になる特別なアイテムなのだが、入手する為にはそのミニゲームイベントでかなりの高得点を取る事が必須だった。神様は「アイテムを使うのは邪道だって意見もあるらしいけど、そのアイテムを手に入れるのに苦労したからこそのご褒美って格別だと思うんだ!このアイテムを使うと特別ムービーが流れる仕様にしてあってスチルがなんたらかんたら……」とかなんとか……あ、話が長くて途中から聞いてなかったんだった。でもそのスチルが綺麗だったのは覚えている。
つまり、そのアイテムを手に入れる事が出来ればアオの精霊の力が強くなるってことなのでは?もちろん今のままでも強いのだろうけれど、これから何が起こるがなんてわからないのだ。もしもの事を思えばそれはとても魅力的に感じた。
それに、神様は各種イベントやミニゲームにアイテムを用意していたはずだ。天界で遊んでいた時はあまりアイテムなど気にせずプレイしていたけれど、この世界のラストがどうなるかわからない以上アイテムに頼るのも悪くない。────つまりこの世界を生き抜く為の勉強をしつつ、まずは便利アイテムを集める……なかなかいいアイデアかもしれないと思った。
それに、悪役令嬢の座を退場した後の事を考えるとやはりこの世界での知識がないと悠々自適なスローライフは難しい気がする。貴族令嬢はどんな理由であれ婚約破棄をする、またはされると例外無く“キズモノ”と言うレッテルを貼られてしまう。そうなればまともな結婚など出来ない事は当然で、貴族令嬢としての価値は無いに等しくなるのだ。別に結婚はしたいわけじゃないし、貴族でなくなるのも構わない。問題はアオと一緒にのんびりゆったり楽しく静かに暮らすにはどうしたらいいか……それだけだ。そんな事を悩んでいたら、いつの間にか馬車は公爵家の門の前に到着していた。止まってからそれなりに時間が経っていそうなのに声すらかけられないとは職務怠慢なのでは?それくらい悪役令嬢が嫌われていると言う証拠なのだろうけれど。そんな事を考えながら眠っているアオをそっと鞄に隠したのだった。
「ご苦労さま」
私はそれだけ言うと馬車から慣れた手つきで飛び降りた。普通なら誰かが手を差し伸べて降りる補助をしてくれるのだろうがフィレンツェアにはそんな手が差し伸べられるどころか出迎えさえない。今だって御者は私の行動に驚きもせず、目も合わせずに黙っているくらいだ。
この家はいつもこうなのだから今更である。
もちろん人手不足だから……なんて事はなく、公爵家には使用人達はそれこそたくさんいる。だが、いつも遠目から姿を確認されるだけで誰も近寄ってこないし部屋に籠もれば食事の時間まで声をかけられることはない。そしていつものフィレンツェアなら加護無しと諦められている自分は無視されても仕方がない存在なのだと落ち込むかイライラしてキレるところなのだろうが私がそれをすることはないのでいつもより平穏になるはずだった。私の中にいる小さなフィレンツェアも前向きになっているようだし、アイテムを集めつつ計画を練ることにしよう。
だから今日もいつも通り、私は誰に向かってでも無く「只今帰りました」とだけ言葉を発する。いつも通り返事などなく、少しだけ集まる視線を感じるだけ……。
「フィレンツェア」
静まり返る部屋に凛とした声が背後から響き、私の体は驚き過ぎてビクッと反応してしまった。
恐る恐るふり返るとそこには、若い頃〈氷の令嬢〉と謳われていたらしい……それこそ氷のように美しく冷たい表情をした女性。フィレンツェアの母親であるエリザベート・ブリュード公爵夫人が立っていたのだ。
お母様から声をかけられるなんていつぶりだろうか?近年の記憶には全く無いくらい久しぶりなはずだ。ゲームにはほとんど登場しなかったが、フィレンツェアにそっくりな外見はどう見ても血の繋がりを感じてしまった。確か、悪役令嬢が加護無しに生まれた事を親族から責められてから心を閉ざして娘に愛情をかけることをやめた……みたいな描写があったはずだ。病弱な公爵夫人は悪役令嬢を産んだせいで持病が悪化し再び子供を儲けることが難しいこともあり、余計にフィレンツェアに冷たく接していた……と言う悪役令嬢の過去をどこかのルートでヒロインが涙ながらに語っていたのを思い出した。そして、悪役令嬢の事を「かわいそう」だと言ったその口で「それでも罪は罪ですから」と断罪するのだ。今から思えばなぜそんなに悪役令嬢の過去に詳しいのかわからなかったが……たぶん、この母親がヒロインに絆されて話して聞かせたのではないかと今、思った。
「……今日、学園で公爵令嬢らしからぬ事があったと報告がきました。湖に落ちるなんて野蛮な行為など、周りからなんて言われるか……。それに、もしも顔に傷でもついたら……」
ボソボソと囁くように言っているが少し声が震えているようにも感じる。もしかしたら怒りを押さえているのだろうか。
「あ、あなたには、貴族令嬢としての責任と義務が……」
なるほど。珍しく話しかけてきたと思ったらお説教をしたかったらしい。いや、正確には落ちたのではなく落とされたのだが……まぁ、それだけ他人に嫌われている事が公爵令嬢としてすでに“恥”だと思われているのだろう。
それにしても、誰も助けてくれなかったのに報告だけはちゃんと伝わっているようだ。もしも前世の記憶が戻ってアオが助けてくれなければフィレンツェアは死んでいたかもしれないのに、世間体の心配しかしていないようだった。
まぁ、よくよく考えれば最終的にヒロインの味方をするキャラクターなのだから悪役令嬢を可愛がるはずがなかったのだ。それはきっと父親も同じだろう。
私が息を吐いて「申し訳ありませんでした」とだけ答えてそのまま自分の部屋へと足を進めようとした。しかし、お母様は腕を伸ばして私を止めようとしてきたので思わずそれを払い除けてしまう。今日は平穏にやり過ごそうと思っていたのにこれでは一波乱ありそうだ。
それにしてもさっきから妙に心がざわついて落ち着かない。たぶん私の中の小さなフィレンツェアがこの母親の言葉に拒否反応を示しているようだった。私は孤児だった聖女時代のせいで親に対する期待と言うか理想があったのだが、それがこの瞬間に崩れ落ちた気がする。フィレンツェアも親に期待してはその気持ちを裏切られて来たのだろうと思った。
これなら何も知らないフリをしていてくれた方がフィレンツェアの精神には良さそうな気さえする。もう、早くこの場から立ち去りたい。せっかく目標を立ててやる気になっていたのに……。それでも私はなんとか気持ちを落ち着かせ、頭を下げた。
「……わたしは確かに湖に落ちました。ですが怪我もしていないし、授業の妨げもしていません。もちろん教師達にもバレていませんので公爵家の恥の上塗りは致しておりませんからご安心下さい。それでは失礼致します」
「まっ……待ちなさい!誰かその子を捕まえて……!!」
私がその場を立ち去ろうとした途端、お母様の慌てたような叫びに反応してそれまで黙っていた使用人達が一斉に私を囲ってきたのだ。
「なにを……!」
これまで視線も碌に合わせず、近寄りもしなかった使用人達の無数の手が私を捕らえてきた。顔色を悪くしている者、泣きそうにしている者、怒っている者。そんな様々な表情が攻め寄って来たせいで小さなフィレンツェアが混乱して私の中でパニックを起こしてしまったのだ。私もそれに共鳴してしまい……無意識に助けてを求めていた。
アオ……!と。
次の瞬間。鞄から飛び出し、私を守るようにアオがドラゴンの姿となって現れて牙を剥いた。
『フィレンツェアに何するつも「可愛いフィレンツェアが怪我なんてしていたら大変よ!!」「「「お、お嬢様!本当にお怪我はありませんか?!!」」」……りなんだ?』
しかし、アオの叫びと同時に重なり合うように聞こえてきたお母様と使用人達の言葉にアオが不思議そうに首を傾げてこう言ったのだ。
『……あれ?この人間達、今朝まで変な感じがしてたのに今はそれがなくなってるよ』と。
封印されていたとはいえ意識はあり、周りの気配を感じ取っていたというアオは『昔からフィレンツェアの周りの人間からは常に変な感じがしていたんだよね。特にその変な感じが強い人間は近づいてこないようにする魔法をかけておいたはずなんだけど……警戒してた変な感じが無くなってるからその魔法が解けちゃってるみたい。なんでだろ?』と、さらに首を傾げていた。
「……へ?」
そして、私が意味がわからず間抜けな返事をするとお母様がなんとアオを押しのけて私に抱きついてきたのである。
「本当に無事なのね?!よかった……よかったわぁぁぁぁ!!」
号泣しながらぎゅうぎゅうと腕に力を込めて私を抱き締めるという初めて見るお母様の姿に、私と小さなフィレンツェアはさっきとは違う意味で動揺が隠せないでいたのだった。




